第16話 古の記憶

 その後、シルヴィアと直人はすぐに家へと帰り、いつものように夕食と風呂を済ませると同じ布団に入って寝そべっていた。いつもと違うのは、直人が恥ずかしがって背中を向けていることが多い中、今日は向かい合って寝ていることくらいだろうか。


「こうして向かい合って寝てくれるなんて、何だか嬉しいかも。いつもはそっぽを向いてるのに、今日はどうして?」


「どうしてって……。シルヴィアの話をしてくれるんだから、そっちを向くのが普通じゃないのかなって」


「やっぱり真面目なんだね、ナオトって」


(こうして改めて見ると、やっぱり綺麗だな……)


 シルヴィアの部屋着姿は、ほぼ下着のようなトップスとパンツを履いている感じのもので、大事な部分以外はほとんど肌が隠されていない。ランタンの光が食卓の上で点いている程度なので薄暗く少しオレンジっぽい色が白い肌の上に乗っているのだが、そのグラデーションが美しいのも本来の彼女の肌が綺麗な真珠のように表皮で光を反射しているからだろう。


 青い瞳は夜空が浮かんでいるかのように幻想的で、輝く瞳は瞬く星々の集合体みたいに自分の目を惹きつけてならない。同じようにお風呂に入っているお陰で匂いの方もほぼ同じなので、安心感も二倍増しになっている。


「どうしたの? 何だか、今日は直人が凄く……。優しくて、少しエッチな気がする」


「気のせいじゃないよ、それ。不思議なんだけれど、今日のシルヴィアは魅力的なんだと思う」


「いつもは魅力的じゃないの?」


「そうじゃないけれど……。特別な話をしてくれるから、なのかな?」


「どうだろう、私は普段と何も変わってないし、変えたつもりもないもの。だから、そう言ってくれるのは嬉しいのだけれど、今日は駄目。私の、大事な話を聞いてもらうんだから」


「分かってる。聞かせてよ、シルヴィアの……。過去の話」


「うん……。少し、長くなるけど。寝ちゃわないでね」


 シルヴィアは軽くウィンクをすると、「あれは……」という月並みな台詞から自身の過去を話し始めるのだった。


 あれは、もう四百年近くも前の話になるかな~。


 こうして始まったシルヴィアにとっての四百年前とは、まだ彼女が齢にして十何歳のまだまだ子供だった頃にまで遡ることになる。彼女の暮らしていたエルフの里は、悪魔の森から西側にある魔族領の中でも魔族の王、通称『魔王』の庇護下にある特別な領域、いわゆる『魔王特区』となっていた悪魔の森と同様で豊かな自然に囲まれた場所に存在していた。


 ここが『魔王特区』となっている理由は幾つかあるが、第一にエルフが希少な種族であること、第二にエルフは長寿で魔法の知恵に長けており戦力になること、第三にエルフの管理する地域では特別な薬草や資源が手に入ることが主な理由となっていた。元々、高潔で誇りや伝統を重んじるエルフは魔王よりも更に古参な存在ということもあり、この地を支配する魔王に協力はするが服従はしないという意思の表れでもあった。


 だが、それ故に約束事を違えることは里単位で絶対に許されないことだった。自分たちを守るために結んだ契約とはいえ、一度結んだ約束を反故にするのは高潔さに反するからだ。


 彼らは里一丸となって、森の民として自然を守るため、そして庇護してくれている魔王のため、朝から里中のエルフ五十名あまりが集まって集会を開いていたのだ。


 ただ、一人を除いては。


「さあ、これで今日の班分けも終わりだ。お前たち、我ら誇り高きエルフ、そしてアヴィキオン様が慈愛を下さる森の民として、我らの生き方に恥じない働きを見せてくれ!」


「ya!」


「解散!」


 ここで言うアヴィキオンとは、エルフが住む森を太古の昔から守護していると信じられている豊穣を司る神のことだ。彼らはその守護に感謝の意を示すため、自らが生活するための食料に加えて、アヴィキオンの供物を祭壇に捧げて日々の生活を送っている。


 魔王に頼まれている資源の調達などは二の次ではあるが、集会に集まったこれだけの人数がいれば果たせない仕事量ではなかった。


 集会で指揮を執っていた男は里でも一位、二位を争うレベルの美男子で、長身だが細身に見えてしっかりと鍛えられた体をした男らしさで里中の女性からモテており、男性からも非常に親しまれていた。


「ねえ、ヤサカ! 今度、私たちとお茶しない? 仕事の息抜きに」


「そうそう! 皆、あなたの子供を欲しがってるんだよね! いいでしょ?」


「おいおい、女とヤルことだけが生きがいじゃねえんだ! ヤサカ! 今度の休みは朝まで飲み明かすぞ!」


「そうだ、そうだ! 偶には愚痴の一つも聴かせろ!」


「分かったよ、お前たち。だが、今は仕事に集中するんだ。今日もやるべきことは沢山あるのだからな」


「約束よ? 絶対来て」


「絶対だからな! ……っと」


 ヤサカに話しかけていたエルフの男の一人が、ある人物がやってきたのを見ると押し黙る。それ見て、周囲も察したのか急に静かになったかと思うとそそくさとその場を離れていく。


「ヤサカ、集会ではリーダーだし、美男だし、性格も良いのに勿体ないね」


「ああ。あのガキと……。それを生んだあのクソ女のせいだ。ヤサカは、今でも陰で色々言われてる」


「本当、どうしてあんなのがいるんだか……」


 そう口々に黒い感情を零しながら去っていく同志たちに代わるようにして現れたのは、銀髪の、今よりも身長を半分ほど低くしたくらいのエルフの娘だ。この少女こそ、今のシルヴィアの子供の時の姿であり、里で一番の嫌われ者のエルフだった。


「……何だ、お前か」


 ヤサカはシルヴィアを見るなり、先ほどまで仲間たちに向けていた温かな眼差しはその辺にでも捨ててきたのかと思えるほどに凍てつく冷気のような、ある種、殺気に近い嫌悪感を露わにした視線を向けていた。


「お、おとう、さん……。私も、何か……」


「おとうさん、だと? 何度言えば分かる! 俺は! お前のお父さんじゃない!」


「ひぃぃ!」


 ヤサカはシルヴィアに一方的に怒鳴りつけると、「邪魔だ」とまるで石ころでも蹴り飛ばすようにシルヴィアを押しのけながら自分の仕事場に戻ってしまった。


「……今日も、お話できなかった。私も、エルフとして皆の役に立ちたいのに」


 しかし、その呟きを拾ってくれるような大人はおらず、同年代の子供ですらもシルヴィアのことを忌避していて話しかけてすらもらえない。こちらから話しかけようとしても、あることが原因で全く相手にしてくれないどころか、攻撃されるまである。


「あの、私も……」


「お前、また来たのか! この疫病神!」


「銀髪のエルフ! お前が居るから、今年は不作なんじゃないかって父さんたちが心配してたんだぞ! 食べるものが無かったら、お前の腸を割いて配ってやるからな!」


「あっち行きやがれ! そら!」


 シルヴィアを見るなり罵声を浴びせ、除け者にし、挙句の果てには泥団子やら砂やら石ころやら、手当たり次第に投げつけられる。シルヴィアはそうされる度に悲しくなって、今にも泣きそうになるが、それを堪えていつもの隠れ家へと駆け出した。


「私の髪、銀髪ってだけなのに……。やっぱり、伝統とか、風習ってそんなに大事なのかな」


 シルヴィアが逃げ込んできたのは、里の外れにある老化の進んだ大樹の根、その真下にある空間だった。ここはシルヴィアが見つけた特別な秘密基地であり、根の中はゆりかごのようになっているため居心地も良い。


 中に置かれているのは、沢山の書物。これらは全て、シルヴィアが里の外で収集した秘密の品ばかりで、大半は戦争で亡くなった魔族の所持品だったものや、魔物が冒険者から奪ったものを横取りする形で手に入れたのだ。


「でも、いいもん。この本にも、確か書いてあったもん。卑屈になっても、周りを恨んでも、何も解決しないって。私は大きくなったら、里を出て、自由に暮らすんだもん」


 シルヴィアに両親はいない。いや正確にはいるのだが、どちらもシルヴィアにとっては血縁関係があるからそう呼んでいるだけの存在に過ぎなかった。


「お父さん……。じゃなくて、ヤサカは私を恨んでる。お母さんだった人も、私を恨んでた。お父さんは、お母さんを心底恨んでて、私はこの里には要らない子……」


 ヤサカは実の父、しかしシルヴィアが凶兆の象徴である銀髪のエルフということが理由でシルヴィアを娘とは全く思ってない。


 一方、彼女の母は既に亡くなっている。この里に銀髪のエルフを産み落とした張本人であり、その大罪ゆえに斬首にかけられた。


 母親が亡くなる直前、彼女が首を落とされるその瞬間を目の前で見せつけられたからシルヴィアはよく覚えている。当時、齢にして一歳弱ではあったが、昔から記憶力や理解力が優れていた彼女は、とてもよく覚えている。


 母親が残した最後の台詞は、娘に向けるような台詞ではなかった。


『あんたが生まれたから、私が死ぬんだ。この疫病神。あんたなんか、産むんじゃなかった』


 シルヴィアはその時、世界から既に自分は見捨てられているのだと悟り、深く絶望した。実の母親からすらも愛を授けては貰えず、そんな自分が生きることを誰も望んではおらず、なのに殺しては貰えず、本当に生き地獄のような人生だと幾度となく思った。


「でも、あっちのご本が教えてくれたんだ。自分の生きている世界が狭いだけで、もっと広い世界を見なさいって。いつかきっと、私を受け入れてくれる人が現れるって。だから、今は寂しいけど……。きっと……。うん、そう。いつか。きっと……」


 毎日、毎日、自分への慰めとして何度も、何度も、心に言い聞かせるように唱えた「いつか、きっと」という台詞。


 だが、その「いつか、きっと」は、一体いつ訪れるのだろうか? シルヴィアの心には、その不安だけが降り積もる塵のように不安を募らせていったのだった。


 里の皆が活動するのは昼間で、夜の森はとても危険で怖い魔物がうようよしているから誰も外出などしない。しかし、シルヴィアが活動していたのは決まって夜の時間帯で、その時間帯だけは誰にも見つからず、誰にも怒られずにあちこちを動き回ることができた。


 一応、朝の朝礼にも顔を出すし、手伝いを申し出ることもするが、それを受け入れられたことはない。なので、昼の大半は本を読んで寝るを繰り返し、夜になるとシルヴィアの冒険が幕を開けるのだ。


 シルヴィアの住む里はほぼ円形状の集落になっており、一歩外に出れば深い森の魔境へと繋がっている。魔王の庇護下にあるので人族が攻め込んでくることも滅多におらず、見張も寝ているか喋っていることが多いのですり抜けるのは朝飯前、いや夜飯前のことだった。


「よし、今日も見張りをすり抜けられた」


 寝ていた門番の横を抜き足、差し足で通り過ぎて森の奥へと入っていく。雲間から月明かりが差し込んではいるが、灯りもほとんど存在しない森はまさに暗闇そのものだった。


 いつも探索しているシルヴィアは夜目が効くが、普通の人間が入ったならまず戻ってはこれないだろう。あるいは、昼間に誰かが動かない肉塊になった誰かを連れ帰るのだ。


「私は、そんなヘマはしないけど」


 シルヴィアが夜の森を探索する目的は主に二つある。


 一つは、いつかこの森を出ることになったときに脱出するためのルート確認だ。広大な森の隅々を知り尽くすことで、どの探索ルートからでも逃げられるようにするのだ。


 もう一つは、外の世界から持ち込まれた知識の収集である。ぶっちゃけ、自分の知らないものであればどんなものでも構わない。


 自分の知らないことがある、それだけで世界を探検するには十分過ぎる理由だったのだから。


 そして、主な目的ではないものの、食料の備蓄が無くなってきたら補給するという目的もある。知識欲を満たすだけでは生きてはいけないので当然と言えば当然だが、シルヴィアはそれを然程重要視はしていない。


 物心つく前から満足に物を食べさせてもらえてなかったので、割と食べ物がなくても生活していける体に適応したからだ。


「さて、今日はどんな収穫があるかな〜……」


 シルヴィアは近くに曲がりくねった手頃な木を見つけると、軽い身のこなしで木の上へと登っていく。


 目を凝らして木々の隙間を縫うように視線を巡らせると、夜闇に紛れて連なる魔物の赤い眼光の群を見つける。


「……今の私でも戦えなくはないけど、あの数だと他に仲間を呼ばれると厄介だからなあ。見つからないようにしとこ」


 遠くに見えた魔物を迂回するように視線を彷徨わせると、安全なのは北東方面だと分かったので木を伝いながら目的の物が無いかを探っていく。


 すると、魔物の群れに近い後方からツンと鼻を突く血臭が漂ってきた。


(よし、ビンゴ! 今日も収穫ありそうじゃん!)


 まるで死体に群がるハイエナのように、シルヴィアは自分の嗅覚を頼りに森の木々を足場に風となって駆け抜けていく。足音一つ立てないその歩行術は、彼女が夜の森の中でも魔物に襲われない術を必死に身につけた賜物と言えよう。


 やがて、シルヴィアは目的の物……いや、者が丁度真下にある木に辿り着いた。ほっと息を吐きつつも、まだまだ油断はしない。


 周囲に同じ獲物を狙っている魔物がいないか、人影は存在しないか、あるいは罠などの外的危険は存在しないか、慎重かつ入念に確認を行なった。


「……よし、今なら大丈夫かな」


 シルヴィアはピョンと木から足を離し、物音ひとつ立てずに着地を成功させる。血臭の元となっていたそれ……角の生えた青紫色の肌の彼はほぼ間違いなく魔族なのだろう。


 見たところ、黒のリュックサックに動きやすい革鎧をしているところから、この周辺を探索に来た冒険者の一人と思われる。胸のところに金色のバッジを身に付けているところから、恐らくはそれなりの実力者なのだと推察できた。


「いるんだよねぇ、自分の力に自信がある人ほどこの森では死ぬんだ。ここがどんなに危険な所かも知らないで、折角生きられる命を粗末にしてさ」


 人によっては彼を侮辱したように聴こえたかもしれない。しかし、語り口とは裏腹に悲しいような、慈しむような表情をしていた。


 また、その時のシルヴィアの顔は彼を羨むような視線も向けており、その場に片膝をつくと胸の前で天に祈るように手を合わせた。


「エルフはね、同族の遺体は赤い炎で燃やして遺灰を自然に還すんだけど、異種族の死体は野生の生き物に食わせるか、青い炎で燃やして灰すら残さないの。エルフにとって他種族は殆どが対等じゃないから、弔うことを知らないの。でも、東の方の国では種族に関係なくこの世に生を受けた誇りを讃えて弔うらしいね。私は、そっちの方が好きだから。だから、ここまで頑張って生きたい勇敢な冒険者の生き様を讃えて、私が見送ってあげるね」


 シルヴィアはちゃんと彼の持ち物を弄り、そのリュックサックと持っていたらしい財布は回収しておく。そして、『ファイアボール』の詠唱を済ませると、彼に向けてオレンジの光を放ったのだった。


 燃え盛る炎の揺らめきはこの世のものではないような幻想的な光景で、その火に集まる虫たちの輝きは彼を空へと誘うための儀式のようだったという。


 目的を遂げたシルヴィアは、暫く森の探索を行い、必要な食べ物や水を調達、森の探索を数時間かけて行なってから帰宅したのだった。

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