C:\Users\Unknown\2\カレー.png

「あー、それ。ウィルスっすねぇ」


 画像のデータが不自然に消えたことをバイト終わりに後輩の潮月くんに相談した。やっぱり僕の思った通りだった。


「もしかして、変なサイトでも見たんすか?」

「パソコンはブログにしか使って無いけど……もしかして不味かったかなぁ?」


 僕の言葉を聞いた途端にその目から喜色が消えた。


「……そっすか」


 潮月くんはつまらなそうに返した。

 そして顎を手の甲の上に乗せると、僕の方を見た。


「それで……何時が良いっすか?」

「……え、修理してくれるのかい?」


 照れ臭いのか、僕の方から視線をそらした。


「まあ、見るだけっすけど」

「僕は何時でも嬉しいよ」


「なら今日行くっす」


 そう言って、潮月くんはリュックを持ち上げた。


「PC持ってくるんで、2時間くらい掛かると思うっす」

「助かるよぉ。代わりに晩ご飯作るから食べて行ってよ」


「……ゴチになります」





「お邪魔しまっす」

「いらっしゃい。はい、チョコ」

「あざっす」


 宣言した通りの時間に訪れた潮月くんを家に入れる。


「今日も強そうな格好だねえ」

「いつも言ってるけど、それ褒め言葉じゃないっす」


 彼女はぴっちりとした感じの短めのスカートを履いていた。

 名前を知らないやつだ。

 上半身もスパンコールが入っていて、非常に強そうだ。


「じゃあ、弱そう」

「相変わらず人間と会話する気ゼロっすね」


 彼女は呆れたように言った。

 荷物を下ろすと、テーブルの前に座った。

 そうして四つん這いになったかと思えば、部屋の中を這いずり回って、何かの電源を引き抜いた。


「問題のPCはこれっすか?」


 僕がコクリと頷くと、彼女はパソコンを開いてこちらに差し出してきた。


「パスワードお願いするっす」

「『0715』だよ」


 誕生日そのままだ。

 その途端に彼女は凄まじい形相で僕を睨んだ。


「先輩、パソコン舐めてるっすよね。ちょっと考えたら4桁の数字がどれだけ脆弱かなんて分かるっすよね。大学で何勉強してるんすか?」

「社会学」


 素直に答えたら彼女の眉がさらに歪んだ。

 ここは謝るのが正解だったのかもしれない。


 僕はそそくさとお茶を入れに冷蔵庫へ向かった。


「あ、自分はコーラで」

「うちには置いてないよ」


 彼女はジャンキーなものが好きなので、こういうことが良くある。


「外にはあるっすよ」

「仮にも先輩を使いっ走りにするつもりかい?」


「もしかして、自分をパシるつもりっすか。それ、パワハラっすよ」


 彼女はパソコンを弄りながら返す。

 まあ、態々パソコンの修理に来て貰っている身なので、コーラを買うくらいなら構わない。


「じゃあ、次いでに晩ご飯の材料も買ってくるよ。面倒だからカレーで良い?」

「良いっすよ。あ、ついでにサラミも買ってきて欲しいっす」


「おやつね」


 コクリと頷いた。


 僕は財布を持ってサンダルを履くと、アパートの外に出た。

 部屋から出た途端に、夏の暑さが体を包んだ。

 時間は夕方ごろ、少し空が赤く染まっていた。





「ただいまぁ。どうかな、直せそうかい?」


 部屋に戻ると、潮月くんが持ってきたパソコンと僕のパソコンを開いて、交互に触って何かを打ち込んでいた。

 作業の邪魔だったのか、彼女は髪を高いところで結っていた。


「うーん」


 集中しているのか、僕の言葉に返答は無い。

 少し寂しく感じながらも、夕食の準備を始めた。


 米を炊こうとしたところで、やっと彼女は僕の存在に気づいた。


「あ、お帰りなさいっす」


 少し疲れたような表情だった。

 集中が切れたようで、こちらに飲み物をねだって来た。


「いただきます」


 エアコンは効いているものの、脳が糖分を欲していたのか、彼女はコーラを一気に飲みこんだ。僕は炭酸が苦手なので、美味しそうに飲む彼女の姿が奇異なものに映った。


「どう、直りそう?」


 サラミを差し出すと、小さく頭を下げて受け取った。

 彼女は辛辣な言葉遣いだが、時折こうして礼儀の正しさが見え隠れする。


「……そっすね〜」


 潮月くんは左手でパソコンのカーソルを動かして、何かの画面を開いた。そこには細かな文字列が並んでいる。


「……先輩の描いたイラスト、一度も書き換わって無いっす」

「うん?」


「だから、先輩が初めから、この虫食いみたいな絵を描いたことになってるんすよ」

「ウイルスは」


「多分ないっす。セキュリティソフトがきちんと仕事してくれてるっす。……それにしても変なイラストを描きますねえ」


 彼女は断言した。

 僕はやっと、ウイルス以外の可能性に思い至った。


「ウミウシのせいかな」

「ウミウシ?ワームの事っすか?」


「いや、ウミウシが僕のイラストを食べてたんだよ」

「はぁ…………はぁ。今日はもう帰りますね。お邪魔しました」


 彼女はおもむろに荷物を片付け始めた。


「潮月くん、疑ってるよね?本当だからね、インターネットウミウシって知ってる?」

「ウミウシは存じ上げていますよ」


 さらに彼女の口調は他人行儀になる。


「そのウミウシを僕のブログで飼っているんだよ」

「あ、あー………ね?」


 曖昧に返事をした彼女は、やはり信じていない様子だった。

 僕は彼女を説得するように、ブログのページを開いた。


 『絵 その11』を開くが既に完食していたので、少し飛んで『絵 その15』を開くと、丁度ウミウシが僕のイラストを食べているところだった。


「ほら」


 僕はパソコンをくるりと回転させて彼女の方へ見せる。

 既に自身のパソコンをリュックに片付けていた彼女は、ため息を吐くと僕の手元に目を向けた。


「はぁ……本当に何なんすかもう…………ウミウシっすねぇ」

「信じてくれるかい?」


 彼女がリュックを下ろした。

 そうして、胡座の上にパソコンを置くと、いくつかのブログのページを開いては閉じてを繰り返す。


「虫食いになってたのは、これのせいなんすね……それにしても、ローカルのファイルまで書き換わるのは明らかにおかしいっすね」


 これまた彼女は何かを調べるように黒一色の画面を開いた。

 目を見開いたまま、手元は忙しなくキーボードを叩く。


 深く集中している彼女はいつになく強そうだった。


「……そうだ、料理の途中だった」



 1時間後、出来上がったカレーを持って行っても、まだ彼女は同じ姿勢のままキーボードを叩いていた。

 時折、瞬きを挟むもののその間隔は最低限で、人間の動きを再現したロボットだと言われても納得できるくらいに、彼女の動きは少なかった。


「カレーできたよ」

「んあ」


 パソコンを触りながら、口を開いてカレーを催促する彼女。


「自分で食べなよ」

「わたし、今忙しいから、食べさせて……んあ」


 もう一度口を開いた彼女に仕方なく、カレーを掬ったスプーンを差し出した。


「はむ、もぐもぐ……んあ」


 鳥のヒナのように口を開ける彼女に次々とカレーを注ぎ込んで行く。少し楽しくなってきた。


「はい、あーん」

「んあ、もぐ」


「もう一回、あーん」

「もぐもぐ」



 ◆



「くわぁ」


 皿洗いを終えて、サラミを齧りながらスマホで動画を見ていると、彼女が伸びをした。


「あれ、今何時っすか?」

「……9時40分くらいだね」


 彼女は目を白黒させる。


「晩ご飯はまだっすか?」

「さっき食べたでしょ」


 老年の夫婦のような会話を繰り広げる。

 彼女は僕の手元にあるサラミに気づいた。


「あ、それ自分のサラミっすよ」

「ま、まだ、食べるのかい?」


「だって覚えてないし、食べた感じしないっすもん」


 そう言って、彼女はサラミを口に放り込んだ。


「あー、でもちょっとお腹が重い気がするっす」

「……そうなんだねぇ」


 僕が顔を逸らした先には、先ほどまで五人前のカレーが入っていた鍋が下向きに干してあった。


「……」


 視線を戻すと、彼女のお腹がポッコリと膨らんでいた。


「ごめんね」

「気にしないで良いっすよ。ウィルスも無かったみたいなんで実質タダで夕飯手に入れたようなもんっす」


 微妙に食い違っているが、僕に真実を話す勇気は無かった。


「あぁ……あと、ウミウシの事っすけど」

「うん」


「あれが何かは分からなかったっす」

「インターネットウミウシって言うんだよ」


 僕がそう言うと彼女は困ったような顔をする。

 そして、腕を組んで何かを考え込む。


「……先輩ってSNSとか、やってるんすか?」

「やってないし、やったことも無いよ。怖いもん」


「今時小学生でもSNSはやってるっすよ。本当に先輩って何の勉強してるんすか」

「社会学」


 社会のことを勉強してはいるが、ソーシャルメディアには弱いのだ。


「……まあ、それは良いす。どうやら、ウミウシが食べたイラストは元データが書き換えられるみたいなんす」

「なるほど」


「分かっていないようなんで、噛み砕いて説明するっすね」


 なるほど、って言ったのに……。

 潮月くんはサラミを僕に向かって見せる。


「このサラミの写真があるとするっすよ」

「うん」

「そして、コピー機でその写真をコピーするっす」

「うん」

「コピーした写真を破ったら、コピー元の写真も破れるっす」

「……うん?」


 あり得ない事象が起きていると理解した。


「それだけおかしい事が起きてるって事っす」


「へえ、不思議な生態を持ってる生き物もいるんだねぇ」

「……え?」

「え?」


 僕と彼女は顔を見合わせた。

 そこで彼女に伝えていなかったことを思い出す。


「……そういえば、このウミウシ触れるんだよ」


 僕は彼女の前でウミウシのいるページを開くと、ウミウシをクリックしてみた。


 ウニィ


 小さく身を捩らせる。


「ね」

「本当っすね」


「それと、こうすると掴める」


 ウミウシをドラッグする。

 イラストから離れた位置に下ろすと、ウニウニと元の場所へ戻ろうとする。


「かわいいよね」

「……そっすかねぇ」


 彼女には少し理解し難いらしい。

 僕はもう一度見せようと、ウミウシをドラッグした。


「あ」


 間違えてブログのウィンドウ内ではなく、デスクトップ画面の上でマウスのボタンを離してしまった。


「先輩、これ」


 ウミウシがデスクトップ画面の壁紙の上を動いている。

 潮月くんが、マウスをひったくってブログのウィンドウを消した。


 それでもウミウシは僕のパソコンに残っている。

 

 さらに彼女はインターネットの接続を切った。

 それでもウミウシは僕のパソコンに残っている。


「捕まえられたっすね」


 小さく呟いた彼女が、また何やらパソコンを触る。


 説明なく十数分経った後に、彼女が口を開いた。


「やっぱり、おかしいっす」


 心なしかキーボードを打つ時の手付きが荒々しくなる。

 ガシガシと髪をかき乱す。


「どこにもウミウシのデータが無いし、どのプロセスもこのウミウシを動かしていないっす」

「つまり?」



「このウミウシはデータでも、プログラムでも無いんすよ!」


 まあ……生き物だからね。




————————————————————

【インターネットウミウシの特徴 その2】

プログラムじゃない。

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