第15話 赤毛

「こちらです」


 名乗り出ることで身元が判明した途端、通行の許可が出される。

 それも、隊長自らが――側近二人もいるが――拠点内を案内し、今目指しているのは総隊長の元。つまりはこの拠点のトップの元だ。

 先触れも出さずに、お偉いさんにノータイムで直接の対面。

 これが世界一の大国の元国王という称号が成せる技だろうか、それとも――。


 ――――コンコン、コンコン


「総隊長、お連れしました」


「入ってください」


 入室の許可と共に、トップの部屋とは思えないような簡素な一室へと招かれる。室内に入ったのは隊長と呼ばれていた女と、俺たち二人だけ。他二人の兵士は部屋の外で待機のようだ。


 俺は正面を見る。

 そこにいたのは、俺の予想通りの人物だった。


「…………カイン・オルキヌス。大きくなりましたね」


「お久しぶりです。アリエス様」


 背後に控えるアワンの空気の変化は、俺にとってはとても分かりやすいものだった。

 俺が敬語を使ったこと、ましてや他者に対して敬称まで使ったことが意外だったのだろう。アワンも目の前のこの女が誰か知らないわけではあるまいに。やはりまだ王様気分が抜けていないのだろうか。王様は俺だが。


 柔和な微笑で表面上は友好的に俺たちを出迎えたのは、この世界に人間の中では、最も有名な女。


「本当に久しぶりですね。凡そ10年振りですか」


 エバ・アリエス。

 27年前の勇者誕生から始まった歴史の転換点。

 人々の記憶に新しい魔王討伐に赴いた勇者の一団の、その唯一の生き残り。

 他の勇者たち亡き今、世界の尊敬と敬愛は、もはや信仰ともいうべき強度で彼女一人に注がれる。

 人々は彼女を、”生者”と呼ぶ。


 じっと観察される。遠慮のない視線だ。

 自分は今あなたを測っていますと、その意志を隠そうともしない無遠慮な視線。

 ちょうどいいとばかりに俺も伝説の女の姿を10年ぶりに見る。


 森の緑を表すような長髪に、黄色い瞳。

 背丈は一般的な女と大差ない。むしろちょうど平均くらいだ。比較的長身のアワンと並べば小柄にさえ見えるだろう。

 記憶の中の女とも、広く出回る肖像画の女とも一致する。

 というより、変わらなすぎだ。

 俺の母といい、エバといい、強い女は年も取らないのだろうか。

 アワンをここに並べると怒られそうなので、流石にやめておく。


 エバの顔と名前をこの世界で知らない者はいない。彼女はそれほどの有名人だ。名前だけなら俺も負けていないが、国から一度も出たことがない俺とは顔の広さが違う。

 エバは俺を一通り眺めたあと、最後にチラっと背後に控えるアワンに視線を向ける。本当に一瞬のことだったが、俺にはそれで十分だった。知っているのだと分かったから。


「ますます先代に似てきましたね。というより、生き写しのよう」


「そのようですね。一言二言、言葉を交わしてようやく全くの別人だと分かってもらえます。恐れ多いことです」


「……あら? お父上には、あまり興味がありませんか?」


「私ももう幼くはないので、親離れは出来ていますよ」


 毒気を抜かれたような顔に、過去の俺とのギャップを感じていることが分かった。

 自分で言うのもなんだが、10年前までの俺はかなりのパパッ子だった。父親を世界で一番尊敬し、こんな男になりたいと心から思っていた。周囲から見てもすぐわかるくらいには、べったりだっただろう。

 当然俺の両親と親交の深かったエバもそれはよく知る所。だから俺が喜ぶと思って父親の話題を出した。返した一言目で俺の興味関心が死んだ父親には特にないと察する当たり、薄々予想はしていたのかもしれない。

 それどころか、父親に反感すら抱いていると思っていそうだ。総じてそのあたりの探りだろう。


「そうですか。同じく子を持つ親としては、喜ぶべきか悲しむべきか。あなたの姿を見てミアのことも思い出す私は、いつまでも友離れのできない幼子ですね」


 父オルカへの関心を確かめた次は、母ミアに関してか。

 些か節操がない。それほど俺と会えたことが嬉しいのだろうか、などと馬鹿なことを考えながら現実逃避する。

 子供の時も思ったが、最大限配慮して言葉を選んだ上で”単純一途”と評さざるを得ない母とは、対極に位置するような女だ。今となってはよく友人関係を築けていたなと、本気で思う。心の中でミアは凄い馬鹿にされていそうだ(失礼)。


「私が思うに、友情に年齢は関係ありません。大人は感傷に浸ってはならないという決まりもありません」


 ミアの話題をしたがるエバに対し、きっぱり知らんと突き返す。


 ミアを思い出すとは、おそらく俺の髪色のことを言っているのだろう。

 世界の祝福を受けた――真の勇者の髪色は有名だ。

 俺とアクレミアの内、赤毛が遺伝したのは俺だけ。勇者の血が一目でわかる印。だから赤毛はこの世界では特別な意味を持つ。


 フードを取った途端にすぐに通された理由もおそらくは髪色。

 俺の名は世界に轟くほど有名だが、顔までは広まってない。髪色以外は父オルカと瓜二つの容姿とは言っても、オルカを実際に見たことのある人間はかなり限られるだろう。

 だがすぐに身元が保証された。なぜなら、赤毛はそれだけ超希少だから。


 そのあたりを、共通している自分の夫と絡めて話をしたかったのだと察せられるが、生憎と本当に興味がない。

 全部興味無いと、なんならあんたの想い出話には最も興味が無いと言外に伝える。

 世界的偉人に対して失礼なのは承知だが、悪いがこっちは急いでいるのだ。

 軽い挨拶さえ済ませれば、もうここには用はない。ここはただの通過地点に過ぎない。


「……ふふふ。本当に、見ていて気持ちがいいほど似ていないですね。オルカは歴史の探求に貪欲でしたし、ミアはもっと人に興味を持っていました」


「歴史は語り継ぐ者の意志が介入し、歪曲するのが常ですから」


「…………見識なことです」


 再度父オルカと母ミアへの感情を念押ししてくるエバに対し、俺とオルカは違うと返す。

 下手すればオルカのことを恨んでいるのではとも受け取られかねない発言だが、別にいい。どちらに思われようとも特にデメリットはなかった。

 語り継ぐ者が人である限り、その情報は完全には信用できない。そもそも俺は人を信用していない。これで母とも考えは違うと伝わっただろう。

 特に伝えたかったのは、エバがこれから口にすることも本当である保証は全くない、ということ。つまりは、聞く耳は持たない。会話はしない。


 俺が急いでいるということは、正しく伝わっただろうか。


「やっぱり……オルカには似ているかもしれませんね。でも、昔のあなたとは大きく変わった。女で男は変わるといいますが、そちらのお嬢さんの影響ですか?」


 ここでようやく、俺の背後で静かに佇むアワンに話が振られる。

 というより、俺では埒が明かないと判断したのだろう。


 しかし俺は、このエバの行動に少しだけ意外感を覚えた。

 なぜならこの場では、アワンは身分が違い過ぎる。俺はまだ両親の縁で会話できるが、アワンは本来この場にいるのも憚られるような立場のはずだ。

 アワンもそれを理解し、俺の後ろで黙して立っていた。あくまで従者に徹していた。

 だが声をかけられたという事は、発言を許可されたということ。

 まさか自分に声がかかるとは思っていなかっただろうが、アワンは淀みなく挨拶を始める。


「お初にお目にかかりますアリエス様。カイン様の従者をしております、アワン・ベンサハルと申します」


「あなたのことは何度か見かけたことがあります。聞きましたよ、一国の王を誑かして駆け落ちしたって。上手くやりましたね。玉の輿というやつでしょう?」


(もう情報は伝わっていたか……)


 まだ事が起きてから、僅か7日。

 一体どうやって事件の情報がここまで届いたのか。アクレミアの亡命で何かあったことは分かるだろうが、それともアズラが声明を出したのだろうか。

 もしかしたらエバは、俺が来るのを待っていたのもかもしれない。情報が伝わっていたのなら、俺がこちら側へやってくる可能性も当然検討していたはず。だからこんなにすんなりと会うことができたのでは。

 この辺りは詳しく探りたいが、ここで俺が前に出てはアワンが一人では何もできないという印象を相手に与えてしまう。


「…………はい。歴史に、とても参考になる先達がいましたから」


「…………」


 正直、舌を巻いた。

 これだけ短時間で、こうも端的にクリーンヒットを返せるとは。流石は元宰相。


 参考とはこの場合、俺の両親のことを指しているようだが、相手からしてみれば全く違って聞こえる。

 それはエバ・アリエス自身。

 なぜなら彼女も超玉の輿。それを本人が自覚していないわけはないのだから。というかこういうのは嫌でも当の本人が最も意識してしまう。

 そしてさりげなく自分は俺とは違い歴史に学ぶとアピールし、男に迎合するだけの女ではないという意思表示。これは穿ち過ぎかもしれないが、あんたとは違うという無言の声さえ聞こえてきそうだ。

 同時に歴史に学び、人を参考にするという意味合いで亡きオルカとミアへの忠誠も示す。彼女の現在の複雑な立場なら、俺に阿る様を主張するよりはよっぽどいい。


 なんて賢い女だ。というより、なんて負けん気の強い女だ。

 度胸が尋常じゃない。俺が言うのもなんだが、相手が誰だか分かってるのか。


「…………流石はかの一族。いいを選びましたね」


 俺を見る顔はにっこりと微笑んでいるが、ビキビキと浮かび上がる青筋が隠せていない。相当お冠だ。

 生きていれば俺の母親と同い年の38歳と考えれば少々大人げないが、俺は逆に素が見えたことに好印象を抱いた。初めて垣間見えた人間らしさに親近感を抱いたほどだ。


「ああ、そうそう……遅くなりましたが、娘の紹介もしておきましょうか」


 娘という言葉に、一瞬金髪の女が脳裏に浮かぶが、それは勘違いだった。

 エバがこの室内に入ってからずっと、自身の背後で直立不動で待機させていた兵士を前に出す。それは俺たちをこの部屋まで案内した、隊長と呼ばれていた女だった。


「アナーク・アリエス。私の娘の一人です」


 先ほどエバは亡き夫の話をしたいのだと思ったが、それは間違いだったと悟った。

 エバは、彼女の紹介をしたかったのだ。


 兜を取り外すと、長髪が引っ張られるように外へ飛び出す。

 明るめの赤毛が落ち、同色の瞳が俺を静かに見据えた。


「お久しぶりです。カイン・オルキヌス様」

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