第5話 想像するだけならタダ!
母に抱かれているかのような懐かしい温もりを、微睡の中で感じていた。
こんなにも心地良い感覚はいつ以来だろうか?
直人はゆっくりと瞼を開き、見知らぬ天井を仰ぐことになった。
「ここは……。そうだ、あの後はすぐに寝たんだった」
シルヴィアとの同棲が決まった後、直人にはすぐ眠気が襲ってきてしまったのでシルヴィアが寝るように勧めてくれたのだ。シルヴィアはまだやることがあるとのことだったので、先に寝かせてもらう流れになったのだ。
隣を見てみると、自分の左腕に全身を擦りつけるように抱いて寝るシルヴィアの姿があった。彼女はまだ寝ているのかゆったりと呼吸を繰り返しながら、時折、頬を擦ったり、腕に力を込めて胸の谷間へと腕を引き寄せたりしていた。
(……って、この人何やってるんだよ……!)
ようやく、自分の状況を理解した直人は何とか腕を引き抜けないかと思うが、動かせば動かすほどに柔らかい弾力が腕に跳ね返ってきてしまう。がっつりホールドされていて逃れる術もなく、彼女が起きるのを暫くは待つしかなかった。
そうしてゆったりと時間が流れていくのを感じていたら、横でシルヴィアがようやく目を覚ましてくれたのだった。
「おあよう、ナオト……」
「おはよう。取り敢えず、腕を放してくれないかな? そろそろ痺れてきた」
「もう少し、このままじゃダメ?」
シルヴィアが子供みたいに甘ったるい猫撫で声でおねだりしてきた。わざとやっているのか、それとも素でやっているのか分からないが、どちらにしろドキッとしたのは事実で思わず顔を反対側に逸らしてしまう。
「……もう少しだけなら」
「……やった。じゃあ、もうちょっとだけ」
「それは良いんだけど……。気にならないの? まだ会ったばかりの男の腕にしがみついて枕にするなんてさ。普通なら、気にしそうなものだけど」
「気にはするよ? でも、私の運命の人だし、いずれはこれが当たり前になるなら良いかなって。そもそも、男女の出会い自体が明日死ぬかもしれない冒険者にとっては一期一会だから、気に入った人をベッドに連れ込むなんて日常茶飯事だし。普通じゃないの?」
「僕の方からしたら、それは犯罪行為みたいなものだよ。何度かお付き合いして、お互いを知ってからっていうかさ。順序があるんだよ」
「そんなこと言ってたらまともに結婚もできないよ。そもそもびっくりしたよ。私がいいって言ってるのに、ソファで寝るなんて言い出したから」
直人が寝る前のこと、自分がどこに寝たら良いかを相談したら、あっさりとシルヴィアは自分が使っているベッドの使用を許可してくれた。しかし、直人は彼女の寝る場所を取ってしまうことが忍びなく、ソファで寝ることを提案したのだった。
「それはほら……。そうしたら、ファイスさんがソファとかで寝ることになるでしょ? 幾ら何でも、女性をそんなところで寝かせるわけにはいかないと思ってさ」
「むしろ、ナオトは私が呼び出したんだからソファなんかで寝かしたら罰が当たるでしょ。だから、私と一緒に寝ようってことになったんだよね」
「それは、ファイスさんがその案に同意しなかったらソファもベッドも暖炉の薪代わりにするって言ったからでしょ」
まだほんの少ししか会話をしていなかった直人だったが、行動力の高いシルヴィアなら本気でやりかねないと思い、彼女の提案を飲むことにしたのだった。まさか、起きた時に自分の腕に抱き着いて寝ているとまでは想像できなかったが。
「ねえ、ドキドキしてる? まさか、一緒に寝るって言った人が朝起きたら自分の腕にしがみついてて、ドキドキしてる?」
「確信犯かよ。そりゃ、ドキドキはしたし、今でもしてるけどさ……。普通は横で寝てるとかそんな感じだと思うじゃん。……というか、どうして壁側なんだ? そっちから入ってきたなら、普通は右腕になるんじゃないの?」
「だって、私ってばすぐに布団から落ちちゃうから、いつも壁際で寝てるの。そうしたら、横に良い抱き枕があるもんだから捕まえるしかないでしょ」
「そういう口実ってことだろ?」
「正解。でも、布団から落ちちゃうのは本当。だから、旦那さんには私を守って欲しいなって思ったりするんだけど……。嫌だった?」
「嫌ではないけれど……。やっぱり、未婚の男女のすることじゃないと思う。それに、さっきも言ったけれど腕が痺れてるから放して欲しい」
「ちぇ~。まあ、ナオトが寝ている間にいっぱい堪能したから良いけど」
シルヴィアは少し残念そうにしながらも、すぐに起き上がって背伸びをしながら気持ちを切り替えた。ナオトを上手く避けてベッドから降り、軽くストレッチのようなものをしてから台所へと向かった。
「ちょっと待ってて。今から朝食を作るから」
「朝食? 僕って、そんなに寝てたんだっけ?」
「半日以上寝てた。まあ、召喚された人にはかなり脳へ負担がかかると思うから疲れてても仕方ないよ。ともかく、今ある食材だけで作るから贅沢は言わないでね」
「贅沢を言える立場じゃないから文句は言わないよ」
シルヴィアがピンクのエプロンを付けて赤色のお肉を取り出すと、トントンとリズミカルに包丁を振るいだした。綺麗な女性が料理をする後ろ姿を眺めていると、直人はとあることに気づいてしまう。
(これって、本当に新婚みたいじゃないか? 女性の手料理が食べられるなんて、ちょっとだけ気分が上がるかも)
結婚願望があった直人の憧れの一つに、朝食を奥さんに作ってもらって仲良く食べるというのがあった。お互いに料理の感想を言い合いながら他愛ない話をして、大変な仕事前の英気を養いたかったのだ。
(彼女が本当に奥さんになったら……)
『あなた。はい、あ~ん。美味しい? これで、今日もお仕事頑張れるね』
(……みたいなことになるんだろうか? いやいや、何を変な想像をしてるんだ。まだ彼女とはお試し、お試しなんだ。やましい目で見ちゃ駄目なんだ)
しかし、分かってはいても上機嫌な鼻歌をBGMに揺れるお尻から目を離すことができず、顔自体は逸らしているものの横目でずっと彼女の姿を眺めていた。
「……ねえ、あまりじっと見られると恥ずかしいんだけど」
「あ、ごめん……。というか、よく見てるって分かったね」
「元冒険者だから視線には敏感なの。それとも、私が料理する姿を見て興奮した? 料理をする前に前菜、食べちゃう?」
冗談っぽく言ってはいるが、彼女が直人のことを明らかに誘っている様子なのはすぐに察せた。ほんの少し、ほんの一瞬だけ葛藤はあったものの、直人は完全に彼女へ背中を向けて邪念を打ち払う。
「そういうのは良いから。それに、君を前菜扱いするのは何だか嫌だ」
「あ、え? そうなの? ……。ふぅん? そうなんだ。……ちょっと残念」
それからシルヴィアの料理が終わるまで会話らしい会話は生まれなかったが、シルヴィアのにやけ顔が元に戻るまで相応の時間がかかったのは言うまでもなかった。
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