漆時間目

「ぐっ」

 また、腹部を蹴られた。

 思わず息が漏れる。

水無瀬みなせ~。俺達が迎えに来てやったのによぉ。まったく。金すらまともに持っていないじゃんか」

 赤いジャンバーを着た少年、赤坂は僕を突き飛ばす。

 コートを着た少年、金田は僕の財布の中から百円玉を取った。

「お前、百円しか持ってないじゃんか」

「昼に購買でメロンパン買ったんだよ」

 そう言ったら、また殴られる。

「いっ!」

 肩に激痛が走り、腕を伝って手が震える。

「てめぇ、生意気なんだよ。昔から」

 それを黒色のジャンバーの少年、嶋がニタニタと下品に笑う。

 風が吹き始める。寒くなってきた。

 空は小さくオレンジ色が燃えている。

 もうすぐ夜が来る。

 暗くて、絶望しかない。

 彼らが目の前であざ笑う。

 ……悔しい。

 体の横で拳をきつく握る。

 時間が何時間経っても、彼らに抵抗できていない。

 怖い。怖いんだ。また昔みたいに、金属バットで殴られたり、川に突き飛ばされたり……。

 太陽が沈んでいくと同時に、そんなことが頭をよぎる。

 ……せっかく成績上げて、彼らとは違う高校へ進学できたのに。

 学校がバレたから、もう……、普通に生活ができない。悪夢みたいな毎日がまた始まる。もう、クラスメートと普通に話せない。もう、町を自由に歩けない。

 もう……、

「あ、見ろよ。これ」

 金田の声に、僕は顔をあげる。

「これ、水無瀬の財布についてた」

「なんだこれ。甲冑かっちゅう?のストラップ?」

「へえ。お前こんなの趣味だったのかよ」

 彼らの声にはっとする。

 だって、これは……!


『こ、これ……仙台に行ったお土産です』

『わぁ。これって、伊達だて政宗まさむねの甲冑だよね。すごい!細かいね』

『う、うん。おばあちゃん仙台に住んでいて。久しぶりに会いに行ったんだ。近くのお土産やさんでたまたま見つけたんだよ』

『へぇ。ストラップ、ありがとう。絶対、大事にするね』


 絶対、大事にするって言った。

 だって……


「やめろ!」

 立ち上がり、走り出す。

「おぉ?なんだぁ」

「返して!」

 ストラップを持っている金田の正面から思いきりぶつかる。

「っ!」

 一瞬よろけたところを見逃さず、手からストラップを奪い取る。

 戦国時代の名物、奇襲きしゅう攻撃みたいだ。

(……織田信長と今川義元じゃん。)

 三人と少し距離を置き、手のひらを恐る恐る開いてみる。

「……」

 甲冑……どこも欠けてない。

「……よかった」

 思わずつぶやいた。

 ストラップは、ポケットの中に丁寧にしまう。

「はっ。お前、少しはやるようになったじゃないか」

 赤坂がバキバキと指をならす。

 僕はしっかりと赤坂を正面から見つめる。

「……今まで、君たちにはたくさんの物を奪われたけど……これだけは絶対に渡さない」

 手が震える。

 本当は、怖くて怖くて仕方がない。だけど、これ以上奪われたくない。普通の毎日を送りたい。たくさん話したい。もう、恐れずに町を歩きたい。

 ……博物館に行きたい。

 ポケットに手が触れる。

 もう、ここで終わらせたい。

 しばらく、睨み合いが続くと思っていた。

 だけど。

 パチパチパチ。

 誰かが拍手をしている。軽快な足音が近づいてきた。

 振り返ると……、

 ツインテールで髪の長い少女が立っていた。

原田はらださん!」

 嶋が真っ先に叫ぶ。

 少女は僕の方を向いて、ニコリと笑う。

千陽ちはる君、久しぶりね」

「……」

 目を見開く。

 原田はらだ香子かおりこ

 僕が通っていた隣の中学校だった人。

「懐かしいわねぇ。わたしが千陽君の中学に初めて遊びに行った時」

 うん。

 思い出すだけで、最悪な気分になる。

 中学三年の時。僕は金田と嶋にいじめられていた。原因は何だったんだろう。

 多分、サッカー部の事だったかな。僕が大事な試合で足を引っ張ったことだったと思う。

 まだ、その時はよかった。物を隠されるだけだったし。

 だけど……。

 僕の中学に、隣の中学の赤坂と原田が来た。

 理由はわからないが、原田と赤坂が通っている中学でもいじめがあったが、いじめられている子が不登校になったらしい。

 ……それで僕のところに来た。

 毎日が地獄だった。もう、思い出したくない。

 ある日、先生に相談した。だけど……。

 原田が主犯格だって知った時、先生の顔色が変わった。原田の父親が有名な会社のお偉いさんだったからだ。先生は、しばらく経てばいじめは収まるって言っていた。

 だけど、悪夢はずっと続いた。

 だから、中学三年の夏から学校に行っていない。家から出られなかった。家から出たら、あいつらと会うかもしれなかったから。

 その間に、年が離れている兄から『歴史』を教えてもらった。最初に知った言葉は『下剋上』だった。日本の戦国時代には、立場が低いもの、例えば家来なんかが、実力で君主や身分が上の物を倒すというものだった。その時から、よく戦国時代とかの歴史の本を読むようになった。歴史の本を読む時だけ、自分ではなくなるような気がしたからだ。

 僕は、歴史は『現実逃避』ができるものだと考えていた。

 歴史について、他の人と話したことが無かった。兄がいるけれど、兄は大学生で一人暮らし。ほとんど家に帰って来ないのだ。

 だけど。

 たちばなさんと出会って、僕の中の何かが動き出した。

 なんだろう。

 今までの僕の人生の中で、誰かと何かに熱中して、語り合ったことなんて一度もなかった。

 毎日が楽しかった。

 『戦国時代』、『マヤ文明』、『エジプト文明』に『雨ごいの話』……『少年探偵団』も。

 それに、『人は変われる』って事を、逆に僕が彼女から教えてもらった。

 最初は、全然表情が変わらない人なのかなって思ってたけど。いつの間にか、よく笑うようになっていた。本人は自覚無いのかもしれないけど。

 そんな彼女が眩しかった。

 だから、今度は僕の番かもしれないな。

 ずっと思ってた。心の中で。


 こんな毎日、絶対に奪われたくない。

 僕だって、『変わりたい』。


「……君、千陽君。聞いてるのぉ?」

 原田の甲高い声が頭に響く。

「……何」

 僕が顔を上げると、原田はおかしそうに笑う。

「千陽君さぁ。めちゃくちゃ変わったよね。昔なんて、わたし達が来たら涙目だったのに。時のせいかしらぁ?」

「……時のせい?」

「絶対そうでしょぉ。だってあれからどのくらい経ったっけ?もう一年は経っているでしょぉ?もうわたし達とは会わなくなって平和ボケでもしてたんでしょぉ?」

 原田の言葉に、僕は薄く笑う。

 突然僕が笑い出したから、原田達は目を見開いた。

「なによ。気持ち悪いわねぇ」

「『時のせい』って言ったよね?」

 まっすぐに原田を見つめる。

「そうかもしれないね。この一年で僕はだいぶ変わったと自分でも思うよ」

 太陽の光が一瞬雲の隙間から輝いた。

「それは単なる『平和ボケ』かもしれない。だけど……」

 視線を外さない。

 口を開く。


「僕の大事な居場所ができたんだ。それを絶対に奪われたくない!」


 風が吹き、砂埃が空を舞った。


  *

 私たちは無事にボタンを回収し、この公園に来ることが出来た。

 が、しかし。

 周りには、見るからに不良って感じがする大きい男子が三人がいて、水無瀬君は見えない。

「原田さん!な、なんでここに⁉」

 りんさんが思わず声をあげる。

「え、香子ちゃん⁉」

 それにつられ、乙葉おとは君も声をあげる。

 乙葉君とも知り合いだったの?

「原田香子ちゃん……俺と同じクラスの子だよ。あまり教室に来てなくて……もうてっきり学校辞めたのかと……」

 乙葉君の言葉に、原田さんは薄く微笑む。

「そうねぇ。わたし、教室なんてここ最近言ってなかったもんねぇ。大体は保健室に行ってたし。ここの学校の先生たちは真面目過ぎるのよ。他の生徒の事ばかりでわたしの事なんか気づかないみたい。最近、ほんとつまらなくてさぁ。凛ちゃんも随分生意気になったし」

「っ!」

 その言葉に、凛さんはうつむく。

「それにぃ。アイツも生意気になったしぃ」

 アイツ……?

「たち……橘さん⁉」

「!」

 その声の方に向かって、駆け出す。

「!小夜さよちゃん⁉」

「おい、危ないぞ!」

 凛さんと乙葉君の声を聴かず、全力で走る。

「っ!」

 そこには、ケガをした水無瀬君が苦しそうに地面に倒れていた。

「……やっぱり……気が付いてくれたんだね」

「江戸川乱歩の『少年探偵団』……でしょ」

 彼は手を切っているのか、血が垂れている。

「み、水無瀬君!そのケガ……」

「僕、言えたんだ」

 私の言葉を遮るようにして、水無瀬君はゆっくりと起き上がる。

「やっぱり、変われるんだね。言えたよ、アイツらに。僕の居場所を奪うなって。もう奪われたくないって」

 私はその言葉に目を見開く。

 水無瀬君は、ずっと戦っていたんだ。変わりたいけど、勇気が出ないでいたんだね。

「あれぇ?そういえばあなたって、さっきの『凛ちゃんのクラスメート』ちゃん?」

私たちのほうに原田さんが笑みをたたえながら歩いてきた。

「!原田と知り合いなの⁉」

 知り合いっていうか……。

「さ、さっき知り合った人?って感じかな」

「一体……何が……」

 驚く水無瀬君を見て、原田さんの口角が上がる。

「ねえ、あなた。『小夜』って言うのねぇ?」

 お互いの視線が絡まる。

「う、うん」

 私も原田さんを見つめ続ける。

「小夜ちゃん。あなたのその目、いいね」

 原田さんの目が怪しく光る。

「な、何……」

 原田さんは私の目を見つめ続ける。

 『怪物』のような目だった。

 その目は、怪しく輝き、周囲の物をことごとく黒に染めてしまいそうだ。

「そんなきれいな目、ずっと見てたいなぁ」

 鼻歌が聞こえる。

「だって、小夜ちゃんは『わたし自身』を見てくれてるよね。初対面の人でそんなにわたしを見てくれる人なんていないもん。わたしの外側じゃなくて、あなたは『わたしの内側』を見ているんでしょ」

 原田さんは手を差し出す。

「ねぇ。小夜ちゃん。見てよ。そのきれいな目で」

 いつの間にか、日は落ち、周囲は暗くなる。

 風も少し強く、冷たい北風だ。公園の寂しい花壇の雑草が風を受け、さわさわと揺れる。

 私は一瞬たじろいだ。頭の中が真っ白になる。

 その目は、それほどまでに強い威力を持っていた。思わず、視線を外してしまいそうになる。

 あんな目、今まで一度も向けられたことがなかった。

 口を開く。

「そ、そんなの……」

 だけどその声はかすれていて、情けなく地面に吸い込まれていった。

 手が震える……!

 ダダダダダダ!

 土を勢いよくける音が後ろから響いた。

「わっ!」

 驚いて後ろを見ると、息を切らせた二人が立っていた。

「小夜ちゃん!もっと自分に自信持っていいんだよ!あの時、めっちゃかっこよかった。今は、後先考えないで、自分の言いたいこと、言ってみて」

 凛さんの声。

「そうだよ。俺、マジで小夜ちゃんとたくさん話したおかげで、『歴史』の面白さが分かったんだよ。小夜ちゃんはさ、あの『黄昏の歴史教室』のことどう思ってんの?その思いをアイツにぶちまけてみればいいじゃん」

 乙葉君の声。

「橘さん」

 水無瀬君と視線が合う。

「橘さんのおかげで、僕、『変わる』事ができたんだ。だんだんと、道を切り開いていく君はすごい。本当に、尊敬するよ。だからさ、『未来』を一歩一歩、切り開こうよ」

 凛さん、乙葉君、水無瀬君。

 三人の言葉が私の中ですっと溶ける。

 空が完全に黒く染まっていく。

 だけど。

 その瞬間、街頭がつきはじめたんだ。


「もぉ~なによ、あなたたち。わたしと小夜ちゃんが話している途中でしょ?」

「お前ら。原田さんの話を遮るなんて言いご身分じゃねえか」

「そうだぞ!」

「じゃまもんは失せろ!」

 周りからヤジが飛ぶ。

 原田さんもじれったくなったのか、ずかずかと私のもとに来る。

「わたしと遊ぼうよ」

 私はまっすぐ見つめる。

 手の震えはきっと、武者震い。

 少し前なら絶対に、こんな事、思わなかった。大切な仲間ができて、大事な居場所がある。

それに……私の中の特別な人も。

「ほら、こいつ何も言えねぇじゃん」

「原田さんに歯向かったのがオチじゃん」

 再びヤジが飛ぶ。原田さんが口角を上げる。

 だけど。

 私は原田さんを正面から捉える。

「私には、大切な居場所ができたんだ。それを奪われたくない」

私は言葉を続ける。

「あなたは『注目されたい』とか『自分が一番になりたい』って思っているよね。それは別に反対しないよ。だけど、それは『自分は変わらない』で『周りに変わってほしい』っていう事だよね。『周り』はさ、結局、『自分』が動かないと、変わらないよ!」

「っ!」

 原田さんは目を大きく見開く。

「いま、なんて言ったの?」

 私のところに勢いよく手を伸ばしてきた。

 ダメだ、よけられない……!

「っ!」

 パシっと乾いた音。

「小夜さんに……近づかないでくれる?」

「!」

 水無瀬君が、原田さんに手を払いのけた。

 払いのけられた手を引っ込め、その手を凝視している。

「……あなたたちに何がわかるの!」

 原田さんの声が公園に響く。

 その声に私たちはたじろいだ。

「原田さん……」

 彼女の手は震えていた。

「パパはわたしに高級品を与えるだけ。わたしはパパと何度も話そうとした。だけど……だけど、毎回答えは一緒。『今忙しいから』この一言」

 風が吹き、砂埃が少し舞う。

 彼女はそれでも言葉を紡ぐ。

「クラスメートも一緒。わたしはもっとみんなの話も聞きたかった。いつもわたしの物やパパの話ばっかり話題にするの。みんな、わたしがお金持ちってところしか見ていない。それはわたし自身じゃない……結局、みんなは、わたしのパパの話をしたいだけ」

 私はハッとする。

 彼女がなぜ、『自分を見てほしい』って言っている理由が少しわかったからだ。

 その場にいる全員が原田さんを見つめる。

 原田さんは……ずっと、さみしかったんだね。誰も、自分を見てくれないということは、とても辛いことなんだろう。

 私は地面に視線を落とす。

「だから…だからね。この方法しかないの」

 原田さはいきなりしゃがみ込む。

「原田さん!」

「原田さん、大丈夫ですか⁉」

 私たちは困惑する。

 三人の男子は原田さんの周りに集まり、原田さんは、囲まれた。

 その顔は……。

「は、原田さん!」

 眼鏡をかけた男子が甲高い声を上げる。

 原田さんのその顔は……気分の高揚なのか、それとも……狂っているのか。口角を限界まで上げたような、引きつった、黒い笑みだった。

「誰も見てくれない……わたしを見てほしい……だから……この方法しかないの……」

 その声は、掠れていて、聞き取れなかった。

 しゃがみ込んだまま、原田さんは口を開く。

「ねえ、凛ちゃん」

「!」

 いきなりそう呼ばれた凛さんは、体を硬直させる。

「な、何?」

 その表情は、見えない。

「凛ちゃん、また、わたしと遊ぼうよ。そしてさ、前みたいにわたしを見てほしいな。綺麗だったな、凛ちゃんのあの目。わたし自身を正面から見ているっていう感じだったよね」

「っ!」

 凛さんの手が震えている。

「凛ちゃんは……もちろん来てくれるよね?」

「り、凛さん!」

 凛さんは、地面に視線を落としたまま、動かない。

 どんな表情をしているのかも、わからない。

 そして。

「⁉」

 この場にいた、全員が凍り付く。

 何を思ったのか、突然原田さんに向かってあっかんべーをしたのだ!

「なっ!」

「言っておくけど、もうあんたのパシリなんてホントごめんなんだけど」

 いつもの明るい凛さんだ。

 だけど凛さんの顔は、どこか晴れ晴れとしているようだった。

「あんたの事情はよく分かった。……誰からも見てくれなくて、さみしかったんだよね。だけど、それとこれとは話が違う。自分の注目のために相手を傷つけるとか、それはもう、ヤバいよ」

 凛さんは腕を組み、まっすぐ見つめる。

「り、凛さん!」

「小夜ちゃん、ありがと」

「え?」

 なんでいきなりお礼?

「勇気をくれて、ありがと」

 その言葉に、私は思わず見とれた。

「私じゃないよ。それは本当の凛さんだからできる事なんだよ」

 やっぱ、凛さんは、明るくて、元気で、気配りができる子だ。

 かっこいいな。

「凛ちゃん……いいの?」

「もちろん。あたしはあたしの道を進むから」

 凛さんは笑顔でピースを決める。

「凛ちゃんって……あんな子だったんだね」

 乙葉君は、話が読めなさすぎてポカーンと口を開いている。

桐斗きりと、後で今回の騒動のこと、色々教えてあげるから」

「あ、うん。よろしく頼むわ。俺マジで色々話についていけなくて」

「巻き込んで、ごめんね」

 申し訳なさそうに言う水無瀬君に、乙葉君はクスリと笑う。

「別に。いつも色々教えてもらっている借りを返すだけだし。それに……」

 乙葉君は水無瀬君の肩に手をかける。

「俺達、親友だしな!親友が困っているときは助けなきゃな!」

 その言葉に水無瀬君は、はっとしたような顔をする。

 だけど、口角を上げ、笑い出した。

「そうだね……!親友、だよね!」

 その様子をみて、私は微笑ましいなぁと思った。

 ……だけど、私たちは今、喧嘩中です!

「赤坂!」

 原田さんは赤いジャンバーの少年を呼びつける。

「『例のアレ』早く持ってきてくれない?」

「え、原田さん……それはっ!」

「いいから!」

 原田さんは声を洗上げると、少年は公園の隅に向かって駆け出した。

 『赤坂』と呼ばれた赤いジャンバーの男子が持っていたのは……。

「金属……バッド!」

 さすがの私たちも青ざめる。

 原田さんがバッドを担いで私たちのところまでゆっくりと、まるで反応を楽しむかのように近づいてくる。

「お、おい!香子ちゃん!それはヤバいだろ!俺達みたいに正々堂々拳だろ!」

 え、これから拳でやろうとしてたの⁉

 私は乙葉君の言葉に目をむく。

「別にぃ。部外者のあなたが言う事じゃないでしょぉ?」

「うぐぐ」

 痛いところを突かれたのか、乙葉君は余計に青ざめる。

「それにぃ。凛ちゃんは何でもしていいってことなんでしょぉ?千陽君も異論ないんでしょ。昔みたいに、わたしを見て……っ!」

 原田さんは思いっきりバッドを振る。

「!」

「危ない!」

 水無瀬君が私の腕を引っ張る。

 ブンっと、風を切る音が聞こえた。

 なんとかみんな当たらなかったようだ。

「橘さん!大丈……っ!」

「水無瀬君!」

「ははは……水無瀬もそんなもんかよ!」

 黒色のジャンバーを着た男子にお腹を思いっきり蹴られたみたいだ。

「み、水無瀬君!」

 水無瀬君は、苦しそうに地面に倒れこむ。

「橘……さん……逃げ……て」

「そんなこと、できるわけないでしょ!」

「!」

「なんだぁ。お前」

 私の後ろには、黒いジャンバーの男子と原田さんが。

 私はとっさに手を大きく広げる。

 絶対に、私が守る。

「おい、こいつって、原田さんに変な口きいたやつだろ?」

「そうだな、嶋。許せないよなぁ。だけど……なんだ、めっちゃ普通の子じゃん。こいつになんて、なんもできないよなぁ」

 バキバキと手を鳴らす、その行動に、一瞬怖気づいてしまう。

 その後ろからは、カン、カン、と金属バッドを地面に当てる音が聞こえてきた。

 確かに私は……何もできないかもしれない。

「橘……さん!逃げて!」

 だけど……!

「も、もうやめましょうよ!」

「!」

「た、橘さんっ!」

 私は、大切な人は守りたい。

 私は、真正面から男子二人に突っ込んだ。

「っなんだこいつ!」

「っ!」

 二人は背も高く、びくともしない。

「なんだよてめぇ!」

「!」

 地面に投げ飛ばされてしまった。

「い……った」

 あまりの痛さに思わず涙目になる。

 手も足もボロボロだ。

 見上げると、男子二人がニタニタと笑って見下ろしている。

 怖い……。

 だけど、ここで負けるわけには……!

「橘さん!」

「小夜ちゃん!」

「おい、小夜ちゃん!」

 見ると、そこには……。

「みんな……」

 水無瀬君、凛さん、乙葉君。みんなボロボロだ。

 だけど。

 弱音なんか吹き飛んだ。

 そうだよね、そうだよね。これからが本番。

 原田さんの事情は分かった。誰からも見てもらえないことは、私の想像を超えるほど、辛くて苦しいことなんだろう。きっと彼女は、それを補いたくて、こんな事をしてしまうのだろう。

 だけど、私は私の大事な人や居場所がある。

 彼女の目は、黒く光っている。

 彼女の父が彼女と話していれば。彼女のクラスメートが、見た目だけで判断しないような子だったら。

 彼女は根はいい子なのだろう。『お金持ち』ということは、彼女はあまり自慢に想っていない。それはあくまでも、父親がお金持ちというだけだから。ちゃんとわかっているのだろう。

 だけど。

 彼女の罪は重い。水無瀬君や凛さんはきっとこの事を許さない。もう、私たちに彼女……原田さんを止める方法はないだろう。

 だから。

 絶対に負けられない。

 ここで原田さんに屈したら、きっと、取り返しのつかないことになってしまう。


 私にも、大事な居場所ができたんだ。

 奪われたくない。


 少し前までは、私に居場所と呼ばれるものはなかった。

 だけど。

 私は見つけたんだ。

 大事な仲間と『黄昏の歴史教室』を。

 これってやっぱり……、

「天下分け目の戦い」

 思わず独り言が漏れる。

「橘さん、いいこと言うね」

 誰にも聞かれていないと思っていたけど。

 ちょっと恥ずかしい。

『天下分け目の戦い』。

 もうその名の通りのことだ。

 歴史の教科書にも書かれていて、日本で有名な『天下分け目の戦い』は、関ヶ原の戦い。

 西軍か東軍で日本が二つに分かれた戦いだ。

 戦国時代に天下を取った豊臣秀吉の跡継ぎ争いみたいなもの。西軍の石田三成と東軍の徳川家康が岐阜県の『関ヶ原』で戦ったんだ。

「確かに。今のあたしたちに合っているね」

「そうそう」

 改めて、相手を見る。

「絶対に負けられない……」

 原田さんの目は鋭く、私たちを放さないようだ。

 これ以上、彼女の好きにはさせない。

 息を吸う。

 みんなも相手を見ている。

「『天下分け目の戦い」へ!」

 私たちが駆け出そうとした時。

「はいは~い。天下分け目の戦いは終わったよ~!」

 公園の入り口に……誰かいる。

「っ先生!」

 それは忘れもしない、あの筋肉ムキムキの歴史の先生。

「な、なんでここに……」

 思わずそんな声が漏れる。

「そりゃあ、近所の人からの通報ってやつですよ」

 つ、通報!

「え、もうこんな時間⁉」

 スマホを取り出して時間を見たとき、思わず声を上げてしまった。

 普通なら、私がいつもとっくに家に帰っている時間だ。どおりでこんなに暗いわけだ!

 それに、どおりで通報されるわけだ!

 そこで私は考えた。

 (これって『補導』ってやつなのかな……)

 内申書とかに影響ないのかな……。

 ま、まあ、私たちは『ただ巻き込まれた?』感じの『普通の』生徒だし。別に不良とかヤンキーではないよね⁉ちゃんと学校に通ってるし、成績も(理科と数学以外は)何とか大丈夫(?)だし……。ま、まあ何とかなるでしょ⁉

 私は落ち着きを何とか取り戻し、人の多い方に目を向ける。

 原田さんたちは、青ざめ、縮こまっているのがここから見えた。

 赤いジャンバーの男子が足を動かしたとき。

「で、君たち。何をしてたの?」

 先生の問いかけに、赤いジャンバーの少年は原田さんの方を指さしながら声を震わせる。

「お、俺らじゃねぇ!全部、全部、原田のせいなんだ!」

「えっ」

 原田さんの瞳が揺れる。

「そ、そうだ!」

「こいつさえいなければ!」

 他の少年達も原田さんの方を向き、声を上げる。

 原田さんは指を向けられ、地面に視線を落としている。

 その手は震えているようだった。

 その表情は、見えない。

 だけど、だけど……

「ち、違います!」

私は思わず、声を上げてしまった。

 原田さんは驚いたように、こちらに視線を向ける。

 たくさんの人の視線を浴び、少し緊張してしまう。

 だけど、これだけは、言っておきたかった。

「原田さんのしたことは、取返しが付かないようなことだと思う」

 きっとこれは、たくさんの人の心の中に『嫌な思い出』としてこれからも残り続けると思う。

 私は「だけど」と、言葉を繋ぐ。

「それは、原田さんだけのせいではないと思うんです。あなたたちも、反省……した方がいいと思う」

 少年達を真っすぐみて、私はそう告げる。

「はあ?お前、よくそんなこと言えるな」

「原田さんが言ったから俺たちは……」

「言っておくけど」

 その声が近くから聞こえたから横を向くと、私の隣には水無瀬君が立っていた。

「僕をいじめているとき、君たちとても楽しそうだったじゃん。相当暇だったんだね」

 水無瀬君は少年達と目を合わせながら言った。

「原田さんは確かに悪いよ。このことは絶対に忘れられない。絶対に。だけど、君たちも悪いよ。僕は何回も殴られて、蹴られて、おまけに金属バットだったんだよ。最初に金属バット使ったのって誰だっけ。原田さんじゃないでしょ?」

 少年たちの目が血走るのがわかる。

「君たちの事は絶対に忘れない。だってこれは原田さんだけのせいじゃないでしょ。完全に」

 水無瀬君の目は、真剣だった。

 彼の腕には無数のあざと傷。血が出ていて、とても痛そうだ。

 ここにいる誰もがそう思っているだろう。

 これは、原田さんだけのせいじゃないって。

「しょ、証拠はあんのかよ!」

 少年の一人が声をかすれさせながら叫んでいる。

 しょ、証拠……。

 確か、乙葉君が持っていたな、写真。

「お前たち、心配するな。ほらよ」

 だけど、最初に口を開いたのは先生だった。

 先生は豪快に笑い、スマホの画面を見せる。

「え、動画⁉」

 いや、これは防犯カメラの映像だ。

 画質が悪く、見えにくいが、水無瀬君が殴られている様子がばっちり取れていた。

 ほぼ一部始終が写されていた。

「本当は……もっと早く助けたかったんだが……証拠がなければこいつらに逃げられると思ってな。防犯カメラの管理人の人に電話してたりしたから……遅くなっちまった。ごめんな」

 先生は珍しく申し訳なさそうだ。

 水無瀬君は目を見開いている。

 とても驚いているようだった。

 一方乙葉君は……。

「っそんなこと心配すんなって!次のテストの点数上げてくれればいいだけだから」

「乙葉君……今度先生と一対一の勉強コースですからね」

「うっ……それはちょっと……」

 先生のスピード感ある突っ込みに、みんな笑顔になった。

 さっきまで、緊張していたからかな。

 やっと、戻ったのかな。

「で、お前ら」

 先生は、少年たちに向きなおる。

「ひいっ!」

 先生の表情は見えなかったが、あれだけ怖がっているんだ。絶対に先生の顔は恐ろしいだろう。

「お~い大丈夫ですか⁉」

「ケガをしているようですが、大丈夫ですかあ~?救急車呼びます?」

 いつの間にか、警察も来ていたようだ。公園の入り口に二人立っていた。

「で、お前ら。警察、行くぞ」

 容赦のない先生の言葉に、私の背筋はピンと伸びる。

「あ、あ、あ……あんたに……わたしの何がわかるっていうのよ……」

 原田さんは、金属バットを先生の目の前に向ける。

 その目は水を薄っすら含んでいて、今にも流れ出しそうだった。

「どうせ、あんたなんて、あたしの名前も知らないでしょ」

 その言葉に、先生はため息をつきながら返した。

「原田香子。クラスは五組だろ。確か、歴史のテストは学年一位だったよな」

「っ!」

 バットを持つ手が震えている。

 え、歴史のテストで学年一位⁉

 私は開いた口が塞がらない。

「……別に、誰も原田さんの事見ていないんじゃないんだからな」

 先生の言葉に、原田さんは「うるさい」と一言。

「自分の事、もっと誰かに話せばよかったんじゃないか?テストのこと、親にちゃんと話したのか?」

 バットを持つてがだんだんと下がってくる。

「そ、それは……」

「最初から『無理だ』なんて、決めつけない方がいいぞ。どうしても自分の話を聞いてほしかったら、多少強引に言った方がいい。……まあ、限度はあるけどな」

 原田さんの手から、バットが落ちる。

 カランと、金属音がこだました。

「ね、ねえ、原田さん」

 私は思い切って声をかける。

「……何」

 小さいく、掠れたような声だ。

 原田さん背中を向けていて、その表情は見えない。

 だけど、私はこう言った。

「すごいね、原田さん。歴史、得意なんだ。わ、私も歴史が得意っていうか、好きなんだよ。織田信長とか、かっこいいよね。好きな歴史人物とか、い、いるの?」

 原田さんは、反応しない。

 警察官の人が来て、先生と色々話していた。

 木々が揺れる。周囲は暗く、良く見えない。空は太陽の面影はすっかりと消えて、 星が輝いていた。

「お~い、原田さん、警察の人が読んでるぞ。こっちへ来い!」

 先生の声が聞こえる。

 原田さんは、声が聞こえてからしばらくは動かなかったが、風が吹き、歩き始めた。

 しかし、彼女は急に立ち止まると、こちらを見ずに口を開いた。

「……浅井長政」

「え?」

「わたしが好きな歴史人物」

 そして、彼女はまた歩き出した。

 砂埃を気にせずに。

 私は、その姿をぼんやりと見送った。

   *

 原田さんが行ってから、私はこれまでにあったことを、走馬灯のように思い出していた。


 ……最初は、誰とも話せなかったし、仲間も居場所もいなかった。


 ただかっこいいってだけじゃなく、昔のことにケリをつけようとした、凛さん。

 いつも笑っているが、実は頼りになる乙葉君。

 ……私に大切なことを教えてくれた、水無瀬君。


 全てが変わったあの日。

 あの教室にいたのが水無瀬君で、よかった。

「私、変われたのかな」

 もう完全に黒になってしまった空をみつめて、私はそう呟く。

「橘さんはすごいよ」

「えっ」

 水無瀬君が私の隣に立って、空を眺める。

「でもさ、『全て変わろう』なんて、思わなくていいと思うんだよ」

 木々が風に吹かれて、音をたてる。

「最初から、思ってたんだけど。橘さんって、人の話、ちゃんと聞いていてすごいよ。相槌ちゃんと打ってくれてるし。ホント、話しやすかったんだよ」

「え、え、そ、そうなの⁉」

 これにはびっくり。

 私って、ほんとにそうなの?自分では気が付かなかった。ホント、自分でも自分の事こんなにも知らなかったんだな。

 全て変わる必要なんてなかった。誰かをお手本にするのもいいけど、『変わる』ためには、自分を好きになることが一番なのかもしれないな。

「だからさ、今の自分を大事にしてよ。僕……そんな橘さんが好きだよ」

「ありがとう。あの時、教室にいたのが水無瀬君で本当に良かった……ん?」

 あれ。

 彼は、最後になんて言ってましたか?

「あ……い、いや、これは……」

 水無瀬君はそっぽを向いた。

 一方で、私は頬が熱くなるのを感じた。

 寒いはずなのに……。

「お、お前ら大丈夫か?」

「「は、はい!」」

 乙葉君に急に呼びかけられて、私と水無瀬君は声をそろえて飛び上がる。

 いきなりすぎて、かなりびっくりした。

「お、おお。お前ら、仲いいな……」

 乙葉君は私たちの驚きように逆に驚いたらしい。

「それで、僕らに何の用?」

 水無瀬君の言葉に乙葉君は不思議そうに首を傾げて行った。

「あ、いや……大した用じゃないけど。こんな寒い中で、二人とも顔真っ赤だったから……一体何があったのかと……」

「桐斗君っ!それは言っちゃアウト!いろいろとアウト!あとこの場面で二人に話しかけちゃダメでしょ!」

「え、そうなのか⁉」

いや、凛さん……そこでそのセリフはなんか逆に恥ずかしいんですが……。

 てか、少女漫画の見過ぎだよ、それは!

「ま、まあ大丈夫だよ!」

 私は恥ずかしさもあって、大きな声を出してしまった。

「まあ、この話はまた今度って事で」

 水無瀬君はクスクスと隣で笑う。

「ええ……二人とも、ほんとにいいの?」

 私と水無瀬君が笑っている中、凛さんは、なんだか少し不満そう。

「まあ、なんだかわからないけど、いいじゃん、いいじゃん。ね?」

 乙葉君は私たちにつられたのか、笑い出す。

「お~い、お前たち、親が迎えに来てるぞ~。早く行ってやれよ。心配してるぞ」

 先生が私たちを呼ぶ声が聞こえる。

「あ、母さんだ」

「ママとパパ!あ、モモとメロン(犬)も来てるの⁉散歩の時間じゃないのに」

「うっわ~。俺んち、親父が来てる……」

 なぜか乙葉君は顔を真っ青にしている。

 うちは……。

「お母さん」

 お母さんは心配そうに、こちらを伺っている。そりゃそうだ。こんな時間だし、少し喧嘩?もしたことだし。お父さんはきっと、家で弟と一緒にお留守番をしていることだろう。

 ……心配、たくさんかけちゃったな。

「そろそろ、帰らなきゃね」

 私の言葉にみんな頷いた。

「激動の金曜日になっちゃったね」

 水無瀬君が言った。

「でも、よかった」

 その言葉に、みんなが頷いた。

 帰り際、私は言った。

「り、凛さんも、放課後、来てほしいなぁ」

「あぁ。なんか『歴史教室』?やってるってやつ?」

「あ、忙しいなら……無理にとは言わないけど……」

 だんだんと声が小さくなっていく私に、凛さんは目を見開く。

 その目はほんの一瞬、水無瀬君を見てるようだった。

「ほ、本当にいいの?」

「も、もちろん、ね?」

 水無瀬君と乙葉君の方を向くと、二人も笑顔で頷いていた。

「ありがと」

 凛さんはなんだか涙ぐみそうだった。

「じゃあ、また、黄昏の歴史教室で」

 私の頭上で星が輝いた。

 みんなは、クスリと笑った。

「おう!」

「絶対に行くからね!」

「うん、楽しみだね」

 私はその笑顔をみて、笑顔になる。

 街頭が輝く。

 家のカーテンから中の光が漏れている。

 私はもう真っ暗になってしまった空を見上げた。

 月がとても輝いていた。

「きれい……」

 思わず声が漏れる。

 今日は満月だ。

 今まで見た中で、一番輝いている月だった。

 私は、一歩ずつ踏み出した。

 一歩一歩、確実に。


 私はこの時間が嫌いだった。

 だけど今は……


    (完結)

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黄昏の歴史教室で 蒼 湖月 @7gA82cnp

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