第19話 異変

 魔法の本格的な実戦訓練が始まってから、もうすぐ二ヶ月もの期間が過ぎようとしていた。毎日のように魔物に下敷きにされたり、投げ飛ばされたり、時に吹き飛ばされることもあったが、それでもめげずに魔法を扱い続けた。結果、直人は更なる魔法の上達を遂げ、今となっては……。


「ファイアボール!」


「ウホホオォォォォ……!」


 轟々と天高くへと伸びるオレンジ色の火柱の中で、今までは散々しばき回されていたデスゴリラが情けない雄叫びをあげながらウェルダンにされていた。最後は灰も残さず消え去り、直人は魔物が風に攫われて散りゆく様を呆然と眺めていた。


 すると、足音に紛れてパチパチと乾いた拍手が後ろから鼓膜へと滑り込んできたので振り返れば、どこか清々しく雨上がりの空のような瞳を潤ませたシルヴィアの姿があった。


「ここまで魔法を撃ち続けた回数1271回、魔物に殺されそうになった回数が48回、正直に言って見てられないって思ったこともあったし、一人じゃ倒せないのかもって思ったこともなくはなかったけど……。まずは、第一関門突破だね。おめでとう」


「はあああああぁぁぁぁ~~~~」


 ようやくシルヴィアのお墨付きを貰えて、急に力が抜けてその場にへたり込んでしまう。ほんの二か月前の直人なら、まさか魔物を倒せるレベルになるまで魔法が上達するなんて思ってもみなかったのだが、こうして目の前で自分の放った魔法が魔物を倒したのを見てようやく現実味を実感できたといったところだろう。


「正直、何度も死にかけて駄目なんじゃないかって思ってたところだよ」


「言ったでしょ、ナオトならできるって。それでも、まだまだ全然登竜門を潜ったばかりなんだけどね。もっと魔法言語を勉強して魔法陣が構築できるようにならないとゲーム開発なんてできないし、専門的な理論とかも詰めていかないとね」


「そう言えば、最初の目的はゲームを作ることだったね」


「忘れてたの? 無理もないとは思うけれど、目標は見失わないでね」


「分かってる。それにしても、魔法陣か……。今までもずっとファンタジーだったけれど、よりファンタジーっぽい感じの響きだね」


「それも追々って感じかな。魔法陣は簡単に言うと魔法を発動するための補助設計図みたいなもので、魔力を節約したり、魔法陣を構築しておくことで即座に魔法を使うことができるけれど……。詠唱するのより難易度はずっと高いんだよね」


「それはどうしてなんだ?」


 直人が一息ついている間に、シルヴィアは雑談ついでに魔法陣に関する講義を始めた。シルヴィアの座学はとても分かりやすくて直人にとって興味津々な内容なので休憩中であってもしっかりと耳を傾けておく。


「まず大前提として、詠唱と魔法陣は両方とも魔法の基礎理論がしっかりと理解できていないと使えないの。音階と魔力量の関係性や、世界の法則に沿った魔法言語の構築、それから実用性の観点からの最適な理論設計……。やらなきゃいけないことは沢山ある。それを踏まえた上でも、詠唱はまだまだ簡単なの。その明確な理由は、そもそも詠唱は魔法をその場で即時に発動できることを前提としているから。わざわざ長ったらしい詠唱なんてしなくても良い様に典型文と、素人が魔法の理論をすっ飛ばして詠唱の方法だけマスターすれば、最低限、魔法を使うことだけはできるようになってるの」


「威力とか、指向性とか、そういうのは抜きにしてってことか?」


「そう。でも、魔法陣の方はそうもいかない。例え、魔法陣の図が用意されていたとして、それを何にも考えずに模写できたとしても魔法を発動することはできないの」


「そうなのか? もう設計図はできてるんだから、あとは動力源の魔力を用意すれば良い話じゃないのか?」


「設計図だけで、物が動くと思う?」


「あ、それは……」


 直人は言われてみて、はっと気づかされた。例えば、機械一つを動かすにしても設計図を組み立てたところでそれは単なる設計図で、実際の物ではない。


 仕様を考え、設計図を作り、それに必要な回路であったり、機械部品を揃えて、それらを組み立てて物を作り、デバッグを行い、何度もテスト運用して初めて製品化される。ファンタジーの世界だからと思っての発言だったが、どうやら科学だろうと魔法だろうとやはり根幹の部分は何も変わらないようだった。


「設計図を描いたら、物を用意しないといけないの。使う魔法によって用意しなきゃいけないものは違うから一概にこれとは言えないけど、そういうものを触媒って言うの。適した触媒を用いて魔法陣を描き、正しい順序と正確な波長に整えた魔力を用いることで、初めて魔法陣は機能する。要求されたスペックをほぼ正確に再現するだけの力が無いと魔法陣は勉強しても意味がないし、使うことすらできない。だから、最初は皆が詠唱をマスターするところから入るんだ」


「へぇ、凄いな……。その、前から気になってたんだけど、シルヴィアの魔法って誰から教えてもらったんだ? シルヴィアの過去を話してくれた時はあまり深く考えてなかったけれど、頭も凄く良いし、知識豊富だし、ちょっと気になってさ」


「それはねえ……。う~~ん、実は私もよく覚えてないのかも」


「え、そうなの? そんな大事なことなのに?」


「いくら私の記憶力が良いって言っても、四百年も前のことを一から百までは覚えてられないって。……でも、そうだな~。あの人は、私にとって……。あの頃は、世界で一番大事な人だったのかもしれない」


「それ、思い出す気がないだけなんじゃないのか?」


「あはっ、バレたか。まあ、またそのうち話してあげるよ。私の昔話の、その続き。ナオトには色々と知って欲しいし、知ってもらいたい。そうだ! せっかくだからさ、お祝いしながら直人の昔話も聞かせてよ!」


「いや、僕のはそんな面白くないと思うよ?」


「いいの! ナオトの話で面白くないことなんて、ないんだよ!」


 シルヴィアは笑顔弾ける軽快なステップで直人の目の前までやってくると、すらりとした白い腕を伸ばして手を差し伸べた。


「帰ろう! 私たちの家に!」


「……ああ、帰ろう。今日は、きっとご馳走だな」


 シルヴィアと直人は家に帰ると、早速お祝いの支度をし始めた。お祝いの日にまで毒入りの料理を作ろうとしたシルヴィアを必死に止めたり、後はサプライズと称してデスゴリラのあそこの肉を使おうとしたり、色々と大変だったが何とか料理は完成に至った。


「はい、完成! どう、私たち合作の魔物料理!」


「本当、勘弁してほしいよ……。途中で魔物の睾丸を使おうとしたり、毒の液体の色が綺麗だからなんて理由でサラダにかけようとしたり……」


「別に解毒はできるんだから良いと思うけどなあ。まあ、ナオトのお祝いだから今回はナオトリクエストで作ってみたんだけど。こういうのも、悪くはないね」


(今日の夜から、僕も料理を作れるように頑張ろうかな……)


 このままシルヴィアを暴走させておいたら、どんな料理が出てくるようになるか分かったものではない。今までは異世界に召喚された影響もあって心に余裕がなかったが、戦えるようになってきて生活にも慣れてきたので、そろそろ料理も覚えようと密かに心に誓った。


「それより、早く食べよう! ほら、席に着いて!」


「分かった、分かったから落ち着いて」


 目の前に並べられた料理は主に、鳥の魔物のチキンを使ったサラダや、デスゴリラの胸肉をローストしたもの、あとは甘さたっぷりの果汁が効いたリンゴのような果物の切り身と、それを使ったジュースというラインナップだった。相変わらず、見た目に関しては元居た世界の料理とは一線を画すものがあるが、今回ほどまともな料理はこの三カ月間で出たことはほとんどなかったので、内心直人も期待大な感じだ。


 席に着くなり、お互いに習慣となった「いただきます」を発して料理に手をつけようとする。しかし、直人がフォークを持った時点で、シルヴィアが「待って!」と声をかけた。


「今日はナオトが主役なんだから、まず私が食べさせたい! その後、ナオトが私に食べさせてほしいなあ~。ダメ?」


「いや、駄目じゃないけど未だに慣れなくて……。まだ恥ずかしさがあるっていうか……」


「お願い♡」


 シルヴィアが右頬で手を祈り合わせながら頼んできて、流石の直人も拒否することができなくなってしまった。最初に来た頃なら断る余地も多少はあったかもしれないが、もはやシルヴィアの幼気で健気な純度愛情百パーセントの瞳の魔力にもう引き込まれてしまっていた。


「あ~ん」


「はい、素直で宜しい! あ~ん! どう、美味しい?」


「美味しい。今日のは特別に美味しい気がする」


 お世辞でも何でもなく、直人の本心からの気持ちだった。料理の美味しさが徐々に増しているのは単純に直人の舌がこちらの味に慣れてきたからというのもあるが、それ以上に、目の前で煌びやかな笑顔を浮かべて喜びを共有できる相手がいるからというのが一番大きかった。


「もしかして、私の料理の腕が上がったとか?」


「そうかもしれない。でも、それ以上にシルヴィアが食べさせてくれるのが嬉しいって感じてるからかな」


「え、ええっ!? な、ナオトがデれるなんて珍しい……」


「何だよ、それ。でも、本当だよ。僕は、シルヴィアが食べさせてくれて嬉しい。いつも、本当にありがとう」


「っっっ!? そ、そんなに急に褒められたら……。ぴゅう~~……」


「……シルヴィア?」


 突如、シルヴィアの頭から蒸気のようなものが噴き出したかと思うと、ドサッと直人の方に倒れ込んできてしまった。流石におかしいと感じた直人が彼女の額に手を当てると、とんでもなく熱くなっていてびっくりした。


「何だよ、これ……。滅茶苦茶、熱がある……。こんな状態で魔物退治なんてしてたのか?」


「はぁ、はぁ……」


「苦しそうだな……。待ってろ、今何とかしてやるから!」


 直人は料理をほったらかしにして、すぐさまシルヴィアをベッドの上で寝かせる。苦しそうな彼女を少しでも楽にさせようと、必死で知恵を絞りだした。

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