陸時間目

「くっしゅん」

 りんさんがくしゃみをした。

「うー、ここは寒いね」

「そ、そうだね」

「じゃあ、あったかくなる話、しない?」

 元気を取り戻してきた凛さんは、そう声を上げた。

 てか、『あったかくなる話』ってなんだ?

 暖かい食べ物を連想する話かな。おでん、なべ料理、シチュー……。考えるだけでも、暖かい。それか、南国かな。沖縄、ハワイ、グアム……。

 だけど、凛さんが考えていた事とは全く違っていた。

小夜さよちゃんって……千陽ちはる君の事、どう思っているのかなーって」

 え……?

 予想外の質問に、私は目を見開く。

「そ、それは……」

 水無瀬みなせ君のこと……?

「は、話が合う友達……?」

「もっと違うでしょ」

「じゃ、じゃあ、仲間!」

「千陽君の事、嫌い?」

「好きに決まってるよ」

 ……、……ん?

「え⁉あ、いや!これは……そのっ!」

 頬が熱くなる。私って……!

 前を向いていられない。思わず、頬を手で押さえる。

「り、凛さん……!」

 これは完全にはめられた!

 凛さんは、クスクスと笑っている。

「い、今のは誰にも言わないで」

「わかってる、わかってるって」

 そういうと、凛さんは空を見上げた。

 私もそれにつられて空を眺める。

 もう暗い。

 もうすぐ本格的に夜になってしまうのかな。

 私は息を吐く。

 ……水無瀬君と話すのは楽しかった。

 いっぱい話して、クイズをしている時、私は嫌なことを忘れられた。彼は、私を助けてくれた。彼が言った言葉。彼の笑顔。彼がくれた『希望と勇気』。こんな私でも、『変われる』ことを教えてくれた。

 あの時、彼と話せて、良かった。

 話したのが彼で、良かった。

 だから……、


「私にとって……大切な人。そばにいたいなって思える人かな」


 木が風を受けて揺れる。

 窓からは、下校中の中学生が見えた。

「へぇ。いいじゃん」

 凛さんが優しく微笑む。

「千陽君もよかったね。こんな素敵な子に好きになってもらって」

 その声は、風にのって消えてしまいそうなほど、小さい声だった。

「じゃあ、コクハクってするの?」

「ええ⁉」

 考えてなかった!

「い、いつか?」

「そんなこと言ってると、他の女に取られちゃうよ?」

「え、ええ……」

 ていうか、まさか凛さんと恋バナできるなんて思ってなかった。

 え、ええい!さっきから私の話題ばっかりじゃん!方向転換!

「り、凛さんは好きな人っているの?」

 私の質問に、凛さんは一瞬、真顔になる。

 そして、薄暗い空を見つめた。

「う~ん……いたよ?」

「いた?」

 なんで過去形?

「簡単に言うとね……うん、振られた!」

「えええ?」

 一体誰に?

 ていうか、何があったの⁉

「ま、それはいつか言うよ」

「あ、うん」

 だけど、そういう凛さんの表情はなぜか、すがすがしそうだ。

 『恋愛』って難しいんだなぁ。

 凛さんを振った人って一体……。

 考えていると、廊下の奥の方からバタバタと騒がしい足音が響いてきた。

「あ、小夜ちゃん!ここにいたのか!」

「え、あ、乙葉おとは君!」

 そうだった!

 私はトイレに行くって言ったきり、もうかなり時間が経っていた。

「ご、ごめん!忘れてた!」

「あなた……乙葉おとは桐斗きりと君ね。毎回歴史のテストで赤点とって先生に追いかけられている人だよね」

 あまりにもしれっと言うものだから、思わず吹き出してしまった。

「あ、凛ちゃん!久しぶり!四月に廊下でナンパしたこと覚えていてくれたんだ」

 ん?凛さんもナンパされてたの?

「って、そうじゃなくて!」

 いきなり乙葉君が叫びだしたものだから、私は肩をびくつかせる。

 彼は頭をクシャクシャにかき回し、ため息をついた。

「少々大変なことになったんだよ」

 乙葉君の目がいつもと違い、真剣な色を帯びている。

「な、何かあったの……?」

 私が恐る恐る聞くと、乙葉君はスマホの画面を見せてきた。

「これ……」

 乙葉君声が震えている。

「俺……さっき校内散歩してて……偶然」

 画面を覗き込んだ私たちは、絶句した。


 ……水無瀬君が、三人の他校の制服を着た人に殴られているのだ。


 水無瀬君は一方的に、黒色のジャンバーの少年に殴られている。それを面白がっているのか、赤色のジャンバーを着た少年と茶色いコートとマフラーを身に着けた少年が笑っている。写真の中の水無瀬君の表情はうかがえない。だけど、地面に膝をついていた。

 私は思わず目をそらした。

「……っ!」

「これって……!」

 凛さんも目を丸くし、口元を抑えている。

 状況が、飲み込めない。

 もしかして、水無瀬君はこの他校の人たちと何か関わりがあるのだろうか。

「水無瀬君が恐ろしがっていたのって、もしかして……!」

 私の言葉に乙葉君が頷く。

「たぶん……こいつらが原因だと思う」

 乙葉君の写真に凛さんは、はっとしたように目を見開く。

「こ、こいつら!あたし、知ってる!」

「え⁉」

 凛さんの声が震える。

「この赤色のジャンバーのやつ……あたしと同じ中学だった。他のやつらは隣の中学のやつらで……地元で有名な問題児」

「も、もしかして……水無瀬君は凛さんの隣の中学校だったの……?」

「たぶん……。隣の中学は結構荒れていたらしいから……。千陽君があいつらと何か関係していたんだと思う」

 陽が沈んでいく。風が再び出てきた。黒い影が迫ってくる。

「……乙葉君、この写真ってどこで撮ったもの?」

「!裏門!早くいくぞ!」

 乙葉君がそう言って、廊下を走り出す。

 昇降口で上履きを履き替えるときは、手が震えていて、靴を落としそうだった。

(……水無瀬君)

 私に何ができるだろうか。

 一心不乱に中庭へ向かう。

 階段を上り、花壇を横切る。やっと中庭。

 だけど。

「……いない」

 どこを見回しても、人影すらない。

「ダメだ……電話にも出ないぞ」

 乙葉君は、水無瀬君に電話をかけるが、いくら待っても出てこないみたいだ。

「下駄箱には靴がなかった……。だから校舎の外にいる確率が高いよね」

凛さんも息を切らせながら走ってきた。

「たぶん、学校の外だよなぁ」

「な、何かヒントがあれば……」

 足跡とかないかなと地面を見る。

 校舎の灯りが灯る。

 廊下で先生が歩いている。

「ん……?」

 裏門のそばに……。

「何か……光っている……?」

 私がそばに近づくと、一つの制服のボタンが落ちていた。そのボタンは、とても綺麗で、汚れがほとんどついていない。今さっき、落としたかのように見える。

「小夜ちゃんっ!何か見つけたの?」

 凛さんが走ってくる。

「このボタン……落ちていたの」

「これ、制服のやつだね。綺麗」

 裏門なんて、人があまり通らないのに。

 何でだろう……?

 それに、これ……どこかで……。

「あ!」

 そうか、そうだよ!

「え、何かわかったの⁉」

 凛さんの問には答えず、私は駆け出す。

「!小夜ちゃん⁉」

「お、おい!」

 私は裏門を通って、川の傍までくる。

「やっぱり……!」

 そこにも、制服のボタンが落ちていた。

「はあ、はぁ……ど、どうしたの?」

「小夜ちゃん……見かけによらず、足早いんだね。すげぇ」

 凛さんと乙葉君が追い付いてきた。二人にさっき拾ったボタンを見せる。

「に、二個目のボタン。もう一個は、ここに落ちてたの」

「俺らの高校の制服のボタンだよな」

 私は頷く。

「これは、『江戸川乱歩』だよ」

「えどがわ……?」

「らんぽ……?」

 二人は、『江戸川乱歩』をご存じなさそうだったから、私は早口で話す。

「江戸川乱歩は有名な文豪のこと。有名な作品としては、『D坂の殺人事件』や『屋根裏の散歩者』とかかな。ミステリー作家なんだよ」

 私は、手にのせているボタンを見つめる。

「たぶん、これは水無瀬君の物だと思う。江戸川乱歩が書いた超人気作『少年探偵団』にこれに似た描写があるんだよ」

 少年探偵団とは、名探偵の明智小五郎の弟子である小林少年をリーダーとした、探偵団である。この少年探偵団は、明智小五郎と共に事件を解決するのだ。

「小林少年が、敵に連れ去られちゃう描写があるんだよ。その時彼はボタンを道に落として、仲間に気づかせてみせたんだよ」

「じゃあ……千陽は……」

「よし!ボタンを探さなきゃ!」

 私たち三人は手分けしてボタンを探す。

 ボタンは小さいから、なかなか見つからない。スマホのライトで照らしながらゆっくりと進む。

「こっちにあったぞ!」

 乙葉君の声が響く。

「ここの道の先には……公園があるよ」

 凛さんが呟いた。


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