第21話 お前を信じる
「カイン様、アズラに――」
「駄目だ」
表情を輝かせて口を開くアワンを、すぐに黙らせる。
余計な期待は抱かせたくはなかった。
「やるとしても、それは今じゃない。俺たちには先にやるべきことがある」
国に戻っている間に、機会を逃すのは愚かだ。
かといって彼女だけを国に帰すわけにもいかない。俺のすぐそば、手の届く場所に置いておかないと安心して夜も眠れない。また体を操られて自害させられないとも限らないのだから。
(少なくともあの能力の詳細……条件くらいは把握しておきたい)
その場で術者を殺せればベストだが、一度手の届く距離まで接近できれば、最悪それでもいい。なんにせよ今回のチャンスだけは絶対に逃せない。
「そう……ですよね」
聞きたいことが聞け、また思わぬ収穫があったことで、憂いはなくなる。
ようやく、今日の本題に話を戻すことができる。
「それで? 俺の毒を抜いて、言いたいことがあるんだろ?」
カッと目が見開かれる。
作り出されるのは、いつもの生真面目な表情だ。彼女もようやく本題を思い出したらしい。色々と察しはついているが、まずは彼女の言い分を聞きたいと思った。
「はい。私は……先も言いましたが、アリエス様のお力を頼るべきだと思います」
「なぜ?」
俺も体を起こして座り直すと、アワンと向かい合う。
そこには男に迎合するだけの女ではない――力を宿した瞳があった。
「逆に、なぜなのでしょう? これはもはや私達二人だけに収まらない……下手をすれば、世界全体に影響を及ぼすほどの問題です。それが分からないあなたではないはず。世界最強のお力を持つアリエス様がご協力して下されば、きっといい方向に導けます」
「かもな」
もったいぶることなく肯定する。
確かに、俺も今回の一件をボヤ騒ぎ程度とはもはや認識していない。そんな能天気な考えでいていいはずが無い。
俺の
事実だけ見れば俺は、自分の女をやりたい放題された挙句、まんまと逃げられた上、未だ正体も見抜けず、それについても敵が残した言葉に頼るしかない。世界最強の血を引く男が、この体たらくだ。
自分を慰めるわけではないが、アワンの言う通り、やがて世界へと広がる大火となる可能性は全く否定できなかった。
それだけの危険性を、あの一夜の、あの一瞬の邂逅で悟らされた。
このカイン・オルキヌスが全力で殺すべき敵だと、魂の震えがそれを直感させた。
そしてあれだけが、敵の驚異の全てとは限らないのだ。
「では……なぜなのでしょうか?」
これは俺がアワンの考え、つまりエバ・アリエスに頼ることに否定的な――それも断固とした――考えを持っていると見抜いてのものだろう。その理由を彼女は聞きたがっている。当然、俺に隠すという選択肢はない。彼女とは一蓮托生なのだから。
「まず大前提、こちらが情報を開示したとしても、エバ・アリエスの積極的支援は望めない」
「!?」
反射的に口を開こうとするアワンを手振りで押しとどめる。質問は全てを語ってからだと。彼女は意図を察してすぐに口を噤んだ。
「エバはロータル大谷から動けない。ここを突破されることは、事実上人間種の敗北を意味する。人と魔の戦争はここを突破されたことから始まった。厳密にはアルフレート大山が先だが、影響力はその比ではないだろう。あの惨劇を二度と繰り返さないという無言の意志表明。その意味でも、エバは動かせない」
ただ一人生き残った勇者。エバほどの強者がここにいるのには、当然意味がある。それだけ人類にとって、厳密にはこちら側の領域に存在する人間と、その近親種にとっては、ここロータル大谷は重要なのだ。
前回ロータル大谷が突破された26年前には、それはもう甚だしいほどの被害が出たという。勇者の一団の台頭がなければ、こうして人類が現存できているのが奇跡と思えるほどの脅威だったとか。だからこそ、この場所はなんとしても死守しなければならない。こちら側の最高戦力を安易に動かせるはずがない。
「…………」
「そして仮に動かせたとして、だ。現場に到着する頃には仰々しい大軍となっていることだろう。相手が20年前の遺産である可能性が明るみとなれば、この戦争には政治的側面も出てくる。決して少数での派遣とはならない。その動きを気取られて、逃げられるのが俺にとっては最も痛手だ。確実に奴が出現すると分かっている場所は今回のこれっきり。この手がかりを逃せば、次はないかもしれない」
確実、とまでは言い過ぎかもしれないが、今ある情報の中では最も可能性のある場所だ。というよりも、それしか手がかりがなかった。祖国の土だけは、絶対に外すわけにはいかない。
そして、俺があたりをつけているその場所も問題なのだ。主に政治的な面で。情報を与えれば、世界的な問題と化し、どう考えたって動きは物々しいものとなる。まるで歴史を繰り返しているかのようだ。
(…………歴史。いや――――)
頭によぎった懸念を振り払う。今考えることではないと。
「…………」
「最後にこれが最も大きな理由だが、エバを信用できない」
「!! な、なぜでしょうか? アリエス様は、かつてオルカ様とミア様のお仲間だった方です。世界的権威も持たれています。御息女のルルワ様も、あなたとは親しかったはず……」
確かに、両親の仲間だ。この世界を救った一員という実績もあり、実力も確か。初めて相対した時などは、全身に鳥肌が立ったくらいだ。あれは、人間の枠には収めてはならない。味方に付けられれば、強大な戦力となるのは分かり切っている。しかし――
「だから? 親の友人だろうと、世界的偉人だろうと、娘と友人だろうと、俺がエバという女を信用する理由にはならない。俺にとっては赤の他人だ」
これが俺の本心だ。
別に彼女に特段怪しいところがある訳ではないし、かといって嫌っているというわけでもない。ただ、信用しきれない。ただそれだけだ。
オルカとミアと仲が良かった。かつてこの世界を救った。娘のルルワと俺は仲が良かった。世界中の誰もが信を置くような偉大な存在だ。
いずれも、俺がエバを信用する理由にはなり得ない。
俺は正直、自分のことしか信じていない。
「それは、オルカ様とミア様をも疑う……ということですよ?」
歯切れ悪く、こちらを窺うように口にするアワンだったが、余計な気遣いだ。なぜならその通りなのだから。
「ああ」
俺はこともなげに首を縦に振る。アワンが息を飲むのが見えた。
別にこれは、約束を破らなかったオルカを恨んで――とかそんな幼稚な想いが理由ではない。ごく普通のことだ。
逆になぜ両親が信頼するという理由だけで俺が良く知りもしない人間を信用しなければならないのか。そちらの方が俺には不思議だ。これは別に親への愛情が不足している、とかではないはず。
自分が信用に足ると思った人間を俺は信用する。ごく当たり前の話だ。
「これは俺の……最も大切な女の命がかかった問題だ。軽はずみな判断はできない。絶対に失敗したくない」
俺は断固として意志を押し通す。
アワンには悪いが、もう決めたことだ。
単純に情報を広く共有するということは、漏洩の危険性も増すということ。喋る口が増えるほど、情報漏れの確率は上がるのが道理。そこから最悪のケースなど、考えたくもない。
俺が考えなしに言っているわけではないことを理解したアワンが、顔を伏せる。これで話は終わりだと、確信した。俺の言葉を覆す術はないと。
しかしもう一度顔をあげたアワンの言葉は、先ほどと同じだった。
「それでも私は、ここでアリエス様のお力を借りるべきだと思います。私達だけで戦うには、不足している情報があまりにも多すぎます」
正直、予想外だった。
これほど俺が言葉を尽くしたのちに、彼女がなお反抗してくることなど、これまであったか。いや、記憶が確かなら初めての事だ。
確かに、納得のいく言だ。
俺たちは、いや俺は特に、過去について知らないことが多すぎる。
敵が、20年前の何らかに関係があることはもはや承知の事。ならばその時代について最も詳しい女に相談するのは至極当然の流れだ。原理原則で言えば、彼女が正しい。しかし――。
「…………」
俺たちは、珍しくぶつかり合う。
互いに一歩も引かぬ押し合い。目と目を合わせるが、微かにも色っぽい空気にはならない。しかし、確かに思いは通じ合っている。
先に引いたのは、俺の思いもよらない人間だった。
「…………分かった」
驚愕の色をその顔に塗り広げたのは、たぶんアワンだけではなかっただろう。
正直、俺も驚いた。他ならぬ自分自身の判断に。
俺は、自分しか信用できない人間だと思っていたから。
「……よろしいのですか?」
自分の意見を通せたというのに、優越感や満足感ではなく、まず俺の様子を窺って来るのが彼女らしい。若干の申し訳なさすら感じられる態度。人によっては煽りのようで不快に思うだろうが、俺は彼女の人となりを知っているので当然そんなふうには思わない。
「俺は今……自分の信頼の基準が分かったような気がする」
「信頼の……基準?」
「ああ、そいつのために死ねるかどうかだ」
「っ!」
具体的には、そいつに裏切られるなら仕方ない。そいつのミスに巻き込まれて死ぬなら仕方ない。信頼した上で、それが自身の死に繋がるような結果をもたらすことになったとしても、全く後悔の念を抱かない。そんな相手だ。
その基準に則れば、エバは俺にとって、信頼できる対象ではない。
しかし、アワンは違う。
「俺はアワン、お前のことなら誰より信頼できる」
「…………カイン様」
アワンがそうした方が良いと思うのなら、そうするまで。
アワンがエバを信頼できると思ったのなら、それを信じるまで。
アワンの今回の判断で、もし俺が死ぬようなことになったとしても、俺に後悔は全くない。その場合巻き込まれて死ぬことになるアワンには申し訳ないが、彼女も同じ気持ちを持ってくれていると、俺は直感している。
俺は、アワンの判断を信じることにした。
「お前を信じる」
こうして、結論は成った。
この時の俺の判断は正しかったのか、それとも間違っていたのか、それは未来を迎えても分からなかった。
どちらにしろ、もはや言っても仕方のないこと。過去は変えようがないのだから。誰であろうとも、過去へ戻ることはできない。
過去は、現在へと――
そして現在は、未来へと――
「っ!? なんだ!?」
「きゃあっ!?」
止まることなく、進み続ける。
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