第11話 一方、悪魔の森の外では①

 ここは、悪魔の森から東へ進んだ人族の領域、その更に東側には最東端にして人族最大の王国『アノマリス』が存在している。魔物などの外敵からの侵攻を防ぐための物理的な障壁である五十メートルを超える大きな壁が周囲を取り囲み、加えてその外側にも魔法的な結界までしっかりと張られている。


 街並みはどことなく中世の時代を感じさせる建造物が多い中、数件ばかりは近代化に伴った比較的新しめの建築も存在している。というのも、魔法が発展した世界とはいえ技術の進歩はここ三百年間でかなりあったらしく、シルヴィアが知らないうちに外の世界は見違えるほどに様変わりしていたのだ。


 そして、今回焦点が当てられるのは王都から橋を越えた先に存在する城壁の更に奥、アノマリスの象徴とも言うべき白亜の城の内部、謁見の間である。その名の通り、この国の王と拝謁するために設けられた会議の場でもあるこの場所には、現在、この国の重鎮たちが一同に集められ玉座に座る王に謁見していた。


 無駄口を開くのも憚られるほど重苦しい雰囲気に包まれる中、玉座に居座る白い大きなお髭が特徴的なアノマリス王国第三十四代国王たるセント・ポートロイヤル・アノマリスは家臣たちの顔を一巡する重く閉ざされた口を開いた。


「皆、忙しい中よく集まってくれた。まずは、このアノマリスの第三十四代国王、セント・ポートロイヤル・アノマリスの名において感謝申し上げる」


「おお……」


「国王様が頭をお下げに……」


「これくらいは臣下として当然の務めですよ!」


 セントは十秒ほど深々と頭を下げた後、優しい臣下たちの言葉に感銘を受けながら頭を上げた。国王が笑顔を作ると、その場の雰囲気も少しばかりは和らぎ適度な緊張感が保たれるようになっていった。


「皆がそう言ってくれて、我は非常に嬉しい。では、時間もないので早速本題に入らせてもらう。それは……。悪魔の森で、巨大な魔力反応を検知したという報告を宮廷魔術師団から報告を受けたのだ」


「あ、悪魔の森だって……?」


「あんな場所に誰が好き好んでいくんだ?」


「まさか、どこかの国に戦争でも仕掛けるつもりなのか?」


「皆、慌てるでない。落ち着くのだ。まだ争い事と決まったわけではないそうだが、しかし、かつて類も見ない魔力量を感知しているゆえに油断ならぬ状況なのは間違いない」


 怯える臣下たちをできる限り優しい言葉で宥めながらも、彼らがそういった反応を示すのも仕方のないことだとセントは考えていた。


 悪魔の森はシルヴィアが森に住み着いてから三百年経過した今でも、暗黙の了解として魔族と人族の間で不可侵領域と定められている場所だ。触らぬ神に祟りなし、という言葉が似合うくらいあの森の中にはこの王都ですら一夜で滅びる危険のある因子が存在しているのだから。


「かつて、悪魔の森は一匹の長命かつ強大な力を有した悪魔が支配していたとされている。皆もよく知る御伽噺、『とある勇者の冒険』に描かれている内容によれば……。その悪魔は、その時代に召喚されたとされる一人の英雄ロビンソンが我々には理解も及ばぬ一振りの棒で悪魔を退治したとされておる。しかし、悪魔を倒したことで広がった醜悪たる瘴気は森を包み、今となっても強力な魔物を生み出し続けていると。しかし、実際のところは分からぬことが多い。そもそも悪魔など存在したのか、仮に存在していたとして強力な魔物が生まれ続ける魔法学的要因は何なのか、そして……、伝承にある悪魔は本当に滅びたのかといったことだ。此度、強大な魔力反応を検知した一件は……、この王国にとって、いや、この世界情勢すらも傾きかねない重大な問題であると言わざるを得ない」


「……」


 国王の口調は物腰こそ柔らかかったものの、舞台上の演者のような巧みな語り口は事の重大さを十二分に表現していた。一同が揃って難色を示す中、セントは「だが」と彼らに対して希望の光をもたらした。


「我らには、まだできることがある。いや、あるはずだと表現するべきかの。解決策に関しては、宮廷魔術師団の団長たるフローラ・メイデンが必死で考えてくれておる。未知なことばかり故に対策と言ってもそれらしいことはできぬかもしれぬ。だが、諦めるのはまだ早い。まだ何もしていない、できていない時から諦めては滅びを静かに待つ終末の竜の如し。実に、愚かな選択だと我は思うのだ。故、皆にもどうか知恵を貸して欲しい。これから、フローラにこれまでの調査報告も兼ねて現在の進捗を話してもらう。皆の者、心して聞くのだ」


 セントに呼ばれた一人の女性が、集団の中から出てきて先頭に立った。フワフワウェーブの桃髪を引っ提げて、藍色の瞳を輝かせる魔術師のローブを着た彼女こそ宮廷魔術師団団長、フローラ・メイデンその人である。


「国王陛下よりご紹介に預かった、我が名はフローラ・メイデン。現代において、人族最強の魔法使いの称号『灰燼の魔女』を名乗らせてもらっている。本日は、二週間ほど前に悪魔の森で観測された膨大な魔力について、現在の調査で分かっている事とその対策を話そうと思う。まず一つ、観測された魔力量についてだが過去最高だ。人ひとり当たりの平均保有魔力量を基準にしているが、恐らく、二百、いや三百年分の魔力量が放出されたと見て間違いないだろう」


「さ、三百年!?」


「三百年分って言えば、この国全域の魔力消費を数十年は賄える量だろ! そんな強力な魔法を、一体何のために使ったんだ!?」


「まさか、滅びの予兆とかじゃないよな?」


「我々も信じ難いと思い何度も計算をやり直したが、予測された値の誤差値はほんの僅かだ。もはや、世界の終末が近いのではないか……。本当に最悪の場合ではあるが、世界の終末が近いのかもしれない」


 重鎮たちは一同声を揃えて「おぉ……」と絶望に満ちた声音を発した。通常、魔法により放出される魔力量はそれが複雑かつ改変が困難な事象に干渉しようとするほど魔力量も大きくなる。三百年分の魔力量ともなれば、それこそ世界そのものを変革してしまう事象を引き起こしていても不思議ではないのだ。


「しかし、妙なことに……。それからというもの、悪魔の森から発せられる魔力の波長は非常に安定している。要約すると、不気味なまでに全く音沙汰がない状態だ。それだけ強大な魔法が行使されれば、世界各地で異常が起きてもおかしくはないというのにも関わらず……。それが返って、更に我々の警戒度を引き上げている」


「何もないなら、大丈夫ということではないのですか?」


「そうではない。何もないからこそ、揺り戻しが来る可能性もあるということだ。例えば、古の悪魔が召喚されたが完全体ではなく、力を蓄えるための猶予期間を設けているなどだ。これを幸いと言って良いのかは分からないが、お陰でじっくりと対策を練ることはできたわけだ」


「その対策というのは一体何ですか? フローラ団長」


「そう慌てるな、それを今から話すのだから。と言っても、我々は出せた結論は悪魔の森を調査する以外に方法はないということだ。斥候を派遣することも考えてはみたが、あの森は入ったらまず帰って来れないと言われるほど危険な森だ。私ですら、恐らく腕一本は覚悟しないといけないだろう」


(いやいや、腕一本で済むのかよ!)


 皆の心の声は満場一致のツッコミであった。フローラ・メイデンは現代における最強の魔法使いにして、歴代メイデン家の中でも並外れた魔力量と才覚の持ち主である。


 そんな彼女ですら腕一本を代価にせねばならないのだから、他の人が入ればまず間違いなく命を差し出すことになるだろう。フローラも団長として、部下に絶対に帰って来られない死地へと偵察になど行かせられるわけもなく、作戦は別の方向へとシフトされたのだった。


「故に! まずは使い魔を使用した囮偵察をしようと考えている。望遠の魔法と感覚共有を使えば、烏や鳩などの生物と同化して偵察を行える。これなら、我々が直接に出向かずとも動物が身代わりとなってくれるため死ぬリスクは回避できる。ただし、感覚共有中に対象が死ぬと我々にもその痛みが襲い掛かるし、魔力消費も激しい故に長期の偵察は不可能だ。これらを踏まえ、我は自らが筆頭となり計五名の宮廷魔術師のチームにて偵察を行う。これに異論のある者はいるか?」


「異論と言われてもな……」


「そもそも調査自体が無謀に違いないし」


「それ以外に方法はないだろうな」


 重鎮たちは色々と話し合ってはみたが、結果としてフローラの意見に異を唱える者は一人もいなかった。むしろ、こんなどうしようもない状況で打開策を打ち立てた宮廷魔術師団に敬意を表したいくらいである。


「それでは、異論はないようなので一先ずはこれで作戦を実行に移したいと思うが……。国王陛下は如何でしょうか?」


「うむ、我も特に異論はない。お前たちが少しでも成果を持ち帰ってくれることを祈ろう。他の者たちは、これが世界の終末と関係があるものと仮定した上でこれからの対策を実施してほしい。我々の使命は国民を災いから守ることだからな。あるいはもしかしたら、近々勇者召喚の儀式を執り行うことも考えてはいる」


「おお、勇者を!」


「それは頼もしい!」


 勇者召喚の儀とは、その名の通り異世界より勇者を召喚するための儀式のことである。人族が存続の危機に陥ったとき、王国に貯蓄されている膨大な魔力を消費してあらゆる世界から人族を救うのに相応しい人材を探し出し呼び出すのだ。


 これまで、王国で行われた勇者召喚の儀によって幾度となく人族の滅亡が救われてきた歴史も存在する。重鎮たちが期待に満ちた声を上げるのも当然と言えば当然だろう。


「お待ちください、国王陛下」


 しかし、それに待ったをかけたのは他でもないフローラだった。他の皆が勇者召喚に乗気な中、彼女だけはとても深刻そうな顔つきでそれを行うことに異を唱えた。


「先代勇者の召喚が行われたのは、今から凡そ二百五十年ほど前だったかと記憶しています。史実によれば、かの勇者……。名をハルタ・ヒロカワと申す者ですが、ハルタ殿はかつて訪れた終末を見事食い止め、世界の滅びの危機から救った大英雄です。しかし、強大な力を持ったかの者すらも老いる体に勝つことはできず召喚から七十年余りで亡くなっています。勇者召喚の儀は有効手段ではありますが、その平和を保てるのはせいぜいし数十年。事態が明確化していない状況で行うにはリスクが高いです」


「うむ、確かにそなたの言う通りだ。しかし、何かあってからでは遅いのではないか?」


「それだけが問題ではありません。勇者召喚の儀を行ってから暫くは魔力貯蔵ができない関係もあり、現在貯蓄されている魔力量は約百五十年分しかありません。相手が本当に世界へ終末をもたらす怪物だと言うのであれば、半数以下の値にしかなりません。それに、勇者召喚に使われる魔力量と勇者の強さは指数関数的な関係性がありますので、先代よりもかなり弱体化することは避けられないでしょう」


「むむ、専門的なことはよく分からんが……。要するに、今の事態を解決するにはどの道足りないということか?」


「はい。そうなりますと……。今勇者召喚の儀を行っても、大した効果は期待できないかと。むしろ、これから先の時代で本当の終末が訪れたの際、魔力が足りずに勇者を召喚できないという事態が起こる可能性すらありますから」


「……では、致し方ないか。この件に関しては、一旦保留としよう。フローラ、もう下がって良いぞ」


「はっ!」


 フローラは直立しビシッと敬礼を行うと、そのまま重鎮たちの下へと戻って行った。セントは暫く思い悩んだ末、今回の会議の結論を出すに至る。


「さて、今後の方針についての総括だが……。まず、悪魔の森の調査は全面的に宮廷魔術師団に任せることにしよう。魔法に関することは専門家に任せた方が良いからな。それに、皆も同意しているのなら問題あるまい。次に、勇者召喚の儀は行わん。今の段階で行うことは愚策と判断した。故に、そなたらにはそれ以外の方法で世界の終末に備えてほしい。周辺諸国への通達も、同時並行で行うものとする。今回の問題には、人族国家代表として我が国が解決に当たるとな。また、終末に関する情報はくれぐれも漏らさぬように。余計な混乱を招かぬよう、事態の全容が把握されるまでは慎重な対応を心がけるのだ」


「「「はっ!」」」


 重鎮たちは一同揃って敬礼すると、国王から解散命令を出されてそれぞれが元の持ち場へと帰っていく。そんな中、フローラもまた宮廷魔術師団の活動拠点へと帰る道すがら、王城内の廊下を歩きながら考えていたことが一つある。


(それにしても……。まさか、勇者召喚の儀を行うなどと考えていたとは意外だった。しかし、国王陛下が勇者召喚の儀の別のやり方に気付かなくて本当に良かった。今代の国王は魔法に疎い……。それが幸いしたか)


 実は、あの場では口に出さなかったが勇者召喚の儀を執り行う方法がないわけではない。現在、問題になっているのは魔力量が圧倒的に足りないことなので、その分の魔力を別の方法で補えば良いということだ。


(もしも、今回が終末だった場合の強引な解決方法……。この国に住む国民全員から魔力を徴収すれば、足りない百五十年分には届くだろう。だが、そんな所業を宮廷魔術師団団長として許可するわけにはいかない。誰かがその方法に気づき強行策が行われる前に、原因を特定しなければ)


 フローラは心の中で最悪の事態にならないことを切に願いながら、自分の持ち場の方へと戻って行くのだった。

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