第15話 前進

 ………………。


「……はっ!?」


「あ、目が覚めた? おはよう、ナオト」


 何故か、仰向けになった自分の目の前にシルヴィアの顔がドアップで映っていた。ほぼ、彼女の顔が自身の胸に乗っているような状態で、一歩間違えば鼻先にマシュマロが押し付けられそうな感じである。


「膝枕……。あ、ごめん。すぐに退くから」


「いや、いいって。私が好き好んでやってるんだし。それに、これは一種のご褒美でもあるからたっぷり堪能してくれていいよ。今は結界で身を守ってるから魔物も来ないし、ナオトが寝ている間に食料調達も済ませておいたから何も心配しなくて大丈夫」


「何か、至れり尽くせりで申し訳ないな」


「それこそ、気にしないで欲しいよ。ナオトは頑張ったんだから、休むくらいが丁度良いんだって。それよりも、どう? 私の太ももの寝心地は?」


「控えめに言って、最高です」


「そう、それなら良かった」


 フカフカで、むっちりとしていて頭を少し動かすと弾力が跳ね返ってくる。それに、あれだけ動き回ったはずなのにラベンダーのような落ち着く香りが漂ってきて自然と気分が穏やかになっていくのを感じた。


「僕は確か、あのゴリラの攻撃で木に叩きつけられたよね? 夢だったの?」


「夢なんかじゃないよ。ちゃんと現実だったし、私が治さなかったらとっくに死んでた」


「ま、マジか……。あの感覚、夢じゃないのか……。うぷっ……」


「ちょっと、何で口元押さえて……。ま、待って待って! 膝枕にして良いとは言ったけど、ゲロ処理して良いとは言ってな……」


「おろろろろろろろろろ……」


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」


 その日、シルヴィアの膝の上にはそれはそれは汚らしい虹の橋がかかり、あまりの汚さに女性らしからぬ絶叫が響き渡ったと言う。この悲鳴が後に、三羽の鳥を引き寄せることになるのだった。


 浄化魔法で洗浄を三重も、四重も重ね掛けで施しどうにか綺麗にしたわけだが、怒ったシルヴィアは何故か直人のことを再び膝枕していたのだった。


「……ごめん。自分の血とか、色々思い出したら出ちゃったんだ。でも、どうしてまだ膝枕をしてくれてるの?」


「これは、ご褒美じゃなくて罰だから。さっきは強制じゃなかったけれど、今は私が主導権を握ってるの。だから、私が良いって言うまで膝枕から降りることは許しません」


「……それは天国なのでは?」


「これから地獄に代わるの。じゃあ……。『其に禁固の縛りを』」


「……」


 彼女が詠唱をすると、何故か直人の体が突如として石像になってしまったかのように動かなくなってしまった。それどころか、一言だって言葉を発することもできない。


「どう、凄いでしょ? 魔法をマスターすれば、金縛りにすることだってできるんだから。さて、どうしてやろうかしら? 仮にも夫婦関係を考えている相手にゲロを吐きかけるなんて。まずは、私もお返しをしないといけないかな~?」


「……」


 直人は何かアクションを起こそうとしたが、体が言うことを聞いてくれないせいでシルヴィアの顔を見つめていることしかできなかった。


「抵抗できないよね? だって、私の魔法が掛かってるんだから。それじゃあ、遠慮なく……」


「……」


「いただきます」


 彼女は自分の口に、いつかの解毒用のポーションを含ませると直人の頭を少し起こして桜色の唇を彼のそれに押し当てた。すぐにポーションが入って来るのかと思えば、彼女は自分の舌で直人の口内を弄んでおり、散々舌を吸い尽くしてからようやくポーションを飲ませてくれた。


 幸い、ポーションの効き目はすぐに表れて直人の硬直は解けたが、それでも直人の体は体温を奪われ氷漬けにされたかのように動かなかった。しかし、体とは真逆に顔の方には全身の体温が集まってきたかのように熱く赤くなっており、思わず口元を手で覆ってしまうのだった。


 それもそのはず、彼の口内には彼女の体温も、舐められた舌の感触も、唾液の味も、全てが残っているのだから。


「どう、私とのキスのお味は? 普段の直人のガードは堅いしさせてもくれないから、これは私からのお仕置きってことで」


「そ、そういうことは、その……」


「恋人になってから? あるいは夫婦になってから? もう聞き飽きた。私ね、ナオトのことが日に日に好きになっていってるの。ちょっと臆病で自信が無くて、女を襲う度胸もないけれど、ひたむきで、真っすぐで、嫌だと言いながらも頑張れるところ。ナオトは?」


「ぼ、僕は……」


 直人は自分の気持ちをどう表現したら良いのか、聞かれた瞬間はパッと出て来なかった。だが、邪な気持ちを抱いているはずのシルヴィアの目がとても綺麗で、真っすぐで、自分の気持ちに正直になっているのを目の当たりにして自分の心に問うことにした。


 今、自分はシルヴィアのことをどう思っているのか?


 その答えは、直人が考えていたよりもかなりあっさりと出た。


「僕は、その……。シルヴィアのこと、最初よりは結構好き、かも」


「本当!?」


「そうだよ、好きだよ。たぶん。……でも、告白はもう少しだけ待って欲しい」


「何で? そんな風に勿体ぶる必要あるの?」


「あるんだよ。このままだと、流されるままにシルヴィアと結婚しそうだから。僕が、僕自身の覚悟で君のことを好きだって思えないと意味がない。君の好意に甘えるような形で、付き合いたくないんだ」


「そんなこと、私は気にしないのに」


「ちっぽけなプライドなんだよ、本当に。そりゃ、好きにもなるよ。だって、ほぼ四六時中一緒にいるわけだし、毎朝決まってルーティンのように……キス、してるわけだし、お風呂だって一緒だし、寝るときも一緒、魔法を教えてくれる態度はとても優しくて、丁寧で、今も僕が欲しい言葉を一番にかけてくれる。好きにならないわけがない。僕にとって、都合が良過ぎる」


 そう、直人が一番に引っ掛かっている部分はまさにそこだ。自分にとって、あまりに都合の良過ぎる展開が多過ぎること、これが自分の感覚を狂わせているのではないかと疑っているのである。


「都合が良過ぎるのは、仕方ないことなのかも。だって、元々が婚活をするために魔法を使ったんだもん。ナオトがそう感じているように、私もまた自分にとって都合が良い男が目の前にいる。性欲はあるけどがっついてなくて、優しいけど臆病で、素直で真面目だけどちょっと反抗的っていうか……。そういう諸々の設定をして、一番私の理想に近い人物を異世界から呼んだんだから。互いに相性が良いのも、きっとそのせいだよ」


「……なら、猶更。僕は自分の気持ちで、心の底から君を好きにならないと駄目だよ。相性が良いのも大事だし、愛情に溺れられることも勿論大事な要素ではあるけれど……。僕は、自分の気持ちを一番に大事にしたい。それを相手にも分かってもらいたい。そして勿論、相手の気持ちも同じくらい大事にしたい」


「ナオト……」


 恋愛において、恐らく相手の気持ちを慮ることを優先する人は多いだろう。実際、互いに譲歩し合って歩み寄ることで上手く行くケースは多いだろうし、相手が自分の好きな人なら相手のために自分の大事な部分ですらも否定する人もいるかもしれない。


 しかし、直人はそれでもパートナーになって歩んでいく人間には自分の大事を大事にしてもらいたいと思っている。それが直人の求める恋愛の条件であり、それが受け入れられない相手とは端から上手くいくとは思ってもいない。


 これを話したら離れていく女子が大半なことから、合コンでも途中からは言わないようにしていた。それでもシルヴィアに話したのは、彼女がそれだけ信用に値する相手だと直人なりに考えた結果なのだ。


 それから、暫く沈黙が続いた。もしかしたら、やっぱりこの関係は続けられないと断られるかもしれないと考えると、直人は怖くて怖くて堪らなかった。


 それを悟られまいと必死で震えを抑えようとして、今度は鼓動が急速に上がっていくのが胸の起伏で分かってしまう。シルヴィアは直人の頭にそっと手を添えると、彼の頬に軽くキスをした。


「ありがとう、話してくれて。正直ね、そんな言葉が直人の口から聞けるなんて思ってもみなかった。私は、ナオトに自分の気持ちを押し殺してでも好きになるように仕向けていたのに、それでも直人は自分の気持ちを手放したくないって言ってくれた」


「……それって、どういうこと?」


「う~ん……。簡単に言うと、ナオトにはそのまま好きになって告白されても夫婦にはなっていたと思うけれど、それじゃあ不十分だったかもしれないってこと。自分の気持ちを大事にしたいっていう思いは、私がずっと前から抱いていた感情だから」


 シルヴィアは一つ深呼吸をすると、「ねえ」と吐息と区別がつかないくらいか細い声で直人に尋ねた。


「私、ナオトに知ってもらいたいことがあるんだけど……。今日の夜、私の……。昔話を聞いてくれない? 私のこと、エルフのこと、他にも色々。ナオトには知ってもらいたい」


 髪の毛からも伝わってくるくらい、彼女の手は震えていた。きっと、彼女の過去は彼女にとっては深い闇のようなもので、一度開ければ自分の視界すらも覆い尽くすくらいの恐怖の対象なのだろうと察することくらいはできた。


 直人は自分の頭に添えられた白い手を両手で優しく包み込み、その震えを止めるように優しい声音で語りかけた。


「聞かせて欲しい。僕も、もっと君のことが知りたい。もっと、君を好きになりたいから」


 シルヴィアの瞳が、鏡面となった水面のようにゆらりと揺れた。悲しいような、嬉しいような、複雑な感情の色が混ざった笑顔を浮かべるとポツリと言葉を零した。


「……ありがとう」

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