C:\Users\Unknown\3\ラーメン.png

 僕は一先ず潮月くんを家に送っていく。

 時間は既に十時を回り、女性が一人で歩くには物騒な時間帯だった。


 熱帯夜の生温い風が膝下を通り抜けて行く。


「とりあえず、コンピュータウィルスでないことは確かっす」


 酷く疲れたような顔で告げる。

 どうやら彼女もインターネットウミウシを見るのは初めてらしい。

 あれだけパソコンに触れている彼女が初めて、ということはかなり珍しい生き物なのだろう。

 絶滅危惧種だったりするなら、勝手に飼うのはあまり良くない筈だ。


 途端に怖くなる。


「元いた場所に戻したほうが良いんじゃないかな」

「ブログにっすか……ウィルスをアップロードするようなもんすよ。絶対やめた方が良いっす」


「ウミウシはウィルスじゃないよ」

「……そっすね。でも……一度飼うと決めてから、後になって放り出すのは結構無責任じゃないすか?」


「そうだねぇ」


 彼女の言うことはもっともだ。

 せめて、誰かに見つかって怒られるまではきちんと育ててあげるべきだろう。


「餌にするイラストを描かないと」

「なら、モデルにする写真あげましょうか?」


「また旅行してきたのかい?」

「今回は近場っすけどね」


 リュックから取り出した写真を何枚か取り出して見せた。

 彼女からそれらを渡されて受け取る。


 まず目についたのはピースしている彼女が頬の隣に掲げている黒くて丸い物体だった。


「この黒いのは?」

「卵料理っす、かなりクセがありましたね」


「これは?」

「山っす、めちゃくちゃデカいんすよ」


 満面の笑みでたけのこのようなポーズをしている潮月くんしか見えない。

 おそらく背後に見える灰色一色の壁が山なのだろうが、もう少し引きで撮って欲しかった。


 その他も動物や露店で見つけた小物とツーショットを撮っている彼女の写真があった。


「それ全部あげるんで、資料がわりにして欲しいっす」

「ありがとうね。後で返すから」


 彼女は苦笑いをした。


「あと」

「うん?」


「先輩、ファイルの名前の付け方が適当すぎっすよ。『苺.png』とか『芋.png』とか、しかもブログも『絵 その1』っすから、ネーミングセンスが息してないっすよ。ファイル名に全角の空白を入れるのもやばいっす。フォルダもごちゃごちゃだし、せめてジャンル分けぐらいしてほしいっす。どうせ『整理する時間が無駄だから』とか思ってるかも知んないっすけど、ごちゃごちゃになったファイルを探す時間を合わせればその10倍はあるっすからね」

「そ、そっか」


 どうやらウィルス捜索の時にかなり不便したようで、僕は頷くしか無かった。

 かなり怒っているみたいだ。


「部屋を綺麗にするよりも、まずフォルダを綺麗にしてほしいっす」

「ごめん」


 これは謝る他ない。


 口を引き結んでいた潮月くんは僕の謝罪を受けて表情を緩める。


「今度、またPCを見に来るんで、そんときに教えてあげるっす」

「コーラとサラミ、用意しておくよ」


「よろしくっす」





「兄さん、朝です」

「うーん、あと……あと、あれ?何でいるんだい?」


 冷たい瞳でこちらを見下ろしているのは、妹のつばめだ。

 僕はベッドに横になったままの姿勢で燕に問いかける。


「今日は休みですし、それに兄さんは絶対自炊出来ないと思ったので、私が手伝いに来ました」

「きちんと毎日料理してるよお」


 眠気からか、間延びした返事になった。

 僕はのそりと起き上がると、顔を洗って目を覚まさせる。


 そして、燕に自炊の成果である作り置きを見せようと、冷蔵庫を開いた。


「作り置きもしてるし、現にほら……無くなってる」

「私が食べました」

「何で」


 台所を見ると空になったタッパーが置いてある。

 律儀な事に、既に洗って乾かしている。


「代わりに私が料理を作るので許してください」

「作ってくれる分には助かるけど、大丈夫かい?今年、高校受験だったよね」


 燕は僕の方からスイと目を逸らす。


「兄さんは私の成績を知らないんですか、これでも学年で十本の指には入りますよ」

「下から数えてね」


 燕が目を剥いてこちらを見つめる。


「な」

「前、家にお友達が来てた時に教えてくれたよ。『丁寧語キャラなのにおバカなところが愛おしい』って。随分、文学的な友達がいるんだねえ」


「ぐぬう」

「後で、勉強教えてあげるよ」





「ここは変形してから解の公式を使うんだよ」

「ぐぬう」


 僕に勉強を教えられるのが余程気に入らないのか、ずっと呻き声を上げている燕。

 だが、元々僕に教えてもらうつもりだったのか、教材は全教科しっかりと持ってきていた。


「次は社会だよ、僕の得意分野だから安心して任せてね」

「ぐぬぬ、現代社会に追いつけていない兄さんがそれを言うのは、甚だ癪です」


 そこで、ふと潮月くんとの会話を思い出した。


「そういえば、燕ってSNSやってる?」

「え、やってますよ。ちょっと待ってくださいね」


 そう言って、バッグからスマホを取り出してアプリを開いていた。

 もしかすると、僕は6つも下の妹よりも遅れているのか。


「ほら、どうですか?どうせ兄さんはやってないでしょう?S、N、S」


 アルファベットを強調しながらスマホの画面を見せてくる。

 突きつけられたアカウント名に目をやると、僕の呼吸が止まった。


 そのアカウント名は、『クルーエルピエロ(32歳)』。


「……もしかして、お兄さんかお姉さんがいたりする?」

「血の繋がっていない兄なら、一人」


 その筈だよね、と小さく頷く。

 『クレイジーピエロ(37歳)』氏といい、もしかするとインターネットではピエロという名前をつけるのが流行っているのかもしれない。

 兄として、燕が誰かのブログに悪質なコメントを残していないことを祈った。


 そして別の疑問が湧いてきた。


「……何でクルーエルなんだい?」

「強そうでしょう?」


 近付き難くはある。


「じゃあ、ピエロは?」

「強そうでしょう?」


 人によるが、そう言う人もいるかも知れない


「……32歳は?」

「強そうでしょう?」


 これは理解できない。


「一番脂が乗ってる年頃ですから」


 意味を理解して使っているのだろうか。

 いや、例え分かっていたとしても使う場面を間違っている気がする。


「今日はレポートがあるから、早めに帰ってね」

「いえ、今日はここに泊まります」


 説得しようと思ったが、彼女の頑なな態度から一つ察した。


 どうやら、家には帰りたくないらしい。


「とりあえず、お義母さんには電話しておくからね」

「……許可します」


 憮然とした表情で頷く燕に背を向けて、実家へと電話を掛ける。


「もしもし、義母さん?」

『もしかして、ゆきくん?』


「うん、今燕がうちに来てるんだけど、今日は泊まるって言ってて」

『まあ、そうよね。昨日あの子の部屋片付けてたら、変なものが出て来てねえ』


 嫌な予感がした。


「変なもの?」

『ええっと、ちょっとまってねぇ』


 そう言うと、電話口からゴソゴソと紙をめくる音がした。


『……あぁ、これこれ。『漢達の性春〜筋肉盛り薔薇学園〜』っていう本がベッドの下から……』


「あー、うん、事情はわかったよ。とにかく今日燕はうちに泊まるから、お義父さんにもよろしく言っておいてね」

『は〜い、燕をお願いねぇ』


 静かに電話を切る。


「……」


 どうやら、電話の声が聞こえていたようで、燕はソワソワとした様子でスマホ越しにこちらを見ていた。


 恥ずかしい本を見られた時の気持ちはわかるが、本人にどのような言葉をかけるのがいいのだろうか。それがよりにもよって妹の場合は特に。


 男同士ならば、こんな感じかな。



「今度僕にも読ませてよ」

「……コロシマス」


 ごめんよ。大学ではデリカシーの講義は無いんだ。





「どう?美味しそうかい?」


 僕は髪を乾かした燕にパソコンの画面を見せる。


「見てると、お腹が空きますね」


 僕が彼女に見せたのはコッテリとしたラーメンのイラストだ。

 前に友達に連れて行ってもらって食べたのだが、時折無性に食べたくなるような強烈な旨みだった。


 ラーメンの透明度ゼロの汁の面に反射する蛍光灯の様子を描くのがかなり難しかった。

 描いた僕の方も、見てるだけで唾液が出てくる。


「ラーメン、食べに行こうか?」

「え、夕食を食べた後なのに、いいんですか?」


 僕はラーメンのイラストをデスクトップに保存する。

 ファイル名は『ラーメン.png』。

 どうやらウミウシは僕がマウスで移動しなければ、デスクトップから出られないらしい。

 そのため、ウミウシが食べるための画像を定期的にデスクトップに置いている。


 そして、財布を握ると燕を促した。


「大学生は、食べたい時にラーメンを食べる生き物らしいからねえ」



 帰って来た時にはラーメンの画像は虫食いどころか、ドット一つ残らないくらいまで食べられていた。


 これまでは大体ファイル一枚に3、4時間程掛かっていたのに、今回は1時間で完食していた。


 どうやらウミウシはラーメンが好物のようだ。




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【インターネットウミウシの特徴 その3】

ラーメンが好き。特にこってりしたやつ

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