C:\Users\Clown\8\delete.bin

 夏の燦々と輝く光が、室内に入り込んでいる中、僕と潮月くんは緊張した面持ちで、パソコンの画面を見つめていた。


「それじゃあ、画像を置くっすよ」

「うん」


 彼女はゴクリと喉を鳴らして、マウスを操作する。

 この作業に失敗などする余地は無いが、それでも僕たちは緊張していた。この行動が引き起こすかもしれない悲劇を、想像せずにはいられなかったからだ。


 結局、選びに選んで、最後に残った画像はトラックの写真だ。


 その中でもなるべく事件の日時に近いものを選んだ。


 作業は数秒で終わった。

 そして、画像の存在に気づいたウミウシは触覚を動かしながら、近づいてくる。


 一番の問題はウミウシがきちんと食いついてくれるか、だった。

 触覚で何度も確かめるように画像ファイルを触ると、写真の上に被さった。


「食べたっす!」

「やった!」


 思わず、潮月くんとハイタッチする。

 あとは、ウミウシがそれを食べ終わるのを待つだけだ。


「ふぅーーーーーっ」


 緊張が解けたのか、両手で口を覆った姿勢で大きく息を吐いた。


「……」


 そのままの姿勢で、画面をジッと見つめる。

 成功したにも関わらず、彼女の表情は少し寂しげだった。


 蝉の声が五月蝿くなってきた。



「先輩。外に行かないっすか?」





 真夏の昼間は茹だるような暑さだった。

 行きがけに、ペットボトルで水を買い、それを首元に当てながら小山を上る。


「あ〜〜、こんなに暑いなら、写真を消すのもっと後の時間にしとけば良かったっすね」

「まあ、そうだねぇ」


「『それなら、そもそも外に出なければ良かった』って先輩は言わないんすか?」

「……それは思いつかなかったなぁ」


 僕の言葉に、クスっと彼女は笑った。


 展望台まで登れば、そこにはまばらに観光客と思われるグループがいくつか見えていた。


 ウミウシが写真を食べ終わるまでは、あと一時間程。

 太い木でできた柵に、二人で肘を預ける。


「やっぱり、ズルいっすよね」

「世界を変えることが、かい?」

「まあ、大体そうっす」


 潮月くんは小さく頷いた。


「本当なら、起こった事実を書き換えるなんて出来ない。この世界にあるオブジェクトは現在を連続的に書き換える権限しか持って居なかった。いや、持ってはいけなかった。……その筈なのに、因果関係を無視して現実を改変できるボタンが手に入った。ログを書き換えるなんて、管理者権限でもないと出来ない……っす」


 彼女が言う管理者とは、建物の管理人とかではなく、僕がブログの管理者であるように、好きに情報を書き換えたり追加したり、はたまた削除ができる者のことだろう。


「僕には親が居ない。兄弟姉妹もね」

「え、でも……」


 燕のことを知っている彼女は反論しようとする。


「義理の家族だよ。遠い親戚だったんだ」


 だからこそ、彼らには多大に感謝をしている。


「権限とかは知らないけど。この先、僕がどれだけ頑張ったとしても実の親は手に入らないんだよ。ズルいよね」


 実際はズルいなんて思ったことは無い。

 むしろ、望んで受け入れた家族がいる僕の方がきっとズルだろう。


「それぞれの人が持っている物、持っていない物、できること、できない事があるんだよ。潮月くんは、たまたまウミウシの力を借りる機会を得たんだ」

「……そうかも、しれないっすね」


「こういうのをデジタル・ディバイドって言うんだよ」

「それは違うっすよ」


 少し立ち直った様子だ。

 僕は安心して、眼下の街を眺める。


 1時間が経つ頃には太陽も傾いて影が広くなった。


「ん」


 彼女のポケットからバイブレーションの音が聞こえて、彼女はスマホを取り出して画面を見つめた。


「……もうそろそろっすかね」

「あぁ、ウミウシ?」


「いや……」


 彼女は細かくは答えずに、髪を解いた。

 団子の形に纏められていた髪が背中に広がる。


 そういえば、今日の彼女の服装は露出が少なく、長い髪が似合う大人しい服装だった。


 彼女の行動へ抱いた疑問。その答えは直ぐに分かった。



「あ、えと、こんちはっす」


 背後から掛けられた声は潮月くんのものでは無かった。

 しかし、聞き覚えはある。


 僕がゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは両足で立つ化野さんだった。深窓の令嬢のようだった彼女が、今はランニングウェアを着て短い髪を風に揺らして佇んでいる。


 彼女の足が戻っていることに気付いて口元が緩む。


「え、と名前を聞いても良いっすか?」


 そうか、彼女が足を失った事実が無くなったことで、潮月くんが引き合わせたあのカフェでの会話も無かったことになっているのか。


「あぁ、そうですね。僕の名前は……」

「潮月遥です。化野さんですよね?」


「……新ど、え?」


 なぜか潮月くんが初対面のような挨拶をする。

 僕は悪い冗談を見せられている気分になりながら、化野さんを見る。


「遥、ちゃん?っすね。覚えたっす」

「この前の試合見て、どうしても会ってみたくて、友達づてに連絡をしてしまいました。カッコよかったです!」


 潮月くんは、まるで化野さんのような言葉遣いだった。

 でも、嘘っぽくはなく、むしろこちらの方が彼女の自然体だと分かるほどにしっくりと来た。

 彼女は目の前で立つ化野さんを見て目を細めた。


 真っ直ぐに褒められた化野さんは口角を上げる。


「えー、そんな褒められると嬉しいっす。今週末も、練習試合するから、来てくれると嬉しいっす」

「ぁ……ありがとうございます……ッ」


 感極まった彼女は体を震わせる。


「わ、え、私何かしたっすか。……あー、よしよし、泣かないで欲しいっす」

「あ、すみませ……」


 化野さんに背中を摩られて潮月くんは理由も言えずに、ただ涙を流す。


「あ、そっちの人も握手とかするっすか?」

「あ、じゃあお願いします」


 なんとなく潮月くんを抱きしめたままの彼女と握手を交わす。


「……ありがとうございました。もう大丈夫、です。取り乱して本当にすみません」

「気にしないで良いっすよ?」


 名残惜しそうに彼女から離れた潮月くんは既に笑顔だった。


「最後に一つ、質問しても、良いですか?」

「?……良いっすよ」



「もし、足が動かなくなる代わりに2500万が貰えるとしたら、どうしますか?」

「そんなの、足の方が大事に決まってるじゃ無いっすか。私の足は黄金の足っすよ。25億でも足りないっす!」





「きーちゃんと初めて話したのは、病院だったっす」


 その言葉で彼女が潮月くんのことを知らなかった理由を察した。


「同じ高校なのは本当っすよ。でもクラスも多かったし、それまでは一度も話した事が無かったっす。私の方は時々練習してるきーちゃんを見たり、こっそり試合を観に行ったりして一方的に知ってたんすけどね」


 赤みを帯びた光が展望台を染める。

 低くなった太陽に彼女は目を細める。


「憧れてたきーちゃんと仲良くなれたのはすごく嬉しかったっす。大好きなバスケができなくて、少し荒んでたけど、それでも頑張り屋で、自分も辛いのに、私にも優しかったっす」



「ここの山道結構傾斜があるっすよね。きーちゃんは車椅子のままここまで登ったりしたんすよ。逆に私が置いてかれたっす」


「ゲームがしたいって言ってパソコン買ったけど、使い方が分からなくて私が教えたりもしたっす。なんのゲームかなと思ってたらソリティアだったんすよ。明らかにオーバースペックで笑っちゃったっす」


「何度か、きーちゃんの家に泊まりにも行ったっす。きーちゃん、寝言が酷くて『バッシュ食べたい』って。どんだけ食い物とバスケ好きなんだって思ったっす」


「あと、高校の卒業の時に——」


 彼女は嬉しそうな顔で『きーちゃん』との思い出を語る。

 もうどこにも居ない、存在しない『きーちゃん』との思い出を。


 彼女の話の中で『きーちゃん』は、あの化野さんと同一人物とは思えない程に、パワフルでコミカルな人物だった。

 大好きなバスケを失った彼女は、それでも楽しく、幸せな日々を送っていた。そのくらいの事は話を聞いているだけで分かった。


 潮月くんもそれを理解して、だからこそ、大好きな彼女に大好きなバスケを取り戻して上げたいと思ったのだろう。


 例え、積み重ねた思い出が消えるとしても。



「それで、ボタン全部剥ぎ取られて……」


 きっと彼女は喜んで上げたいのだ。

 失った物を取り戻した友人を心の底から祝って上げたいのだ。

 だからこんなに輝かしい笑顔を浮かべている。


「……最後はジャケットみたいになって……」

「暑いね」


 そう言って僕は、ペットボトルの水を頭から被る。

 時間は既に夕方。暑いどころか涼しくなってくる時間帯だ。


「ど、どうしたんすか?」

「あー、涼しいよ。潮月くんもしてみたらどうだい?」


 戸惑っている彼女に僕は笑ってみせる。


「……」


 彼女はゆっくりと蓋を開ける。

 チャポン、とペットボトルの水が揺れる音がした。


 それを勢いよく頭の上から掛けた。


「……っ、ぬるっ。全然涼しく無いっすよ!」


 怒ったように彼女は言った。


「あー、もう!これ絶対変な目で見られるっすよぉ」

「そうだねぇ。乾くまで、しばらくここに居ようか」


「仕方無いっすねぇ」


 彼女は再び柵に体を預ける。

 そのまま、落ちていく太陽を見ていた。


「……」


「……」


「……ぅ」


「……うぅ」


「……きーちゃん」


「……うぅうう」


「……うわぁああああん!」



 彼女は子供のように大きく口を開けて泣いた。

 もう二度と会うことの出来ない『きーちゃん』を惜しんで泣いた。


 わんわんと、泣く。


 僕はこんなに一生懸命に泣いて貰える『きーちゃん』を少しだけ羨ましく思うのだった。





「女の子が泣かされているって通報があったんだけど、君たちだよね?」

「あ、すみません」

「お騒がせして申し訳ない」



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【インターネットウミウシの特徴 その8】

食べる速度が遅いのは、食べるのが下手なだけ。

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