弐時間目
私は、校門前で深呼吸する。
今日は前の自分とは違う。眼鏡からコンタクトに変えてみたのだ。コンタクトをつけてみて思ったのは、視界がとてもクリアになったことだ。前よりも周りがよく見える気がする。
そして……実は髪の毛も切った。今まではロングだったけど、ボブにしてみたのだ。
コンタクトとボブヘアーで何か変わったのだろうか。道行く生徒たちが私のほうをじろじろ見ているような気がして、怖くなった。
(『見た目』を変えてみたけど……やっぱり似合わなかったのかな……)
『変わる第一歩にはまずは見た目から!気持ちも晴れやかになるかも』って思ったけど。
下駄箱で上履きに履き替えて廊下を歩く。するとなぜか、周りから視線を感じる。私とすれ違った女子生徒が私のほうを見て何かこそこそ話している。
(私……変だったのかな。おかしいかな)
早くも気持ちが沈みそう。私はかき消すように首を振る。
気のせいだ……これは気のせいだ。私は自意識過剰なだけなんだ……。
廊下の角に差し掛かった瞬間、ドンっという衝撃がして、私は後ろに傾く。
「あ、ごめん!」
大きな声に恐る恐る顔を上げてみると、明るい髪色の男子生徒がそこに立っていた。制服は着崩していて、ブレザーのボタンがかかっていない。
(私の馬鹿!ずっと下なんて向いているから!なんか……やばい!)
私は体制を立て直し、男子生徒に向きなおる。
「す、すみま……」
「君めっちゃ可愛いじゃん!名前は?何組?あ、連絡先交換しない?」
「……⁉」
え、この人今笑顔でなんていった?
「俺は
笑顔でウインクされ私は「はぁ」としか言えなかった。
「おい、乙葉!
歴史の先生が大声で走ってくる音が聞こえる。
「あ、やべっ!じゃ、またな!」
笑顔で手を振られ、私はなんとかぎこちなくも振り返すことができた。
(これは……ナンパ?)
ま、まあ……廊下で誰かに話しかけられたって大きな一歩だよね?
階段の先にある教室のドアの前に立つ。中からはクラスメートの笑い声が響いてくる。
深呼吸をして扉を開けた。
(おはよう)
心の中でそう呟いた。
まだ自分から挨拶する勇気が出ない。
もう少し、もう少し経ったら、自分から挨拶してみたいな。
私は自分の席に着くと、ちょうど
「……お、おはよう!
凛さんの声は少し震えて聞こえた……ような気がしたのは、きっと私だけだろう。
この前のクラスメートとの会話が頭をよぎるが、私は首を振る。
どうだろう。少しは変われたかな。
そんな思いを込めて、私は声を出す。
「おはよう」
昼休み。
私は少しでも『変わりたい』と思い、いつもとは違う行動を起こしてみた。
「ギリギリ買えてよかった……」
私はメロンパンを見て微笑む。
私は、いつもの空き教室を目指して廊下を歩く。
いつもは『人が多い』と敬遠していた『購買』に初めて行ってみた。
確かに人が多かった……戦場に行った気分。
だけど。
私は袋が少ししわがよってしまったメロンパンを見つめる。『達成感』だろうか。
私は疲れていつもの席に腰を降ろす。
メロンパンの袋を開けて、私は今日の朝を回想する。私に声をかけてきた乙葉君との会話?はうまくいっただろうか。凛さんとの挨拶は、暗い表情が出ていなかっただろうか。
私は教室を見渡す。
昨日までは、暗かった教室だけど……今日はなんだか明るい……オレンジみたいだ。
私は昨日の放課後を思い出す。
私の好きな時代の話もしたいし、水無瀬君の話も聞きたい。
きっとまた、発見があるだろう。
放課後。
窓からイケメンの先輩を見つめていたクラスメートの女子もどんどんと教室を後にしていく。毎日毎日、そんなイケメンの先輩ばかり見ていて、飽きないのだろうか。 正直、ちょっとうるさかった。誰にも気づかれないようにため息をついてしまった。
私は、リュックサックを背負い、一人で薄暗い廊下を歩く。
校舎の端っこの空き教室の前に立つ。
「し、失礼します……」
私がドアを恐る恐る開けると、
「あ、
「誘ってくれてありがとう」
「僕もいきなりごめんね。あ、嫌だったら帰ってもいいよ」
水無瀬君の言葉に私は全力で首を振り、彼の目を見つめる。
「私も、歴史についてたくさん話したい」
水無瀬君は私の言葉に、優しい笑みを浮かべた。
水無瀬君の横の席に座り、私はずっと疑問に思っていた事を聞いてみた。
「み、水無瀬君って放課後いつもここにいるの?」
私の言葉に彼は「うん」と大きく頷く。
「僕、歴史が好きなんだけど、あまり本とか読む時間もないから。それに僕は電車通で、帰りの電車を待つ間、外よりも中にいたほうがいいかなって。たいてい放課後はここにいるんだよ」
「へえ」
「それに、あまり多くの人と関わるのも得意じゃないし」
「そうなんだ」
え、めちゃくちゃ以外。
水無瀬君って、いつもクラスの中心って感じがしたから……。
「橘さんは歴史が得意って知って……話したいって思っていたんだよ」
「そうだったんだ……」
ありがとう。
まだ恥ずかしくて口にはできないけど、とても嬉しい。その言葉だけで、私の胸は熱くなった。
「橘さん、コンタクトにしてみたんだね。髪も切ってるし。似合ってるよ」
「そうかな……」
私を見つめながら水無瀬君は口を開く。
「やっぱり、コンタクトにしたのは正解だと思うよ。いいじゃん」
「あ、ありがとう」
恥ずかしくて、視線を逸らす。
……これはきっと、リップサービスだろう。
だけど。
何でだろう、頬が熱い……。
その時。
ダッダダダ!バンっ!
教室の入り口がいきなり開かれ、制服を着崩した男子生徒が乗り込んできた。
「かくまってくれ‼」
「え⁉」
いきなりそんなことを言い出すので、私は目を見開く。
かくまう?誰かに追われてるのかなこの人。そんなに大きな声で言ったら逆に見つかりそう。私は声の主を見つめると……。
「「あ」」
声の主と私の声が見事にハモる。
「あ、今日廊下でぶつかった人だ!」
私をビシッと指をさしていう彼に対し、
「あ、うん……」
と戸惑いながらも答える私。
水無瀬君にいたっては、
「え、これってどういう状況?二人って知り合いなの?」
と目をぱちくり。
「あ、
いきなり教室に入ってきた男子……乙葉君は、水無瀬君に向かっても指を指す。
「あ~
水無瀬君の黒い言葉に、乙葉君は後ずさる。
「え、それは……ひ、秘密だ!プライバシーの侵害だろ」
本気で青ざめる乙葉君。
それに対し、
「ああもう!そんなことはいいからさ、君、名前はなんていうの?」
いきなり話を振られ、私は肩をびくつかせる。
「さ、三組の橘小夜です」
「ああ、三組って……なんだっけ、
「そ、そうなんだ」
凛さんって、他のクラスでも人気なのか。
乙葉君はそう言っているけど……何だろう。私の中にモヤモヤがある。黒い。
(この話題、苦手だな)
「?どうしたの?」
顔を上げると、水無瀬君が不思議そうな顔をして私を見つめる。
私、暗い顔でもしてたのかな。
「ううん。何でもないよ」
「てかさ~お前らは何でここにいるの?」
乙葉君の元気な声が教室に響く。
「僕たち、歴史が好きだからさ、話したいなって思って」
「れ、歴史ぃ⁉」
『歴史』というワードに乙葉君は顔をしかめる。
「わ、わりぃ。きゅ、急用を思い出した……っておい!千陽、何でそんなに笑顔なんだよ。怖いって!」
「僕たち今から歴史について話そうとしてたんだよね~」
水無瀬君が満面の笑みでこちらを見つめてくる。
「う、うん」
「だから……桐斗にも聞いてほしいなって」
「おおおお!わかったわかったって!」
この二人の関係って一体……?
乙葉君は、水無瀬君の前の席におとなしく座り、ため息をつく。
「じゃ、橘さん。どーぞ!」
「えええ⁉」
え、何⁉無茶ぶり⁉
有無を言わせないような笑みで見つめてくる。
「じゃ、じゃあ……私が好きな時代について話そうと思います!」
水無瀬君と乙葉君が私を見つめる。
外は夕焼けで真っ赤に染まっている。カラスが家に帰っているようだった。
「私が好きな文明は……」
「ちょっと待って!『文明』ってなんだよ」
「え、君、そこからなの⁉」
乙葉君がまさかの質問をしてきて私と水無瀬君は目を大きくする。
「え、桐斗、そこ知らなかったの⁉」
「そりゃそうに決まってるだろう!歴史のテストしたから三番目の人間に聞くなっ!」
順位!順位がばれてますよ!
……ちなみに、私の歴史のテストの順位は学年二位。惜しかったな~。
「すごいだろう!過去最高順位なんだ!」
胸を張って言うけど……水無瀬君は横で盛大なため息をついている。
私も正直、どう反応していいかわからない。
オロオロしている私に気が付いたのか、水無瀬君が口を開く。
「で、文明は……一般的には、農耕をしたり、都市ができたり、文字を持つ状態みたい。まあ、世の中が開けて、豊かになることだよ」
「お、おう…千陽……難しいな……」
「で、私が好きな文明は『マヤ文明』っていう文明」
私は、近代の歴史よりも古代の文明が好きだ。理由はうまく説明できないんだけど……まだまだ分からないことが多いみたいで、謎があって面白いからなんだよね。
「マヤ文明はメキシコのユカタン半島付近で栄えた文明のこと。ユカタン半島って、恐竜が絶滅したとされる隕石が落ちたところなんだって」
「え、恐竜って隕石で滅びたんだ⁉」
「桐斗……そんなんでよく高校入れたね」
……恐竜は関係ないので、乙葉君の疑問は今回は
「マヤ文明ってすごいんですよ。本当に高度な文明で、日食や月食まで予測していたとか。あと、文字があって、マヤ文字って言われてるんだよね。大体は解読されているみたい」
私がそこまで言ったとき、水無瀬君が「質問です」と言って手を挙げる。
「文明が起こるところって、だいたい大きな川があるみたい……エジプト文明だったらナイル川だし、メソポタミア文明だったらユーフラテス川とか……。川の近くって作物よく育つし、人は良く水を使うし。だけど、マヤ文明の起こった付近には大きな川がありません!」
「ああ、それはね……」
勿論、理由は知っています!
「マヤ文明には『セノーテ』っていう泉があってその周りに人々が集まったとか。泉とか湖はあったらしい。それだけじゃなくて、世界最古の浄水システムがあったみたい。技術がホントにすごかったみたいなんだ」
そう。マヤ文明の技術は本当にすごかった。星を観測したりもしていたんだ。昔の人って技術はないのかと思っていたけど……そんなことは大間違いだ。
「それに……」
はい、ここが注目ポイント。
「マヤ文明ってめちゃくちゃ恐ろしい
私の言葉に二人の顔から血の気が消えてきたような……?
「そ、そうなんだ……」
「小夜ちゃん……なんで目がそんなに輝いているんだ……?」
「え~。そ、そうかな?」
二人ってこういう話は苦手なのかなぁ。
「マヤ文明にもピラミッドがあって、それはエジプトのピラミッドは王様のお墓なんだけど、マヤ文明のほうは神殿だって言われているんだって。メキシコにはマヤ文明の他にも、テオティワカン文明もあって……マヤ文明とも交易があったとか。テオティワカンも文明がとても発達していて、大きなピラミッドがあったりしたんだよね。その遺跡は今も観光客でにぎわっているとか」
私は二人にスマホの画像を見せる。
「おお!これがテオティワカンのピラミッド
なのか。エジプトのピラミッドとはまた全然違う形だなぁ」
「クフ王のピラミッドは砂漠にあるけど、こっちのピラミッドは近くに木がたくさんあるね」
水無瀬君が呟いた。
「てかさ、クフ王のピラミッドって?」
話題が元に戻り、私は少し驚いた。
「か、簡単に言えば……エジプトにある一番大きなピラミッドの事かな。クフ王のピラミッドって本当は内部にクフ王が眠っているみたいだったんだけど……盗掘されちゃったみたいで」
「ええ⁉盗掘って墓荒しのことだよな?てか、そのクフ王の遺体も盗まれたってことか?」
乙葉君は、「そんなおっさんの死体盗んでも意味がないんじゃ……」とブツブツ言っている。
「で、でも!ツタンカーメンの王墓は何も盗まれてなかったみたいなんだよ!」
私は目を輝かせる。
「それ僕も知ってる!王墓が小さくて目立たなかったんだよね」
「ツタンカーメン……そういえば親父が言っていたな……エジプトのフャラオ(王様)だったんだろ?」
乙葉君の言葉に水無瀬君は目を開く。
そして、カーテンの隙間から外をのぞいた。
「?何してんだ?」
食い入るように外を見ている水無瀬君は、口を開く。
「いや……桐斗がそんな『ファラオ』なんて言い出すから……空から槍でも降ってくるかな~って」
「は?俺だって高校生だし、そこそこの知識は持ってるわ!」
「あ、ごめん。槍じゃなくて隕石かも」
「んだと~!」
二人の会話を見てたら私もつられて笑った。
……久しぶりに学校で笑った。
教室だったらこんな風に笑えていないだろう。
楽しい……。
この二人に出会って……よかった。
「ほら~橘さんに笑われてるよ~」
「あーもー、恥ずかしいって!」
その後、三人でまた歴史の話をした。
ツタンカーメンの話や、水無瀬君が好きな戦国武将。
乙葉君は、ずっと聞いている側だったが、いろいろ鋭い質問をしてきてびっくりした。水無瀬君なんて、「桐斗って熱あるの?」ってめちゃくちゃ心配してたんだよ!そのたびに乙葉君が言い返すから面白くって。
窓の外がどんどん黒くなり始める。時計を見ると……もうすぐ下校時刻だ。
「そ、そういえば……二人って昔から友達だったの?」
帰り支度をしている二人に聞いてみた。
「うん。幼馴染。小学三年生の時だっけ?千陽が隣町に転校しちゃったのは。高校入学するまで会ってなかった~」
「桐斗なんて僕が転校する時は泣いてたもんね~。なんだっけ『俺達、一生の友達だから』って言ってたもんね」
「お前、あんとき俺より泣いてただろ⁉」
また始まった二人のやり取りに、クスりと笑う。
「二人って、ほんとに仲がいいんだね」
「乙葉君は、『補習』とも仲良くなってほしいのだがね」
ん?
野太い声が響く。
「乙葉君、単位が取れずに留年するかもしれないのに……よくのんきですね」
いつの間にかドアが開いていて、長身で肌が日に焼けていて黒く、筋肉が盛り上がっていて服がパツパツな先生。
「げえ!」
サングラスをかけ、腕組をしているのは……歴史の先生。こんな見た目だから、体育の先生によく間違えられるらしい。(そりゃそうだろう)
「乙葉君?さっき私のいない間に補習から抜け出したでしょう?」
「な、何のことだか……」
「さっきできなかった分、私がみっちり教えましょう……『歴史の補修一時間一対一のスペシャルコース』です。さ、早く!」
先生の有無を言わせない圧力に、乙葉君はがっくりと首をおった。
「お、乙葉君…」
言えない。
歴史の補修が楽しそうなんて、言えない!
「じゃ、お前ら……明日も来るから……よろしく」
帰り際、乙葉君からそういわれ、私は驚く。
「お前たちの話、なんか面白い。授業みたいに堅苦しくないし……『歴史』がこんなに面白いって……久々に思えた」
そういう乙葉君の顔は、なんかすがすがしそうだ。
「僕も……話したいよ。『歴史』でたくさん話したい。明日も」
私は……。
少し考えて、思い切って口を開く。
「私も、話したい。自分の知らない『歴史』をもっと知りたいなって」
それに……。
「じゃ、決まりだね」
「う、うん!」
オレンジ色が消えた薄暗い廊下で笑い出す。傍から見れば、ちょっと怖いのかもしれない。でも、私は胸がいっぱいになった。
そして、かすれた唇を動かした。
「『黄昏の歴史教室』……」
私がポツリと言った言葉だけど、二人には聞こえていたみたい。
思わず顔が赤くなった。
もうほとんど暗い、黄昏。街頭がどんどん町を照らしていく。
ここから始まった、私の『歴史』。
ずっと暗闇だった私の世界が、水無瀬君と出会って光が生まれ、乙葉君が来て、だんだんと明るくなってきた。
黒で覆いつくされてしまうオレンジ。
だけど、その先には街灯が灯っていた。
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