第10話 いい女がいたから口説いただけ
「あれから何日くらい経ったんですか?」
「ん? まだ一日も経ってねえよ? 7時間くらい?」
「え? それなのに、もうこんなところまで?」
「国を出てからずっと全力で走ってた」
「……忘れていました。あなたがあの方々の息子だということを」
呆れたような顔でこちらを見てくる女は、既に自分の足で歩いている。
しっかりとした足取り。昨夜の怪我の影響など微塵も感じられない。
「だから俺が抱えて走った方がずっと速いぞ?」
「お断りします。利益と損失があまりにも釣り合っていませんから」
ちょっと身体を撫でられるくらい、移動の短縮と比べれば安いものではないだろうか。それに歩く必要ないし楽ができる。むしろメリットしかない。ウィンウィンってやつだろう。その時は俺の手もウィンウィンって動かさせてほしい。
「私達二人が同時に抜けて……いえ、アクレミア様もですか。国は大丈夫でしょうか?」
追い出されたというのに国の事を第一に考えているあたり、やはり真面目だ。いや、アワンほどの女でもすぐには切り替えられないということだろうか。昨日の今日では無理もないが。
「なんだ? 引き継ぎ作業でもしたかったのか?」
「ええ、欲を言えば」
冗談に真面目な顔で返される。
俺の冗談に気が付いていないわけはないので――彼女は真面目タイプには珍しく鈍感要素はない――これは本当に引き継ぎをしたかったのだろう。確かにやるべきことを伝えられずにその後の国政が成り立ちませんでした、では後味が悪いか。別に俺たちは母国が嫌いになって出て行ったわけでもないし。
「お前の部屋の資料なんかは全部そのままだし、国の重要書類なんかはわかりやすいとこにまとめて置いてきた。機密事項も軍務のトップであったアズラに今更伝えることはない。最悪お前の部下の文官たちもいるし、問題ないだろ」
「……私の部屋に入ったのですか?」
不安を解消するために口にした言葉だったが、思わぬところに食いつかれる。思い違いでなければ、負の感情が見え隠れしているような気がした。
俺は慌てて言い訳のように言い繕う。というか言い訳だ。
「いや、事が起こったのがそもそもお前の執務室だし……手ぶらじゃ旅なんかできないだろ? だからお前の私室から服とか化粧品とか……色々持ってきた」
「…………」
下着、とは言えなかった。言えなかったが、俺が敢えてぼかしたことにアワンが気づかないはずが無い。スンと表情が抜け落ちた女の横顔に、チラチラと視線を送る。
確かに部屋を勝手に物色されれば嫌な気持ちにもなるか。それも若い女。こちらは良かれと思ってやったことだが――むしろ感謝の言葉が欲しいくらいだが――理屈が通っていれば悪感情にならないというわけではない。
「……そういえば、服も変わってますね」
「ああ……」
アズラに腹を貫かれて(おそらく)前の服は酷い有様だったので、アワンの部屋にあったものを適当に着せてきた。
現在のアワンの服装は黒のノースリーブニットにタイトなミニスカート、薄手のストッキング。夏なので無難だと思うが、黒ずくめになってしまったのはいただけない。
それはそうと、彼女はどんな服を着せても絶対に秘書感が出てしまう。もっと言えば、社長の秘書兼愛人みたいな雰囲気。真面目の内側に暴力的なエロスを無理やり閉じ込めたような感じだ。これはもはや一種の才能ではなかろうか。それともそういった特別な
「…………こういうのが趣味なんですか?」
怒られると思っていたので、意外な問いかけに顔ごと振り返る。
相変わらず人形のように整った横顔からは感情が伺えない。
よく分からないが、普通に答えることにした。
「まあ……ぶっちゃけ好みだな。お前にはきっちりした格好が似合うと思う。秘書みたいな感じの。上は両腕が剥き出しの服にしてくれ。谷間は見せないで、むしろ積極的に隠す。その方がお前の場合エロいから。その代わり二の腕から腋にかけては必ず露出して、肩も出してくれるなら言う事はないな。下はできればズボンじゃなくスカートにしてくれるとありがたい。ズボンでもいいが、その時はぴっちりとしたタイトな奴にしてくれ。お尻が浮き上がって、下着のラインどころか、姿かたちまで見えてしまうような感じの。スカートの場合もタイトなヤツ。当然丈は膝上。膝より下は許さない。その時裾とストッキングの間には絶対に隙間を作って、あとできればガーターベルトも着用してほしい。それから――」
「いえ、そこまでは聞いてないです」
冷たい視線だった。まるでゴミを見るような。
確かにこれでは、俺がそんなことを考えながらアワンの服を着替えさせたみたいだ。引いてもおかしくない。実際考えながら着せたし。
「嫌だったら着替えるか? 俺の携帯倉庫に一緒に入れてるから」
「別に嫌という訳では…………いえ、それよりも……それはミア様の物ですか?」
俺の腰にぶら下がった小さな袋に目線がおりる。
「いや違う。それを元に俺が作った模造品だ。そもそも母さんのあれは国宝。俺が勝手に持ち出していいはずがない」
「…………カイン様は、意外に真面目ですよね。そんな感じしといて」
「どんな感じだよ」
国宝なのだから国に帰属している。元は母親の持ち物だろうが俺が勝手に持ち出すのは間違っているだろう。ごく当たり前のことを言っているだけで真面目呼ばわりとは、悪い奴がちょっと良いことすると良い奴に見えてしまうあれだろうか。普段の俺はどんだけ素行の悪い奴だと思われているのか。
しばらく無言で歩みを進める。
数分で、話が脱線していたことを思い出した。
「話を戻すが、内政の要であるお前が抜けた穴は実際デカいだろうな。でも殺すつもりだったみたいだし、そのあたりはちゃんと考えてるんじゃないか? 突発的な計画じゃないんだろ? 俺とアクレミアに関しては……まあ名前だけだしな」
「名前だけ……物は言いようですね。その名前がこの世界ではどれだけの影響力を持っているか、知らないわけではないでしょう。それに突然王が代われば、国が大きく揺らぐのでは?」
物は言いよう。同じ表現を直近で使われたことで、やはり姉妹なのだと一人納得するが、おくびにも出さない。
「世界は大げさだし、そんなの言ったらどの革命だってそうだ。そりゃ王が突然代わるってなりゃ驚きはする。だが今回のクーデターは戦争に発展していない。城の中の小さな抗争だけで全てが終わった。ベンサハルの名も国では大きい。比較的緩やかに政権は移り変わるだろうな」
「内戦が起きませんか?」
「そんな力と気概のある奴がいるか? 俺を心底慕ってる奴がもし仮にいるとすれば、あるいは小さな暴動くらいは起きるかもしれないが……望み薄だな」
たぶんそんなに慕われてなかったし、人望もなかった。そのあたりはやはり先代国王は圧倒的だった。冗談抜きで支持率は100%に近かったと思う。
ちょっとだけ悲しいが、争いなど起きない方がいいに決まっている。どうか何事もなく新体制に移行してもらいたい。
「それにしても……やっぱり歩きじゃ全く進まねぇな。日が暮れるまでにロータル大谷を超えたかったんだが」
「いいじゃないですか、ゆっくり行きましょうよ」
風で吹かれる髪を押さえて、アワンが少し唇の端を吊り上げる。
楽しそうだ。ニコニコはしていないが、長年の付き合いで彼女のテンションが高いことは分かる。
アワンは旅などしたことがないのだろう。当然と言えば当然だが、もしかしたら国の外を歩くのも久々なのかもしれない。
ルンルンという擬音すら聞こえてきそうな軽い足取りだ。
目的地もまだ決まっていないような根無し草の旅。それも国外追放の二人旅。お供は無能国王。いや、元国王。
普通はもっと重々しい空気となり、悪い方にばかり考えてもおかしくなさそうだが、何が彼女を楽しくさせているのか。
「ああ……忘れてた。眼鏡返しとくわ」
俺は腰に下げた質素な袋から、アワンの眼鏡を取り出す。
近づいていくと、立ち止まった彼女が手を出して来るが、無視してさらに近づいた。
目を点にするアワンに、ゆっくりと見せつけるようにして眼鏡をかけてやる。彼女は振り払ったりせずにそれを受け入れた。
やはりきっちりと結われた金髪に理知的な瞳、この高級眼鏡が揃ってこそのアワンだ。
いつもの秘書服のようなものではないが、ノースリーブのニットにタイトなスカートはしっかりと秘書感を演出する。
俺の観察するような視線に、じっと見つめ返して来る。
改めて見ても、やはり美人だ。
粗を探しても、悪い点が見当たらない。スタイルもいいし、肌も綺麗だし、髪もサラサラ。おまけにいい匂いもする。
胸も尻も出ていて張りがある。この若さで既に肉体が完成されているのだ。
いや、完成しているのは外見だけではない。彼女は珍しく、外見に中身が全く劣っていない美女。二つを並べたとしても、どちらに傾くことなく釣り合っている。
彼女は言うなれば、女として完成している美女だ。
今までは立場上部下としてしか見れていなかったが、こうして互いに地位や身分が無くなった今、ただの男と女がそこには残る。
俺の目の前には、アワンというただの女が残ったのだ。
ただ一人の男となった今、どうしても手に入れたくなるほどの。
「…………え?」
今しがた俺の手でかけてやった眼鏡を、そっと取り外す。
俺の左手に奪われた眼鏡を、アワンが見開いた眼で追った。
その瞳はさらに、こぼれ落ちんばかりに大きく見開くこととなる。
右手を頬に添えると、唇を奪った。
唇と唇が触れ合う瞬間、アワンが確かに息を飲み、呼吸を止めたのが分かった。キスした直後、彼女の肉体が信じられないほどに硬直した気配も。
触れ合った時間はたった数秒。名残惜しさを感じながらも、俺はすぐに離れる。
元の位置に戻って様子を見れば、女の視線は俺にはなかった。
まっすぐに俺を見ているようで、見ていない。
瞳の中心は小刻みに左右に揺れている。対して肉体は面白いくらいにピクリとも動かない。まるで石になったみたいだ。
「…………なにを……してるんですか?」
やっと絞り出した言葉、という印象を受けた。
意味のある言葉を繰り出せたのは奇跡、当の本人ですらそんなふうに思っていそうな顔だ。
それだけ彼女にしては珍しく、呆然とただそこに佇む。
俺は立つことしかできない女の顔に眼鏡を返して言った。
「いい女がいたから、口説いてみただけだぜ?」
瞳が定まると、目が合う。
俺の言葉の意味を認識して、アワンに生物としての動きが戻る。
いや、それは生物としてというより、女の動きといったほうが適切か。
「…………なんですか……それ」
髪の毛を耳にかけて、視線を顔ごと逸らす。
触れられた頬や唇を気にしているような素振り。顔をこれ以上見られたくないと言わんばかりの仕草。
明らかな女を感じさせるその態度に、俺は心の中でイケると確信した。
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