第17話 やればできる男
汚れた大地に7つの霊命を贈る。罪人の血を息吹で雪ぎ、20年前に還す。
「『罪人の血を息吹で雪ぎ、20年前に還す』……この辺りは言葉遊びか? 少なくとも、現代的な表現ではない。『罪人』も俺を指すなら、俺を殺して20年前の雪辱を果たすってことか。確かに20年前に親父が負けていれば、俺は生まれてこなかった」
「『汚れた大地』とは、どこを指しているのでしょうか?」
「抽象的すぎて分からないな。どの国のどの街のどの道を曲がったとこにある大地か教えてほしいもんだが。一つ確かなことは、こいつは間違いなく道案内が下手だということ」
「謎解きが下手よりはましですが」
「架空の示威行為に参加しようとする女に比べれば、それもましだな」
「今から現実にしましょうか?」
「ごめんなさい」
反撃に対し、さらに倍の威力の反撃が返って来る。
出るとこ出られたら俺の敗北は必至。ここで彼女に叫び声の一つでもあげられようものなら、刺される後ろ指は一本では済まないことだろう。
俺の早すぎる降伏宣言に、アワンが微笑む。マウントをとって優越感に浸っているような笑みではない。それは俺とのくだらないやり取りを楽しんでいるような晴れやかなものだった。しかしすぐに真面目な顔つきに戻る。相変わらずデレの割合が極端に少ない女だ。
「……では、『7つの霊命』とは?」
「『霊命』……確か創成古語で『天寿を全うできなかった者の魂』」
「…………世界広しと言えど、現世で創成古語まで網羅している者はカイン様くらいでしょうね」
「網羅はしてないし、これを覚えていたのは本当にたまたまだ」
「ご謙遜を。幼少期から神童と持て囃されていただけはあります」
「一気に説得力無くなったな。今現在の俺の駄目そう感が凄い」
「なぜです?」
「いや、神童なんてガキの頃は誰だって一度は言われるだろ。それにそういう奴ほど大人になれば案外大した奴じゃないと相場は決まっている」
「いえ、私は今でもカイン様は『やればできる男』くらいには思っていますよ?」
「それは努力できない奴と、結局普通にできない奴の代名詞だ」
何事においてもやればできるなんて言い訳をする奴に、本当にできる奴などいない。出来る奴はそれを言葉ではなく実際の行動で証明できるし、そもそも普通に既にやってる。
つまりアワンからの俺の評価は、できない男というわけだ。
そのアワンを見ると、彼女にしては珍しく本気で慌てていた。どうやら俺が言ったような含みはなく、ただ単純に褒めたつもりだったようだ。
ならば「やればできる男」というのは読んで字のごとく、本当は能力があるけどやらないだけの男――という意味だろうか。それはそれで買いかぶり過ぎのような気もするが。というか俺はそんなにやってないだろうか。
「霊命の意味が分かったところで、詩文そのものの意味が分からなくてはな。どっかの汚い土地に、七つの早逝した魂を向かわせますと言われても対処の仕様がない。いや、対処の必要性があるのかすら分からん」
「少なくとも、良い予感はしませんが?」
「対象が俺だけならそうでもない。むしろ望むところ」
「…………」
何とも言えない表情を浮かべるアワンを尻目に、俺は熟考する。
思いついた仮説としては、この言葉全ての中にある主語は、俺を指しているのではないかということだ。
下界の番人、貴様、咎人、罪人、野の羊、愚者。
全て俺一人のことを表しているのではないか。ならば汚れた大地も俺のことを指しているのではないか。
それが正解ならば、俺はただ待っているだけでいい。
動かずとも、7つの何かが勝手に俺のところに来てくれるのだから。
しかし三行目のある一節が、俺たちを目的地へと急がせていた。
手始めに、祖国の土を枯らす。大罪の果てに牧歌する野の羊たちよ、贖罪の時だ。
「『祖国の土』か……」
これについては意見が割れた。
まずそもそも、祖国というのが誰の祖国なのかが分からない。
言葉を送ってきた者の祖国なのか、20年前に俺の両親に滅ぼされた者の祖国なのか、それとも俺の祖国なのか、それとも――。
そこから俺たちは候補を二つにまで絞った。
恨みを持っているのなら対象は敵の祖国であろうと、ごく自然な考え方に当てはめて。
一つは当然、俺が生まれ育った国。つまりは、つい最近まで俺が王をしていた国だ。オルカが王を、ミアが王妃をしていた国でもあるし、自然に考えればそれ以外の答えはない。
しかし俺の勘は違うと言った。だからこそ俺たちは国には戻らず、もう一つの候補地へと急いでいる最中なのだ。
「『大罪の果てに牧歌する野の羊たちよ、贖罪の時だ』……滞在を提案しておいてなんですが、やはり急がなければなりませんね」
(…………やはり)
そのアワンの言葉に、俺とアワンとの考えの違いを確信する。
大罪の果てに牧歌する野の羊たち、の意味に関してではない。これはアワンの「魔王の死後に生きている人間たちのことではないか」という意見に俺もこれといった否定の言葉は持ち合わせなかった。自然に考えればそうだ。
たち、と複数形ならば「野の羊」が俺であるという可能性よりかは、よほど納得できる。その中に俺も含まれているという可能性までは否定できないが。
俺とアワンの考えにおいて明確な違いは、急いでいる理由についてだ。
アワンは祖国に該当する場所へと急いでいるのは、野の羊たち――つまりは人々を守るためだと誤認している。
しかし俺が急いでいるのは、それが理由ではない。
ぐずぐずしている間に全てが終わってしまえば、件の敵を逃がしてしまう恐れがあるからだ。
アワンの肉体を乗っ取って俺に語り掛けた者が確実に現れると分かっている場所は、現状その一箇所しかない。つまりは、チャンスは一度きり。
その一回で必ず仕留めなければ、アワンの今後の安全は保障されない。あの夜の相手からは、ただならぬ気配を感じ取った。少なくとも、何度もチャンスをくれるような甘い相手ではないだろう。だからそのチャンスを絶対に逃すことの無いように、俺は急いでいる。
「…………アワン」
「はい?」
こちらを振りむく彼女の顔を見て、やはりやめておくべきかと尻込みする。これからする俺の発言は、今の関係を壊すかもしれない。もしかすれば、二度と修復不可能なほどに。
しかし、彼女に嘘はつきたくない。軽蔑されても、自分の意志は示しておきたい。
なけなしの勇気を振り絞ると、俺はソファーに深く腰掛け、やや前傾となって語り始める。
「俺は……お前の命が一番大切だ」
「……ありがとうございます」
照れたりする素振りはなかった。むしろ怪訝な顔で横顔を見つめられる。俺の雰囲気が、あまりにも物々しかったためだろう。
訝し気な視線を受けながら、俺は続けた。
「だから、俺はお前以外の命を率先して助けない」
「!!」
意味は、正しく伝わったはずだ。
直前の会話内容から、彼女なら正しくくみ取る。俺が
「それは…………なぜでしょうか?」
突発的に、感情のままに動かないあたり、彼女は本当に思慮深い女性だと思う。ちゃんと理由を、全てを聞いてから判断したいという意志が感じられる。
だからこそ、俺も隠さずに本心を告げた。
「人一人の力には、限界があるからだ。あのオルカ・オルキヌス――世界最強と評された男でも、女一人を守れなかった。答えは出ている。それが世界、それが真理。全てが自分の思い通りになるほど、世界は甘くはない」
「…………」
「自分が守りたいものを全て守る。そんな甘えを、世界は決して許しはしないだろう。いざという時に出足が鈍っては、本当に守りたい物を守れない」
まごうことなき本心だった。
俺だって望むならば、全てを自分の思い通りにしたい。
誰一人死者を出さず、怪我人すら出さずに守り、己の女も守り、敵を打ち滅ぼし、世界を救う。
誰が見てもハッピーエンド。そんなふうに嫌な気持ち一つ抱くことなく、成功だけを収めたい。
だが、現実はそうではない。そんな空想は物語の中だけだ。
俺は国王として10年間生きてきたが、国から出た死者は何百人、何千人では収まらない。
俺が王位についてからあの夜のクーデターまで、戦争など一度も起きなかった。いや、起こさなかった。つまり、武器を持った争いなどなくとも、大きく政策を失敗せずとも、人は死ぬのだ。それが現実。綺麗ごとで済むことなど、この世にはあまりにも少ない。大人なら誰だって知っていること。
現に俺は直近で、世の厳しさをその身で味わったばかりだ。細心の注意を払い、自分なりに正しく生きてきたつもりだったが、結果国を追われ、大切な女を二度も失いかけた。
今もアワンが無事でいるのは、運が良かったからだ。
そんなものなのだ。人間一人の力など。
どれだけ頑張っても、どれだけ正しく生きていても、世界は平等に理不尽。
そんな世界だからこそ、本当に守るべきものは絞らなけらばならない。慢心などもってのほか。アワン一人守るという願いすら、世界から見れば取るに足らない人間の高望みだ。
だからこそ俺という一人の人間は、全身全霊でアワンを守りたい。
「情けない奴だと思ってくれて構わない。これが俺の本音だ。俺は、お前さえ守れればそれでいい」
「…………」
アワンの顔を、見れなかった。
俺はソファーに前傾で腰かけ、真っ直ぐに床を見つめ続ける。
やがて、俺の隣から気配が消え、アワンが立ち上がったのを感じた。
俺の側に座っていたくないのだと思った。こんな情けない男の隣になど。
だが違った。アワンはゆっくりと前へ歩いていくと、部屋の中央で立ち止まる。
「私はあなたのことを『やればできる男』だと、本気で思っています」
世界のせいとか、現実の厳しさを説く前に、やってみろという意味だろうか。やりもしないで言い訳なんてするなと。それでは本当に俺が先ほど言ったような、やればできると口にするような奴だと。
だが、やってからでは遅いのだ。取り返しのつかないことになってからでは――。
「ひとまず……今夜だけでも見せて貰えませんか?」
伏せていた顔を上げると、肩越しにこちらを見つめる女と一瞬だけ目が合う。
女はすぐに視線を逸らし、髪の毛に手櫛を通した。まるで顔を隠すかのように。
慣れないというより、人生で初めて男を誘う発言をしたのだろう。不慣れな言動と、見ていて照れくさくなる程に赤く染め上がっていく顔。
顔から出る湯気が眼鏡のレンズを曇らせそうな勢いだった。
アワンからのお誘いに、俺は考える間も置かずに立ち上がる。
今この瞬間だけは、大義も覚悟も、全てがどうでもよくなるほどに、目の前の女にただ魅かれていた。
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