}第三話{

 }第三話{


 何十分、いや何時間かかっただろうか。


 意識を取り戻した俺、相田桃理は、そっと目を開けた。


 少し陰った、見慣れた白い天井。


 そしてこの、どこか落ち着く匂いは……。


 もしかして、教室か?


「あ……」


 思わず、かすれたうめき声が出てしまう。


 やはり、俺は高校の教室に寝っ転がっているようだ。


 俺と美紀が、昨日まで通っていた高校の教室の中に。


「兄貴!良かった!!」


 傍らには美紀がいた。跪いて俺の顔を見ている。


「良かった!」


「なんとか間に合ったようだね」


「これも神様のおかげです!」


 誰だ?


 俺と美紀以外に、誰かいるのか?


 俺は揺らぐ視界の中、聞き慣れない三つの声がした方に視線を向ける。


 気を失う直前、家の前で見た男女二人と、もう一人、知らない女性が少し離れたところにいた。


「なんで、高校に……?」


「それはね、兄貴を助けてくれる神官さんを探しに、学校まで来たんだよ!」


 俺たちがここにいる理由を美紀に訊くと、意外な答えが返ってきた。


 しんかん?


 神官、でいいのか?多分、俺の腕を治療をしてくれた人でいいんだよな?


 ちらと左肩に目をやるが、包帯でぐるぐる巻きにされていてよく分からない。


 焼けるようなあの痛みも施術により引いたのか、未だに麻痺しているのかも判然としない。


 だが、俺がこうして意識を取り戻せたということは、治療が成功したんだろう。


「そうか……ありがとう…美紀」


「ううん、当然のことだよ」


 俺は美紀の目を見て感謝の言葉を述べた。


 世話になった。感謝してもしきれないくらいだ。


「お加減はいかがですか?」


「はい……大丈夫です。あなたが……神官、の方ですか?」


「はい!フォリア・マーブルと言います!」


 片腕で起き上がり、やっとの思いで質問すると、フォリアさんはこちらに近づきながら答えてくれた。


「無事、神に導かれ、窮地の中にいたあなたを救うことが出来ました!」


 神、か。


 そうかもしれないな。


「なあ、フォリア……ちょっといいか?」


「ダメです、アレク!……まだ、あなたに話していないことがあります!」


 彼女はアレクと呼ばれた男の方を向いてきっぱりと断ると、再びこちらを向いて大声を出した。


 あまり実感はないが、彼女は俺の主治医みたいなもの。


 左腕について、なにかあるのか? 


「あなたの胸には、『回復の魔法印』が刻まれています!私が着けました!」


「え……えっと。なんですか、それは?」


 ドンッと胸を叩いたフォリアさんは誇らしげだが、意味が分からない。


 かいふくのまほういん。


 『回復の魔法印』、だよな。


 そこは神の奇跡、とかじゃないんだな。


「説明しましょう。『回復の魔法印』は、徐々にあなたの左腕を癒し、やがて元通りにしてくれます!分かりましたか!?」


「え……いや、それだけですか?」


「はい!あなたはそれだけ理解していればいいんです!分かりましたか!?」


「は、はい」


「それは良かった!」


 中々押しが強い。まあ、意味の分からない話をされても理解できないだろうから、これでいいのかもな。


 俺が渋々頷くと、にっこりと笑ったフォリアさん。


 元通りにしてくれるってことは、腕が生えてくるってことか?


 そんなことにわかには信じられないが、俺を助けてくれた人が嘘を言うはずがない。


「なあ……」


「もう大丈夫です!」


 俺が話を続けようとするも、フォリアさんは笑顔のままズイと移動し、壁際まで下がってしまった。


 そして、そのスペースに入り込むようにして、アレクと呼ばれた男ともう一人の女性がやってくる。


「アレクサンダー・パウンドだ。アレクと呼んでくれ」


「サーニャ・シフォンだ。魔法使いをしている」


「魔法……使い…?」

 

 そうか。

 

 この人たちの格好、そしてあの化け物。


 もしかしたらと思ったが、もしかするのか?


 それとも、俺はまだ夢の中にいるのか?


「そう、魔法、使いだ。きみたちから見ると、私たちは魔法のある世界『マナレガリア』から来た異世界人、ということになる」


「そう、なんですか」


 死に体の俺を救うという、奇跡の所業を成した神官がいるんだ。


 異世界がありました、と言われても、今さら驚きはしない。


「ほう、きみは驚かないんだね?……まあいい。時間がないから、手短に話すよ」


「助かります」


「敬語は要らないよ」


「分かった」


 サーニャと名乗った女性はかなり若く見えるが、妙に落ち着いている。


 話しやすくて助かるから、俺としては文句はないが。


「端的に言うと、きみの住んでいた世界『チキュウ』と、私たちが住んでいた世界『マナレガリア』は、融和してしまったんだ」


「ゆうわ……?」


「混ざり合って良くなるという意味だ」


 異世界人なのに、俺の知らない日本語を持ち出してくるとは……。


 って、待てよ?


 どうして、異世界人が日本語を話しているんだ?


「どうして、日本語を?」


「これも仮説の域を出ないが、世界と同時に言語も融和したんだろう。私には、きみが『マナレガリア』の言葉を話しているように聞こえている」


 ん?俺の頭が悪いのか?


 まったく意味が分からない。


「この現象は実に興味深いが、話の本筋からずれてしまうからやめにしよう。とにかく、『チキュウ』と『マナレガリア』は一つになったんだ。今までの『チキュウ』とは別世界になったと考えていい。でも出来上がったこの世界は、部分的に地球でもあるんだ」


「ああ……、続けてくれ」


 それはなんとなく分かる。


 要は、この新しい世界は『地球』でもあり、『マナレガリア』でもある。


 そして、そのどちらでもないとも言える。そういうことだろう。


「呑み込みが早いね。それじゃあ、次はなぜ融和が起こったのか、についての説明だ。申し訳ないのだが、これは『マナレガリア』側の責任だ」


 だろうな。


 大方、この世界の勇者を呼ぶはずが、地球ごと転移させてしまった、とかだろう。


「王家に仕える魔法使いたちが、転移魔法陣で勇者を召喚しようとしたんだ。それで何故か、召喚される勇者の住む『チキュウ』との融和を引き起こしてしまった」

 

「やっぱり、そうか……」


 ありえない話だが、実際に起こっている。


 魔法は知らないが、『マナレガリア』という世界ではあり得る話なんだろう。


「本当に優秀だね、きみは。さて、ここが一番大事なところなん………」


 サーニャが説明する途中。


 突如パリーンッ!と、教室の窓ガラスが割れた。


 それと同時に、外から人が飛び込んできた。


「だ、が……」


 驚きでサーニャの口が止まる。


 他の皆も固まっている。


 その間に、ゴロゴロと床を転がった乱入者がすっくと立ち上がる。


「………」


 普通の男にも見えるが、顔色がすこぶる悪い。土気色というやつだ。


 そして、全身を黒のローブで包んでおり、右手にはナイフが握られている。


 人型のモンスターとかクリーチャーとか、そういった類の化け物でいいんだろうか?


「ユウシャアアアアアアッッ!!」


 男は俺たちの方を睨みながら、しゃがれた叫び声を上げた。


 ゆうしゃ。


 勇者。


 ここに勇者がいるのか?


 ひょっとすると、俺か!?


 いや、それはないな。


 これまでのことを考えて、もっと可能性の高い人物がいる。


「サーニャは兄貴をお願い!」


 ああ、やはりそうか。


 右手にあの剣を握りしめ、前に躍り出た美紀。


 お前が、勇者なんだな。


「シネエエエエエッ!!」


 奇怪な絶叫を上げながら、ナイフで自らの手のひらを傷つけた謎の男。


 傷口からは、どす黒い血が染み出てきた。


 この男、やはり人間じゃない!


「エド!?」


 襲撃者の顔が良く見えるようになった。

 

 フォリアが大声で驚く。


 えど……。エドか。


 多分、エドワードやエドモンドの略称か?


 フォリアは、この男を知っているのか?


「ソノナデ、ヨブナアアアアアッッ!!」


 なにか、彼にとっての地雷を踏み抜いてしまったのか。


 男は一際大きい声量で声を荒げると、血の滴る左手をフォリアに向かって振るった。

 

 俺は助けられなかった。体がピクリとも動かない。


 アレクも一歩遅かった。離れたところにいたのが災いした。


 サーニャも美紀も、位置的に無理だ。 


「きゃああっ!」


 結果、フォリアさんは男の血をもろに浴びてしまった。


 この男。なぜ、こんな回りくどいことをする?


 その血に、なにかあるのか?


「やめろっ!」


 美紀が制止の声を上げ、瞬時に距離を詰めると、不格好に剣を斬り払う。


 だが、男には当たらない。


 しなやかに斬撃を避けた後、もう一度左手を払おうとする。


 まずい!


 美紀にも血を浴びせるつもりだ!


「っいた!……はっ!つう!」


 俺はぐるんとうつぶせになってから右腕だけで起き上がるも、間に合わない。


 美紀をかばうには、間に合わない。


 だから、男と美紀の間に飛び込んだのは、俺ではなかった。


「やめ……、てええっ」


 フォリアさん、だった。


 顔を真っ赤に腫らしながら、再度加わった痛みにのたうち回る彼女。 


「もう、やめ、てええっ!エド、やめてええぇぇぇ!」


 何度もうわごとを呟き、男に訴える彼女。


「ヨブナ!ソノナデッ!ヨブナアアアアッ!」


 そして、勇者の美紀など忘れて、倒れたフォリアに向けて何度も左手を払う男。


「フォリア……。死んじゃうの?」 


 まずい。美紀が錯乱状態に陥っている。


 トラウマだ。


 昔、俺たちの家で飼っていた犬が亡くなって以来、美紀は生き物の死を過敏に恐れるようになった。


「フォリアを傷つけるな!」


「やめろ、アレク!」


 アレクが剣を振りかぶるも、サーニャの制止の声に動きを止める。


「どうしてっ!」


「おそらく、この男の血は毒だ!フォリアが浴びたのを見ただろう」


「だけどっ!」


「ミキを遠ざけてくれ!魔法を使う」


「それだとっ!」


「それしかっ!……今は、それしかない」


「分かった……」


 少し、アレクとサーニャが言い合いになった後。


 震える美紀の両腕を持ち、男から場所に連れていくアレク。


 魔法。どんなものかは知らないが、アレクの様子からして、今使うことがためらわれる技なんだろう。


 それに、美紀を遠ざけた。


 これらを考えると、サーニャは。


 彼女は、フォリアさんを巻き添えに魔法を使おうとしているのか!?


「や、め……て……」


 もう、フォリアさんの息は絶え絶えだ。


 どうせ助からないだろう。見捨ててもよくないか?


 いや、よくない。


 彼女は、俺の命の恩人だ。


 俺が。俺が助ける。


「サーニャ、こっちはオッケーだ!」


 アレクの声。


 俺は膝を突いて立ち上がった。


 美紀も避難できたし、魔法で倒してもらおうじゃないか。


 駄目だ。そんなことさせない。サーニャを人殺しなんかにさせない。


 一歩、よろめきながら足を踏み出す。


「分かった。……『ハイ・フレア・……』」


 安全な場所で、魔法が炸裂するのを観賞しようぜ!


 黙れ!


 甘美な囁きを振り払いながら、二歩、三歩と、徐々に勢いをつけて前に走る。


「やめろ、サーニャ!」


「きみっ!?」


 そして肺が裂けるほどの大声を出し、サーニャの脇を通り過ぎる。


 そのまま、男に向かって突進する。


「ヨブナアアアッッ!ソノナヲヨブナアアアアッッッ!!」


 男は、まだフォリアさんをいたぶっていた。


 やめろよ。


 お前を思って叫ぶ人を、傷つけるのをやめろ。


「うおおおおおおっ!」


「ソノナッッ!?」


 かけ声を上げ、俺は右肩を前に出して男にタックルする。


 俺が男の上に覆い被さる形になった。


「うおっ!」


「ヨブナアアッ!ソノナヲッッ!!」


 俺を突き飛ばし、再びフォリアの方へ向かおうとする男。


 やめろよ。


 お前に人を殺してほしくないから、進んで自らの身を犠牲にした人を、汚すのをやめろ。


「やめ、ろ……」


 俺は右手で男の足首を掴む。


 それでも前に進もうとした男は、前に転ぶ。


 さらに、俺は這って男の背に覆い被さる。


「ナラ、オマエカラシネ」


「がっ!」


 男は、急に正気を取り戻した。


 俺は瞬時に、ものすごい力で投げ飛ばされた。


 勢いで壁を突き破り、無様に廊下を転がる。 


「オマエカラシネ!オマエカラシネ!オマエカラシネ!……」


 男はダメ押しとばかりに、這いつくばる俺に向かって幾度となく血を浴びせてくる。


 こんなの……!ぜんっぜん、痛くないな。


 俺は右腕を突いて立ち上がる。


「オマエカラシネ!オマエカラシネ!………ドウシテ、ヘイキデイラレル!?」


 さあ?


 『回復の魔法印』の効果なのか、痛みに脳が麻痺しているからなのかは、俺には分からない。


 でも、お前を倒すのには好都合だ。


「うらあああああああっ!!」


「オレのチヲクラッテ、グアアアッ!」


 俺はもう一度突進し、男を転倒させる。


 そして片腕を頼りに、男の上に馬乗りになる。


「うらっ!うぉらっ!うぉらあっ!……」


 さらに、男の顔を殴る。


 殴る。


 何度も。


「おらあっ!おらあっ!……おらあっ!おああっ!……」


 何度も何度も。


「おああっ!……おああっ!……ふぉらあっ!……ほぱあっ!……」

 

 何度も何度も何度も。


「ごなあっ!おああっ!……おあああっ!おあらあっ!……」

 

 何度も何度も何度も何度も。


「ごああっ!おあらあっ!……あ?」


 何度も何度も何度もなんど……。


 あれ。


 こいつの血に触れすぎたのか、右腕がばかになってしまった。


 脳が指令を出しても、ピクリとも動かない。


「……オマエカラ……シ……ネ」


 駄目だ。


 何発殴っても、この男は反省しないようだ。


 だったら、こうするまでだ。


「……お、あああああああっっ!!」


 俺は前に倒れ込むと、口を大きく開け、男の首筋に深くかぶりついた。

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