参時間目
「ねえ、昨日の『平安・ナナセ姫の恋物語』見た⁉」
いつも通り、休み時間もぼっちで読書を続けている私の席の後ろで、そんなクラスメートの女子の会話が聞こえる。
「見たよ~!」
私は思わず聞き耳をたてた。
ここで、作品の解説をしておこう。『平安・ナナセ姫の恋物語』とは、大人気漫画である。平安時代を舞台とした話で、主人公は宮中で働く『ナナセ姫』っていう女の子。最近はアニメが放送されていた。
勿論、私もアニメも見たし、キャラソンもネットに上がっている分は聞いてみた。
「ヤバくない⁉アニメ最終回早すぎだよね」
「だよね!まだ原作の三巻の前半の話だよね」
(後半からもっと面白くなるのにね)
「そうそう、第二期の制作が決定したって!」
「えっ!ホント⁉」
(そうなの⁉知らなかった!)
「よかったじゃん、あなたの推しが出てくるじゃん~」
「めっちゃ嬉しい!やっぱり安倍晴明さま最高っ!ホント、あの笑顔見てるだけで嫌な気持ちが一瞬で吹き飛ぶわぁ。えっと、誰推しだっけ?」
「あたしは……吉光さまだよ~。あのツンデレとかマジ最高!声もマジかっこよい!キャラソンの間奏部分のセリフがマジで耳が天国になったわ」
(いいよね。キャラソンもかっこいいし。だけど私は……松也さんがかっこいいと思うんだよね。五巻の四神人とのバトルシーンが印象的だったよ)
「一緒にグッツ買いに行こうよ~!」
「
はい。
この辺でなんか空しくなってきたので、考えるのをやめる。
「はあ……」
気分が……重い。思わずため息が出る。
本の隙間からクラスメートの女子たちを眺める。
……どの子も黄色だった。
みんなが黄色の中、自分だけがグレーのようだった。
ページをめくる。
本の隙間からしおりがはらはらと落ちた。
空に陽のオレンジが混ざっていく。
窓をふと見ると、カラスが何匹も宙を飛んでいた。
私は、人が少なくなった廊下を歩き、校舎の端の教室の扉を開く。
毎日、放課後になるとここに来る。
ここが『黄昏の歴史教室』となって、もう二週間になる。歴史のことだけではなく、最近は学校の宿題なんかもやっている。人と関わることが苦手な私でも、ここはすごく過ごしやすかった。
「お、お疲……っ⁉」
ドアを開けて、私は驚愕。言葉を失うほど、その光景は極めて異質だった。
「神様、仏様‼明日の三時間目に大雨を降らせたまええええええ‼」
教室の真ん中で正座をして、手を上下に振って何やら叫んでいるのは……、
「お、
乙葉君は私が来たことにも気づかずに何かに向かって熱心にお祈り(?)していた。っていうか、乙葉君が拝んでいるのは、茶色い熊の人形。真っ赤な蝶ネクタイとクリっとした大きな目がかわいらしい。それに、購買で売っていたメロンパンをお供えしているし。
「え……っと?お、乙葉君?」
私が肩を叩くと、やっと気が付いたみたいで、振り返る。
「お!
「お、お疲れ……?」
この人は一体何をやっていたのだろうか。
乙葉君が口を開く。
「明日の三時間目の体育でマラソンがあるんだけど……俺、マラソン大嫌いで。雨を降らせるためにお祈りしてた」
「え、クマの人形に⁉」
「可愛いだろ~。昔、
……自分のじゃないんだ……。
「そういえば、千陽は?」
「なんか呼び出されちゃったみたいで、途中から来るって」
それを聞いて乙葉君は、大きなため息をつく。
「どぉ~せ、コクハクなんだろ?」
「あ、あ~」
それを聞いて、私は妙に納得した。
やっぱり、『告白』と考えるのが妥当だろう。
水無瀬君からは『呼び出された』としか聞いていない。『呼び出した相手の名前』なんか一度も言っていなかった。
でも。私は首を振る。
何故か、モヤモヤしてしまう。
「そういえば、千陽って同じクラスの
「あ……うん。前にクラスの子が噂してるのを聞いた事がある……」
凛さん……。なんか最近、冷たくなっている気がする。
いつも挨拶してきてくれたのに、最近は私の目すら見ない。かと思えば、読書中の私を遠くから除いてくる気がする。
(まあ、気のせいかもしれない……)
私はそう思う事にした。
あの放課後、教室にいたのは凛さんじゃ無いのかもしれない。声や顔が似ている別人だったのかもしれない、そう願ってしまう。
「り、凛さんって可愛いよね。誰に対しても親切で明るくて……」
「まあ、そうだけど……」
私の言葉に乙葉君は小さく首を傾げた。
「凛ちゃんは美人だと思うし、明るいよね。だけどなんか……何だろうな。まあ、千陽とは付き合っていないよ」
私は少し肩をこわばらせる。
でも、『水無瀬君と凛さんが付き合っていない』と断言されて、少し……少しだけ、ホッとしている自分もいる。
私、どうしたんだろう。
私が考え込んでいると、乙葉君は思い出したかのように目を開いた。
「そうだ!まじないだよ!雨を明日の三時間目に降らせたいんだよ!」
いきなり話題が変わるもんだから、拍子抜けしてしまう。だけど、心の中では安心している自分もいた。
「まじないって……実は縄文時代より前からあったんだよ」
「え、あんな狩猟と採集の時代から?」
大きく頷く。
「まじないって、神様とか精霊だとかの……人知を超えた力を借りて望を叶えようとする事だよ」
「ほー。やっぱりか」
「縄文時代の
そのことを聞いて、乙葉君は目を輝かせる。
「このクマちゃんの足とか手をもぎ取れば……明日雨が降る⁉」
机をビシッと指さし、調子はずれの大声を上げる。
(ええええっ!さすがにまずいんじゃ……!)
どや顔で笑っているし。
「い、いやいやいや!この人形ってもとは水無瀬君のものでしょ!それに、そんなことで雨なんて降らないと思うよ!」
私の全力の反対に「ちっ。ダメかぁ」と残念そうだ。
「じゃ、じゃあ、『雨ごい』だね」
「雨ごい?雨が降ってほしいってお願いするんだよな」
そういって、乙葉君はさっきのクマちゃんの人形を手にする。
「たぶん……クマちゃんにお願いしてもご利益はないと思う……」
私の言葉に、がっくりと肩を落とす乙葉君。
「雨ごいって……恵の雨が降るようにお願いする事だよ。お米の栽培では、雨が降らないと大変だし、逆に振りすぎても大変だよね。だから、ちょうどいいくらいの雨になるように神様に願っていたんだよ」
「そうだよなぁ。昔は、農業技術が発達してなかったし……みんなが雨ごいを頼りにしていたんだな……」
乙葉君のセリフに大きく頷く。
「雨ごいっていえば……
私の言葉に、乙葉君は小さく首を傾げる。
「静御前って……
「う、うん!」
静御前って教科書に載っていないから知らない人がいるって言うけど……。歴史が 苦手な乙葉君が知っていたとは正直思わなかった(申し訳ないが)。乙葉君は、顔を 一瞬伏せ「親父が……昔言ってた……」と独り言を言う。
そういえば……前も同じようなことがあった……。乙葉君のお父さんって……。
「でさ、仁海って人……聞いたことがないんだけど!」
「ああ、仁海はね……」
私は昔読んだ本の記憶を手繰り寄せる。
「た、確か……平安時代かな。『雨ごい』で活躍したお坊さんだよ。
「え、すごくない⁉」
「きゅ、九回も成功させたんだよ!」
私は強調させるために二回もいう。
だってホントに神業だと思うんだもん!
「ただ、運がよかっただけじゃなさそうだよなぁ。神泉苑……。どっかで聞いたような……。あっ!
乙葉君が目を輝かせて言う。
「う、うん!神泉苑にある橋では、願いを心の中で念じながらわたって……その願いを池の中の神様に伝えると叶うらしい」
「マジ⁉てか、神泉苑ってどこ⁉」
あれ……どこだっけ。
私は首を傾げ、スマホをポケットから取り出す。本を読んだのは……もうずっと前だからな。忘れちゃった。
「え、えっと……平安京の南……現在で言う京都市中京区だって……」
私がそう言うと、乙葉君は顔を真っ青にする。
手で顔を覆い、「人生の終わりだ」とか言ってるし……。
「京都なんてめっちゃ遠い!新幹線代ない」
「も、もう自分の実力で頑張るしかないのでは……?」
「それだ!」
私の言葉に乙葉君の目が一気に輝く。
「場所に頼るんじゃなくて、自分の実力で何とかすればいいんだ!」
「う、うん!それがいいと……」
「俺もじゃあ、仁海みたいに雨ごいをして雨を降らせるよ!」
えええええ⁉じ、自分の実力でマラソン頑張るんじゃないの⁉
私は口をあんぐり開けて固まる。
「そうと決まれば……演劇部から衣装借りてくるぞ~!」
「ちょっ、え⁉」
乙葉君が張り切って出て言ってしまい、私はクマの人形とともに教室に取り残されてしまった。
*
水無瀬千陽は、オレンジに染まった廊下を一人歩く。
気分が晴れない。
こうした『お呼び出し』は好きじゃない。今回はマシだと思うが……。
学校の中だし、いざとなったら先生でも友達でも呼べばいい。
だけど、身震いと、息苦しさをどこか感じる。窓に映った自分の顔が少し青くなっているように感じる。
いや、と、千陽は首を振る。
「もう、あの頃の自分じゃない」
そう、言い聞かせてドアを開ける。
教室は静まり返っていた。まだ、誰もいない。
『放課後、五時に教室で待ってます』
そう、オレンジ色のメモ用紙に書かれた紙が下駄箱に入っていた。教室も間違いない。
約束の時間三分前。
大丈夫……心配ない……。
千陽は窓から空を眺めた。
オレンジ色が黒に飲み込まれそうだ。
「もうすぐ、黒にそまるのかな」
思わず言葉が漏れる。
もうすぐ暗くなる。町中が。だけど、暗くなるのに合わせてだんだんと光も強くなる。街頭だって、車のライトだって。まるで、夜の闇に負けないように。
窓ガラスに触れ、息を吐く。
……まだ、友達にも話したことが無い。
あの時、毎日が絶望だった。あの時、どこにも行きたくなかった。あの時、部屋から出られなくなった。
だけど今、『あの時』ではなく『あの時は』で片づけられる。『今』は、『あの時』とは全く違う。
毎日、クラスメートや先生と話せるようになった。クラスの友達と、食事にも行けた。
仲間と……たくさん話せた。
自分に大きな影響を与えたのは……きっと、彼女だ。
彼女とは最近までそんなに話したことが無かった。だけど、話すと楽しいし、いろいろな発見ができる。それに、彼女は人の話を最後まで真剣に聞いてくれる。どんな話だって、しっかり頷いて聞いてくれるし。だから、自分安心して話せるような気がする。
彼女が突然自分の目の前に現れた時、『かつての自分』を見ているようだった。
「その前まで僕は……『歴史』は『現実逃避をするもの』だったからなぁ」
最後のオレンジ色が黒に飲み込まれていく様子を千陽はずっと眺めていた。
その時、廊下から少し焦ったような足音が聞こえてきた。
「千陽君。ご、ごめん、待たせて……あたしが呼び出したのに……」
高く、良くとおる声が教室に響く。
影がかかった時計をみると、約束の時間を五分ほど過ぎていた。
「あ、大丈夫だよ。僕もさっき来たばかりだから」
千陽はいつもの笑顔で返すが……。
「本当は十分くらい待ったんだけど。早くしてくんない?」と心の中で思っていた。
ドアを閉め……
「もうすぐ、夜だね」
「うん……」
千陽は薄暗い心を隠し、空に目を剥ける。
「……あのさ」
凛がこちらを伺う。
「どうしたの?」
千陽が声をかける。
凛はまだ迷っているようだ。
頬を真っ赤にして……下を向いている。
「千陽君……、好きです。付き合ってくれませんか」
「……」
千陽は凛の顔をまじまじと見る。なるほど……と心の中で呟いた。
凛は見つめられて、顔がゆでだこのように真っ赤だ。
千陽は口を開く。ここで時間をつぶされるわけにはいけない。
申し訳ないけど、はっきり言わなくてはいけないだろう。
「悪いけど、ごめんね。付き合えない」
千陽は自分で言って自分で目を丸くする。
こんなにはっきり答えが出るなんてなんて思わなかったからだ。
凛を見ると、肩が震えている。
「なんで……?」
「なんでって……そのまんまの意味だけど」
千陽が言うと、凛は「違うっ!」と甲高い声で教室を埋め尽くす。
「なんで。あたしは……こんなに可愛いじゃん!数えきれないほどスカウトされた。勉強だって……そこそこできる。先生からも気に入られてる。運動なんて頑張ったし、マラソンも水泳も頑張ったのに……なのになんで……?」
詰め寄られ、千陽の視線は氷のように鋭くなっていった。
「そんなの……」
千陽の視線は、教室の前にある、一つの机にそそがれる。
その机の上には、一冊の小説と、紫色の花の押し花でできたしおりが乗せてあった。
小説のタイトルは『少年探偵団』。かの有名な文豪、江戸川乱歩の小説だ。千陽が昔読んだことがある小説だった。
無意識にそれを見つめていた。
だけど、千陽の目線をおって、凛もまたそれ見ていた。氷のように、冷たく。
千陽は目を閉じ、目の前にいる凛をよける。
「ごめん。何回も言うけど……無理なものは無理なんだよ」
凛は下を向いたままピクリともしない。
「じゃ、僕は用事があるから……」
「好きな人がいるの?」
千陽は動きを止める。
凛は先ほどの机の前に立ち、机の上に置いてあったしおりを手に取る。まるで、品定めをするかのように、何度も何度も、端から端まで見ていた。
凛は千陽の心を見透しているのだろうか。
答えられない千陽に、凛は微笑む。
だけど、目が笑っていなかった。
「へえ。千陽君って、あーゆー子がタイプだったの?」
千陽は目を伏せる。
自分は、彼女の事が好きなのか……?
窓が開いている廊下は、震えるくらい寒い。もうすっかり空は黒だ。
いいや、と、千陽は首を振る。
彼女は昔の自分に、似ている。自分は勝手に『仲間』だと思い込んでいただけなのかもしれない。
「わからない……自分にとって、大事な仲間だって思ってるよ」
それに、彼女が自分の過去を知ったら……。
凛の目は冷たい。
その目を見た瞬間、頭痛が来る。
凛に悟られないように、おでこをさする。
……金属バットで殴られたようだ。
(久宝さんの目は……あいつらみたい)
自分を見てほしいとでも言うような、目。
思わず目をそらす。
しかし。
「そうだったんだ。まあ、あたしの出る幕ではないね。ごめんね、急に呼び出して」
そこにいたのはいつもように明るい彼女だった。
千陽は急な寒気に襲われた。
「いや、大丈夫だよ。じゃ、これからも『友達』ってことで」
自分の声が震えていないのか心配だった。
凛はその様子には気が付いていないのか、笑顔で頷いた。
だけど……その笑顔の奥には……。
何でだろう。
自分でも何でそんなことを思ったのか、わからない。
だけど、
凛の目の中には、悲しそうな生き物が住んでいるようだった。
*
久宝さんと別れたあと、猛烈に吐き気が襲ってきた。
急いでトイレに駆け込む。
「はぁ……」
床に座り込む。あの氷のような目。思い出すたびに吐き気がこみ上げる。
あいつら……あいつらも同じ目をしていた。
おでこをさする。
土のにおい。鉄のにおい。そんなものが僕の中で蘇ってきた気がした。
忘れろ、忘れろ……忘れたい。……もう昔の僕じゃない。
『呼び出し』で震えるなんて、もうあり得ない。今日だって、『告白』だった。
それに……久宝さん……なんでだろう。
思い違いなのかもしれない。薄っすら感じ取れた。疲れた頭を振って、思い出す。
……最初に薄っすら感じたのは、橘さん。
だけど、久宝さんからは、はっきりと感じた。
他の人からは感じ取れない。
橘さんもが空き教室に飛び込んできた理由。おおよそ見当がつく。きっと、人間関係なんだろう。
久宝さんの表情。
多分……『過去』の出来事が僕と似ている……いや、『同じ』なのかもしれない。
薄暗い廊下を走り、校舎の端までくる。
音なんて気にせずにドアを思いっきり開ける。
「
「あ、水無瀬君……」
橘さんは、安心したような笑顔を見せる。
視線の先には……。
「神様ぁぁぁぁぁ!仏様ぁぁぁ!明日の三時間目に雨を降らせたまええええええ!」
「それって……僕の……人形……だよね?」
「きょ、今日返すつもりだったらしいけど……って、水無瀬君?」
思わず、笑ってしまう。
桐斗にではない。
彼女の笑顔を見て、なんか安心した。
「よかった……」
「ん?な、なにか言った?」
橘さんの驚いた声に、首を振る。
「いや、楽しいなって」
自分の『過去』から解放されるような気がした。
……今を楽しめばいいんだ。
僕が笑い始めると、伝染したのか橘さんも笑い出す。
僕はふと、机の上にあった本を思い出す。
「ねえ。橘さんって、江戸川乱歩の『少年探偵団』読んでるの?僕も昔読んだよ」
この時間がずっと、ずっと続きますように。
オレンジ色が消えた空き教室が、『黄昏の歴史教室』へと変わった。
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