C:\Users\Clown\6\feet.bin

 車椅子の女性、化野さんは僕の方へ笑いかけた。

 儚げな笑みに思わずどきりとする。


「きーちゃん、こっちがバイト先の先輩っす」

「真倉です。潮月くんとは、同い年ですか?」


「はい、なので遥ちゃんと同じように話してください」

「そっか、分かったよ。よろしくね化野さん」


 よかった。

 相手によって敬語と普通の言葉を切り替えると、頭が混雑してしまうので、潮月くんに敬語を使わないといけない所だった。


「それで遥ちゃん、なんで私達を会わせようと思ったの?」


 どうやら化野さんの方も潮月くんに事情を教えられていないらしい。


「ふっふっふ、実は私、トクダネを掴んでしまったんす。そう、きーちゃんの大きな秘密を、ね」

「へ、へえ。どれのことかしら」


 どうやら思い当たる節が複数あるような彼女の態度。


「じゃん」


 潮月くんはスマホの画面を見せる。

 そこにはここ最近一番見覚えのあるサイトのページが表示されていた。そのタイトルは『名前を設定してください』。


「僕のブログだ」

「えっ!?」

「うん?」


 その言葉に最も驚いたのは化野さんだった。

 なぜ彼女が驚くのか。


「アレェ、きーちゃん?なんで驚くっすか?もしかして、このブログに見覚えがあるんすかねえ?」

「し、知らないっ。そんな、パソコン音痴が書いたと丸わかりなブログなんて、見覚えありません」


 その言葉に潮月くんはこれ以上ない程の笑顔を見せる。


「私ぃ、きーちゃんの裏垢フォローしてるんすけど」

「え、どれ!?じゃない、やめて!」


 彼女は再びスマホを触ると、化野さんの制止を振り解いて、SNSのアカウントを表示する。


「ね、お願い、何でもするから。お金が欲しいのかな?それとも、ここでスクワットしてあげようか?足、無いけど」


 笑えない冗談で場を掻き乱そうとする化野さんの言葉を潮月くんは難なく受け流す。


「そんなことして良いと思ってるの!?私、遥ちゃんの家知ってるからね?止めないなら、食べログに『隠れ家的庶民風レストラン』って登録しちゃうよ?だから、ね?、止め……」



「これっす」

「ああ”あ”あ”あ”ア”ぁ”ア”ア”ア!!」


 深窓の令嬢のような見た目だった彼女が、叫び声を上げながらテーブルに頭を何度も打つける光景は、ホラー映画のような恐ろしさを感じる。


 そこに表示された名前は



『クレイジーピエロ(37歳)』


「違う、違うの。説明させて」


 彼女は僕たちに両手を向けて説得をしようとしてくる。

 もしかしたら何か事情があるのかもしれない。

 そう思えるほどに彼女の表情は真摯だった。僕は彼女の言葉に耳を傾ける。


「分かった、何か理由があるんだね」


 彼女はコクリと頷いた。


「……そう、あれは暑い夏の日のことでした——」



 ——結論から言えば、潮月くんの推理に一切の誤りはなく、狂気の道化クレイジーピエロの正体は、化野桔梗その人だった。


 理由も特に無かった。



 ◆



「はー、楽しかったっす。やっぱ美人を泣かせるのはサイコーっすね。きーちゃんは見た目が穏やかなのに、叩かなくても埃が出るので友達やめられないっす」

「ともだち……」


 化野さんは用事があると言って先に帰ってしまったが、あの顔を見るに一刻も早くこの場から去りたかったのだろうと想像はつく。


「それで、潮月くんはなにがしたかったのかな?」


 潮月くんがわざわざ化野さんを揶揄う為に僕を読んだとは思えない。


「んんっん」


 彼女はアイスコーヒーを口に含んだまま何かを言った。

 少し待ってグラスを置くと、机の上で両手を組んだ。


「きーちゃんと同じ高校だったってことは、言ってたっすよね?」

「うん」


 その情報は話の合間に出てきていた。


「私は……文化部やってたんすけど、きーちゃんはバスケをやってたんす。一年からレギュラーで、実は一回だけ試合に行ったんすけど、めちゃくちゃカッコ良かったっす。ピョーンって飛んで、ダンクを決めてたっす。人間があんなに跳べるわけないって、すごく、驚いた」


 まるで目の前でその瞬間が再生されているように彼女は興奮していた。

 その時から今の化野さんになる時に、何か大きな事件があっただろうことはすぐに察した。


「……そっか。いつ頃に?」


 あれこれと聞くのは無遠慮に思えたから、短く、それだけを尋ねた。


「2年の終わりぐらいっすかね。その頃きーちゃんは部長だったっす」


 彼女は思い出すように瞳を閉じた。


「交通事故、だったっす。飲酒運転でも、不注意だった訳でも無いっす。運転手がちょうどその瞬間に死んだだけ」


 突然死による事故。

 その補償である慰謝料は、運転手の代わりに保険会社から支払われた。

 2500万、それが彼女の未来に付けられた値段だそうだ。


「きーちゃんは跳ぶための足と、怒りをぶつける先とを同時に無くしてしまったんす」


 そして、なんとなく彼女の目的を察することができた。


「そっか。化野さんを助けたいんだね」

「……はい、事故から助けたいんす」


 彼女は絞り出すように、そう言った。


「アレの『削除』は、周囲に影響を与えるっす。街灯のあった場所に草が生えていたように、逆に元々あった何かが消えるかもしれないって事も、分かってるんす」


 例えば、化野さんを襲う事故が無くなった代わりに、もっと重大な事故が別の場所で起きることもあるかもしれない。

 彼女が言いたいのはきっと、そういう事だ。


「誰かを不幸にしてでもっ、わたしはっ、きーちゃんが跳ぶところを、もう一度見たいっす!」


 ツゥ、と彼女の頬を雫が伝った。


 ……いつだって涙は切実だ。

 彼女の願望が悪ならば、世界が在る意義はもう無いと思えた。


 気付けば僕の頬にも熱いものが伝っている。


「良いよ、『削除』しよう。化野さんを襲った事故を」



 実際に消すのはウミウシだけれど。




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【インターネットウミウシの特徴 その6】

触覚が動く。

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