第10話 美女エルフと裸の付き合い
「……おお。凄い気持ち良いな……。まさか、異世界にやってきて露天風呂が楽しめるとは思わなかった」
「満足してくれたようで何よりだよ。んん~、確かに気持ち良いよ! 作って良かった~!」
温かな湯船に身を浸し、全身に熱が浸透するのと同時に力が吸い取られるように脱力していく。直人はだらしなく顔が緩み、シルヴィアの方はベッドで寛ぐ勢いで大きく背伸びしている。
「それにしても、そっちの世界はお風呂に入るのが普通なの? こんなに良い思いを毎日のように、当たり前にしてるって?」
「確かに、お風呂に入る習慣はあるけれどここまで大きなお風呂には入れないって。増して、露天風呂なんて旅行とかに行ったとき行けたら良いなくらいの気持ちだよ」
「それでも、毎日お風呂には入ってるわけでしょ? いいよね~。こっちはお風呂って言うお貴族様の特権みたいなものだからさ~。もしかしたら、今の浮世でなら一般的にお風呂に入れるかもしれないけれど、嗜好品なのは間違いないよ」
「それなら、普段どうしてるんだ? 体は洗わないと不清潔だろう?」
「井戸水汲んで頭から被るか、冒険の途中にある川や海で沐浴するんだよ」
「こうして魔法で作れるのに?」
「興味なかったからね~。そもそも、自分の魔法をお風呂のために使うなんて発想にもならなかった。研究一筋過ぎて、そっちに興味が向かなかったもん」
どうやらシルヴィアは根っからの研究者気質で、自分の興味のあることにはとことん追求するが、逆に言えば興味を抱かないことについては全くの無頓着らしい。
「冒険者って言ってたよね? この世界には、そういう生業の人が多いのか?」
「多いって言うのかな? 普通くらいだと思うよ? 冒険者は人生で一発逆転! とか、スリルのある冒険がしたい! とか、強くなりたい! みたいな人たちが集まるの。収入は安定しないし、命は落とすし、でも大抵の依頼は安くて生活もままならない。だから、冒険者をする人は大抵、自給自足をしながらって感じの人が多いのかもね。私みたいに」
「じゃあ、他にはどんな職業があるんだ?」
「そんなの知らないよ。私、冒険者として生きる道しか知らないし。逆に聞くけど、ナオトはどうなのよ? 魔法も知らない、戦い方も分からない、魔物見たことがない……。どんな生活をしてたか全然想像できないんだけど」
「どうって言われてもな~……。毎日のように会社に行って働いて、家に帰って寝るを繰り返す日々だよ」
「かいしゃ? っていうのに通うの? それってどんな仕事してるの?」
「会社は働いている人が行く施設みたいなところをまとめた呼び方のことで、仕事の名前じゃないんだよ。僕の仕事はIT……、この世界にはない科学技術を管理したり、開発したりする職業だ」
「あいてぃー……。そんな仕事があるんだね。こっちで言う魔法みたいなもの?」
「まあ、そうじゃないかな。僕らの世界では魔法こそが空想上の産物なんだよ」
「ええ~、信じられない! 魔法が空想上なんて考えたこともなかったよ!」
「こっちだって、魔法が存在する世界が本当にあるなんて思ってみなかった」
「じゃあ、お互い様だ!」
あはは、と歓喜の笑い声が夜の森へと木霊する。ふと直人が上を見上げると、円形状にくり抜かれた夜空に無数の星が海辺に散らばる白い砂のように美しい輝きを放っていた。
彼が思わず感嘆の溜息を漏らすと、シルヴィアの方も釣られて上を見上げる。
「星空が、そんなに珍しい?」
何気なくシルヴィアが問うと、少し遅れてうっとりとした吐息を漏らすような返事が返ってきた。
「珍しい、かな……。こんなにも綺麗な空は、都会のど真ん中だと見えることはまずないからね。都会は夜も眩しい光で辺りが照らされているんだけど、そのせいで夜空に嫌われてるから」
「そうなんだ。こっちはたぶんだけど、街のほうでも簡単に星空は見られると思うよ。でも、ここ以上に綺麗な夜空を私は知らないな」
「綺麗な景色を独占できるなんて、ちょっと羨ましいかな」
「それだけ切り取ったらね。でも、その代わりに私の友達はあの無数に輝く手の届かない星屑たちだけなんだ。本当に寂しいときは空に浮かぶ星々や月に向かってぼやいちゃったりして」
「ああ……。何か、ごめん。センチメンタルな気分にさせちゃって」
「いつものことだから、もう慣れたよ。むしろ、こうして一緒に話し相手になってくれる人がいて今は嬉しいかも。あっちに手は届かないけれど……。こっちには手が届くから」
シルヴィアはススッと直人に対して距離を詰めると、ピトリと自分の白いなで肩をくっつけてきた。昼間まで積極的だったのに対して奥手な対応のギャップに、直人は思わずドキリとして体をビクンと跳ねさせた。
「昨日今日で思ったけれど、ナオトはあまり強引なのは好きじゃなさそうだからさ……。本当は、もっと大胆に襲ったりとかしちゃいたいんだよ? 正直、私の価値観からすればナオトにならそういうことをされても良いって思っちゃってるもん。出合った期間や長さは関係ない、直感的にこの人だって思ったら捕まえておかないとさ。逆に、どこかに行っちゃいそうで怖いんだ」
肩に触れた彼女の肌やこれまで元気だった様子とは一転した悲しい声色から、未来に対する底知れない怯えが伝わってきた。彼女の横顔はどこか儚げで、今にもお風呂の底に沈んだら有漢気来なくなるのではないかと思わせるほど曖昧な存在感を放っている。
しかし、直人はまだシルヴィアの価値観を受け入れることはできておらず、申し訳なく思いつつも高鳴る鼓動を抑えて真摯な気持ちを彼女にぶつけることにした。
「正直に話してくれることは嬉しい。でも、やっぱり僕はまだシルヴィアと結婚しようって気にはなれない。いきなり召喚されて、未練らしき未練はないとはいえ故郷には帰れないし……。許せてない部分も、まだちょっとあるんだよ」
「……ごめんなさい」
「いいよ、それに関してはもう。だって、もうどうにもできないことなんだからさ。気に病むな、とは言えない。でも、この件に関しては一回水に流したいって思ってるんだ。君の気持ちも、分からなくはないからさ」
「……そうなの?」
「うん」
直人は逡巡、話そうかどうか迷ったがこういう時くらいしか自分の胸襟を開くことはできないと考え、身の上話をする方向へ舵を取った。
「僕は、その……。今は、本当に一人なんだよ。家族が……両親と、姉がいたんだけどさ。四年前の旅客機事故でいなくなっちゃった」
「それは……。その、ご愁傷様」
「ありがとう。それから、一時期は仕事も休んでずっと引きこもってたんだけどさ。周囲の助けもあって何とか精神的には立ち直れて、仕事は続けてきたんだ。でも、どうしても胸に穴が空いたような感覚は捨てられなくてね。寂しさを埋めたくて女性との出会いを求めてたんだ」
「そう言えば、召喚されたときに女性に振られたばっかりって言ってた! もしかして、向こうで婚活みたいなことをしてたの?」
「ああ、そうだよ。どう言い繕ったところでさ……。独りは、寂しいんだよ」
腹の底から絞り出すように答えた直人の言葉は、限りなく本音に近い気持ちだった。どれだけ独りよがりになろうとしても、人間社会に溶け込んで生活している以上は色々な人間と関りを持つことになる。
そうして人と関わり、あるいは横目で他人を見る度に思ってしまうのだ。手を繋いだカップル、子供に囲まれた家族、あるいは一生懸命に働いて養わなければならない家族がいる同僚や先輩、それらがとても羨ましい。
「だから、結婚相手を探してたんだよ。勿論、誰でも良いとかそんなことは言わない。だって、将来を二人三脚で歩いて行かないといけないしさ。でも、正直に言ってもう無理かなって諦めてたんだよ。出会っても別れるばかりで関係性は続かないし、そもそもそういうことに向いてないんじゃないかって」
「……そんな時に、私が呼んじゃったんだ。そりゃ、拒否されて当然だよね」
「でも、良かったこともある。僕に、少なからず好意を抱いてくれようとしてる……。抱いてくれる人はいるんだって思えた。まあ、元の世界にはいなかったわけだけどさ」
その時、シルヴィアの瞳が水面のように揺れた。シルヴィア自身、この想いが一方通行で終わるのではないかと危惧していたところもあり、少しずつではあるが彼の心が自分に傾き始めていることを知れたからだ。
彼女は目元を自分の腕で拭うと、さりげなく直人の手の甲へ自身の手の平を重ねた。
「私、直人がそんな風に考えてくれていて嬉しいよ。でも、あんまり待たせると私の熱も冷めちゃうかもよ? 後になって、やっぱり結婚してくださいって言っても遅いんだから」
「手厳しいな。でも、待ってくれる気はあるんだ?」
「それは、その……。勝手に召喚しちゃった負い目は今でもあるわけだし……。それくらいの猶予はあっても良いかなって思ってる。私は、私に無理矢理に言い包められるわけじゃなくて、心の底から私のことを受け入れて欲しいって思ってるから」
「……善処はしようと思う」
「今はそれで良いよ。私のこと、真剣に考えてくれてる証拠だからね」
そうして二人は、お風呂のお湯が温くなったと気づくまで身を寄せ合って浸り続けた。二人の体温が混ざり合って一つの体になっていくのを感じながら、短い夜は更けていったのだった。
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