肆時間目

「やっと金曜日が終わるよぉ!」

「俺、土曜日塾だよ」

「ウチは……デートだよぉ」

 朝からそんな声が聞こえてくる。

 明日は土曜日……。長かった一週間もやっと終わりを迎える。

 私は誰にも気づかれないように、拳を握った。

 だって。

(めちゃくちゃ嬉しい……)

 別に、誰かと会うとか、どこかに行く予定は特にない。だから……。

(誰とも会わずに済む!)

 私は心の中でも盛大にガッツポーズをする。

 別に、嫌いな人がいるわけではない。

 ただ……なんとなく、一人になりたい。そう思っている、自分は暗いんだなって。

 高校生なのに。華の高校生活なのに。

 周りのみんなが、黄色い光に見えた。


 昼休み。

「……」

 さすがに、毎日購買に行っていたらお金が尽きてしまう。今日は我慢、我慢。

 私はいつものように、席を立つ。いつもの空き教室に向かおうとした。

 ♪ピンポンパンポーン♪

(ん?)

 校内放送だ。ざわざわとしていた教室も、徐々に静かになりつつある。

 スピーカーから低い男性の声が聞こえてきた。

『え~、サッカー部の皆さんに連絡です。明後日の公式戦の打ち合わせのため、ラン チミーティングを行います。三棟・西・一階の空き教室に集まってください』

 三棟、西、一階。

 ……。

 まずい。ものすごくまずい。

 これって、うん。大変なことになった。

(その教室、いつも私が一人でお昼ご飯食べてる教室だ!)

 私は心の中で絶叫する。

 ミーティングがそこであるの⁉もっと別の教室は無かったの⁉

 私の顔はいよいよ真っ青になっていく。

(私、どこでご飯食べたらいいの?)

 立ち上がってみたはいいけど、これからどうすればいいのかわからない。とりあえず、頭をフル回転させ、この件の打開策を考える。

 ・候補1 他の空き教室を探す。

(時間かかるし、探しているときの私って完全に不審者だ……)

 ・候補2 外の誰もいない場所で食べる。

(こんな寒い時期に外で食べている人はいない。そのため、滅茶苦茶目立ってしまう)

 ・候補3 図書館で時間を潰し、ご飯は食べない。

(……これは無理だ。精神的につらい)

 ・候補4 教室で食べる。

(……これしかない)

 私は教室を見回してみる。

 ……やっぱりみんな、誰かと話している。

 私みたいに、一人で食べている人なんかいない。私はお弁当袋を腕に抱えたまま、ため息をついてしまう。

 ……『友達』かぁ。

 中学の時は……いた。同じクラスの『ちなつちゃん』。三つ編みと細い目が印象的な子だった。話しかけてくれたことがきっかけで、仲良くなった。

 だけど今、同じ高校ではない。それから、高校が違うこともあってか、あまり会う機会がなくなってしまった。私は、高校に入ってから友達と呼べる人はいない。

 床に視線を落とす。

 私だって……。

 『ちなつちゃん』と一緒に話すときは、別の自分になれた気がした。朝、『おはよう』から始まって、たくさん遊んだり話したり。

 毎日が、学校が楽しかった。

(あの時は……彼女から話しかけてくれたんだっけ)

 だけど、彼女はもういない。

 窓からは寒い空気が少し入っていた。だけど、私の足元はストーブの風が当たっていて、暖かい。

 首を振る。

 机に置いていた水筒を持ち上げる。水筒は中にたくさんお茶が入っているのか、少し重かった。

 窓側の後ろの席に歩いていく。窓側の席には二人。二人のクラスメートの女の子たちがおしゃべりしながらご飯を食べていた。

 ここまで来たら……。

「あ、あの」

 私がいることに気が付き、二人は驚いた様子でこちらを伺う。

 二人の驚いたような丸い目。注目されて、少し緊張して、目線を床に落とす。

 あと、ちょっと。もう一押し。

「わ、私も一緒に、お昼、いい?」

 言えた。

 視線をゆっくり戻す。

 急に私が入ってきたら……迷惑なんじゃないか。

 そんな考えが頭によぎる。

 だけど、

「もちろん」

小夜さよちゃん、机くっつけて~」

そんな心配はいらなかったようだ。

 自分でも、ほっとした。

 ……言えた。

 机をくっつける。

 言えたよ、私、できた。

 この二人と、仲良くなりたいな。

「わ、小夜ちゃんのお弁当、可愛いね」

「ホントだ!オムライスだよね。いいなぁ、おいしそう」

「お、お母さんが作ってくれて」

 ふいに、視線を感じて顔を上げる。

水無瀬みなせ君)

 その顔は笑顔で、『よかったね』と言ってくれているような気がした。

 私も思わず笑顔になった。

 それは、私がちょっと成長した昼だった。 


「歴史クイ~ズ!」

「!」

 放課後、私はいつのもの空き教室にいた。で、水無瀬君がいきなり大きな声を出した。

「びっくりした!千陽ちはる、空気読めよぉ」

「いつも空気を読めていない君に言われたくないよ」

 水無瀬君と乙葉おとは君ってやっぱり面白いな。

 口元が緩む。

 今日は昨日より少し暖かい。

 続々と、昨日よりも薄い恰好をした生徒たちが続々と校門から出ていく。

 それを横目に、私はぼんやりする。

 生徒たちは誰かと語り合い、時には手を叩きながら降ってくる雪に包まれている。

 いいな……。

 『高校生』って感じがするなぁ。

 だけど、と、私は今日の出来事を回想する。

 今日は、クラスの女の子たちとご飯を食べることに成功した。私はまだまだ彼女たちの話を聞くばかりで、自分の事はあまり話せなかった。だけど、共通の漫画の話とか、楽しかったな。また二人と話したいな。少し、ほんの少しだけど、教室に馴染めたのかな……。

「……さん、たちばなさん?」

「……っわ!」

 いつの間にかぼーっとしていたようだ。

 声のほうに顔を上げると……。

「っ!」

 私の目の前には、心配そうな水無瀬君がいた。

 でも、待って。

 至近距離!

「どうしたの?元気ない?」

 顔はきれいだし、髪の毛は寝ぐせが少しあるが、きれいな色をしている。

 じーっと見つめられて、私の頭は真っ白になりかけた。

「だだだだだ……大丈夫!わ、私、いつも元気だから!あははは……」

「いや、橘さん……それスゴイ心配なんだけど……具合悪いなら保健室に行こう?一緒に行ってあげるから」

「い、いやいやいや!ホントに元気だから大丈夫だよほんと」

 頬を触ると、熱い。

 やばい……私、顔真っ赤だ……。

「……なあ、お前らって……」

「よ、よし!歴史クイズなんでしょ⁉私元気だから始めよう!」

 何か言いかけた乙葉君だったけど、申し訳ないがスルーさせてもらう。

「だ、第一問!マヤ文明の起こった場所は?」

 水無瀬君が数秒考えてから手を挙げる。

「メキシコだったよね」

「う、うん!正解」

 確か、この話は前にもしたよね。

「じゃあ、僕。第二問、戦国武将で有名な真田幸村の本名は?」

 水無瀬君が言い終えたと同時に、乙葉君が手を挙げる。

「ふっ。これはひっかけクイズだよ。本名はそのまま『真田幸村』だろ?」

 ばーん、とドヤ顔で言っているが……。

「えっと……『真田信繁』だよね?」

 確か正解のはず……。

「うん。正解」

 あっていたようでほっとした。

「は???『幸村』じゃないのかよ」

 乙葉君は納得いかなそう。

「本名は本当に『信繁』。信繁は『大坂夏の陣』っていう戦いに豊臣軍として出て、徳川軍負けちゃったんだよ。その後、天下は徳川が取ったから……。本とかだって……」

 そこで、私ははっとする。

「そっか。本とかを書くにしても、敵の名前なんか堂々と書けないよね。だから、『信繁』ではなく、あくまでも空想の『幸村』って名前を付けて……」

「え、そうなんだ⁉」

「まあ、他にも色々な説があるみたい」

 乙葉君は「そっか」と納得した様子だった。

「じゃあさ、『真田十勇士』も空想の家来たちなのか?」

「え、桐斗きりと……よく知ってるね~」

「昔、親父が言ってたんだよ!真田十勇士って幸村の十人の家来だった人達だよな」

「ま、前から思ったんだけど……乙葉君のお父さんって……?」

 乙葉君って歴史を全く知らないわけじゃないって事は気が付いていた。

 それには父親が関係しているのかな……。

「あ、あ~。俺の親父……高校の『社会科』の先生なんだよ」

「「そうなんだ⁉知らなかった……」」

 私と水無瀬君の声が重なる。

 その様子を見て、乙葉君は愉快そうに口を開く。

「え、お前らって……仲いいよな?すっげえ息ピッタリ。付き合ってないの?」

「い、いやいやいや……」

 そういわれて、私の頬はまたもや熱くなる。

 水無瀬君をちらっと横目で覗くと、顔を伏せたままで表情を伺うことが出来なかった。

「え、千陽、どうしたのかなあ?」

「う、る、さ、い!」

 横目で見ると、水無瀬君の耳が真っ赤だ。

 何でだろう。

 心臓の音が……。

「で、『真田十勇士』の事なんだけど」

「え、千陽……話題勝手に変えるなよ」

 水無瀬君はいつも通りの笑顔で、しゃべっている。

(わ、私の見間違いだったかな……)

 色々と誤解をしてしまった自分が恥ずかしい。そもそも、水無瀬君と『付き合う』なんて。

「真田十勇士のモデルになった人物はいるらしいよ」

「そうなのか……本当にいないのがさみしいな」

「た、確かに……」

 全員が本当にいたら面白かったんだけどな。

「じゃあ!俺の番!第三問、『月がきれいですね』ってどういう意味?」

 あ!

 『月がきれいですね』って。

 私、知ってる!

 一方で、水無瀬君は「え、なにそれ」とわからず首を傾げている。

「桐斗……それ、なぞなぞ?」

「え?知らないの?ヒントは『夏目漱石』だよ」

「わ、私、わかったよ!」

 夏目漱石って『坊ちゃん』とか『吾輩は猫である』って本を書いた有名な近代小説家だよね。

「あ、小夜ちゃん、まだ答えないでね。千陽が悩んでるの見るの面白いから」

「え、あ、うん?」

「桐斗……性格悪いね」

 いつもとは立場が逆になっているから、乙葉君はとてもご機嫌そうに鼻歌を歌っている。

 だけど乙葉君!

 水無瀬君が睨んでいるのに気が付いて!

「ふふふ……じゃあ、可哀そうな千陽に、もう一つ、ヒントを出してあげよう。夏目    漱石はある外国の文章を『月がきれいですね』って翻訳したんだ。最初、なんて書いてあったと思う?」

 そうそう。私も最初知った時は驚いたんだよね。

 水無瀬君は「はい!」と大きく手を挙げる。

「夜の挨拶?『こんばんは』みたいな」

 それを聞いた乙葉君は、立ち上がり、「よっしゃー!」と拳を高く上げた。

「やったー!千陽に勝ったぞー!これで俺も歴史博士だ!」

「……後で後悔させてあげるから」

 水無瀬君と乙葉君のテンションの寒暖差がすごい。私はどちらに加勢すればよいのだろうか。

「じゃ、小夜ちゃん。正解を!」

 急に話題を振られて、「あ、私?」と声を上げる。

「えっと……」

 プルルル……ルル……

「え?」

 私が言いかけたとき、誰かの携帯の着信音がなる。

「え、えっと……?」

「それ、僕のだ」

 水無瀬君は鞄を引き寄せ、スマホを取り出す。

「え、北島?」

 電話の主は、『北島君』。クラスメートで、水無瀬君ともよく話している人だ。

「もしもし?」

 水無瀬君は立ち上がり、廊下に消える。

 水無瀬君が行ってから、乙葉君が声をかけてきた。

「小夜ちゃん。さっきの答えって」

「あ、『月がきれいですね』って『愛してる』って意味なんだよね」

夏目漱石が英語の教師をやっていた時に英語の本の翻訳で、『アイラブユー』をどうやって日本語に訳すか問題になって、色々あったらしい。で、夏目漱石は『アイラブユー』を『月が綺麗ですね』って訳したんだ。そういったことからこの言葉は『告白』ってなったらしい。

「お、正解!やっぱすごいね」

「あ、ありがとう。ほんとに最近、本で読んでたんだよ」

 褒められて恥ずかしくなる。

「夏目漱石もロマンチックだよな。やぁ~俺もいつかそんな風に告白されたい。小夜ちゃんもそう思わない?」

「え、ま、まあ」

 でも、私、気が付けるかな?

「い、いきなり『月がきれいですね』って言われたら驚いちゃいそう。本当に月がきれいかもしれないし」

「まあ、そうだよなぁ……って。あ、千陽!」

 見ると水無瀬君が帰ってきてた。

 でも……。

「水無瀬君……どうしたの?」

 水無瀬君の顔が真っ青だ。

 息も少し荒いような気がする。

「千陽?具合が悪いのか?」

 その様子に気が付いたのか、乙葉君も声をかける。

 その言葉に、大きく目を見開く。

「い、いや!僕は大丈夫」

 その目からは『何かに怯えている』色が見えた気がした。

「い、いや!お前、ヤバそうじゃん!どうしたんだよ!」

 乙葉君が肩を掴もうとするが……。

「ごめん。ちょっと行ってくる」

 するりとかわされてしまった。

「み、水無瀬君!」

「これは、『僕の問題』だからさ。じゃ、またね」

 机の上にある鞄をしっかりと掴み、ドアを開ける。

 どういうことだろう……。

 水無瀬君は一体『何』に追い詰められているのだろう。でも、『僕の問題』って言っていた。私ができることは……無いのかもしれない。

 ……だけど、これだけは絶対に言える。今までは、私が彼を頼ってばかりだった。私に声をかけ続けてくれた。こんな私でも『変われる』って背中を押してくれた。

 だから今度は、

「み、水無瀬君!」

私が声を出す。

 この大きさの声を出すのは久しぶりだ。

「橘さん……?」

 瞳が黒色でいっぱいだ。私も黒にのまれそうになってしまう。

 私は、彼のことを知らない。出身の中学校も、なんで部活をやらないのかも。

 ……なんでわざわざ毎日、この教室にいるのかも。

 私はただの『たまたま話が合うクラスメート』だ。


「オレンジは黒に飲み込まれてしまうけれど、その先には道しるべとなる街頭がある。」


 だけど、彼にはたくさん教えてもらった。

 『人は変われる』だけじゃない。

 だって、

「水無瀬君、絶対に無茶だけはしないで……。私を頼ってくれてもいいんだよ」

水無瀬君は、一瞬目を大きく見開く。目が、まるで水面のようにゆれている。

「……あ、ありがとう……。でも……大丈夫だよ……」

「え、そこは素直に相談しろよ」

「桐斗はうるさい」

 乙葉君の突然の乱入に、水無瀬君のいつもの突っ込みが走る。

 水無瀬君は私のほうに向きなおり、目を細める。

「橘さん、ありがとう。だけど……君にもし何かあったら……大変だから、巻き込めない」

「そ、そっか……」

 そういわれちゃ、仕方がないよね。

 私は素直に引き下がる。

「でも、ありがとう」

 水無瀬君が微笑む。

「……もしかしたら本当に頼るかもしれない……その時は、無茶はしない程度に助けてほしいな……」

「水無瀬君……」

 彼の口ぶりから察するに、彼は、水無瀬君は、何か大変な事に巻き込まれている……。

 だけど。

「私でよかったら。力貸すよ」

 私にできることは、ほんのわずかだとしても。

 それでも私は、助けたい。

「そういえば、さっきの、いい言葉だよね」

 水無瀬君はクスリと笑う。

 私はそのことを思い出して、頬が熱くなった。

 なんか恥ずかしい!即興で『自分で作った言葉』だからなおさらよ。

「千陽、何かは知らないけど……気をつけろよ。マジで」

「うん。ありがと」

 水無瀬君は廊下に出る。

 ひんやりとした空気が頬に伝う。窓から空を見ると、真っ赤に輝いていた。もうすぐ、本格的な「黒」が来て、「オレンジ」が飲み込まれる。

 だけど。

「じゃ、行ってくるよ」

 私は、

「い、いってらっしゃい」

 ……あなたの夜道を助けられるような『街頭』になりたい。


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