C:\Users\Unknown\5\街灯.png

「……まあ、消す方法はあるっすけど」

「え!?」


 先ほど彼女は、


『ウミウシはプログラムじゃ削除できないっす』


 そう言ったばかりだった。

 それを聞いた僕は、ウミウシが居なくならないと安堵していたので、上げて落とされたような心地だ。


「簡単っすよ。PCごと壊せば良いんす」

「え、困るよ」


 この中にはたくさんのデータが残っているし、大学のレポートにも使う。十何万もした、高いパソコンなのだ。


「もちろん、一つしかない先輩のPCを壊せなんて言わないっすよ」


 彼女は分かっているとばかりに僕を宥めた。


「私のPCを使うっす。……もちろんこれじゃ無いっすよ。ウチにあるサブのサブ、低スペックの、壊してもそんなに惜しくない奴っす。コレをそのPCに移して、その後で壊すっす」


 潮月くんは最後にハンマーを振り下ろす動作を見せる。


 ウミウシの目の前で容赦無くその殺し方を説明する彼女に、若干の恐怖を覚えるけど、彼女にとってウミウシは生き物では無いナニカだという事を忘れていた。


「今から、実行するのかい?」

「流石に時間が無いんで、今日は帰るっす。……なので途中まで送って欲しいっす」


「うん。……あ、途中でコンビニにに寄ってもいいかな?」

「ん?良いっすよ?」


 リモコンの電池が無くなりかけていたのを思い出す。

 無事、許可を貰ったので財布をポケットに入れて二人で外に出た。


「さっき、アレが街灯の写真食ってたっすけど、先輩が撮ったのはどれだったんすか」


 街に出た所で、潮月くんは街に並ぶ灯りをそれぞれ指差す。


「あの時はとにかく街灯だったら何でも良いと思ってたからねぇ。一番近い所を、撮って……た、はず」

「先輩?」


 潮月くんはその違和感に気付かなかった。

 僕がそれに気付けたのは、毎日ここを通るから、ただそれだけの理由だ。


 まっさらな地面に近寄る。

 僕の様子から異変を察した潮月くんが、すぐ横に近づいて来た。


「ここ」


 アスファルトの敷かれた硬い地面を撫でる。


「ここに街灯があったんだよ」

「工事とかで邪魔になったんすかね?」


 彼女は最もあり得る可能性を提示する。

 僕は首を振る。


「ここの灯りはねぇ、アパートの僕の部屋から見えるんだよ。……さっきも見たんだ」


 夕食を作る前に、ここに立つ街灯を僕は目にしていたのだ。

 だから、地面に跡さえ残っていないのは、明らかに道理に合わない。


 ウミウシの食べたデータはコピー元まで、全てが消える。

 その全てに現実の物体さえも含んでいる。


「先輩、それって……ッ」


 ウミウシが写真を食べれば、映された物体も一緒に消える。


 潮月くんは、僕の言った意味を理解して、さらにその先の可能性に気付いてしまった。


 顔を青くした彼女が、アパートに走る。


「先輩!戻らないとッ」

「潮月くん?」


「今、PCの中にはが入ってるっす!」

「っ、わかったよ!」


 僕は鍵を取り出して、階段を二段飛ばしに駆け上がる。かなり五月蝿いだろうけど、人命には変えられない。


 焦って落とした鍵を潮月くんが拾い上げて、扉を開けた。


 扉を閉じることさえ忘れてそのまま机に乗るパソコンの画面を見た。


「ふぅ、セーフっす」


 そこにいたウミウシは最後に見た時と同じく、ニンニクの写真を食べていた。



「はぁ〜〜〜」


 ため息と共に遅れて疲れがドッと溢れる。

 ドアの取っ手に寄りかかるようにして崩れ落ちる。


「あ、靴履いたまま上がっちゃったっす」


 彼女はサンダルを脱ぐと、トタトタと玄関に走った。僕はパソコンの前に座ると、写真を退避させる作業を開始した。


 代わりに昔描いたが投稿することなく眠っていた絵を配置する。


「先輩、ちゃんと『写真』フォルダに入れてるっすか?」

「勿論、ほら」


 誇らしげに『写真』フォルダの中身を開く。


「偉いっすねー」

「撫でるのやめて」


 くしゃくしゃと髪を撫でる彼女の手を避ける。


「『インターネットってどこで買えるの?』なんて言ってた先輩が、こんなに大きくなって……」

「だから、撫でるのやめて」


 しみじみと言いながら、頭に伸ばされる手を避ける。


「……まあ、ブログを更新する事にしか、ほぼ使ってないんだけどね……」


 そう言いながら、ブログの管理画面を開くと、新しいコメントが届いていた。


「へー、先輩のブログ読んでる生物が居るんすね」


 まるで、人でない何かが僕のブログを読んでいるような言い方だ。


「あぁ……また『クレイジーピエロ(37歳)』さんだ」


 一応コメントに目を通す。


『スイミーって知ってますか?そう、沢山の魚が協力をして安全な居場所を手に入れる、あの話です。アレはスイミーが黒い自身の身体を生かした事で可能となったわけですが、私はスイミーよりもその他の赤い魚に着目したい。彼らは目という重大な役割をスイミーに譲った、慎み深い魚だ。現代社会にはその慎みが足りていない。だって、ほら、みんな目も頭も黒いもん』


 全文読んでしまってからコメントを削除する。彼がコメントをしていたのは煉瓦のブロックのイラストを上げた記事だ。


「うわぁ」


 僕の横からコメントを読んでいた彼女が面白そうに言った。


「同じ人がいつもコメントしてくるけど、毎回消してるんだ。どうしたら良いかな?」

「いやぁ、分っかんないっすね〜」


「うーん、変なコメントを投稿できないようにする機能とか、有れば便利だと思うけどなぁ」


 いつもより間延びした潮月くんの返事を聞いて、ブログの不便さを嘆いた。


 ブログを消して、デスクトップとウミウシを表示する。


 カチ。うにぃ

 カチ。うにぃ


 何度かクリックして、ウミウシと戯れる。


「ごめんなぁ、人がもう少し誘惑に強い生き物だったら、お前と一緒に居られたんだけどねぇ」


 名残惜しい気持ちを抱いていると、服の裾がクイと引かれる。


「潮月くん?あぁ、そうだ、帰らないとね」


 街灯の件があったせいで、一時的に戻ってきた事を忘れていた。

 彼女を家に送り届けないといけない。


「そうじゃ、無いっす」

「うん?」


 彼女は僕の言葉を否定する。


「少し、コレのことを調べ無いっすか?」

「なんでだい?」


 その疑問は、彼女が強く主張していた『ウミウシの削除』を翻した理由に対するものだ。


「ごめんなさい。卑怯なのは分かってるんです。お願いします」


 いつものような気安い口調は消えている。


「いいよ」

「っ……そんな、簡単に」


 彼女は驚いたように顔を上げる。


「簡単じゃないよ。潮月くんに悪意が無いのは知ってたよ。もちろんいい加減な性格じゃ無いのも分かってる。だから、まあ、何か理由があるんだよ」

「……」


「それに、しばらくはこの子をウチに置いておけるからね」

「……もしかして、そっちが理由っすか?」


 既に彼女の殊勝な態度は消えていた。





「誰も覚えてないね」

「そっすね」


 アパートの前にあった街灯について、アパートから出てくる人に尋ねたところ、それについて誰も覚えていなかった。


 街灯が消えただけでは無かった。


 『街灯があった』というその事実が消えてしまっていた。


 ウミウシの『削除』はコピーされた全てのデータを消す。

 ならば、街灯を見てコピーされた脳の記録もまた、削除の対象なのだろう。


「街灯があった地面に草が生えてたっすから、そうだろうと思ってたっす」


 ふふん、と彼女は胸を張った。

 僕は新たな疑問が浮かんだ。


「なんで僕たちは覚えてるんだろうねえ?」

「アレを見たことがあるかどうか、っすかね」


 そうかも。


 これ以外にも、彼女の提案でいくつかの検証を行った。

 例えばウミウシが画像以外も食べるのかとかだ。

 結果から言えば、彼女が作ったプログラムをウミウシは食べた。



「それで、君が会わせたい人って誰かな?」

「友達っす」


 現在講義の合間の時間で、僕は彼女と共に喫茶店に向かっていた。

 確かテラス席が有名な所だ。


 平日の午後なので、客足は比較的落ち着いている。


「もう先に着いてるみたいっす」


 スマホをポケットに戻した彼女が、僕を先導する。

 彼女の友人が座っていたのはテラス席。

 厳密に言えば、テラスで座っていたが、テラスの席には座っていなかった。


「どうも、化野あだしの桔梗ききょうです」


 彼女は車椅子に座っていた。




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【インターネットウミウシの特徴 その5】

プログラムも食べる。

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