人道善太(享年18歳) 死因 自殺
死には意味があるのか。
正に意義はあるのか。
そんなこと俺には解らなかった。
結局のところ。きっとそれは彼にすら分からないのかもしれない。
人は死んで始めて、死の概念を知ることが出来る――と彼は言っていたから、やっぱり、死んだことさえない彼のことだから、きっと死ぬことの重要性は分からないのだろう。
かという俺も、それは今まさに、死のうとしている俺でさえも、やっぱり分からないでいる。
未だに分からずにいる死という概念に、触れかかっているということだけは何となく分かるけど。
マンションの屋上、下から吹き上げる風がびゅうびゅうと、俺の恐怖心を増してくる。もう既に九月の後半で流石に長袖を着なければ肌寒くなる。
……思えば、俺の人生というのは一体何だったのだろうか。こんな時だからか、それとも高いところにいるからか、俺は俯瞰していた。自分自身を、今一度見下ろしていた。
善太という名に恥じぬように、出来るだけ人に優しくしていた。親にそうあれと、望まれたから。
勉強だって沢山した。両親に『将来の為だから』と言われたから。
友達とふざけあって、彼女も出来て、フラれてまた新しい彼女が出来て、そんなことの繰り返しだった。
楽しくなかったと言えば嘘になる。
勿論別れがなかったわけじゃないし、彼女含め、人生というものはやはり、出会いと別れの繰り返しだった。
でも俺はそれでも十分幸福だった。
厳しくも理解のある両親がいて、友達がいて、現に彼女もいる。夢はまだ持ててないけど、それでも将来のために出来るだけ良い大学に入って、そこからゆっくり決めても全然遅くないだろう。
――だけどそれでも、俺はふと思ってしまうのだ。
漠然とした死の欲求を。
勘違いしないでほしいのだが、俺は人生に満足している。これ以上の幸せな生活はきっとないだろう――そう思えるほどに。
きっと俺は愚か者なのだろう。
こんなにも満たされていて、こんなにも幸せなのに、それでも俺は死にたいと思うなんて。
「いいや、君は悪くない」
思えば今でも気持ちの悪い男だった。
切れ目のある黒瞳、何かを悟ったような顔、真っ黒な髪は後ろで軽く結っていた。一言で言えばイケメン。だがあいつの周りには人はいない。
頭は良いようで、学年で十位以内をキープしている俺のその一つ下にいつもいた。
だがそれも今日までのようで、俺のカバンの中には満点のテスト用紙がずらりとある。学年一位──聞こえは良さそうだが、実際になってみると案外、たいした事でもなかった。そしてそれが余計に、俺の悩みを増大させるのだ。
こんなに強い俺が、こんなにもデキる俺が、果たして死んでも良いのだろうかと。
言っては悪いが、自殺なんていうものは、大抵が負けている奴らくらいしかやらないものだと、俺は思っている。人生が苦痛で、もうどうしようもなくて、その果てに自らの死を選ぶ──だから自殺なんていうものは悪で、絶対に止めなければいけないものなのだと、以前どこかの先生は言っていた。
「自殺はなにも弱者だけの特権じゃない。人に与えられた等しい終わり方だ。自殺、良いじゃないか。ボクは好きだよ。何が良いって自分で終わらせられるというところが、最高にイカしている」
ある日、放課後で俺とあいつが二人で居残る出来事があった。
俺はその際、少し興味本位であいつに問いかけたのだ。
そしてそれが、今の問いに対する答えだ。
とてもじゃないが痛すぎる答案だった。
このまま大人になればいつしか本当に痛い目に遭う──そのくらい、あいつの答えにはエッジが効いていた。
「人生なんて、一瞬の快楽と永遠とも思える苦痛の総体に過ぎない──人は生きる事を善きこととして、死というものを悪とする。その人を救いもできないくせに、人は生きる事を強要する。それがその人にとっての地獄とは知りもせずにね」
「だけどさ、
俺は彼の名前を呼んで、何か反論しようとした。
「生きていれば、そりゃ不幸なことはあるけどさ、逆に幸運だって、幸福なことだって起きるはずだ」
「生きていれば良いことはきっとある? それでその人の人生が素晴らしいものだと、一体誰が言えるんだろうね。ねえ善太ちゃん──」
無道は薄ら笑いを浮かべながら言った。
「死ぬということは人生にピリオドをつける行為だよ。それを怖がってはいけない。死ぬということは絶対的な悪ではない。そしてまた、生きるということも善ではない。人は死ぬことで幸福を得られはしないが、不幸は避けることができる。これを人は『無』と呼ぶと思うんだけど──君は言っていたね『幸福な人間が自殺を図っていいものなのか』。ボクの答えはイエスだ。死にたければ死ねばいい。むしろ自分の都合でピリオドを付けられるんだ。不幸のどん底で終わるよりかは、幸せの絶頂で死んだ方が良いだろう? 世界はどうせ、君がいなくても変わらず回り続けるんだからさ。──お前、自分の存在を何か崇高なものだと思い込んでるのかよ」
お前はただの一般人で、そこらにいる
そう、あいつは俺に言った。
ずいぶんと失礼な物言いだったので、何か文句でも一つ言おうか、喧嘩腰で相手をしてやろうかと思ったが、しかし俺は結局なにも言い返ずに黙ることにした。
何となく、痛いところを突かれた気がしたからだ。
自分を何か崇高なものだと思っている──ああ全く、その通りだと思う。
だってしょうがないだろう? 俺は他の人と比べて頭が良いし、顔だって良い。彼女だっている。人生に対する不満は全くと言って良いほどなくて、何度も言った通り、確かに不幸なことはあったが、それら踏まえて、俺は人生に満足している。
「だけど俺は死にたいんだ。どうしようもなく、何でなのかな」
「言ってること矛盾してるぜ」
「わかってるよそんなこと」
その理論でいけば、自分は死んではダメということになる。
そんなことぐらい、自分でも分かっている。
……それにしてもどうしてだろう。
何で俺は、こんな話題を──今まで家族や彼女、友達にすら話したことのない話題を、彼に打ち上げているのだろうか。
どうしてか、何故だが分からないが、俺には彼なら何か良い答えを教えてくれると思っていたからだ。
「今まではさ、夢がないからだとか思ってたんだけど、多分違うんだよな……だって夢ってあやふやだ。人それぞれだ」
「人は誰でも誰かになりたがるんだよ。全くくだらない、いつの時代の話だよ。今じゃナンバーワンよりオンリーワンを目指せの時代だぜ? それに、今では何もせずともお金が手に入る時代だ。だから段々とこの国は衰退していっている。いや、させられていると言っても良い。他所者が我が物顔でこの国のトップに立つのも、もはや時間の問題だ──そして、弱者と規則を作り上げる強者の差が大きくなる一方だ。そんな環境下で、頑張る意義はどこにあると思う? 何もせずとも生きていけるんだ。わざわざ進んで修羅の道に進む阿呆が、どこにいる?」
無道は楽しそうに、本当に楽しそうに俺の方を見ていた。
「ボクは、夢とか希望を持ちなさいとか言っている奴が大嫌いだ。何故ならそれは、大人たちによって食い潰された残飯だからだ。君の抱く理想だって同じことだよ。偽りの希望を抱き、格下の夢に魅せられて──まるでボクたちは見えない糸に操られた人形だね……さっきの発言のことだけど、お気に召さなかったら別の言い方で言おう。要するに、死んで
「転生ってことか? そんなのあるわけないだろう」
「なぜそんなことが言える? 死んだわけじゃあるまいし、生き返ったわけじゃあるまいし」
彼のその真面目な態度に俺は笑うどころか呆れてしまった。
ため息を吐いて。
「いやだって……勘弁してくれよ。科学的じゃないだろ。俺たちはもう大学生になるんだ。そろそろ
「ボクは大真面目に言ってるんだぜ善太君。どうして、そう言えるのか──考えても見なよ、ネットで検索すれば転生を疑わせる様々な伝承や伝説が残ってる。最近じゃ、前世の過去を持った人なんかもいるくらいだ。それに比べ誰が輪廻転生が無い事を説明できる? まあつまるところ──無い事の証明はできないが、或る事の証言は出来るという訳さ」
無道の言葉は正論を言っているようで、しかし何かが間違っている。
おかしい。あれだけ俺は死にたいと思っているのに、いつの間にか生きることは良いことだ――みたいな論争へとなっている。
これも彼の巧みな話術のせいなのだろうか、今の俺には彼が物凄く偉い仙人のようにも思えた。
「今と昔では価値の基準が違う。個人の幸せと社会全体の幸せの方向性が違うんだ。社会の幸せは総体で、個人の幸せは個別だけれど、それでも似通ったところはあったんだよ。ちゃんと働いて家族を養い、自分の子供を立派な人間に育てること。そのためには弱者を切り捨て、無視して差別して、だけどそれで発展していった。それが今じゃ弱者主体の社会になってる。何事でも配慮配慮、ことあるごとにやれセクハラだのアルハラだの、まったくハラスメントのバーゲンセールだ。真面目な奴らが損をする時代になっている。寄り添う――と、言い方は綺麗かもしれないが、やってることはただの弱体化だ。それに今じゃ移民問題もある。文化の違う人たちが同じ国同士にいることは難しいんだよ。それに、自分が優しいからって相手が優しいとは限らない。いつしか日本の文化が完全に破壊されてもおかしくはない。――本当に、どうしようもねえ人間はいつの時代にもどんな人種にも存在するんだ」
切れ目のある瞳を細くさせて、無道は苦しそうな顔を浮かべた。
だがそれも一瞬のことで、すぐに彼は顔をいつもの人を馬鹿にしたようなものへとさせた。
「とまあ、今の日本はこんな感じかな。一部だけ紹介させてもらったぜ」
無道は椅子の背もたれに寄りかかって、足を組んで俺のほうを見た。
「……君のその幅広い知識には感服するよ」
「ああ結構。学年一位の君に言われても、嫌みにしか聞こえないね」
実際嫌みだからな――とは言えなかった。
とはいえ、そういう彼もやはり俺の下ではあるものの、ちゃっかり学年二位の位置に居座っている。俺と彼の距離の違いは、わずか十点。問題の二問や三問で追い抜かれてしまう距離だった。
「次のテスト――高校最後の学年末テスト。最後は勝つよ」
やがて下校時刻を知らせる
そして教室の扉との隔たりに立って、顔をこちらに覗かせて、そんな宣戦布告とも思えることを口にした。
今まで彼が俺になにかを話しかけたことは一度もない。
そして今のようなことも、初めてだった。
ならばここは俺も、流儀にのっとる訳ではないけれど、それでも話しかけてくれたクラスメイトのために何か返事でもしなければならない。
「……あ、あぁ……」
だけど俺は、そんな曖昧な返事をするしかなかった。
◆
はい──
最後にあんな回想が出てくるということは、それくらい俺にとってあの場面が一番印象に残っていた……ということだろうか。
あれから実に二か月が経とうとしていた。
分かっている――あの時無道は俺に、この世界の不条理を、理不尽さ教えようとしていたのだ。
この先の未来――暗雲が立ち込めるこの先に、一体なにがあると言うのだろうか。
今まで俺はずっと『準備』をしてきた。社会で成功するための準備を。
だが俺は、社会で生きていく為の必要な『心の在り方』を用意できなかった。
理不尽な目に遭う覚悟が、不条理な世界で生きていく勇気が無かった。
偽りの希望を抱かせて、食い散らかした後の
「いや……違うな」
正しくは――この世界は俺が、生きるに値するほどのものなのか。
そして俺は今日、その答えを見つけることが出来た。
「寒いな」
時間が経ちすぎた。スマホの時刻を見てみる――九月二十一日 22:43と記載されていた。あと数分後には――俺の誕生時刻だ。
「ありがとう母さん、父さん今まで俺を育ててくれて」
このマンションから落ちれば即死できる。
水泳の飛び込みみたいに頭からいければ。
……今さらだが、どうして俺は飛び下り自殺なんて物を選んでいるのだろうか。
首吊りとかもっと色々あるはずなのに。
……多分、俺は一度で良いから飛んでみたかったんだと思う。
大空を羽ばたく鳥を見て――なんて自由なんだろうと、そう思った。一度でも良いから俺も空を飛んでみたいとも、そう思った。
だから俺は飛び下りを選んだんだ。
日にちを誕生日にしたのは、ただ単に記念日だからだ。
今から十七年前の数分後に、俺は生まれてくる。
父と母の涙に、愛情に、包まれながら。
……いや全く、死の直前だからかすべてのことに気がとらわれてしまうな。
人は自分の死を受け入れるほどの精神の強さを持たない。だから、こうして最後までみっともなく足掻くのだろうか。
──笑ってしまう。
涙が出てしまうほどに。
これ以上の思考はダメだ。生存本能という見せかけの安易なものに縋りたくなってくる。
「死は絶対的な悪ではなく、そして生は絶対的な善ではない」
俺は写真ホルダーからとある動画を流し始めた。
それは今日撮ったもので、画面からは薄暗がりの中、家族や友人、そして彼女が俺の誕生日を祝っていた。
『ハッピバースデートゥーユー♪』
屋上の縁に立ち上がる。
『ハッピバースデートゥーユー♪』
俺は深く深呼吸して、ふと下を見下ろした。
マンションの下には何もなく、黒いアスファルトがまるで深淵のごとく渦っているようだ。空は雲一つなく、遠くにある月が黙って俺を見ている。
風がなびく。いろんな音がする。様々な生命の鼓動を感じる。
ああ、なんて――この世界は
俺は人に愛された。これ以上ないほどに愛された。
「だから俺は、死ぬ。人に愛されたまま死にたいんだ」
人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ――そういったのはどこの誰だっけ。
『ハッピバースデーディア……善太~♪』
落下する。落下していく。
全てがスローモーションに見えていく。
涙も僅かな後悔もすべてすべて、空中に置き去りにしたかのように──。
「あ―――――――」
今、この体は自由だった。
『おめでとおぅ♪』
最後に、手の中にあったスマホのスピーカーから、そんな祝福の言葉が聞こえた気がした。
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