第11話 約束する

「…………ここがそうか」


 視界一面、漆黒の炎が揺らめく大地に、俺とアワンは辿り着いた。

 俺が足で稼いだ分もあり――というか割合的にはそれがほとんどだが――日にちまでは変わらないが、もうすぐ日も落ちるような時間帯。

 太陽が空から落ちてきて散乱したような炎の絨毯が、見渡す限りに続いていた。


「…………決戦の地」


 炎に照らし出される美女の顔には、影が差しているようにも見える。

 ただ単に角度の問題か、それとも俺の心がそう見せているのか。


「…………この辺りに魔獣は近寄らないようだから、安全に進めると思ってな」


 事実にしても、些か無理のある言葉選びだったかもしれない。

 少なくとも性急さは全く隠せていなかった。


「…………気を遣っていただく必要はありません。19年も前のこと。私にとっては既に過去です」


「過去か……」


 そこから、会話は途切れる。

 それにしても、この景色を生物が生み出したとは、どうしたって信じることができない。

 俺の国からロータル大谷まで直線で進もうとすると、必ずこの炎の大地に突き当たる。迂回しようとすれば、ウェーゲナー大河を沿う形の行路。大幅に時間も労力もかかる上、川沿いは魔獣がわんさか出てくる。こちらを選ぶ方が賢い。

 しかし広大なこのパンガイア大陸の、ほぼ中心地に位置していながら、この規模。単純な大きさだけでも湖の枠組みを越え、もはや海だ。世界一の大河、ウェーゲナーに届かんばかり。

 自然が作り出した災害は人智を超えるのも致し方なしと思えるが、これをたった二人の人間が生み出した――それも戦闘の余波でこうなった――ただの跡地であるというのだから笑えない。一体どこの神話だ。


 炎が手に届く距離までは、目算で凡そ140m強ほどだろうか。ここが近づけるギリギリのラインだ。十分な距離を確保しているというのに、これ以上は絶対に近づきたくはない。

 生物的な本能で直感しているのだろう。近づけば死が待っていると。

 どれだけ高温、そしてどれだけのエネルギーが込められているのか。19年経った今なお、消えることない傷跡。大地の悲鳴がここまで聞こえてくるようだ。


「――――カイン様」


「ん?」


 アワンから名を呼ばれるのは、新鮮な気分だ。

 国王になる7歳までは普通にそう呼ばれていたというのに、少しだけドキッとする。これもただの男と女になった弊害、いや恩恵だろうか。


「ずっと、お聞きしたかったことが」


「なんだ? 好みのタイプか?」


 すぐに茶化したりするのは俺の悪い癖なのだろうか。

 だが空気があまりにも重いため、相対的に俺の質量は軽くなってしまうのだ。もちろん比喩表現だが。


「…………お父上を、恨んでおいでですか?」


 しかしその言葉には、流石の俺も重くならざるを得なかった。具体的には、急激に口が重くなる。

 まさかアワンがそこに触れてくるとは思わなかったのだ。

 これまでは、一度として彼女からこんなことを言われたことはない。少しでも俺の琴線に触れてしまうような話題は、彼女は病的なまでに避けていた。その配慮が俺にも分かっていた。だからこそ適切な距離での関係を築けていたとも言える。

 

 それを、彼女は自分自身で壊しにきた。

 こんな場所で、いや、この場所だからこそか。

 この変化が弊害か、それとも恩恵か、俺は測りかねていた。


「恨んでない…………と言えば、嘘になるな」


「!!」


 俺は、10年間抱えてきた本心を初めて曝け出す。

 この想いは、これまで誰にも見せたことはなかった。妹のアクレミアにさえ、側近のアワンにさえ。そして、自分自身にさえも。


「そう鯱張しゃちほこばるな。厳密には恨んでいた、が正しい表現だ。あの時の俺はまだガキだったし、父親のことをなんでもできる神みたいに思ってた。だから女一人守れずに、約束一つ守れずに死んでいった男に失望した。勝手に希望を押し付けて、勝手に見損なった。ただそれだけのこと」


「…………」


「だが大人になればなるほどに、この世界を生きて行けば行くほどに、女一人を守ること、約束一つ守ることがどれだけ大変なことかが身に染みて分かった。事実、俺も国を守るという父との約束を破った。昨日の今日だ。含蓄があるだろ?」


「…………」


 横を見れば、アワンもこちらを見ていた。

 悲し気な色を湛えた瞳が真っすぐに見つめてくる。


「これまで気を遣わせてしまったことを、申し訳なく思ってる。でも……俺はもう大丈夫だ」


 彼女を安心させる意味でも、目を見てはっきりと告げる。

 アワンが質問した意図までは分からない。しかし漠然とした不安感は伝わってくる。それを払拭するのは、俺の役目だと思った。


「……記号の……願望の押し付け。確かに、身勝手ですよね……。私は過去と口では言いながら、いつも後ろを振り返ってばかり。アズラのことだって――」


 仲の良かった姉妹。その関係を引き裂いた要因が自分だと思うと、途轍もない罪悪感を抱く。アワンとアズラは異母姉妹だが、一族の中では最も血が近い。というのも、二人の母親も姉妹だったためだ。

 本当に仲が良かった。もしかしたら彼女は、国に戻りたいのではないだろうか。追放されたのにそんなはずがないと、これまではその考えに目を瞑っていたが、それは俺の願望の押し付けだったのでは。

 

 顔を伏せるアワンを見て、口を開こうとする。

 しかしすぐに言葉は出なかった。俺はきっと、彼女に一緒に来てほしいのだろう。

 迷ったが、やはり優先すべきは彼女の幸せと意を決した。 

 

「アワン」


 静かに名を呼べば、憂い顔がこちらを見る。

 こんな時だと言うのに、思わず息を飲むほどのゾッとする美しさがそこにはあった。長いまつ毛の隙間から、力の無い視線が垣間見える。


「もしお前が国に帰りたいなら、俺がなんとかする。お前だけならまだ、どうにかなるかもしれない。引き返すなら今だ」


「…………」


 暫く待ってみるが、答えは帰ってこない。

 だがすぐに気が付いた。女の答えを待つということが、そもそも間違っているということに。自分の想いも伝えずに女に選択させるなど、卑怯だ。俺は一つ息を吸うと、アワンに一歩近づいた。


「だけど……お前がもし、俺と一緒に来てくれるなら、命に代えても守る。絶対死なないし、絶対死なせない。たとえ相手が勇者や魔王であっても勝って、一生お前を守る。――――約束する」


 向かい合う男と女。

 男は柄にもなく緊張と興奮に身を震わせ、女を見下ろす。

 女は表面上は静かに男を見上げていた。


 じっと瞳の中を覗き込むように見てくるアワンの瞳を、負けじと見つめ返す。まるで真剣同士の鍔迫り合いのように息をつく間もない、一進一退の攻防。先に引き下がったのはアワンだった。


「…………何か勘違いなさっているようですが、私は国に帰りたいなどとは微塵も思っていませんよ。それに守るとか当たり前のことを今更言われても困ります。私はもうあなたしか頼りがないのですから、当然の義務です」


 フイっと顔ごと背けられる。

 それはまるで顔を見られないように隠しているようだった。

 陽炎に照らし出されて、朱が差した横顔が見える。

 これが外からの熱によるものか、それとも内からの熱によるものか、その答えを見る者に教えるような表情がそこにはあった。


「私は妹と違って凄く弱いので、精々必死に守ってください。目を離すとすぐに死んでしまいますから」


 いそいそと髪を手櫛で直す女の姿に、心に温かいものが宿る。

 本心から、守ってやりたいと思った。

 それと同時に、下半身にも熱いものが宿ったのを確かに感じた。

 些か情緒には欠けるが、こればかりは生理現象なのでしょうがない。というより、アワンがいい女過ぎるのが悪いのだ。


「――じゃあ、今夜の宿を作るか」


 アワンの反応を置き去りにして、俺は携帯倉庫から天幕を取り出す。手乗りサイズの袋から、二人でもゆとりが感じられるほどに巨大な移動居住が出現した。

 既に組み立てたものをそのまま取り出せるのが、この携帯倉庫のいいところだ。流石にこれほどの大きさのものを収納できるのは、これを除けば亡き母ミアの物だけだが。


「<流離の地ノド>」


 良い場所に天幕を設置すると、続けて技術スキルを発動して周辺の大地を動かす。天幕の周りを囲うように、左右と後ろの三か所に土による防壁が瞬時に生み出された。


「……凄い」


 そういえば、俺の能力を見せるのは初めてか。

 身の丈を軽く超える防壁を、唖然と見上げるアワン。

 しかし彼女はすぐに我に返った。いや、我に返れなかったが正しいだろうか。


「もしかして、同じ天幕ですか!?」


 彼女には珍しく、強く動揺している。

 こんなに音程の狂ったアワンの声は中々聞いたことがない。やはり初めてセクハラしたあの時以来か。


「嫌か?」


 俺は挑発的な笑みを浮かべてアワンを見る。

 男と女が同じ天幕で一夜を過ごす。年頃で意味が分からない者はいないだろう。彼女も分かっているからこそのあの反応だ。


 俺は焦らさずに、アワンの答えを待つことにする。

 彼女は俺を見たり、地面を見たり、天幕を見たり、一通り視線を泳がせたあと、最後には下から見上げるように、チラっと視線を寄越した。


「嫌…………と言えば、嘘になります」

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