C:\Users\Clown\7\wrong.bin

 化野さんが巻き込まれた事故の記事は直ぐに手に入った。


 潮月くんがインターネットで当時の記事を見つけたのだった。

 本当にインターネットは情報の海だ。


 電柱に突っ込んで、トラックの運転席が半分に割かれてしまっている。そして、下にスクロールすると現代アートのオブジェのように歪んで圧縮された自転車のフレームがあった。


 波打つ自転車のホイールが、受けた衝撃の大きさをこれでもかと語りかけてくる。



 彼女は両膝を失っていた。

 おそらくはひしゃげる自転車に両足を巻き込まれたのだろう。


 記事の中の写真には、落としきれなかった錆色の液体がフレームの隅に残っていた。

 思わず顔を顰める。


「無理しないで良いっすよ。先輩」

「いや、少しくらい無理させてよ」


 淡々と記事の画像を見る潮月くん。

 友人である彼女が耐えているのに、他人である僕がへばっているわけには行かない。


 たくさんある事故の記事から、まず人の写っている写真を取り除く。さすがに直接的に人を殺すのは避けたいからだ。

 おそらく彼女はそうする覚悟も決めているだろうけど、僕は彼女の覚悟が無駄になって欲しいと考えていた。


 問題のなさそうな写真をリストアップし終えた頃。


 チャイムが鳴った。



「うん?はーい!」


 俺はチャイムに返事をしながら、扉を開ける。


「遊びに来ました、兄さん」


 それと同時に、リビングの方でバタバタと動く音がした。


「あれ?兄さん、お友達呼んでたんですか?」

「そうだねぇ、だから今日は帰った方が良いかもね」


「いえ、兄さんの妹として、是非ご挨拶しておきたいです」

「ううん、そうだねぇ」


 今まで、潮月くんに会わせたことは無いので、反応が予測できなかった。

 ドアを開くと、そこに座っていた潮月くんと目が合う。


「……タイム」


 Tの字を潮月くんに見せた燕はそのまま扉を閉じた。


「兄さん。何だか、強そうな美女が座っていますよ」

「潮月くんって言うんだよ」


「でも、彼女では無いですよね?兄さんの好みとは違うし」

「……バイト先の後輩なんだ」


「なるほど、納得です」


 なぜ燕が僕の『好み』を把握しているか、問いかけることはしない。

 今まで彼女を連れ帰ったことなんて無い。

 もしかすると、スマホを見られていたのかもしれない。


 恐ろしい可能性に目を瞑りながら、二人の仲立ちをする。


「潮月くん、この子は僕の妹で、燕って言うんだ。今年高校受験なんだよ」

「どうも、潮月遥っす。よろしくっす」


「はわわ、顔も強い」

「燕?」


 面食らった様子の燕は、フローリングに正座をすると、潮月くんに向かって三つ指を立てた。


「……新堂燕です。不束者ですがよろしくお願いします」

「燕?」


「は、はぁ。……っと、先輩」


 妹のおかしな様子に、潮月くんも流石にペースを乱されたようだ。

 僕に向かって手招きをする。


「なんか、ちょっと今は気が動転してるみたいでねぇ。気にしないで良いよ」

「努力はするっす。……そうじゃなくて、妹さんにはアレのこと、まだ話して無いっすよね?」


 彼女が言っているのはウミウシのことだろう。

 確か燕がいる時にウミウシにラーメンのイラストをあげたけれど、生き物を飼っているなんて知られたら、ますます燕がここに入り浸るかもしれないと思って、見せては居ない筈だ。


 小さく頷く。


「じゃあ、とりあえず見せないようにして置くっすよ」

「……うん、そうだねぇ」


 ウミウシによる記憶の削除から逃れる基準はわからないが、巻き込む人は少ない方が僕も良い。


「遥さんはぁ、兄さんとはどのくらい前からお知り合いなんですかぁ」


 どこから出したのかという程に媚びた声がその口から出てくる。

 

「半年くらい前っすかね、コンビニのバイトっす」

「えー、コンビニなんて凄いぃ。兄さんとは大違いですぅ」


 同じだよ。同じバイト先なんだよ。


「はは」


 潮月くんが乾いた笑い声を上げる。もう少しだけ頑張って欲しい。


「今日は夕御飯はぁ、ここで食べていかれますかぁ。私ぃ、料理作るのでぇ、食べて欲しいなぁ?なんて……」

「はは……」


「えー、嬉しいぃ。食べてくれるんですかぁ。もし食べたいものがあったら言ってくださいねぇ」


 何も答えていないのに、会話が進む。待つ事さえ許してくれないところはゲームのキャラクターよりも質が悪い。


 少し潮月くんの顔が青くなる。

 どうやら本当に困っているらしい。


「あー、ちょっとお手洗い借りるっす」


 そう言って立ち上がった彼女はその場を去る。


「……」

「……」


 部屋の中には小さめのテレビから発せられる笑い声が虚しく響いていた。

 僕は真正面から燕の顔をジッと見て動かない。

 彼女の方も、僕の視線から逃れるように、斜め下のフローリングを見たままジッと動かないままだ。


「私のこと、軽蔑しますか」

「……話は聞くよ」


 あえて質問には答えない。


「うぅ」


 燕は大袈裟に顔を覆った。


「私、そんなつもりじゃなかったんです。ダメだって分かってたんです。でも、あんな思わせぶりな態度取られたら、好きになっちゃうんです!」

「……思わせぶり」


 潮月くんの態度は淡白なように見えた。


「……だっ」


 

「だってあんなに、おへそ出した服着てるなんて、絶対へそフェチの私に対するアピールですよ!」


 許されない恋に苦しんでいるような雰囲気で、痴漢の言い訳みたいなことを言い出す彼女に、僕は何と声をかけたらいいか分からなかった。

 『話は聞くよ』なんて安請け合いしたことを後悔する。

 既に僕の精神は疲弊しきっていた。

 

「兄さん、手伝ってくれませんか?遥さんと仲良くなりたいんです」


 そうなれば、ウミウシについて彼女に相談する時間がなくなってしまうし、既に遅いかもしれないけど、燕がウチに通う頻度も増えることになる。


「……ごめん」

「そう、ですか」


 誠心誠意謝れば、彼女は残念そうにしながらも、納得するように頷いた。


「僕には飢えたハゲタカに子供を差し出すようなことはできないよ」

「それだと私、飢えたハゲタカになりますけど。妹をハゲタカに例えるのは人道に反したりしないですか?」


「人道には、反しないと思うよ」

「そっちじゃなくて、妹=ハゲタカの方を否定してくださいよ。私このままだと学校で猛禽類って虐められちゃいます」


 猛禽類を知っているなんて賢い。


「妹=ハイエナなら、良いかな」

「譲歩した感じを出すの、やめてください。それに、何でさっきから屍肉を食べる類の動物ばかりなんですか。私のこと何だと思ってるんですか!?」


 ヒートアップしてきた燕に、僕は申し訳ない気持ちになる。

 僕、国語は苦手なんだ。


「燕は、燕だよ」

「……ッ、それ、どこからの引用ですか」


 少し顔が赤くなった燕が、問いかけてきたので素直に答える。


「『漢達の性春〜筋肉盛り薔薇学園〜』の梅節布ばいせっぷ武雄たけおのセリフだよ。この前実家に帰った時に読んでみたんだ」

「ちゃっかり読むんじゃないですよーーー!!!」



 ついに爆発した燕の怒りを浴びながら、僕はスマホに届いたメッセージを読む。



『お家に帰ります。探さないでくださいっす』


 冗談めかして伝えてくれているが、彼女が断らずに帰るということは、何かしら耐えられない事があったのだろうと予想がつく。


「燕」

「ウギャーーーー!!!……な、なんですか」


 パタリとスマホを伏せると彼女の名前を呼ぶ。

 駄々をこねる子供のようにフローリングの上でバタついていた燕だが、僕の声のトーンから真剣な話であることを察した彼女は動きを止めてこちらを見る。


 寝転がりながらでは、いまいち空気が引き締まらないな。


「きちんと座って」

「……はい」


 起き上がってスカートを整えて正座をする。


「さっきの態度は、あまり褒められたものでは無いのは、分かるよね?」

「う、はい」


「それと、相手が女の子でも無理に迫られたら不快に思う人もいるかもしれないってことは分かるよね。燕が知らない男の人に、いきなり強引に距離を詰められたら怖いよね?」

「はい、申し訳ありません」


「しばらくは、潮月くんとは会わせられないよ。だから、ウチに来る時は先に連絡するようにしてね」

「わかりました」


 彼女は約束は護る子だから、今度からアポなし訪れることは無いはずだ。


「今日は帰った方が良い」

「はい、あの」


「ん?」

「潮月さんに『ごめんなさい』と伝えてくれませんか」


「……分かった、良いよ」

「ありがとうございます」


 きちんと反省した様子だったので、僕は彼女の言伝を受け入れた。




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【インターネットウミウシの特徴 その7】

実は、夜に眠る。





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