第19話 アワン・ベンサハル【2】


 キスをして、顔を離す。

 なぜだか俺たちは、気づけばキスをイエス、ノーの返事みたいに使っていた。今のはアワンの気持ちはちゃんと伝わった、という肯定のキス。

 統計的には些かイエスに偏りがちだが、果たしてノーと伝える時にもこの手法は応用できるのか。それはもう少し試してみなければ分からない。

 いや、そんなことは起きないようにしなければならないのか。


 互いの想いを確認し合う儀式を終えると、ようやく情事の始まりだ。

 スッと目を伏せ、顔をやや上に向けてキスを待つ美女。

 

 ここ20日ほど、俺たちはセックスこそしていないが、キスなどの愛情表現は、それはもう数えるのも億劫なほどにこなしている。

 ロータル大谷を進んでちゅっちゅちゅっちゅ、時たま立ち塞がる魔獣を退治しながらちゅっちゅちゅっちゅ、夜は同じ布団の中ちゅっちゅちゅっちゅ。

 大体は俺から、というか全部俺から、暇さえあれば彼女の唇に吸い付いている。乳児が母親の乳首を見つけた途端に条件反射で飛びつく感じで。


 ちなみにアワンに拒否されたことはまだ一度もない。彼女は自分からちゅっちゅはしないが、俺からちゅしたら、即座にちゅちゅちゅだ。

 たぶん心の中に隠された潜在的キスしたい欲で言えば、俺がちゅとすればアワンはちゅちゅちゅちゅっちゅちゅー、ちゅちゅちゅちゅっちゅちゅーくらいだと思う。

 何を言ってんだ俺は。たぶんキスのし過ぎで頭がおかしくなったのだ。


 キスには慣れたのか、眼下には随分と様になったキス待ち顔。

 どうして女がキスを待つ顔というのはこれほどまでに萌えるのか。男が同じことやったってキモいだけだというのに。男女差別だこれは。

 俺のキスがいつも通りすぐにやってこないので、薄眼になって様子を確認する感じなんか凄く愛らしい。これを計算でやっているのなら凄い女だ。


 顎にそっと手をやると、若干頬が緩む。

 それは嬉しいというより、いつも通りの動きに自然と顔がほころんだといった感じだった。これからキスがやってくることが確定したことに、安堵したような。

 こんなに可愛い子がキスを待っていて、拒否できるものがいるだろうか。いいや、いない。やはり俺にはイエスしかない。


「ちゅ……ちゅ……」


 長身のわりに、あまりにも小さな顔を支えながら、キスを落としていく。

 男のキスを受け入れる態度も、空気も、表情も、もはや堂に入ったものだ。息を吸う、吐くのタイミングが分からず四苦八苦していた女の姿はもはやそこにはない。

 表情は穏やかで、楽しむ余裕さえその姿にはあった。


「あむ……ちゅ……ちゅる……ちゅう……」


 顔を目の前に差し出せば、唇をこじ開けられ、瞬く間に口内に侵入される。

 やはり始めてさえしまえば、貪欲なのはアワンの方だ。彼女はキスが好きなのだと思う。


 一般的な傾向でも、男よりも女の方がキスが好きだと思う。

 これは個人的な感覚にはなるが、女は男がどれだけキスに応えてくれるか、そしてそのキスがどれだけ丁寧か、そのキスにどれだけの愛情が籠っているかで、男の愛を測る気がするのだ。

 なぜなら女は、男という生き物はキスがあまり好きではないと知っているから。特段やりたくないことでも付き合ってくれるか、それを見ているような気がするのだ。


 本当に個人的かつ、根拠も特にない考え。

 なぜなら当の俺がキス大好き人間だから。流石にアワンの好き度と比べれば自信はないが、俺は情事には必ずキスがないと駄目なくらいにはキスが好きだ。


「にゅる……れう……れる……ちゅう……!」


 舌を絡め、唾液を押し出し、そして飲み込ませれば、返ってきた唾液をまた受け入れる。味わい、味わわせ、飲み、飲まれる。

 彼女は初夜で唾液の交換に拒否感を持っていた様子だったが、今ではこの有様だ。もっと飲ませてほしい。もっともっとと、俺の口の中が干上がるくらいに水分を強奪していく。まるで盗賊だ。

 俺も回数をこなしていくうちにいずれ慣れていくだろうと、そんなに深くは考えていなかったのだが、わずか一月足らずでベロチュー大好き女に様変わりするとは思ってもいなかった。

 別に困ることはないどころか、俺にとっては嬉しい誤算であるため全く問題はないのだが、人間の慣れというのは本当に恐ろしい。いや、この場合はアワンが恐ろしい女なのか。


「ちゅ、ちゅう……ちゅっちゅ、ちゅ、ちゅっ……」


 ほーらちゅっちゅちゅっちゅ。

 心の中でほらやっぱりと、誰かに向けてアピールする。この女を見てくれと。

 俺の首の後ろに両腕を回し、抱え込むようにキスする姿は、どう贔屓目に見ても捕食者のそれ。間違っても被捕食者には見えない。

 おまけにキスするたびに周囲に乱舞する甘ったるいハートマーク。これ見えてるの俺だけか? どう見てもピンク色のハート型がアワンから生み出されて、フワフワと上に昇っていってるんだが。


 抱き合いながら、しばらくは愛情の貪り合いを楽しむ。

 彼女が満足するまで、そして俺が満足するまで、互いの熱を交換し合う。

 

「ちゅぽっ……はぅ……」

 

 やがて若干唇がふやけ出した頃、ようやく解放される。

 顔の上にほう、と生暖かい吐息がかかり、すっかり出来上がった女の顔がすぐ目の前に見えた。

 夢心地といったような顔。本当にキスが好きみたいだ。

 その対象が俺だという事は、本当に嬉しい限りである。俺とキスをするのが好き、とも言い換えられるのだから。


 俺はアワンの様子から、次に移っていいのだと判断すると、腰にやっていた手を滑らせていく。

 アワンの尻を鷲掴み、首筋にキスを落としていく。

 明らかなパターンの変化。セックスに持ち込むつもりだということは一目瞭然。

 アワンの尻がきゅっと引き締まり、首筋が伸びる。

 俺は少しづつ、顔を下へと。女の匂いを体内に取り込み、首筋を舐めるようにキスしていきながら、胸元へと――。


「あの……すいませんが、先に湯浴みを。匂いが気になってしまって……」


 ピタリと動きを止める。

 大きな胸がもう真下。尻にやる手は吸盤のように吸い付いては離れない。

 断腸の思いで視線を上げると、冷静になった女の顔。

 つい先ほどまでのトロトロ顔が夢であったように、冷や水をかけられたような変化。


 この場合、気になる匂いとは俺のことなのか、それともアワン本人のことを指しているのか。それとも両方だろうか。

 俺がアワンの首筋の匂いを嗅いだあたりで待ったがかかったのだから、おそらくは後者なのだと思うが。

 確かに俺たちはこの20日間、水浴びなどはあれどしっかりとした入浴はしていない。俺もアワンも体臭が濃い方ではないが、汗の匂いなどはするかもしれない。

 実際汗の匂いと、土っぽい匂い、それから多少の埃臭さはあった。それでもいい匂いのほうが比率的には大きいのだが。本当に、なぜ女の子はこんなにいい香りがするのか。同じ人間とは思えない。


 汗の匂い、それに関しては俺は全く構わないのだが――むしろ望むところなのだが――女の子はやはり気になる問題なのだろう。それに先ほど、自分のやりたいようにやっていいと言ったばかりだ。


「分かった。じゃあ先に風呂にしよう」


 ほっと胸を撫でおろすアワン。

 俺はそんな彼女の手を取り、そして引いた。


「ぇ……? え?」


 混乱するアワンだが、手は振り払わずについてくる。

 俺は振り返ると、心からの笑みを浮かべた。


「一緒に入ろう。それが俺のやりたいことだ」


 男と女の関係。

 別に男と女でなくとも、男と男であろうと、女と女であろうと、はたまたそのような括りでなくとも、パートナーの関係とは互いの欲望を叶え合うことのできる唯一の繋がりだと思う。

 当然、欲望は合致しないこともあるし、相容れないこともある。

 だからこそ、互いが配慮し、互いが尊重し合う。そんなパートナーをこの広い世界の中から見つける必要がある。互いの欲望を上手く発散し合い、心から分かり合えるような――そんなパートナーを。


 俺は強引に引っ張っていくようで、しっかりと拒絶できる時間を与え、手を振り解くことができる力加減にした。

 ただ一つ分かっていることは、アワンは手を振り払うことも、拒絶の言葉も吐かずに、俺についてきてくれているということ。むしろ握った手は、少しだけ握り返されたような気がした。

 それが彼女の答えであるのかは分からない。ただ、決して俺の独りよがりではないことだけは分かって、少しだけ嬉しかった。




***




「脱がせっこしようぜ」


 風呂場に辿り着くと、狭い個室で女と二人きりになった興奮そのままに、俺は万歳の体勢で待つ。

 女は照れ隠しのように男を責めた。


「浮かれていますね。まるで付き合いたてのカップルの……初めてのデートのよう」


 そんなこと言い出したら。ここ最近は浮かれっぱなしだ。彼女は自身を振り返ったほうが良い。俺が浮かれていることは全く否めないが、たぶん一番が俺ではないことが分かるだろう。


「ああ、実際そう変わらないだろ? もっと遥か空まで浮いていいくらいだ。こうして地面に足がついているのは奇跡だな」


 俺はぴょんぴょんと体を上下にゆすぶって、早く脱がしてくれと急く。

 確かに、いい年した図体のデカい男がこんな行動をしていれば、浮かれているという表現は妥当だ。まだ十代という純然たる事実を直視するには、俺たちがこれまでついていた立場は重すぎた。急に年頃のように戻ったとして、我に返るような現実が羞恥心を誘うのは致し方ないことなのかもしれない。


 ただ、それがどうだというのか。恥ずかしいことも曝け出せるから特別な関係なのだ。俺は迷って時間を浪費したくはないし、今楽しめることを全力で楽しみたい。


「私ももういい年なので……そう子供のようにはしゃぐことは、今更できません」


 などと口では言いながらも、アワンはこちらへ近づいてくる。

 気のせいでなければ、その足取りはスキップのように軽やかなものだった。

 精一杯隠そうとしているようだが、浮足立っているのがよくわかる。

 そんな様子を見て、俺の口角も自然とあがった。


「人生を楽しむことに年齢は関係ないし、そもそも人生に遅いなんてことはない。もっと言えば、お前は永遠の19歳だろう?」


「……」


 だが、内心ルンルンだった少女にいらぬ差し出口をしてしまう男。

 その正体は、好きな女をからかってやりたいという典型的な非モテ男だった。


 アワンが俺の上の服の裾を両手で掴む。

 そしてニッコリと微笑んだ。


「次、私の年齢の前に『永遠の』という枕詞を付けたら、二度と地に足が付かない体にしますから」


「うわっぷ」


 勢いよく捲り上げられ、衣服が首に引っかかる。しかし勢いは止まらず、そのまま顔まで引っ張りあげられた。ちょっと痛かった。今ので服が傷んでなければいいが。というか――


「お、おいっ。なんでここで止めるんだよ!」


「ふふふっ……よくお似合いですよ」


 心から楽しそうな笑い声が聞こえる。

 見えないが、良い笑顔を浮かべていそうな声だった。


 何故見えないか、それは両腕の付け根と頭に、衣服がひっかかったままだからだ。

 本来であれば、そのまま上に引き上げていき脱がせるのが、これではまるで拘束と目隠し。何も見えず、自分ではこれ以上どうすることもできない。俺は両手を上に掲げたままの状態で、しばらく放置される。

 子供のようにはしゃぐことは――とか言っていたくせに、やってることは子供のそれだ。俺が脱がせるターンになったら、同じことをし返してやろうと心に誓う。


「あっ、私は自分で脱げるので大丈夫です。そこからはご自分でなさってくださいね」


 しかし、相手が一枚上手だった。

 俺の目が塞がれている間に、衣擦れの音が聞こえてくる。

 手と目が完全に塞がれているこの状態では、触ることもできないし、見ることもできない。楽しもうと思っていた二つを、同時に取り上げられてしまった。

 心から悔やみ、何とかしようともがくが、アワンの動きは早かった。

 女の身支度とは思えない程、素早く衣服が脱ぎ去られる気配。

 残念ながら、俺は聞こえてくる衣擦れの音だけで興奮できるほどの域には、まだ達していなかった。

 

 こうして俺はあまりにも間抜けな格好のまま、アワンが全ての衣服を脱ぎ終わるのを待つしかなかったのだ。




***

 



「ほんとに置いてくんだもんな。途中からそういうプレイだと誤認して快感を感じそうだった」


「どういうプレイですか……。流石にそこまでの難易度のものを要求されるのは困りますからね。それこそ、お一人でどうにかなさってください」


「いや、あれならお前何もすることないじゃん。実質一人だろ」


「あれをプレイと仮定した上で私がそれに加担していると思うと、もの凄く嫌です」


 お前がやったくせに勝手な。やったことには最後まで責任を持つべきだ。

 などと内心思うが、藪蛇なので言葉には出さない。

 それに過去はもういい。俺は前に進む。今を生きる男なのだから。


「なら、洗いっこはどうだ?」


「…………まあ、それくらいであれば」


 こちらに背を向けるアワンの、背後に立つ。

 狭い浴室で、裸の男女が二人っきり。これで興奮しないわけがない。


 言質を取ると、俺はシャワーのお湯をアワンの身体にかけていく。

 彼女は両腕を胸の前で組んでいた。大きな胸を下から掬い上げるような感じだ。彼女にそういうつもりは毛頭ないだろうが、これでは主張しているようにも見える。

 ここまで明るい場所で見るのは初めてだが、やはりとんでもないものをお持ちだ。まさにボン、キュ、ボン。きっちりとした衣服を全て取っ払えば、匂い立つような色気を放つ極上のボディ。

 これで真面目秀才キャラは無理がある。この肉体はどう見てもお色気セクシー要因だ。別作品であればきっと「お姉さんが体で教えて、あ、げ、る♡」とか言って童貞少年を誘惑して性癖を直角に歪ませていることだろう。というか嘘でもいいから一回言ってみて欲しい。その場合俺の愚息が直角に起立することだろう。


「…………手が止まっていますが」


「あ、ああ……」


 嘗め回すように視姦していたのがバレてしまった。眼鏡の下から冷たい視線が飛んでくる。

 俺はその視線から全力で逃げながら、誤魔化すようにシャワーのお湯をかけていく。褐色の肌は水分を弾き飛ばす瑞々しさを保持している。まるで水滴一つ一つが跳ね返されているようだ。にも関わらず、この肉体は水に濡れるとエロさを倍増させる効果も持つ。もうたまらん。


「はぁ……やっぱりお湯は気持ちいいですね」


 俺がかけていくお湯を掬うようにして、両手で首元をなぞっていくアワン。

 顔をあげて首を伸ばして、本当に気持ちよさそうだ。

 俺も見ているだけで気持ちがいい。ずっと見てたい。


「というか今更だが……眼鏡は大丈夫なのか?」


 思いっきり水で濡れてしまっている眼鏡を見て、思い至る。

 ガラス細工のような装飾の施された高級そうな眼鏡。本当に今更の心配だ。


「ええ、この眼鏡は特別ですから」


「魔術が付与されているのか?」


「いえ、天術で製造されています」


「…………珍しいな」


 作り出したものに、後から何らかの魔術を付与したものと、そもそも術によって製造されたものとでは、価値が大きく異なる。

 例えるならそれは、武器全てを金属で作ったものと、武器の表面を金属でコーティングしたもの。少なくともそれくらいの差はあるのだ。

 それも天術によって作り出されたものなど、さらに珍しい。思っていた以上に貴重なもののようだ。

 確かに思い返せば、あの夜のクーデターで割れていたように見えたレンズが、いつの間にか綺麗に元に戻っている。自動的に修復する天術もかけられているのだろう。彼女を最初に見た時からかけていたが、一体誰が製造した逸品であるのか。


(まあ……いいか)


 今はどうでもよいこと。

 話は少しそれたが、そろそろいいだろうか。

 俺はお湯をかけ残していない所が残ってないかを隅々まで確認してから、石鹸を手に取ると泡立てる。


 ここからが本当のお楽しみだ。

 彼女の望み通り、匂いなど気にならないように丁寧に洗ってやろう。

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