第14話 この世で最もいと尊き血を引く御方

「ここが……ロータル大谷」


 呟くアワンの隣で、俺も呆然と見下ろす。

 話には聞いていたが、実物はここまでとは――。


 ロータル大谷とは、大陸最大の渓谷の名である。

 この世界はパンガイア大陸という超巨大な大陸で構成されており、知的生命体が現存している箇所は全て地続きである――とは過去の有名な学者の言だ。

 実際に世界中を旅した父に子供の頃聞いてみたが、どこから行っても最果ては必ず海だったという。そして海からは陸地は見えず、それは遥か空から確認しても同じだったとか。つまり、信憑性は高い。

 過去の有名な学者の言だからといって、信じるに値する根拠にはならないが、定説と実際に見たという人間の意見が合致するのであれば話は別だ。そこまで頑なに人を信じないという訳でもない。自分の目で見たものしか信じないという人間であれば、この世のほとんど全てを信じないということになってしまう。

 まあ、命を預ける場合ともなれば信頼の基準も当然違ったものになるが、今はいいだろう。


 大陸は上下に真っ二つに分断される。

 これは人間が意図的に分けたのではなく、自然の驚異がそれを強制した。


 世界最高峰の山、アルフレート大山。

 世界最長級の河川、ウェーゲナー大河。

 そして先も言った世界最大の渓谷、ロータル大谷。


 これらが仲良く手を繋ぐように横に伸び、大陸を上下に分断する。

 基本的に大陸上に原人、獣人、亜人などの人間種が生息し、大陸下は亜人、魔獣などが多く生息する魔境となっている。ちなみに俺がいた国は大陸下。先代国王は魔境のど真ん中に国を建国したということ。

 つまり俺がいた国から見て、ロータル大谷の右にアルフレート大山、左にウェーゲナー大河だ。


「こりゃ、普通の人間じゃ越えれんだろ。アクレミアは他から行ったのか?」


 表向きは外交特使として亡命したアクレミアは、もう大陸横断線は超えているはず。ここを通ったということだろうか。


 雄大な景観。吹き抜ける風が可視化できそうだ。

 話では、深さは1.8kmを越え、長さは400kmを優に超えるという。

 それも頷ける景色だ。ここを通ろうという気に全くなれない。

 

「他というのは、アルフレート大山とウェーゲナー大河のことをおっしゃっているんですか?」


「ああ、他にあるか?」


 当たり前のことを口にするアワンに、疑問の顔を向ける。わざわざ確認の必要があるのか、と。

 隣には、アホを見るような顔があった。


「……その二つは危険度が桁違いらしいですよ。ここ、ロータル大谷が大陸上への最も安全な経路。仮にここ以外を選ぶ者がいるとすれば、それはよっぽどの大馬鹿者か自殺志願者だけです」


 ロータル大谷を選ぶのがセオリーだということは知っていたが、まさかそこまで難易度に差があるとは。アワンがここまで言うということは、それこそよっぽどなのだろう。ならば必然的にアクレミア達もここを通ったということ。


「ここまで来るのにもう3日経ってる。急ごうか」


 時間について告げると、アワンの表情が真剣なものへと変わる。

 そうだ。俺たちには時間がない。


「お手をどうぞ、お姫様」


「……ふざけないでください」


 手を差し出すと、アワンがしぶしぶといった様子で近づいてくる。

 本当に、心の底から不本意だけど、仕方なく抱っこされてあげる。勘違いしないでよね。別に私は、あんたに抱っこされたいわけじゃないんだからね。

 そんな感情を、態度と雰囲気だけで伝えてくる。なんて器用な女だ。

 ツンツンツンデレお姫様を横向きに抱きあげると、重みを確かめるように一度軽く揺すった。ポジションと態勢を安定させると、俺は飛び出す。


「……え?」


 大地を蹴り、空中へと飛び出すと、俺たち二人の肉体を一瞬の無重力が迎えた。

 その間に、腕の中から信じられないものを見たと言うような、間の抜けた声が聞こえてくる。

 やがて重力が俺たちを迎え、速度が祝福するように背を押して来る。


 深さ2kmの最深地へと、アワンの絶叫が轟いた。




***




 結局ロータル大谷を突破するのに、プラスで4日もかかってしまった。

 当初一日でここを越えようなどと思っていた俺は、アワンから馬鹿を見る目で見られても当然の男だ。今となってはとても恥ずかしい。


 大陸左下にある元俺の国から大陸上への入り口まで、約7日。

 常識的にはとんでもなく早い到着なのだが、俺的にはただの移動に7日もかけてしまったという認識であるため、長かったなという感想に落ち着いてしまう。

 まあ無事にこちらの領域への第一歩を踏み出せたのだから、栓無き事――でもないか。俺たちには時間がないのだった。


「というかこれ……どうやって向こうへ行くんだ?」


 見上げた先にあるのは、重厚な要塞。

 話に聞いていた世界最大の要塞グランドの、その外壁だろう。

 遠くから見え出した時点でその大きさは分かっていたが、近づくとより実感できる。

 俺が住んでいた城を遥かに上回る大きさ。これほど大きな人工建築物を見たのは、生まれて初めてだ。ここが人類にとっての重要拠点の一つであると、ひしひしと伝えてくる。

 こちらへ砲口が向いている大砲の数が何門かなど数える気にもならないし、詰めている兵の数はその比ではないだろう。

 大部分が石壁、もしくは鋼鉄の壁に見えるが、重要箇所を覆っている金属の輝きはただの鉱石ではないように見受けられる。俺の見立てが正しければ、あれは――。


「ノーチスパージラン」


「え……?」


 アワンが二度見するのも無理はない。

 上から数えて三番目に位置する超希少金属。それがまるで装飾のようにふんだんに使われている。

 美点を意識したような配置に見えるが、そんなはずはないので、脆い場所、もしくは絶対に綻びてはならない箇所が覆われているのだと思う。つまりこの要塞の根幹を担う部分だ。


 この世界の金属の価値は、単純に硬度で決まる。

 より硬く、砕けにくく、加工しづらい金属ほどより高価となる。

 つまり、ノーチスパージランは世界で三番目に固く、高価な金属ということ。このレベルともなれば一般には流通していないし、個人で保有するのは貴族階級であっても難しい。


「……いくら費用が掛かってるんでしょう」


 庶民的な感想だが、同感だった。

 今頃アワンは、脳内で費用の計算でもしているのだろう。後で聞こうと脳内にメモし、俺は俺で今気になることを観察する。


(……………………)


 よくよく見れば、所々変色している金属。日の当たり加減で非常に分かりづらいが、本来のノーチスパージランの輝きではない。

 傷まではついていないが、何らかの反応が起こっているのは確か。

 その周囲を見渡せば、戦闘の痕。

 上大陸へ侵入を試みる魔獣を跳ね返すための要塞だ。当然戦歴の痕は残っているだろうが、その中に比較的新しいものも見受けられる。

 城壁の傷跡の新旧までは判断できないが、左右を挟む天然の石壁であれば、俺はかなりの目利きができる。

 下を見れば、大地も最近掘り起こされたような真新しさがあった。


(…………これは)


「――隊長、お待ちください。やはり危険です」


「いつまでもこのままにはしておけません」


 その時、要塞の奥に動きがある。

 後から無理やり造り足したような歪な城門の、その右下。小さな扉が開き、出口で口論が起こっているのを人外の聴覚が捉えた。

 そのやりとりからいくつかのことが分かる。


(……隊長か。やはりある程度の距離から既にこちらを捕捉してたな)


 あちらの領域の守護が目的の砦だ。近づいてくる存在にはひと際敏感に対応しているはず。俺たちの姿はかなりの距離を確保した状態で認識し、上に判断を仰いだと考えるのが妥当。

 一見人間には見えるが、武装も何もしていない二人組がロータル大谷をテクテク歩いてきたら誰だって不審に思う。

 それも片方はローブで体を隠し、もう片方はほとんど丸腰の女。

 これで警戒しない方が職務怠慢だ。


 何らかの決着が着いたのか、隊長と思わしき人間を先頭に数十人の兵士たちがこちらへと歩いてくる。誰も彼も完全武装。これから戦争にでも行くような重装備だ。己の装備の無さに後ろめたさを感じてしまうほどに。


「…………ピリピリしてますね」


「ああ」


 戦闘から縁遠いアワンが気づくのだから、よっぽどだ。

 重要拠点を任されている兵士というのは常にこんな感じなのだろうか。見たことがないので分からないが、それにしても殺気立っている。

 俺は指でさりげなくアワンに指示し、後ろに下がらせる。正しくは俺が庇うことのできる距離に。

 重装備の兵士たちが近づけば、女が後ずさるのはそうおかしな行動ではないはず。むしろ全く警戒しない方が怪しまれそうだ。

 

「待機」


「はっ!」


 一定の距離まで近づくと、数十人の兵士たちは綺麗に整列してその場に留まる。規律と練度を感じさせる、最重要戦線を任せられる兵士は伊達ではないと見せつけるような姿。

 そして隊長と思われる――兜で顔は隠れているが、鎧のフォルムと身の丈からして女――人物と他二人が俺たちの目の前、相対距離2メートルの辺りで立ち止まった。


 若干の距離を感じる絶妙な間隔。

 しかし俺はこの間合いを知っている。これは剣の届く距離。一投足で首をはねることのできる距離だ。


「失礼。我々はこの拠点の防衛を任されている者だが、君たちの出発地と、目的地を聞いてもいいかな?」


 話しかけてきたのは、隊長と呼ばれていた女ではなく真ん中に立つ壮年の男だった。

 先ほど裏で隊長と呼ばれていた女が中央に立たないことに疑問を覚えるが、表には出さない。


 それ以外にも気になったことがある。

 関所などの中継地点で通行人の身元を洗うのは普通の事だが、名乗りもせず、またこんなところで突っ立ったまま声をかけるのは些か失礼ではないだろうか。一見丁寧な言葉選びに聞こえるが、後ろの兵士たちのことも然り、要塞で砲撃態勢を取っている兵士たち然り、これでは問い正しているようにも見える。

 要塞内に詰めている兵士たちの慌ただしい動きに関しては、俺でなければ気が付かないだろうが。


「…………些か礼儀に欠けるのでは? 蛮族と話す言葉は持ち合わせていませんが」


 それはアワンも感じていたようで、苛立ちを隠さない言動だった。というか、明らかに言い過ぎだ。

 王とその側近だった頃の癖がまだ抜けていないのだろうか。これでは友好的な会話を完全に放棄している。


「…………」


 剣呑な空気が漂う。

 互いに一歩も引かずに睨み合う両者。

 必然、先に進めるのはその二人以外の者となる。


「そちらの、フードを外して顔を見せなさい」


 隊長と呼ばれていた女が、俺に声をかけてくる。

 甲高い声。幼い少女が無理をして大人ぶっているような感覚を覚える。

 不必要に目立つのは嫌だったのでフードを被っていたが、それが逆に警戒を強めたようだ。まあ、こういう場所を通るには顔を見せるのは必須か。別におかしな要求でもない。


 俺はもったいぶらずにフードを捲り上げて顔を見せる。

 反応は顕著だった。


「我々はかの大国よりやってきました。この御方の名はカイン・オルキヌス。この世で最もいと尊き血を引く御方です」

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