第14話 レベル1の勇者の戦い

 出掛ける直前に直人が話していたように、いよいよ今日は結界の外に出てからの実践訓練となっている。シルヴィアに教わりながら魔法を発動する練習をしたり、魔法言語を覚えたりしていた成果をいよいよ試す日がやってきたのだ。


「というわけで、今からこの結界の外に出ます! いつもは結界があるお陰で魔物は全然近寄って来ないけれど、今度は自分たちから魔物に近づいて倒す! ついでに、そろそろ食料とかの備蓄が無くなってきたから、それらも回収していくよ!」


「いよいよ、この時がやってきたんだな……」


 直人はこれまでの練習の成果を試せるとなって武者震いをしている反面、魔物と戦うという小説やアニメでしか見たことないシーンに自らが立ち会うとなって不安も少なからずあった。しかし、今勝っているのはどちらかと言えば興奮や期待の方で、それは恐らく生き物と殺し合いをする経験が自分の中に無いせいだと自覚はしていた。


「ワクワクしてるところ悪いけれど、一個注意点。私、大抵の怪我はたぶん治せるんだけど、頭が潰れたり体が木っ端微塵になったら蘇生はできないから気を付けて」


「そ、そうなのか。気を付けるようにはするけど……。戦闘経験もないのに、ちゃんとやれるのか?」


「大丈夫だって! 訓練通りにやれば、絶対に上手くいく! 自分を信じられないのなら、師匠の私を信じて!」


 シルヴィアに元気づけられると、不思議と自分でも出来るような気がしてくる直人だった。ただ、いきなり恐怖を掻き立たせろと言われても無理なもので、その一点だけがしこりのように脳の片隅に残っていたのだった。


 初日に巨大な鷲の魔物に攫われた経験を除けば初めて結界の外に出た直人……。森の中の様子はと言えば、自分が想像していたよりもずっと明るく、しかしどこからともなく聴こえてくる鳥の羽ばたく音や動物の鳴き声のようなものが不気味さを引き立てていた。


 自分の住んでいた生態系と全く違う、しかも今回の目的が魔物との実戦が主目的となっている今、木々のさざめきやちょっとした風音だけでもビクリと体を震わせキョロキョロと視線を巡らせ警戒してしまう。


「プ~クスクス! 流石にビビり過ぎだって! 警戒するに越したことはないけれど、物音に無限に反応してたら神経持たないよ!」


「笑うことはないだろ! そもそも、森の中自体、入ったのなんて何年ぶりか……。元居た世界と違う生態系ってだけでも怖いのに、初日に攫われたトラウマも無くはないんだよ」


「あ~、そうだったね。ごめん、ごめん。ちょっと揶揄い過ぎた。でもさ、真面目に怖がってばかりだといざ戦う時になったら動けなくなるよ? もう少し肩の力を抜いて、ね?」


「そうは言われても……。戦ってみないことには、緊張は解けないと思うよ?」


「そっか~。なら、早速お出ましみたいだから実戦経験を積んでみよう!」


「……はえ?」


 目の前の地面に突如として現れた黒い小さな丸は、徐々にその大きさを増していく。


「まさか……。何かが降ってきてる!?」


「ナオト、後ろに飛んで!」


「ひぃぃ!!」


 シルヴィアの指示に従って、直人が大きく後ろに飛んだのとほぼ同時刻。巨大な着地音が小刻みな地鳴りを引き起こし、一瞬だけ周囲に土埃が舞った。


 そこに現れたのは、地鳴りの大きさに見合った筋肉隆々の体格と更に丸太よりも太い剛腕を持ち合わせたゴリラだった。


「ウホホォォォォォォ!」


「鳴き声もまんまゴリラじゃねえか!」


「あれ、そっちの世界にも居たの? デスゴリラが?」


「そんな今にも殺されそうな名前の凶暴なゴリラは居ません! そもそもこいつ、何メートルあんだよ!? ざっと見積もっても五メートルはあるだろ!」


「ふーん、めーとるっていう単位は知らないけれど、ざっと見積もって人の身長の二・五から三倍くらいなのかな? 確かに、大きくはあるけれどまだ可愛い方だよ」


「一体この森にはどんな化け物が他に住んでるんだよ!? 怖えよ!」


「ほら、言ってないで早く戦わないと。襲ってくよー」


「……へ?」


 紫色の体毛を全身に生やしている中、その双眸から鋭く重い殺意の宿った赤色が発せられている。まるでレーザーポインタで照準を当てられているような感覚を味わった直後、デスゴリラが雄叫びを上げながら直人に向かって拳を振り上げた!


「やばっ!」


「ウホホォォォォ!」


 直人は足に力を込めて真横へ大きく飛んで回避し、すぐさま立ち上がって態勢を立て直した。拳が振り下ろされた地面は、それはそれは見事なクレーターが出来上がっており、砕けた地面の上に自分の頭があったらと想像するだけで背筋が凍るような感覚が襲い掛かってきた。


「ほらー! 休んでる暇は無いよー! 早く詠唱しないと、いつまで経っても倒せない!」


「そ、そんなこと言われたって……」


「ウホホォォォォォォォォ!」


「ぎゃああああああ!」


 再び、デスゴリラが突進してきたので直人は全速力で森の中を駆け抜けていく。こちらに来てからというもの、体力を付けるためにトレーニングさせられていたことが幸いして息切れは起こしていないが、このままいつまでも逃げ切れるはずもないことは頭の中では分かっていた。


 分かってはいたのだが、後ろから迫りくる猛獣のけたたましい足音が思考をかき乱し、折角覚えた詠唱文が全然出て来ないのだった。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう! このままじゃ本当にミンチにされちゃうううぅぅ!)


「ウホホォォォォォォォォ!」


 背後のデスゴリラが両足に力を込めて天高く飛び上がると、その巨大な影は直人の真上へと真っ逆さまに落ちていく。それでも必死に足を動かして前へと進んでいるが、その陰が自分の上を離れることはなくもうすぐ背後まで迫ってきていることを感覚で読み取ることができた。


(もう駄目だあああああああ!)


 涙目になりながら最後の瞬間を迎えるかと覚悟した直後、頭上で弾けた爆発音によって直人は前方に大きく吹き飛ばされてしまう。かなり巨大な爆発音だったにも関わらず、威力自体は大したことが無いのかデスゴリラは怯んでいる程度で大した傷のようなものは負っていない。


「……た、助かった、のか?」


「もう、何やってるの! 逃げていても解決にはならないでしょ!」


 後を追ってきたシルヴィアが直人の目の前に立つと、すぐさまお説教へと移った。どうやら、先ほどの爆発はシルヴィアが起こしたらしく、間一髪のところで危機を救ってくれたらしかった。


「そんなこと言われても、やっぱり僕には無理かも……」


「無理なんて言わない! まだ魔法を発動してもないじゃない!」


「でも、無理なものは……!」


 あまりの無茶ぶり感にもう我慢ができず怒鳴り返そうとした時、シルヴィアは直人の体を強く抱きしめて背中をポンポンと叩いた。


「ほら、落ち着いて。そんなかっかしないの。息を吸って~、吐いて~」


「すぅ~、はぁ~……」


 シルヴィアの言うことに、何故か従ってしまう。彼女の呼吸音に合わせて深呼吸をしていると、当てられた胸元から彼女の鼓動が伝わって来るようで荒立っていた気分が穏やかな波風となり凪いでいく。


「少しは落ち着いた?」


「……ああ、落ち着いた」


「ナオトは、ちょっと自信が無いっていうか、自分を過小評価してるところがあるわ。それは、直していかないといけないと思うの。あなたは自分で思っているよりも、弱くはないもの。今はただ、慣れないことをしているから臆病になってるだけ」


「臆病に、なってる……」


「そう。ナオトはやれば出来る人だから。だから、もっと自信を持って。今度は私が隣に居てあげるから、落ち着いて私の後に続くのよ。良い?」


「……分かった。頑張ってみる」


「よし、偉い! さあ、そろそろデスゴリラが意識を取り戻すわ。ここが正念場よ」


 デスゴリラが怯んだ状態から復活したが、殺気立っているにも関わらず直ぐには襲って来ようとしなかった。その視線は直人ではなく隣のシルヴィアに向けられており、興奮で鼻息を荒くしながらも強い警戒心を抱いている様子だった。


「今がチャンスよ。練習通り、私に続いて。放つ魔法は、『ファイアボール』よ」


「『ファイアボール』って、火の玉を放つあれか。確かに、シルヴィアと練習した時に見た感じだと威力だけなら申し分ないとは思うけど……」


 直人はシルヴィアと『ファイアボール』の練習をしていた時の光景を思い出す。周囲が森ということもあり、ファイアボールの標的になったのは他でもないシルヴィアだった。彼女は予め魔法で障壁を目の前に張り、それを的にして『ファイアボール』を放っていた。


「正直、小さな爆発が起きるくらいで倒せる気はしないんだけど……」


「何、ビビってるの? つべこべ言わず、出来ることは全部試しなさい。どんなに絶望的な状況でも、生きていればこっちの勝ちなんだから最悪目晦ましでも問題ないの」


「そういうものなのか……」


「さあ、私に続いて……。『其の篝火よ』」


「『其の篝火よ』」


「『赤き栄光を纏いて』」


「『赤き栄光を纏いて』」


「『汝に炎の制裁を下す』」


「『汝に炎の制裁を下す』」


「さあ、打ちなさい!」


「『ファイアボール』!」


 直人は詠唱と同時に右手を前に掲げるポーズを取った。すると、手の平に小さな赤い火の玉が生成され、直人の意思に従い一直線にデスゴリラへと放たれた。


 時速で言えば百三十キロ越え、メジャーリーグなら投手になるのだって夢じゃない速度の火球はデスゴリラに触れた瞬間に赤い火花と共に弾け飛んだ。


 生まれた衝撃波と黒い煙に思わず視界を左腕で塞ぐ直人だったが、威力の割にはすぐに視界が晴れてくれた。少しばかり、異世界転生ものによくある俺つえぇぇを期待していたが、現実はかくも無常であった。


「……ウホホ!」


 デスゴリラは無傷。それどころか、鼻くそをほじくってポイする余裕があるくらいには、五体満足で立っていたのだった。


「全然元気なんだけど! それどころか、火傷一つ負ってないんですけど!」


「やっぱりね。直人のそれじゃあ、まだまだ威力は十分じゃないみたい」


「分かってたの!? 分かっててやらせたってわけ!?」


「だって、今回の目的は実戦経験を積むことだもの。私ばっかりに放ってたって強くなるわけないし、こういうのは強い魔物と戦って経験を積むことが大事なの。それに、この森は一流冒険者ですら踏破できない悪魔の森なんだから当然と言えば当然よね」


「そんなレベル一の勇者にレベル九十九の強敵をぶつけるようなこと、普通はしないよね!?」


「何言ってるか分からないけれど、あいつ、攻撃してくるよ」


「へ?」


「ウホホォォォォォォォォ!」


 デスゴリラの雄叫びが木々の葉を揺らすと、直後、巨大な跳躍からの拳が上空から降り注いできた。慌てて直人は回避したが、もはや相手も手加減してくれる様子はないらしく、すぐさま追随してきた。


「いやああああああああああああああ! こっち来るなあああああ!」


「ウホホォォォォォォォォ!」


「ほら! そんな情けなく嘆いてないで詠唱! ダメージは軽微でも、いつかは倒せるはずよ!」


「そんなの、百発打ったって倒せないよ! それどころかMP切れになるのがオチだって!」


「さっさとやる! さもないと、一週間ご飯抜きにするよ!」


「そんな後生なああ! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』!」


 直人は泣きながらも戦うしかないと悟り、舌を噛みそうになりながら詠唱を唱えてデスゴリラに放つ。しかし、威力が大したことがないと知れているからか、相手は避けようとすらせず、むしろ『ファイアボール』に突っ込んでかき消しながら迫って来る。


「そんなのありかよ! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』!『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』! 『其の篝火よ・赤き栄光を纏いて・汝に炎の制裁を下す』!」


 もはやなりふりなど構っていられるはずもなく、一心不乱に『ファイアボール』の詠唱を続けては火球を放ち続けていた。森の構造を上手く利用し、木々をジグザグに走ったり、時に物陰に身を潜めながら目を欺き追いつかれないようにしながら魔法を打ち続ける。


 そのうち、先ほどまでは狙いの定まっていなかった火球も段々とデスゴリラの顔に当たるようになり、威力も少しずつ増加していったのだ。


「ちょ、ちょっとは、よく、なって、き、たか……! あっ……」


 それは、ほんの一瞬の気の緩みだった。『ファイアボール』が上手くなっていたことに浮かれていたのと、そろそろ体力が限界に近づいていたのが重なり、自分の体が地面へと転がってしまったのだ。


「あれ、僕は一体……」


「ウホホォォォォォォォォ!」


 背後に聴こえた死の鳴き声はやけに鮮明に耳元へと入り込んできて、直後、直人の胸にダンプカーが突っ込んできた時のような衝撃が走った。相手の剛腕に比べて体が細く、体重の軽い直人はあっという間に吹き飛ばされ近くの木に背中を打ち付けた。


 ボキッ! ボキボキッ! ぐちゃ!


 それは、決して人間の体から出てはいけない音だったと思われる。直人はあまりの衝撃で痛みを感じる余裕すらなく、辛うじて動いた眼球を下の方へと持っていくと……。


 自分の体が真っ二つに折れ曲がっていることに気付かされ……。


「あ、ああ、ああぁぁ、あぁあぁぁあああ……!」


 咳き込むと自分の口から大量の血液が流れ落ち、やがて腹部の方から全身へと火傷のように熱い感覚が広がっていく。呼吸ができず、息をしようとしても体が生きることを拒否しているかのように言うことを利かず……。


「全く、ずっと見ていたけれど油断するからこうなるのよ。でも、まあよく頑張った方だと思うからシルヴィアお姉さんが後でご褒美あげる。だから、ナオトはちょっとだけ待ってて。すぐに治してあげるから」


 シルヴィアが慈しむような笑顔を向けてくれたのが最後の光景で、その後は、直人の視界からは徐々に光が失われていった。世界が遠のいていくのを感じながら、何も映すことのない暗闇の中へと意識を手放したのだった。

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