第8話 曙の無血革命

「…………なに?」


 拍子抜けというよりも、奇怪なものを見る目だった。

 まあ突然自分の命を差し出すと言われれば、裏を読みたくなるのは自然だ。俺だって逆の立場ならすんなりとは飲み込めない。


「……降伏するということか? 戦いもせず」


「そういうことだ。それが最も犠牲が少ない」


「…………不快な言い方だ。それでは我々から出る犠牲が多いと言っているように聞こえる」


「ああ、そう言ったからな」


 歯軋りが聞こえ、なまじりが吊り上がり、額に青筋が浮かび上がる様まで見える。

 どう見てもめっちゃ怒ってるが、ここで怒鳴り散らせば上に立つ者として――とか考えていそうだ。昔から思っていたが、本当に分かりやすい女だ。俺は彼女のこういうところが、嫌いではなかった。


「降伏するなら、それに相応しい態度であって欲しいものだな。貴様の嘆願を聞き入れるかどうか判断するのは、この私だぞ」


「お前を信頼しているからこその態度だ。為政者ならどちらが賢いかは言うまでもないだろ?」


「…………」


 実際戦闘となれば、勝率はどの程度だろうか。

 この人数差でも、一方的に負けるというのはまずあり得ない。だが完勝できると思うほど楽観的ではない。何より俺にとっては、場所が悪い。

 アズラを筆頭に、軍の主力がここには集まっている。こいつらも勝てる可能性があるからこそ起こしたクーデターだ。最初の奇襲が失敗することも想定していないはずがない。つまりは、正面から戦っても勝つ自信があるということ。

 しかし俺の背後にいる幻影が、彼女たちには特に重くのしかかる。


 先代国王の父と、王妃である母。俺の両親。

 世界最強と言われた二人から生まれた男。

 その血は、決して無視できるものではないだろう。他ならぬ彼女たちであればなおさらだ。だからこそのこの戦力。


「俺が命令して作物を運ばせた女子供には何もするな。罪はない。当然アワンにもな。俺側についたからこうなったんだろ? ならもう理由はないよな」


「…………残念だが、アワンはもう助からん。腹を抉り、複数の内臓を傷つけた。かの聖女クラスの天術師でもなければ、そこまでの重傷はもはやどうにもならない。そしてそんな者は、もうこの世にいない」


 過去には、誰が見ても死ぬほどの重症を一瞬で治癒した女がいたという。そしてその存在を俺はこの目で確認したことがある。つまり、人間に不可能なことではないのだ。


「互いに、知らないことが多すぎたな」


「なに?」


 俺はアズラに背を見せて膝をつく。

 もう俺の命などあってないようなもの。この隙に背中から刺されても文句はなかった。

 試しに数秒待ってみるが、攻撃は来なかった。

 背後からの奇襲。先ほどは行われ、今回は行われない。その違いはどこから来たものなのだろうか。分からない。

 もっとアズラと親交を深めていればと隙あらば後悔の念が湧くが、それも後の祭り。

 背中に纏わりつく後悔を振り払うように、俺は動き出した。


「…………馬鹿な」


 アワンの服を捲り上げて、腹を露出させる。

 そこには傷一つない綺麗な肌があった。

 確認だけ済ませるとすぐに服を直す。そして俺の上着を脱いで破れた箇所を隠した。


「……どうやって。貴様は魔術師のはず」


 アズラの質問とも独り言とも捉えられるような言葉には、答えない。

 能力をわざわざ教えてやる義理もないし、余計な会話だ。


「見ての通り、もう完治している。今は気を失っているだけだ。彼女が目覚める前に全てを終わらせてしまおう。事が終わってしまえば、こいつも腹を括るだろう」


 俺の首が斬られた後ならば、アワンにはもう何もできない。

 賢い女だ。自身の死が国の損失となることもよくわかっている。間違っても主君の後を追ったりなんて真似はしない。

 それ以前に俺に対してそこまでの忠誠を抱いてくれているのかは疑問の余地があるが……いや、一族を裏切ってまで俺についてくれた彼女にこんな考えは失礼だろう。

 だからこそ確信する。彼女は亡き俺の意志を汲んで、今後も国のために働いてくれると。


「…………」


 アズラは無言で俺を見つめていた。

 なんとなくその視線が気まずく、俺は目を逸らす。


「農地改革については有益な計画だと立証された。今後もそのまま続けてくれ。土地の栄養は最低でも四百年は持つ計算だ。俺が手を加えなければならないことはもうない」


「…………なぜだ」


「ん?」


 振り向けば、褐色の美女。

 青い髪に青い瞳。対する男は白い肌に赤い髪、赤い瞳。

 まるで俺に対立するために生まれたような女だ。もしかしたら、それは世界が定めた運命だったのかもしれない。

 

 そんな運命を共にする美女と、もう一度だけ向き合う。

 彼女から、向き合おうという意志を感じたのだ。


「我々は反逆者だぞ。正義は貴様にある。絶対に勝てない戦いでもないはず。なぜ己の立場を守ろうとしない。それどころか、進んで命まで……」


「正義ね」


「なんだ?」


「いや……」


 俺はアズラの視線を受け止め、迷う。

 普段なら心の内など絶対に他人には言わない。隠す方が王としては正しいから。これまではそうだった。

 しかし俺はもう王から下りるし、人生からも下りる。ならば――。


「国を、守るためだ」


「……分からないな。王である貴様がいなくなればこの国は――」


「終わるか? 勘違いをしているな。国は王のものでもなければ、王が国でもない。王とはその国に住む人のためにあるもの」


「…………」


「俺は今回の一件を悪い変化とは思わない。王が変わるだけ、ただそれだけのことだ。今後はお前が俺に代わり、この国をいい方向へ導け」


 本心だ。

 俺は自分よりも王に相応しい者が他にいるのなら、そいつに王位を譲った方がいいとずっと思ってきた。国をよりよくできる人間こそがこの地位に就くべきだと、そこに血や生まれは関係ないと、本気で思う。

 そして今回、アズラ達は俺を王に相応しくないと判断した。だからこそこんな事態が起こったのだ。実際俺はベンサハル一族の不満に気が付かなかった。これだけで王としての能力に欠けているという証明は十分。

 城内の勢力。争いが起こったことから考えても、二つに割れていることが分かる。一方的なら戦いにはならない。つまり俺が王に相応しくないと思う者も、一定数存在するということ。

 だからこそ――。


「俺は最後まで、王としてこの国のためになることをする」


 これで、城の中だけで全ては終わる。

 頭を挿げ替えるだけ。流れるのは俺の血だけ。ベンサハル一族というこの国に無くてはならない存在も、全員残すことができる。戦争は起きない。損害はゼロ。

 驚くほど静かに、革命は成る。国の揺らぎは最小限に、この大国に一切のダメージはない。


「……………………勝手に話を進めるな」


 否の声は、予想だにしない場所から挙がった。

 アズラの発言に、こぼれ落ちんばかりに目を見開く。

 理解できなかった。アズラ達にはメリットしかない提案のはず。即座に首を縦にふり、そして俺の首を横に落とす。そうあっておかしくない状況。

 そして続いた言葉は、俺を更なる混乱の渦に突き落とす。


「処遇を決めるのは私だ。貴様はこの国から追放する。二度と帰ることは許さない」

 

「……!?」


 揺れ動く気配。

 見れば、動揺は俺だけではなかった。アズラの周囲を取り囲む者達も、発言を問いただすような空気さえ醸し出す。


 当然だ、正気の判断ではない。

 王が変わる時、それは古い王族が死ぬ時だ。王家は殺すのが基本。でなければ、いつまでも血が残り続ける。ましてや国王、この大国の王の首を逃す手はない。というより、殺さずして真の革命とは成らない。

 力を誇示するという意味でも、古い時代が終わり新しい時代を象徴するという意味でも、王の首は絶対に必要だ。それを自ら手放すとは。

 それも、こちらが無償で差し出すと言っているのに。


「貴様の矜持に応えてやる義理はない。国から追放された国王という汚名を抱えたまま、恥を晒して惨めに生きていけ。それが貴様への罰だ」


 アズラが背を向ける。

 攻撃がくることなど想定していない、無防備な背中を返される。

 一歩踏み出そうとした女を、俺は思わず呼び止めた。


「おい! アズ――!!」


「ああ、それと……も我が国には必要ない。一度死んだようなものだしな。残されても困るだけだ」


 呼び止めた名前は、強引に遮られる。まるで名を呼ばれたくないとでもいうように。

 彼女はもう、振り返らなかった。僅かに止まった足は、すぐにまた動き出す。

 

「さらばだカイン。約束は守ろう」


 この日、世界一の大国の王が代わった。

 誰の血も流さず、一夜の内に起こったこの事件を、後に”曙の無血革命”と人々は呼ぶ。

 追放された国王カイン・オルキヌスの噂は、驚くほどの速さで各国を駆け巡った。

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