C:\Users\Unknown\4\鍋.png

「お邪魔しまーっす」


 僕がブログに『絵 その313』の記事を投稿した少し後、部屋のチャイムを鳴らす音がした。

 扉を開けると、潮月さんが強そうな格好で立っていた。

 バッチリへそが見えているけど、恥ずかしくないのだろうか。


「ウミウシ見に来たっす」

「良いよ」


 僕は閉じていたパソコンを開いて、彼女に見せる。


「あれから観察してて、何か分かったっすか?」

「うん、ウミウシはラーメンが好きなんだね」


 彼女は画面から視線を上げて、怪訝な目を向けてくる。


 僕は体の前で自分でも分からないジェスチャーをしながら弁明する。


「大抵のイラストは食べるまでに3時間はかかるんだけど、ラーメンのイラストを近くに置いた時は、直ぐに食べ終わるんだよ」

「情報量……保存してからの時間、いろいろ考えられるっすね」


「ただラーメンが好きなんだと、僕は思うけどねえ」

「……何か理由があるはずっすよ」


 もしかすると彼女は自分でインターネットウミウシについて調べたからこそ、確信を持ってこのようなことを言っているのかもしれない。


「……そう言えば、イラスト以外は食うんすか?」

「試したこと無いなあ」


 一々僕がイラストを描かないで良いなら、それに越したことは無い。


 僕は写真フォルダを開いて複数の写真をデスクトップに置いてみる。

 ウミウシは触角を動かして、何かを察知したように画像ファイルの方向へにじり寄ってくる。


「あ、近寄って来たっす。……これは、街灯の写真っすかね」

「アパートの直ぐ横のところだよ、前にイラストを描いた時に写真を撮ったんだよ」


「本当、何でも描くっすね……」

「自分でもそう思うよ」


 ちなみに、僕が色々なものの絵を描いている事に特に理由は無い。

 きっかけも特に無い。気づいたら暇つぶしに絵を描いていたみたいな感じだと思う。


 ウミウシは写真を確かめるように、何度か触角を当てた後、少しずつ食べ始めた。


「食い付きが悪いねぇ。結構ゆっくり食べてるよ」

「そうなんすか?」


 僕と違ってウミウシの生態にそこまで興味のなかった潮月くんは首を傾げながら言った。

 彼女は自分の膝の上でパソコンを開くと何やら作業を始めた。


 僕はテーブルの上にコーラを置いた。


「今日は鍋の予定だけど、食べる?」

「鍋?夏っすよ」


「仕方ないよ、僕の胃が鶏の鍋を欲してるんだから」

「……じゃあ良いっすよ、鍋で」


 譲ったような反応をする彼女に釈然としないものを感じながら、僕は夕食の準備を始めた。


 薄暗くなった空に、気の早い街灯の光が主張を始める。





「んあ」


 前と同じく、集中が極まり、食べさせて貰うモードに入った彼女は無防備に口を開いた。

 彼女には僕のパソコンのデータ整理を頼んだのだが、何やらそれ以外の作業もしているらしく、黒い画面に何やら英語の文字列が見える。


 僕は彼女に乞われるまま、わんこそば形式でその口に具材を放り込んで行く。

 意図的に多めに作ったのだが、彼女は全部食べてしまった。

 僕は、鍋にご飯と卵を入れて、おじやを作ると、再び彼女に餌付けを再開する。


 もしかすると、僕は生き物を育てるのが好きなのかもしれない。





「あれ?またいつの間にか食べてたみたいっすね」

「良い加減、ご飯の時にパソコンを触るのはやめた方が良いと思うよ」


 僕が餌付けした証拠の鍋を洗っていると、集中から戻って来た彼女が残念そうに呟いた。


「ウミウシ、写真食べ終わったみたいっすよ。なんか私の写真避けて、ニンニクの写真食べてるっす」

「へえ、潮月くん、嫌われてるのかい?」


 返事が返ってこない。

 僕は手元で食器を洗いながら顔を後ろに向ける。


 潮月くんはパソコンの画面を見ているようだった。


「……好みがあるのは本当みたいっすね。それとイラスト以外も食べる」


 彼女は確かめるように呟いた。



「先輩、とりあえずフォルダ分けしといたんで、きちんとこの『イラスト』フォルダにイラストは保存してくださいね。全く……なんで『講義資料』の中にイラストがあるんすか」

「気をつけるよ」


 食器洗いを終えた僕は彼女の背中越しで、フォルダ整理の講義を受けた。

 彼女はカーソルで『イラスト』と名付けられたフォルダの周りをなぞる。


 ぐるぐる、ぐるぐると。


 揶揄うような表情だった彼女から突然笑顔が消えた。


「……」

「どうかしたかい?」


 恐る恐る尋ねる。

 


「……データ整理のついでに、データの改竄監視プログラムをデスクトップを対象に回してたんす。けど、全く反応はなしっすね」

「履歴ごと書き換わってるって言ってたね」


 彼女は頷く。


「まあ、それは予想してた通りっす」

「そっか、でも何か予想外のことがあったんだね」


「……」


 彼女は肩越しにチラリと視線を向けてきた。


「作業中に、コピーしたデータを私のパソコンに送ってたんす。そしてコピーしたデータも書き換わってたっす。……物理的に遮断されてる筈の私のPCのデータが、痕跡なく」

「何か、不味いのかい?」


 彼女は厳しい表情を見せた。

 言うか迷っているような表情だ。


 カチリとウミウシをドラッグする。

 食事中に突然掴まれたウミウシは体をばたつかせる。


「もし、このウミウシがバイナリデータも食えるなら、ブロックチェーンを破れるっす」


「ブロックチェーンって、仮想通貨に関係してるんだよね?」

「それだけじゃないっす、電子上での金銭の関わる取引には殆ど使われてるっすよ」


 その説明でやっと、ことの重大さが理解できた。


「……ねえ、先輩」


 彼女はウミウシを掴んだマウスを『ごみ箱』の上に移動させる。


「こいつ、今殺さないと、多分ヤバイっすよ」


 ウミウシは危険を理解しているのか、体を強くうねらせる。


「……だめだよ、一度飼うって決めたんだから」

「先輩は、これを生き物だと思ってるみたいっすけど!!これは違うんす。この前はあんまりにも馬鹿馬鹿しすぎて訂正しなかったすけど、ウミウシは海の生き物なんすよ!……水のあるところでしか生きられないんす」


 彼女は僕の言葉を容赦無く否定する。


 情報の海には水は無い。

 きっと、本当の意味でウミウシは海の生き物なのだ。


「そっか」

「すんません、先輩。これが先輩のイラストだけを食べるんだったら、先輩の気持ち、優先したっすけど……先輩が危ない目に遭うの、嫌っす」


 悲痛な顔で告げる。

 やっぱり彼女は優しい人だ。

 態々僕に説明する必要なんてなかったのに、それだけではなくこうやって心配してくれている。


 だから彼女に文句を言うなんてことはできなかった。



 彼女がマウスのボタンを離すと、ウミウシの体が消えた。


 『ゴミ箱の中身を空にしますか』


 彼女がカーソルを移動させる。


「貸して」

「あ、ちょ。私がやるっす!」


 彼女からマウスを奪い取ると、彼女が咎めてくる。

 これは飼い主としての責任だ。



カチリ



 進捗を示す棒が、一秒もかからない内に端まで伸びきった。


 ウミウシが、削除される。



「ごめん」


 思わずウミウシに謝った。

 ウミウシが消えた後に謝ったのは僕の自己満足だ。


「はぁ」


 マウスを手放すと、途端に脱力感に襲われた気がする。

 たった数日の間だが、インターネットウミウシは確かに僕の人生の一部だったのだ。


 僕は呆然と『ゴミ箱』のアイコンを見つめた。








にゅ!


「あ」

「あ」


 アイコンからウミウシの上半身が出てくる。

 そのままにゅるりと全身が出てくるとウミウシは、『ゴミ箱』から怖がるように離れていく。


「あ〜〜〜”〜”!!」


 潮月くんは何か大きな失敗に思い至ったようだった。


「データじゃ無かった。存在しないデータは消せないんす」

「つまり……」


「ウミウシはプログラムじゃ削除できないっす」


 そう言って彼女は項垂れた。

 心配してくれる彼女には申し訳ないと思ったが、僕はその事実に安堵してしまった。例えこのウミウシが良くない存在であっても、愛着を感じていたから。



「……まあ、消す方法はあるっすけど」

「え!?」




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【インターネットウミウシの特徴 その4】

写真も食べる。

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