第18話 やりたいこと


 俺はゆっくりと、一歩ずつ、部屋の中央に立つ女へと近づいていく。

 見れば、アワンは首元まで赤く染め上げていた。彼女の後ろ髪はきっちりとアップされた状態で結われているため、うなじの部分が完全に曝け出されているのだ。

 褐色の肌が匂い立つような色気を発し、さらに羞恥心までそこにトッピングされるとなると、もはや理性を抑えることなどできるはずもなかった。


 俺は背後からアワンを抱きしめる。

 体に触れた瞬間、アワンの全身に力が入ったのが分かった。


「あの……」


「ん?」


 後ろからのぞき込む。

 アワンは俺の視線から逃れるように、逆方向へと顔を背けた。


「別に、そういうことがしたかったとかではないですから。勘違いなさらないでくださいね。私はそんな……はしたない女ではありません」


 女側から誘うという行為は、アワンの中で”はしたない”という認識なのか。

 俺からすれば彼女のような真面目な女性が「あなたのおちんちんが欲しいの、抱いて♡」なんて言って来るのは興奮要素でしかないのだが。

 アワンのツンを脳内で勝手にデレへと変換してしまったが、まあ大きくは間違っていないだろう。言葉の裏を読めって親父もよく言ってたし、アワンも言うように先達には習わなければ。


「ほう……ではなぜ?」


 アワンの言は照れ隠し、もしくは恥ず隠しの部類だと分かっているが、俺は敢えて問い詰める。やはりいくつになっても、好きな子を虐めるという行為は男にとって楽しいものだ。

 耳元で呟くが、答えはすぐには返ってこない。

 なぜなら、特にしっかりとした理由はないだろうから。


「…………か、管理です」


「管理?」


 予想外の言葉に、本気で首を傾げる。一体何を言っているのだろうかと。

 アワンは言い訳のように早口でまくし立てた。


「そう、管理です。王でなくなったとはいえ、あなたから引き継がれる血は世界的な重要事項。やたらめったら種をばら撒かれては、後継問題……いえ、世界的な問題となります。だから、管理です」


(なるほど……)


 正直、この短時間で思いついたにしては中々筋の通った意見だ。

 王族で真っ先に問題としてあがる後継問題。

 望まれない子、関知しない子の存在というのは、正直馬鹿にならない。

 俺もこう見えて、本当にこう見えて、そういう部分には結構気を配っていた。間違っても、国である程度の立場や権力のある娘などには手は出さなかった。近づいてさえいない。

 理由は当然、厄介事を招くと分かり切っているから。将来への禍根は、作り出さないが吉だ。そもそも手を出すなというツッコミは受け付けない。いい女がいたら口説くのは男の義務だ。


 しかし王ではなくなった今、このような問題とも縁は無くなったと思ったが、確かにアワンの言も一理ある。

 俺が種をばら撒き、いろんなところで俺の――正しくは俺の両親の血筋が芽吹き始めれば、世界のパワーバランスが崩れるかもしれない。

 冗談抜きで、この世界では血筋から遺伝する才能というのはとても大きいのだ。

 先代オルカは率先して軍縮を進めていたようだし、各地で超強い奴がポンポン出現するのは本意ではないだろう。俺もできるなら世界に悪影響を及ぼすのは避けたい。そんな影響力が俺自身にあるのかはさておいて。


(これは……元から考えていたのかもな)


 冗談半分の発言とは思えなかった。

 真面目な彼女なら、そのあたりも俺に抱かれた時点で考えていそうだ。むしろ他の適当な女に種を撒かないよう、自分が率先して人柱にならなければ――とそんなふうにすら思っていたかもしれない。

 宰相かつ俺の世話にも携わっていたアワンは、なんというか俺に対して過保護というか、母親のような感情さえ持っている節もある。逐一真面目だ。ミアも見習ってほしい。


「その……男性というのは、数日に一回は出さなければならないと聞いたことがあります。カイン様はあれから、ずっと我慢なされているご様子。ここには女の兵士もいるようです。彼女たちに欲望をぶつけないとも限りません」


 まるでやましいことでも抱えているかのように、早口で言い繕う。

 アワンの様子も気になるが、もっと気になるのはその内容だ。


 彼女は俺のことを何だと思っているのだろうか。女と見れば誰であろうと襲い掛かかって腰を振るような獣とでも思っているのか。

 過去のセクハラの数々は完全に棚に上げて憤慨する。俺はそんな軟派な男ではないと。

 まあ、ずっと我慢していたというのは事実だ。

 あれから、というのはアワンを抱いた夜から。つまりは、あの夜から俺は一度もいたしていない。


 理由は当然、アワンの安全のため。

 セックスしている間にアワンが再び操られて殺されました、では笑えない。風呂に入る、飯を食う、用を足す――人間が油断する瞬間は数あれど、男が最も気を抜く瞬間で射精中を超えるものはないだろう。次点で射精後。そのあたりを敵が狙って来ないとも限らない。

 アワンもそれを察していたのか、そのあたりに関して触れてくることはなかった。これまでは。

 ならばなぜアワンはこのタイミングで俺を情事に誘ったのか。その理由は場所にある。


 ロータル大谷。

 この場所はかつて魔領域、人領域と呼ばれ大別されていた二つの領域を分ける中心地。つまり魔領域の魔獣たちを人領域に来させないようにするための人工の要塞。

 自然の驚異だけで侵攻を食い止めている他二つの地点とは異なり、どうしても人による防衛が不可欠。

 だからこそ、この場所は世界で最も戦力が集まっている場所なのだ。

 その証明に勇者の一団唯一の生き残り――エバ・アリエスがこの場所に詰めている。ここに乗り込み、要塞を攻略し、あまつさえ俺たちの元まで到達できるのであれば、それはもはやどうしようもない敵だ。

 遠距離からの精神攻撃にも、この要塞自体に何らかの対策が施されていることだろう。咆哮によって精神に恐怖を与えてくる魔獣は結構いる。魔獣専門のようなこの要塞で、それらへの対策が用意されていないとは思えない。

 だからこそ彼女は、ここに滞在する間に済ませてしまおうと考えたのだろう。

 俺もそちらの考えには賛同だ。ここなら安全、というよりここで危険ならば、それはもはや俺になんとかできるような敵ではない。お手上げだからだ。


 7日も女を抱けなかったことにより――それもこんなにいい女と連日夜を共にしながら――抑えられないほどに欲望が膨らむ。

 すぐにでも押し倒して、彼女と欲望のままに交わりたい。


 しかしもう一つの方の、賛同できない考えにより、俺は彼女を両腕から解放した。肉体から離れ、一歩後ろに下がる。

 俺の突然の行動の変化に、アワンが急いで振り向く。見えたのは、強い不安を感じさせる表情だった。

 まあ当然だ。すぐにでもセックスに持ち込むような雰囲気であったのに、急に抱きしめるのを止められれば不安にもなるだろう。


「アワン」


「は、はい……何かご無礼を?」


「いや、そんなことはない。そう不安そうな顔をしないでくれ」


 否定の言葉にも、彼女の顔は陰ったままだ。

 やはりしっかりとした理由を説明しなければ、安心はできないか。


「お前がそこまで考えてくれていたことに、まずは感謝を。しかし、お前がそこまで考える必要はないし、お前がそこまでの責任を負う必要はない」


「!!」


 目を見開くアワンと正面から向き合い、しっかりと思いを伝える。


「そのあたりは俺が気を付けるべき部分だ。別に自分一人でもどうにかできる問題だし、義務感や使命感で女に処理させるなどもっての他。お前は道具ではないのだから」


「…………」


「そもそも大前提、子ができることによって生じる世界への影響など、俺たちが感知する部分でない。今を生きる俺たちには、この世界で自由に生きる権利がある。当然アワン、お前にもだ。お前は自分のやりたいように、やりたいことをやって生きて行けばいい。俺に縛られて自由意志を曲げる必要は絶対に無い」


 最初は俺も冗談めかしたし、たぶんアワンも照れ隠しの割合が大きかったことだろう。しかし発言の全てが冗談とは思えなかった。彼女は本当にしっかりした女性だから。

 だからこそ、俺の想いもしっかり伝えておくべきだと思った。ここをなあなあにして進めてしまえば、俺たちの関係は取り返しのつかないものになるような気がして。

 冗談になにマジレスしてんだよ、ともしかしたら思われたかもしれない。だが、そう思われた時はそれはそれだ。俺にだって自分の意志を相手に伝える権利くらいはある。


「…………」


 俺の事をじっと見つめるアワンからは、感情の揺らぎが読み取れない。眼鏡の奥の瞳の中に、感情の炎が宿っていないか探してみるも、美しい瞳に見惚れてしまうだけの結果に終わった。

 やがて無表情だった美女は、花のように微笑む。


「やっぱり……カイン様はやればできる男です」


 褒められているのか、貶されているのか、微妙なニュアンスだ。

 しかし悪い気はしなかった。

 アワンが、一歩だけ前に出る。

 その一歩で、彼我の距離はゼロになった。

 

 唇に確かに感じた熱に、何が起きたのかを認識する。

 アワンからのキスは、実は初めてではない。しかし前回とは決定的に違うのも確か。前は確か、俺がアワンの方からしろと指示した。今回は、何も指示していない。この違いに、この行動の意図に、気が付けない俺ではなかった。

 これは、意思表示だ。


 触れ合うだけのキスを終えると、アワンはすぐに元の場所へと一歩下がる。

 勢いがついてしまったからか、少しだけずれた眼鏡を調節しながら、彼女は瞳を逸らした。


「これが……私のやりたいことです」


 分かってよ。そんなふうに少しだけ唇を尖らせてみせる彼女に、後顧の憂いは消え去る。

 今度は俺の方から一歩踏み出すと、二人の距離は再び無くなった。

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