第9話 それとこれとはやっぱり別
「ほっ、よっ、ほっ……」
時々転がっている石ころなどの障害物を飛び跳ねて躱しながら、平原を駆けていく。
この程度の障害なら飛んでまで躱す必要はないのだが、とある理由により、俺はわざわざ労力を増やしてまで揺れを生み出していた。
――ぷるんっ
「ほっ」
――ぷるるんっ
「ほいっ」
――ぷるるるんっ
飛び跳ねるたびに、腕の中で二つの山が揺れる。
この光景が見られるだけで全力ダッシュも全く辛いものではなくなる。むしろ楽しい。
時々どっかに飛んで行かないように二つの柔らかい山を掴んだり押さえたりしているが、やはり自然に触るなら下の二つの山だろう。
こちらは手がその位置に最初から固定されている。そしてこちらも揺らすことで様々な感触が楽しめるのだ。
「――――うぅ……ぇ? 何? え……?」
「おっ!」
腕の中の存在が自発的な動きを見せ始めたことで、意識が戻ったのだと悟る。
俺はアワンの全身を抱え込むように抱きしめると、急ブレーキをかけた。
「きゃあっ!」
意外と(失礼)女らしい声に新鮮な気分を抱く。
アワンからこんな声を聞いたのは、最初に尻を撫でた時以来だ。
その時は絶叫の後、何が起こったのか分からないといった感じで目を白黒させていた。あの頃が一番興奮した。
俺は大地に真っすぐ立つと、腕の中でお姫様抱っこされる眠り姫(過去系)を見下ろす。
「よお、お姫様! よく眠ってたなぁ。もしかして生理か?」
目覚めの一発に、普通に最低なセクハラをかます。
正直そうでもしないと空気が悪くなりそうだから、この時ばかりはわざと馬鹿みたいに明るく振舞った。決してセクハラしたかったわけではない。
心の中で言い訳と反撃の警戒を同時に進めるが、どちらも意味はなさなかった。
というのも、当のアワンに俺の言葉が届いていなかったからだ。
「…………陛下? え? 生きてる……どうして?」
胸元に両手をかき寄せて丸くなるアワン。
不安を感じている時によく見られる人の行動。
続いて左右にキョロキョロと視線をやって場所を確認している。
その時ようやく自身が眼鏡をかけていないことに気が付いたようで、男の腕の中にも関わらず眼鏡を探すような素振りをし出した。
気が強く、いつもはしっかり者の彼女が今はただの町娘のようだ。ずっと眺めていたいような庇護欲をそそる光景だが、俺は断腸の思いで問いとも言えないような問いに答える。
「俺がお前を死なせるわけないだろ?」
「…………陛下のお力ですか? 一体どうやって……いえ、ここは?」
別にもう隠す理由もないのだが、ここは彼女の気遣いを受け入れることにした。
「国外だ」
「……え?」
「俺たちは国から追放された」
数秒見つめ合う。キスでもしそうな程、じっくりと見つめ合う俺たち。
眼鏡をかけていないことで、彼女の金の瞳が良く見えた。まるで大地、雲、海を表すような変わった瞳だ。今考えることではないが、美しいと思った。
俺の内心をよそに、やがてアワンの顔は目に見えるほどに蒼褪めていく。事態を漠然と理解したようだ。子細までは分からないだろうが、この感じは本質は捉えていると思われる。
体の奥底から震えるような声が、それが間違いではないことを教えてくれた。
「へ、陛下……」
「もう陛下じゃない。カインでいいぞ」
俺はいつも通りを意図的に装う。気にしていないとアピールする。
全く彼女のせいではないし、むしろアワンは俺に巻き込まれた被害者なのだが、真面目な彼女なら自分を責めそうだと思ったから。
そしてその予感は的中した。
「申し訳ありません。私は――」
「言うな。お前はできる限りのことをしてくれた。アクレミアのことも、本当に感謝している」
国を飛び出す際、妹のアクレミアを探したのだが、彼女はもう国にはいなかった。俺の唯一の血縁。この国に残せば命はないだろう。
そんな最悪の状況を見越して動いていた者がいた。それがアワンだ。
彼女はアンフィトリテへと外交使節団を送った。団長の名はアクレミア。今となっては理由を説明するまでもない。数か月前、アワンが一度放浪地に顔を見せに来た頃、あの時にはもうアクレミアは発っていたようだ。
「この二年間、一人でなんとかしようとしてくれてたんだろ? 迷惑かけたな」
「…………」
腕の中で静かにこちらを見上げてくる金髪の美女の顔を見れば、そこには一度見た顔があった。
彼女を農地区画に案内した時。俺の二年間の計画が終わり、城に戻る旨の発言をした時だ。思い返せば、あの時の彼女は様子がおかしかった。
俺が不在の間、活発化した反乱因子をなんとかするために彼女が奔走していただろうことは想像に難くない。国を第一に考える彼女は、俺が戻って来ることでこの状況が変わると、本気で安堵していたのだろう。
だが俺の存在によって好転すると思われた状況が、当の俺のミスによって最悪と化してしまった。
その時の彼女の胸中はいかほどのものか。俺が彼女なら怒り狂って刺している。その場合対象も、また誰がナイフを持つかも語るまでもない。
「全ては俺が招いたことだ。俺は……王の器ではなかった」
宰相に国家運営を丸投げし、二年も城を空け、土弄りをする国王。
反乱分子の動きに気付かず、最後には決定的な問題を起こして国を乗っ取られた。しまいにはケジメをつけることも許されずに国を追い出され、生き恥を晒す。
やはり俺は、家柄と血筋だけで選ばれた無能だった。
分かっていた。王になった最初から。7歳のあの日から。
優秀過ぎる父と母を見て育ってきたのだ。自分が取るに足らない人間であることくらい、すぐに分かった。
しかし、あの時はそうするしか。いや、生まれた瞬間から俺の役割は決まっていたのだ。だから必死で王を演じてきた。国のために、人のために、何より自分自身のために。
メッキが剥がれただけだ。道化師の化けの皮が剥がされた。遅かれ早かれ、こんな事態にはなっていたのだろう。
「…………それは違います」
遠くを見つめていたが、その声に、無理やりに視線を引き戻される。
見下ろせば、この俺に否を突き付けた女の姿。最も意外な反対者。
咎めるようにも見える視線が、俺を鋭く射抜いていた。
「オルカ様は言っていました。『血筋や家柄は関係ない。私は最も王に相応しいと思う者に役目を引き継がせる』と」
初めて聞かされた事実に、言葉を失う。
まさか俺と同じ考えを持つ者がこの世に存在したとは。それも同じく王の身で。常識的にはかなりの暴論のはずだ。
「第一は国のためだと。だからこそ、あなたは7歳という幼さでこの国の王となったのです。この10年間、私はあなたが王に相応しくないなど、一度として思ったことはありませんでした。本心です。嘘ではありません」
「…………」
「カイン様。私はあなたを、心から尊敬しています」
「……………………」
アワンの顔がぶれて見えなくなる。
理由は両の目に出現した違和感だった。
溢れて、流れ落ちていく。俺は実に十年振り、父と母の死を確信したあの日以来の涙を流した。
目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばる。
正直、悔しかった。
10年間、死に物狂いで頑張ってきた。才能がないなりに、努力してきた。自分ができることを考えて、やれることをやってきたつもりだった。
自分でも分かっていたが、それでもお前は王に相応しくないと正面から指を刺されるのは、苦しかった。
誰でもいいから、一人くらいには認めてほしかったのかもしれない。
「……っ!」
そっと、両頬に何かが触れる。
目を開けば、アワンが腕を伸ばし、両の手で俺の顔を包み込んでいた。
親指で涙が拭われる。少し照れくさかったが、俺はされるがままに柔らかくも温かい両手を受け入れた。
こちらを労わる気持ちが、その動きの細部にまで現れていた。優しい手だ。
心から、いい女だと思った。アワンこそ、国一番の良い女だ。
だからこそ、今後は俺がもっとしっかりしなければならない。
男が涙を流す姿など、いつまでも見せるものではない。
「ま! ハンコ押す作業から解放されたと思えば、悪いことばかりじゃねぇか! 俺が不在だった二年分の書類をそのまま押し付けられる誰かさんには同情するけどな!」
女に癒してもらったからか、全身に活力が戻り、お姫様抱っこをする両腕にも力が入る。
これから守っていく女の肉体を、両の手で強く感じられた。
「…………元気になられたようで良かったです。すっかり普段の調子を取り戻されたようですので、私もそろそろ言いたいことを言わせていただきますね」
「ん?」
先ほどまでの聖母のような微笑みはどこへやら、そこには子供を叱りつける母親のような顔があった。
「何度も言いますが、それとこれとは話が別ですから」
――――バチィッン!!
下からの押し出し。見事な張り手が俺の頬を撃ち抜く。
そのあまりの威力に、アワンの尻を支える俺の左手と、アワンの胸に添えた俺の右手が、無理やりに離された。
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