第22話 覚醒の時は来たれり
泉の中心から黒い突起物のようなものが盛り上がると、そこから水を滝のように滴らせながら徐々にその全体像が明らかになっていく。禍々しい黒い蜥蜴のような皮膚と亀の甲羅を身にまとったような装甲をがっちりと装着、その体格と何十本も生え並んだ鋭利な歯だけでも十分に獲物を圧倒できるはずなのに防御面もサポート済みというチート設計に直人も顔が真っ青だ。
「ギャオオオオオオオオオオオオ!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああ!」
恐竜の姿をした魔物の雄叫びは、この場の幻想的な景色を現実的な悪夢へと変貌させるほどに強烈な目覚めのアラームとなり、周囲の空気を酷く小刻みに震わせた。
それに負けず劣らず、体内に残った酸素の全てを吐き出す勢いで絶叫を上げて一目散に逃げだす。
毒の蔓延する地域を離れた今、必死で酸素の交換を行いながらゴールに向かってひた走る。しかし、どれだけ全力疾走してもドシン、ドシンという地鳴りが背後から猛スピードで迫ってきているのを背中で感じ取っており、頭の中では振り切るのは難しいだろうと悟ってはいた。
だが、しかし……。真正面から戦うなどという選択肢はもっとあり得なかった。
「無理無理無理! あんなの絶対に倒せない! っていうか、追いかけてくるなああ!」
「ギャオオオオオオオオオオオオ!」
「いいいいやあああああああああぁぁぁぁぁ! 『其の篝火による制裁よ』!」
直人は必死になって両手両足を上げて走りながらファイアボールの詠唱を済ませると、背後に向かって火の玉を解き放った。図体自体は大きいので狙いを定めずとも当たるとは思っていたが、火球による爆発が起こっても地鳴りが止むことは決してなかった。それどころか、まだまだ本気の走りではなかったらしく更にペースを上げて追いかけてきたのだ。
「つうか、あの図体のどこにそんな走れる馬力があるってんだ! 普通は大きさに比例して遅くなるものじゃないのかよ!」
一説によれば、ティラノサウルスの走る速度は最新の研究で人間と同じか少し早いくらいの歩行スピードだと言う(あくまで仮説です)。しかし、ここは泣く子も黙る異世界、向こうの常識と照らし合わせて考える方が愚の骨頂なのだ。
「ちっくしょおおお! なら、これはどうだ、食らえよ温泉攻撃! 『其の求めに応じよ・母なる海の化身よ・美しき大河の奔流よ・星を渡りて・我が手元へと帰りつかん』!」
その詠唱通り、大海の化身とも呼べる熱々の大水を召喚し大洪水を引き起こしてみたが、その激流を諸共せず体の鎧で弾きながら突き進んでくるではないか。直人の中では、シルヴィアに教えてもらった中でも最大火力の攻撃なため、これ以上に打てる手は存在しなかった。
「……というか、そろそろ魔力が尽きるうう! このままだと恐竜の餌になっちゃう!」
「ギャオオオオオオオオオオオオ!」
「うわっぶね!?」
とうとう追いついて来た恐竜の顎が直人の頭部へと迫った。危うく噛みつかれるところをギリギリで回避し、至近距離からのファイアボールで牽制するもちょっと距離が離れた程度ですぐに追いかけ始めてしまった。
そして、彼には更なる試練が舞い込んできた。どこからともなく、聞き覚えのあるキチキチ音がやってきて、ついでに狼の遠吠えのようなものも空耳程度に聴こえてきた。
「……まさか、まさか、まさか! ここに来て魔物オールスターズかよ!」
「ワオオオオオオオオオン!」
「キチキチキチキチ! キシャアアアアアアアアアアアア!」
「ギャオオオオオオオオオオオオ!」
そしてとうとう、直人は前後左右全てを魔物が埋め尽くす空間に閉じ込められてしまった。彼らが直人を前にして動かないのは、獲物である直人よりも同じ獲物を狙っている相手の魔物を警戒してのものだった。
食べられる機会がほんの少し先延ばしになってはいるが、これでは脱出など到底できるはずもない。もはや食べられる運命自体は、完全に確定してしまっていた。
「魔力も、もう一握りしかない……。このまま温泉を召喚するか? でも、その後は? 僕は、こんなヤバい奴らから逃げ切れるのか?」
そこかしこから聞こえる猛獣たちの唸り声、食欲を抑えきれずイライラした感情を表す牙を鳴らす音、殺意に満ちた無数の視線……。そのどれもが、直人にとっては絶望を体現した圧力そのものだったと言えよう。
「まさか、もう終わりなのか……? もう二度と、シルヴィアに会えないのか……?」
もう一度、シルヴィアに直人と呼んでもらいたい。もう一度、自分のことを抱きしめて欲しい。いつものように、笑顔で語りかけて欲しい。
「いや、一度だけじゃないんだ……。これから先、ずっと、ずっと、僕の寿命が尽きるその瞬間まで……。シルヴィアには傍に居て欲しいんだ……! だから、最後に力を振り絞れ!」
直人は自分の心臓辺りに魔力をかき集めた。残っている全ての魔力を使って、渾身の一撃を放とうと詠唱しようとした瞬間にそれは起こった。
彼の体から白い冷気が放たれ、それらが空気に触れたところから青く美しい氷の結晶を形成していく。周囲の温度は一気に氷点下へと到達し、直人が一歩踏み出す度に周囲の景色が極寒地帯へと変化していく。
まさに、今の彼は吹雪を従えた氷の化身。これこそが、直人が異世界召喚によって手に入れた特別な力なのだった。
「退けよ……! 僕は、シルヴィアに会いに行くんだ! そこを退けえええ!」
凍らされた魔物の氷山を幾度となく乗り越えながら歩いて、歩いて、歩き続け……。気づいたときには魔力が切れ、シルヴィアの住む家へと帰り着いていた。
「……帰ってきたのか」
直人は家に入るなり、残ったポーションを取り出して飲み干すと空の瓶を床に放り捨てた。意識を朦朧とさせながらも何とか食卓までたどり着き、鞄からレシピを取り出し薬の調合を始めた。
「まだだ……。まだ、倒れるわけには……」
お湯を生み出し、そこにホタル草と保管されていた他の薬の材料を一緒に混ぜて素材を磨り潰し、ある程度冷ました後に飲ませる対象の爪を少量だけ混ぜる。爪切りが見当たらなかったので、悪いとは思いつつも眠っていたシルヴィアの爪の先を噛んで回収し、それを混ぜて、混ぜて、やがて薬は完成に至った。
「これで、後は飲ませるだけ……」
先ほどの冷気の影響で多少は手がかじかんではいたが、零さないように慎重に両手で器を持ち、シルヴィアの元まで運んだ。
「シルヴィア、飲んでくれ……」
「はぁ、はぁ……」
しかし、彼女は依然として呼吸を荒くしており薬を飲む余裕も無さそうな様子だ。仮に口を思いっきり開けさせたとして、そこから上手く薬が流し込める保証はどこにもなかった。
「……シルヴィアなら、こうするよな」
直人はなりふり構っておられず、煎じた薬を自分の口に含むと彼女の口に自分の唇を押し当てた。彼女が薬を零さないように、ゆっくりと時間をかけて流し込んでいく。
口の中に広がる薬の苦みと、仄かに漂ってくるシルヴィアの甘い匂いが溶けあって蕩けた脳みそが耳や鼻から吹き出しそうになるかと思った。それくらい、直人にとってその口づけはとても心地が良い物だったのだ。
「シルヴィアは、いつも……。こんな風に、思ってくれていたのかな……」
だが、もはや直人も体力が極限状態に陥っており、膝をつくことすらも辛くなってその場に横になって倒れ込む。まだ意識を手放すわけにはいかないと言い聞かせるも虚しく、その瞼はゆっくりと閉じられ、眠りの世界へと誘われていくのだった。
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