第20話 白々しい


 今夜も、彼女の中で出したのは一回だけだ。

 今回は入念に体の準備をして臨んだが、やはり最初の内から無理をさせるべきではない。少しづつ慣らしていってから、じっくりと進めていこう。それがお互いにとっても良いことだろう。

 幸いにも、アワンは早くも快感を感じているような素振りを見せてくれた。思わぬ積極性も見せてくれているが、ここで調子に乗って欲望のままに暴走し、性行為そのものに忌避間を持たれては困る。それが俺への想いを揺らがせる要因にすらなることなど、絶対にあってはならない。

 当然だが、女にも心はあるのだ。今好きでいてくれるからといって、この先もずっとそうであるという保証は全くない。

 愛されているという事実に胡坐をかき、配慮や敬意、そしてそれらを統合した愛の供給を怠るのは、俺は怠慢だと思う。

 それができていないのであれば、愛していないと女に言われても仕方がない男だ。


「今夜も……優しくしてくださってありがとうございます」


 俺の腕の中で丸くなっていたアワンが、こちらを向く。

 この部屋の明かりは現在、俺が生み出した小さな光源のみだ。

 しかしこの程度の明かりでも、闇に慣れた目ならはっきりと互いの表情が分かる。


「何ですかその顔は。私が気が付かないとでも?」


「いや……」


 正直、彼女には悪いがそう思っていた。

 セックスなんて、最初の頃は自分の性的衝動に突き動かされ、というか翻弄され半ばパニックみたいなもんだ。初めてで冷静に動ける奴のほうが珍しいだろう。というかたぶんいないと思う。他ならぬ俺もそうだった。

 俺の場合は、そもそも状況と相手があまりにも己の常識からかけ離れていたためだが、まあ今は良いだろう。


 つまり何が言いたいかと言えば、アワンにも本来余裕などないはずなのだ。

 彼女はこれがまだ二回目。自分の事ばかりに精一杯で、相手の様子を窺う余裕など普通はないはずだが。


「…………あなたに導かれると、不思議と落ち着いていられます。心が温かくて、心地よくて……いえ、凄く恥ずかしくはあるのですが」


 途中で何を言っているのかと我に返り、視線を泳がせるアワン。

 先刻の「すき♡」発言から、どうやら彼女の口のチャックは緩みつつあるようだ。

 だからこそ嘘は言っていないという信憑性があった。


 アワンから漏れ出た言葉に、心から嬉しさが沸き起こる。

 女への優しさなど、本来相手に悟らせるものではないし、さらにそれに対して感謝の言葉を吐かせるものでもないが、やはり気づいてもらえると嬉しいというのもまた事実だ。こればかりは人間なのだから仕方がない。上司に自分の仕事ぶりをちゃんと評価されれば嬉しいのと同じだ。人間は潜在的に誰かに褒められたい生き物なのだ。

 それを除いても、こんなにも俺のことを見てくれているという事実が、どうしようもなく嬉しかった。


「あの……私の奉仕はいかがでしたか? 何か間違ってはいませんでしたか?」

 

 不安そうに見上げてくるアワン。

 肉体を重ねるうちに、彼女は素直な面を見せてくれるようになった気がする。あるいは、こっちが彼女の素なのだろうか。かっちりとした衣服を取っ払えば、彼女本来の姿が顔を出すのか。

 真面目な大人というイメージだったが、年相応に幼い気配も最近は感じるようになった。

 

 不安に揺れる瞳が俺の心の内を覗き込んでくる。

 この場合、変にお世辞を言ったりするのは逆効果だろう。


「気持ちよかったよ。結果を見てもらえれば分かったと思うが」


「そうですか。よかった……」


 思い切り彼女にぶちまけてしまったことを思い出して照れくさくなり、冗談めかすが、アワンは心から安堵した様子だった。

 両手を重ねて胸を撫でおろす女の姿に、庇護欲がくすぐられる。

 しかし彼女は突然顔を強張らせ、急に思いだしたかのように慌て出す。


「あっ! ま、学んだのはもう随分昔のことだったので、覚えているか不安でした。あのっ……勘違いして頂きたくないのは、私は本物でやったのは今回が初めてです。他の男性で試したりなどは、一度としてしたことはありません。練習の時も、張形を用いました。こういう感じの――」


 アワンがわざわざ体を起こしてまで、両手で男性器の模造品を形作る。

 見えないが、実際にその場にあるような動きに、彼女の特に意味もない優秀さが光る。

 ここがこんな感じで、こういう風に曲がって、ここをこうやって手で――とか説明する姿は、どうあってもシュールだ。本人におふざけの気持ちが一切ないのがまた凄い。笑ったら悪い気がしてくる。

 やがて俺が特に興味もない張型の洗浄方法や保管場所にまで詳しくなり始めた頃、我に返ったようにアワンの動きが止まった。


「んっ……申し訳ありません。しかし、事実ですから。そこだけは誤解の無きよう。私は正真正銘、カイン様が初めての男性です」


 強く念押ししてくる。

 カイン様が初めての男性――そうアワンの口から言われることには、中々の破壊力があった。言ってくれと乞うてもたぶん言ってはくれなかっただろう。彼女は自分が真面目な話をしていると思い込んでいる時にしか、恥ずかしいことを言ってはくれない。しかしまあ――。


(作為的なものを感じるな。誰かの入れ知恵か……)


 それが誰かなど、今更考えるまでもない。


「母さんに言われたのか? 男を知っていると嫌がられる、とでも?」


「!!」


 ぎょっと目が見開かれる。

 これで的外れだったら訴えられるであろうレベルだ。図星という言葉にこれほど相応しい顔は見たことがない。


「なぜ……いえ、は、はい。その通りですが、厳密にはミア様がオルカ様より伺ったそうです」


 詳しく話を聞けば、女が潔癖でないと我慢ならない男がいるという話を、ミアがオルカから聞いたことがあるそうだ。得てしてそういう男は自分自身も経験のない者に多いとも。


(まあ……一理あるか)


 確かに俺がまだ女を全く知らない時に、今のような状況でアワンが百戦錬磨なら、もしかすると奥手になっていたかもしれない。

 それだけ思春期の男心というものは繊細なのだ。精神が下半身の動きに直結すると言っていい。思い当たる節はいくつもある。


 彼女たちは俺が思春期――盛りのついた猿のように性欲を持て余す頃――に手を出して来ると想定して練習していたようだから、そのあたりの配慮に過敏になるのも頷けるか。処女厨が童貞に多いというのもあながち間違ってはいない。俺の個人的な考えを言えば、男は大体みんな潜在的処女厨だと思うが。


 今でさえもしアワンの過去に男がいたと判明すれば、ちょっとどころか結構なダメージがある。冷静に考えればそんなの別にアワンの自由なのだが、やはり恋愛は理性だけでは語れない。感情のぶつけ合いだけに、時にその感情が邪魔をすることもある。

 俺は好きな女には自分だけを見ていてほしい。それがたとえ過去であろうとも。身勝手なのは重々承知だが、それが素直な思いだ。

 だがその辺を語る必要性はないだろう。今は彼女が不安に思っていることだけを取り除いてやればいいはずだ。


「まあ、そう不安に思うな。お前が男を知らないことくらい分かってる」


 これは本当に分かってる。

 俺は二年前までほぼ毎日アワンとは行動を共にしていたし、ここ最近の関わりで間違いなくその類の経験がないと確信した。そもそも彼女の出自を知っていて手を出せる男が非情に限られる。だから俺の脳内候補にはオルカくらいしか出てこなかった。

 そしてその女に経験があるかないかなど、普通にわかるくらいには俺も女に慣れてる。

 彼女は世にいる女たちの中ではむしろ分かりやす過ぎるくらいだ。もっと狡猾に計算高く男を騙して来る女など、この世には掃いて捨てるほどいる。

 そんなことをこうして気にしている時点で、そもそも彼女は恋愛自体に慣れていない。


 再び、ほっと胸を撫でおろすアワン。

 別にそこまで気にしてくれなくてもいいのだが、彼女の中では大事なことだったのだろう。

 というかそんな助言ができるなら、肝心の男へのアプローチ法も伝授しとけよ、とミアへの怒りが再燃する。

 アワンやアズラがちょちょっと誘ってくれれば、すぐにぴゅぴゅっと出したものを、俺が国から追われたのは母さんのせいだ。

 

 などと言っても仕方がないか。

 アワンの心配も無くなったようなので、俺が個人的に気になっていたことをいい機会だと思い質問する。というか、今のうちにはっきりさせたかった。


「俺の妻の候補には、お前も含まれていたのか?」


「…………はい。本命は妹のアズラでしたが」


 憂い顔で伏せるアワン。妹のことを思い出したからだろう。

 悪いことをしたかとも思ったが、それと同時にやはりと納得した。

 本命がアズラであったことは、クーデターの首謀者が彼女であったことからも薄々察していた。まあ、順当に考えて一族で最も強いアズラに産ませるのが妥当だろう。アワンはアズラに子ができなかった時、もしくは生まれてきたアズラの子の才能が不足していた時の予備か。


 生々しい、血も涙もないような考え方だが、これが王族だ。

 一国を背負う立場にある人間に、綺麗ごとは驚くほど少ない。


「それにしては……お前は言うに及ばず、アズラも分かりにくかったな。てっきりあいつは俺を嫌っているものだとばかり――――!?」


 その時ばかりは、俺は本気で動揺した。

 アワンの表情が、これまでで一度も見たことが無いようなものになっていたからだ。

 大口をあけて、というか顔中の至る所を限界まで引き延ばして、本気かこいつ――とでも言うような目で見られる。言葉を選ばずに言えば、世界一の大馬鹿を見るような顔だった。


「え? は?」


「ん? え?」


 顔を見合わせて、お互いの思惑のすれ違いを共有し合う。

 明らかに、納得していない感じだ。それは俺もだが。


(実はそんなに嫌われてはいなかった……? いや――)


 俺は背後から心臓を一突きにされかけたし、なんならこうして国も追い出されている。アワンなんか本当に殺されかけているし、俺側についた最愛の姉を殺したくなるほどに、彼女は俺を憎んでいたということではないのか。


「…………オルカ様とミア様がお亡くなりになって、契約はどうなったのかと揺らいだ時期は確かにありましたが、我々は血の盟約は消えないと信じて動いていました」


「いや、当のその俺が全く事実を知らされていなかったんだが……」


「え!?」


「え!?」


 目を見開いて顔を突き合わせる。

 この時のお互いの感情は、ほぼ100%合致していた。

 隠されていた文字が一つずつ見えてきて、文章が読めるようになっていくような感覚だ。加速度的に真相が近づいてくる気配。俺はあまりいい気分ではなかったが。


「…………知らなかった? 私はてっきり、オルカ様を恨んでいたカイン様が、ご自身の判断で盟約を破棄されたものとばかり…………」


 アワンの言葉の意図を、即座にくみ取る。

 約束を破ったオルカへの当てつけに、父オルカが勝手に結んだベンサハルとの取引を破ろうとしたということだろう。子の俺には関係ないと。精神的にまだ未熟な子供なら十分にありそうだ。

 親への反抗なんか若者には特に珍しくもなんともない。それが王族ともなればなおさら。歴史的にはむしろ仲の良い関係の方が珍しいくらいだ。

 つまり俺は事情を知ったうえで、ベンサハル一族を無視していたと。それで彼女はよく俺側についてくれたものだ。


「いや、仮に知らされてたとしたら最高でも7歳だぞ? 常識的に考えて、子供にそんなこと言えるか?」


「ぇ……ですがカイン様はあの頃から、器量も知能も大人顔負けで……」


「理由になってない」


「…………」


「…………」


 すれ違っていた事実が今明らかとなり、俺は頭を抱える。比喩ではなく、本当に頭を抱えた。

 アワンが言いにくいはずだ。こんなのアワンの立場なら、どう口にしたって俺への失礼になりそうだ。

 別の問題が急浮上し、すっかり忘れ去っていた、今や過去になりつつあった問題。俺もわざわざ掘り起こすのもなと、敢えて避けていた話題。



「白々しい。不愉快だ」



 どうしようもない怒りに染まった、アズラの顔を思い出す。

 彼女は、俺が事実を知っているのに知らないフリをして八つ当たりしていると思ったのだ。父オルカへの反抗。あいつへの行動の全ては、その当てつけだと。


 俺の身近に侍り、種を貰える機会をずっと待っていたが、突然の軍部への移動。お前らは俺の子を産むのではなく、俺のために戦え。そう言われていると受け取ってもおかしくはない。

 さらに15歳から17歳という、性欲が最も高まる大事な時期に城に不在。これではベンサハルと関わりたくないから、わざわざ尤もらしい計画を立てて逃げ出したようだ。俺の技術スキルが農地改革に必要不可欠と知らないアズラであれば、お前が主導する必要はないだろうと思うのは当然だ。

 そして極めつけが、ベンサハルの禁忌に触れたこと。これまでは子供の我儘で何とか許していたことが、民族的な問題にまで発展してとうとう決壊した。

 

 父と母が死んでからの俺の動きの全てを振り返れば、確かに納得できる。いや、納得しかない。視点を変えれば、見えなかったものが見えてくる。



「…………全て、俺が命じたことだ。お前らのルールなんか知らなかったよ。特に興味も無かったからな」


「……………………そうか」



 アズラの、一瞬だけ見えた悲しそうな顔を思い出す。

 泣き出したいのを必死に我慢するような、子供のような気配が――あの瞬間、確かに感じられた。

 俺はどうやら、大変な思い違いをしていたらしい。

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