第24話 分水嶺


「見事でした。流石ですね」


 どう考えてもお世辞丸見えのエバの言葉に、俺も殊勝に見えるように頭を下げる。

 彼女ほど強ければ、俺の動きなど大したものには見えなかったことだろう。

 問題は弱すぎるとマイナスの印象を与えなかったかどうかだが。


 壁上を歩いて帰って来る途中の兵士たちの態度の変化を見れば、大きく失敗はしていないとは思う。

 あれは実力が明らかとなって一目置いたような態度に見えた。少なくとも、「口だけの若僧」から「腕もある若僧」くらいにはランクアップしたはずだ。別に彼らには認めてもらう必要はないのだが、やはり軽んじられるよりは敬意をもたれた方が気持ちいいというのも確か。俺は羨望の眼差しを受け止めながら、アワンの元へと帰った。


「おかえりなさいませ。素晴らしいご活躍でした」


 すまし顔でそう口にするアワンからは、本気で思っているのかどうかが読み取りづらい。もっと兵士たちのようにキラキラした目で見てくれてもいいのだが、彼女にそれを求めるのは酷か。今は周囲の目もある。

 かいがいしく濡れたタオルで俺の血のり――全て魔獣の返り血――を拭ってくれるアワンに好きにさせながら、俺は気になっている視線の先を見た。


 先ほどから俺を凝視してくるアナークの視線には、当然気が付いていた。目が合うと、すぐに逸らされる。別に見るなとは言わないが、気づかれたくないのならもっと巧く隠してほしいものだ。


「なぜ、わざわざ下に降りたんですか?」


 その問いかけには、流石の俺もドキリと心臓が跳ねるようだった。

 アナークに意識が奪われている隙をついたかのように、気づけばエバがすぐ側までやってきている。

 彼女は好印象しか持っていないと言わんばかりの笑みを浮かべて、俺をじっと見ていた。


「……なぜ? 戦うためですが?」


 近接戦をするためには敵に近づくしかない。最もな理屈で小さな疑問さえ抱かせないようにしたつもりだったが。この感じは――。


「……あ、そうですよね。これはおかしなことを聞いてしまいました。ごめんなさい」


 悪びれの気持ちの一切感じられない謝罪に、つばを飲み込む。

 これは、気付かれているのではないかと。

 エバは今のやり取りなどなかったかのように、総隊長の顔へと戻った。


「もう、通常の防衛体制に戻しても大丈夫でしょう。当然警戒を解くわけにはいきませんが」


 俺も今は頭を切り替える。

 まるでもう追撃はないと分かっているようなエバの発言。やはり――。


「前回もそうだったんですか?」


 俺の問いかけに、エバは心からの笑みを浮かべて答えた。


「ええ、前回もそうでした」


 悪びれもなく前言を撤回してみせるエバ。

 もしかしたら、それに俺が気付くのか、最初から試されていたのかもしれない。

 そして痛感した。

 エバは、今回の件と俺の存在が無関係ではないと、半ば確信していると。




***




「時間を作っていただき、ありがとうございます」


「構いませんよ。他ならぬ、ミアの子の頼みですから」


 場所は移動し、総隊長室。

 ここにいるのは俺、アワン、エバ、そしてアナークの4名。

 ちょうど昨日と同じ面子が集まった。

 

 あれからしばらくは警戒態勢を維持したが、動きが無いと分かって時間を貰った。この忙しい時に総隊長、隊長の両名を借りるのは流石に心苦しいが、一方は俺だけの責任というわけではない。

 俺はその一方――アナークにちらっと視線をやる。

 既に銀の兜は外されていて、端正な顔立ちと綺麗な赤髪が曝け出されていた。


「…………アナークは大丈夫ですよ。こう見えて口の堅い子ですから」


 俺の摘まみ出せという意図を持った視線に、やんわりと否定が返される。

 見たところ性格は堅そうだが、その堅さが口にまで行き届いているものか。反動で緩んでいなければいいが。

 懸念は消えない。この娘が出会い頭から俺に悪感情を向けていることも要因の一つではある。

 だが頼みを聞いてもらう立場で、これ以上我儘を通すのもまずい。

 それに後からエバがアナークに伝えるのであれば同じことだ。

 俺は視線を戻すと、切り替えた頭で単刀直入に本題へと入った。


「襲撃の頻度は?」


「今回のものを合わせて三回。一度目は今から一週間ほど前ですね。嘘をついてごめんなさい」


 あっさりと白状し、やはり謝罪の気持ちなど欠片も籠ってはいない形だけのものを付属させる。しかしこの立場にある人間が形だけでも謝罪をするというのは、殊勝なことだ。現に俺は全く不快には思わなかった。それに、お互い様だ。


「心当たりは?」


「我々には、ありません」


 嘘ではないだろう。この感じなら、今回のようなケースは異例だったのだと思う。時期的にもやはり、俺が知っているあの件と無関係ではない可能性が高い。


 俺は最後の確認に、アワンに視線を向ける。

 ここが分水嶺だ。引き返すならここしかない。

 アワンは俺の意を正しく受け取った上で、首を縦に振った。

 

 これで後顧の憂いは完全に無くなる。俺はアワンの判断を信じると決めたのだから。


「そうですか。実は我々には心当たりがあります」

 

 俺の言葉にも、エバは特にこれといった反応は示さなかった。やはり、彼女は勘づいていたようだ。

 確かに、自分で言うのもなんだが、俺の態度は毅然とし過ぎていたかもしれない。普通は突然疑われれば、人は特に心当たりがなくとも慌てる。やましいことのない人間などこの世にはいないから、なおさら自身の潔白を前面に押し出し、さらに押し通そうと動くだろう。

 俺の落ち着いた態度が逆に、エバの中の何かに引っかかった。

 アワンがそのあたりの表情管理をミスするはずもないので、やはり要因は俺だ。


 まあ、そんなに嘆くことでもない。むしろ話が早くて助かる。

 俺は懐からメモ用紙を取り出し、手渡す。

 エバは確認すると、全員に聞こえるように文字をなぞった。




「下界の番人よ。貴様は生まれながらの咎人だ」


「汚れた大地に7つの霊命を贈る。罪人の血を息吹で雪ぎ、20年前に還す」


「手始めに、祖国の土を枯らす。大罪の果てに牧歌する野の羊たちよ、贖罪の時だ」


「戸口の罪は貴様を恋い慕う。愚者の原罪に、然るべき審判を」


「ゆめ忘れる事なかれ。私が必ず、貴様を裁く」




「……………………なるほど」


 数秒が経過し、エバが言葉を漏らしたタイミングで捕捉する。

 捕捉と言っても、ほとんど事件の全てとも言えるあの夜のことを。


「私にその言葉を告げたのは、このアワンです。そしてアワンは、その発言を全く覚えていません」


「はい。全く記憶にありません」


 目配せすると、即座に断言する。

 エバの表情に光が差す。何かに気が付いたかのように。本当に察しがいい。この辺りは経験値故のものだろうか。


「…………精神支配! 無関係でないというのは――」


「そういうことです。似た能力とは思えませんか?」


 今回の魔獣たち。誘導されたのか操られたのか、魔獣の記憶を探るなど難しい話だが、何者かの存在が裏にあるのは確かだ。

 都合三回に及ぶ魔獣大行進をたまたまと片付けるのは、あまりにも能天気な話だろう。可能性は全くないわけではないが、人為的と考えるほうが遥かに利口だ。


「詳しく聞かせてください。特に、その時の彼女の様子を」


 今回の件の背後に何者かの影があると分かると、エバの表情が変わる。

 ただならぬ事態だと、察したようだ。


「目は虚ろとか、躁状態などには見えませんでした。意識ははっきりとしており、何者かの意志をその中に感じました。ですが、アワンではありません。確かに別人の気配です」


「憑依型ですね。術者の本体は?」


「直径一kmの円内には、確認できませんでした」


「……目視で確認したのですか?」


「違います。父から引き継いだ力です」


「! …………そうですか。信じましょう」


 俺の能力に直結する情報であるため口にするか迷ったが、術者が近くにいなかったという情報はこの話の根幹に関わる部分であるため避けようがない。

 それに父と同じ能力。彼女なら当然知っていることだろう。これを隠す理由は少ない。というより、明かした方が彼女の中で驚異の想定がしやすいはず。

 幸いにも、エバはそのあたりに触れては来なかった。アナークに知られたくないというこちらの思いをくみ取ってくれたのだろう。失礼だとは承知だが、意外にもマナーがある。


「我々が便宜上Aと呼称する術者は、今回も確認できませんでした。となると、かなり遠距離からの術になります。心当たりはありませんか?」


 まるでずっと前からAと呼んでいたかのように、俺は当然という顔で押し進める。世の中堂々としていれば意外となんとかなるものだ。

 その証拠に、俺の隣に立つアワンは、まるで「私もずっとあいつの名前はAしかないと思ってた」と言わんばかりに、初めて聞かされる呼称をすまし顔で受け入れる。


「…………そこまで遠距離からとなると、通常、精密には操れないと思います。記憶が全く残らない点を加味しても、かなり強力な精神支配。精神への攻撃に特化していると考えても、Aが卓越した術者であることは間違いありません。時間と精度は?」


 エバも、まるで「あーはいはい、Aね。あいつのことね」と言わんばかりに、初めて聞かされる呼称を訳知り顔で受け入れる。

 もしかして、俺がちょっと気にし過ぎなのだろうか。自意識過剰だったか、それとも俺のネーミングセンスは案外いいのだろうか、などと思考を横切る。


 すぐに質問されていることを思いだし、何を馬鹿なことを考えているんだと我に返った。

 エバの言うように、通常の精神支配はかけられた者に記憶が残るのが普通だ。操られたという事実は対象に残り、そして術者は対象者の近くにいなければならない。これは精神支配の鉄則。


「5分強ほどですが、時間切れのようには見受けられませんでした。精度はただのナイフで俺の肉体を傷つけ、一時とはいえ腕力で拮抗したほどです」


 隣のアワンの空気が揺らぎ、表情が歪んだのが見えたが、今は慰めの言葉をかけるだけの余裕はない。

 続くエバの発言に、俺自身少なくない動揺を覚えたからだ。

 それだけエバの問いは、この世界のタブーだった。


「――カイン。あなたのレベルを教えていただけますか?」

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