第20話 急性魔力失調症候群
「確か、水を生み出せる魔法があったはず。今の僕なら、魔力量を調節すれば……」
台所にしまわれていたバケツを取り出し、すぐに詠唱を始めた。
「『其の求めに応じよ・母なる海の化身よ・美しき大河の奔流よ・星を渡りて・我が手元へと帰りつかん』」
水の魔法……正式には『クリエイト・アクア』の魔法を発動してキンキンに冷えた水を容姿すると、タオルに水を浸してまずはシルヴィアの額へ当ててやる。それから、よく絞ったもう一つのタオルで汗をかいていた彼女の体を拭いていく。
「……もうこの際だ、悪いが文句を言わないでくれよ」
直人は彼女の服を脱がせると、脇の下や胸元、太ももといった箇所も体温を下げられそうな部位を重点的に攻めていく。あとできることがあるとすれば、彼女が楽になれるように薬を飲ませることだろうが……。
「そう言えば、風邪とか引いたときにどうすれば良いか聞いてなかった……。でも、この状態で放っておくことはできないし……。何か、資料とかないのかな……」
直人は普段、シルヴィアにこちらの世界の言葉や魔法言語を教わっているため、読めない箇所は少なからずありながらも彼女の持っていた本や資料に目を通すことはできた。
「これじゃない……。これでもない……。ん、これは……」
彼女の机を探っていた時、一枚の紙切れを取り出すと、そこには分かりやすいくらいに体調が悪くなったときの薬の作り方とその保管場所が記されていた。
「あ、これだ! 体調を崩したときのポーションの在り処は、台所の棚の右から二番目の棚の奥側、右から三番目……」
ガイドに従って縋る思いで薬の場所を探ってみたが、しかし、そこには肝心の薬の瓶が存在しなかった。他にも色々と取り出してみたものの、資料に合致する特徴の薬はなかった。
「藍色で、星野砂が散りばめられたような見た目の薬……。ここにはない。こんな時に、薬を切らしてたってのか……。いや、違うか。僕のせいかもしれない……」
シルヴィアは基本的に、直人に付きっ切りで魔法を教えたりしていたので最近は魔法薬の調達が捗っていないようなことを言っていた気がするのだ。今回、彼女がこんなになるまで自分の症状を放っておいたのも、きっと直人が彼女に材料調達の時間を与えなかったことが原因だろうと悟った。
「僕に力がないから、シルヴィアは僕を強くするための時間を多く取っていた。最近はできること自体が楽しくなってきていて、訓練の時間を引き伸ばしたりもしちゃってたし……。これは、僕が招いてしまった事態でもあるんだ! どうすれば、この薬を作れるんだ……!」
直人は分からないなりに、辞書を持ち出しては言語の意味を読み解きながら薬の作り方を解読していった。さっきまでは昼間だったのに、気づいたら夜になりそうな時間帯になっていて、直人の体も前屈みになったり、座りっぱなしだったりでそこら中が痛くなっていた。
だが、その甲斐もあってようやく全ての解読作業が終わりを迎えたのだった。
「やっと、やっと読み終えられた……。どうやら、この薬はこの森の北側、ずっと奥にある聖なる泉に咲く特殊な花が必要みたいだ。ホタル草……。えっと、夜になると発光する花で、泉に周囲に咲く……。ただし、引き抜く前のホタル草は花弁から甘い匂いを……。それには……が、含まれている? やっぱり、最後だけ分からないな」
ここは直人の勉強不足とも言える部分が出てしまった。ちゃんと調べたつもりだったが、正しく翻訳するにはシルヴィアの力が必須と言える。
しかし、だからと言ってここで立ち止まっているわけにもいかない。直人は完全な解読を諦め、次のステップに進むことにする。
「他の素材は……。うん、見たところちゃんとあるな」
素材の保管場所になっている薬棚……。普段はクローゼットの隣にあり、シルヴィアしか使わないので特に気にしていなかったが、これが重要なものであることを再認識できた。
「やっぱり、この花……。ホタル草っていうのかな? これがない……。探しに行かないと」
しかし、この時間帯になると夜は真っ暗で魔物もうようよ徘徊するようになる。シルヴィアによれば、この悪魔の森は夜が本格的に危ないのだといつかの時に聞かされた。
『悪魔の森はね、昼間はそこまで危険じゃないの。いや、魔物は強いし危険だけれど、遭遇率はそこまで高くないから運が良ければ帰って来れる。でも、夜は別。魔物たちは夜になると活発に活動を始めて、迷い込んだ冒険者を食うの。それに、視界も悪いし地の利も魔物の方が上だから、絶対に夜には出掛けちゃ駄目だから。お姉さんとの、約束だぞ!』
「シルヴィアはああ言っていたし、実際、夜にお風呂へ入りに行くことはあっても森の中には一度だって入ったことはない。シルヴィアが細心の警戒を払うくらい、夜の森は危険なんだ」
直人はもう一度、シルヴィアの傍まで近寄って額に手を添えてみる。この世界に体温計はないが、一向に熱は下がらないどころか上がっているような気もするのだ。
ざっと見積もって、今が三十九度前後。もしもこのまま上がり続けたら四十度近くになり、命の危険に晒される可能性だってある。
「もちろん、熱が明日の朝になったら下がる可能性もあるけど……。何があるかも分からない異世界の病気だし、早めに対処するに越したことはないかも……」
実はこの時、直人の判断は非常に正しかったことが後で明らかになる。
シルヴィアのかかっている病気の名前は、『急性魔力失調症候群』と呼ばれる病だ。急激な魔力消費を行った体で魔力を使い続けると、体にかかった負荷が原因で体調を崩してしまう。
最初は本人すらも違和感を覚えることなく症状は徐々に進行し、ある時を境に急激に体温が上昇していく。薬を飲めば対処可能な病気ではあるが、放置した場合、体温の上昇が止まらずに呼吸不全や心筋梗塞を引き起こし、やがて死に至る……。
こうなった一番の原因は、魔力を三百年分も使って直人を異世界から一人で召喚したこと、そして立て続けに直人に魔法を教えたことで魔力を使い続けたことだった。
当然、直人はその病気のことも、症状のことも知らなかったわけだが……。一刻を争う事態だと悟った直人は、すぐにシルヴィアに貰ったローブを身にまとい、押し入れにしまわれていた肩掛けポーチを身に着け、その中に資料といつも飲ませてもらっている状態異常回復用のポーション類を詰め込んだ。
ポーションに関しては完全に保険で、数も二本しかないので、いざとなった時以外は極力使わないことを心掛けることにする。
「……待っていてくれ。必ず、このホタル草を摘んで帰って来る。必ずだ」
このままシルヴィアとお別れするなんて、絶対にごめんだ。たった一人の隣人であるシルヴィアを想う強い意思を胸に抱き、直人は最も危険な夜の森へと足を踏み入れるのだった。
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