第7話 裸の王

「……四日前?」


 言われて、四日前の出来事を思い返す。

 直近だ。すぐに記憶は掘り起こされた。

 実験段階の、収穫最終日。そのできを判断してプロジェクトの成功を見た、俺にとっては重要な日だ。

 しかし、やはり思い当たる節がない。


「…………ほとほと呆れかえる。そのような知見で一国の王が務まるとは。そしてそんな裸の王を我々はこれまで仰いでいたとは」


 嫌味が聞こえてくるが、本当に何かした覚えがない。

 ましてやアズラ、延いてはこの一族に関することなど――。


「裸一貫での生産が俺の矜持だ」


「物は言いようだ。引き継いだその血以外に、何の才も持てなかっただけのくせして」


「互いに血は争えないな?」


 仮にクーデターが成功したとしても、変わらず裸の王のままじゃないか?

 出会い頭に投げかけられたアズラ自身の言葉に交えて、特大の皮肉を返す。

 俺の渾身の嫌味に、明確に鼻白んだ美女の顔が見えた。


 多少はスッキリした頭で考えるのは、やはりアズラの言う俺がしでかしてしまったことについて。

 時間を稼いで思い出す時間を作ったりしてみたが、やはり思い当たることがない。

 俺は反教底位パルスでアワンの容態を再度確認し、右腕の止血を始める。

 もはや血を垂れ流す理由はないし、いつまでも止血せずに放置していれば怪しまれることだろう。


「……口先も遺伝したようだ。それで? 思い出せたのか?」


「いや、本当に心当たりがない」


「…………そうか」


 見て取れたのは、明らかな失望の色。

 四日前に袂は分かれたとは言っていたが、もしかしたらまだ希望の糸は繋がっていたのでは。そう思わせるだけの確かな感情の揺らぎがそこにはあった。

 しかし、もう遅い。

 熱を失い、冷めた視線が俺を射抜く。


「貴様の使いの者たちが我が一族を訪ねた。そして貴様が生み出した作物を献上してきたのだ。カインより友好の願いを込めて、とな」


「…………は?」

 

「手ずから育て、かつ土から実った作物を贈ることは、我が一族では禁忌。最大級の侮辱となる」


「…………」


 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。

 なぜなら、俺には全く身に覚えのないことであったから。


 アワンとアズラの一族のことは、勿論知っている。

 俺の国は単一民族国家ではなく、様々な人種、さらには人間ですらない種族の者達までいる。

 それぞれの種族で慣例や礼儀などが異なるのは当たり前。種族間のそういった問題はデリケートなため、俺は立場上そのような教育も幼少期よりみっちりと受けてきた。当然そんな俺が、我が国で最も重要な一族であるベンサハルのタブーを押さえていないはずが無い。

 確かにアズラの言った内容は――簡単に言い換えれば身内を強姦殺人されたくらいに値する恥辱だ。知ったうえでやったことなら、到底許せるはずが無い。

 だからこそ先んじて俺はアワンに受け入れ態勢を整えさせたのだ。優秀なアワンならあれだけで俺の意図もすぐに察したはず。でなくともそのあたりをアワンが配慮しないはずがない。

 つまり――。


(……何者かの画策。仲違いを望んだ者がいる)


 そうとしか思えなかった。

 この国で最も力を持つ一族を離反させる。クーデターには理に適っている方法。悪意的な思惑が裏で働いていないわけがない。


「使いの者とは誰だ?」


「どこまでも、白々しいな」


「答えてくれ」


 憮然とした瞳を見つめる。

 数秒視線がぶつかり合うが、先に逸らしたのはアズラだった。


「貴様が放浪地で召し抱えている者達だ。数十人の原人。身元も確認済み」


「…………!!」

 

 無知と純粋な想いは、時に誰かを困らせる。

 無慈悲に、残酷に、絶望的なまでに、裏目に出る。

 悟ってしまった。これは悪意から起こったことではなく、むしろ善意によって起きてしまった不幸な事故だという事に。


「女子供を政治に利用するとは、悪辣な」


「…………」


 約二年前、俺が今回の計画を始動した頃。

 アズラがわざわざ放浪地にまで下りてきて、俺を連れ返そうとした時期があった。

 土いじりなど王のすることではない――。王には王の成すべきことがある――。立場を弁えろ――。

 様々な表現で説得されたが、大体が似たような意味だった。


 当然俺は今回の計画の優位性や意義について唱えたが、終ぞ聞き入れてもらうことは出来ず、つっぱねられた。王自らやることではないと。

 正直為政者としての観点から言えば、アズラの言う事も間違ってはない、どころか常識を踏まえても不利な勝負であったため、強くは出られなかった。

 俺自身がやることに意味があるという説明は、俺の技術スキルの秘密に直結しているためできない。というよりまだその頃は実験段階であったためどちらにしろ満足な説得はできなかっただろうが、俺がいなければ計画そのものが始まらないこともまた確かだった。

 そんなやりとりは数週間続き、放浪地の者たちにはアズラと俺の対立が強く刻まれた。


 ここから考えられるのは、おそらくはベンサハル一族との関係回復を狙っての行動ではないだろうか。

 放浪地の若い女や子供たちは、国単位では考えない。俺の思惑も、計画も、よく理解していないことだろう。

 単純に働くあてのない者達を救済するために職を斡旋し、王自らがその手伝いをしてくれている。その程度の認識。

 それを止めようとする国の偉い役人と、王は仲が悪い。他ならぬ自分たちのせいで。そんなふうに思ってもおかしくはない。

 だから王の働きを認めてもらうために、計画の成功を記念したその第一号の作物を収穫して贈った。

 それを俺に言わなかったのは、もしかしたらサプライズのつもりでもあったのかもしれない。まあ気遣いの類なら、仲違いしている当人には伝えないのが自然か。俺の名前を使ったのは、身元を保証しないと受け取ってもらえないからだろう。

 

(……裸の王か)


 言い得て妙だ。

 長年貯め込んでいた俺への不満が、その一件でとうとう決壊したということ。彼女たちは、これまでは我慢してくれていたのだ。

 確かに、俺は周りが全く見えていなかった。


「そいつらはどうなった?」


「…………貴様にとっては喜ばしいことか分からないが、まだ処罰していない。貴様を引きずり出す餌に利用できるかと思ったが……そちらは杞憂だったな」


(……引きずり出す)


 なるほど見えてきた。

 アワンの様子を見る限り、彼女はクーデターを起こしたアズラ達と対立した。つまりは俺側についた。

 そうなると答えは分かって来る。俺を特別収容区に送ったのは隠すため。俺が見つからなければクーデターはそもそも起こせないと考えた。このカイン・オルキヌスの首なしに、この国で革命が成るわけがない。利口な判断だ。

 同時に時間稼ぎの意味もあった。その間にアズラを自分が説得するつもりだったのかもしれない。


「アワンは己の不手際だと最後まで主張していたが……貴様の認識は?」


「…………」


 やはりアワンは自分が罪を被って何とかするつもりだったようだ。だがアワンも一族の出身なだけに、その言い訳は苦しい。誰にだって嘘と分かってしまう。


「…………」


 俺の道は今、二つに分かれている。

 真実を口にするか、嘘を口にするか。

 真実を口にすれば、首の皮一枚繋がるかもしれない。しかしそれでは、罪のない国民から数十人の犠牲が出る。

 分かれた道のうち、嘘を口にするという道を選べば、さらにその先でも道は分かれる。どういう嘘を、いやどちらの嘘をつくかで。

 ベンサハル一族の禁忌を知らなかったと嘘をつけば、一族に全く興味関心がなかったと受け取られ、命令したと嘘をつけば、明らかな宣戦布告。どちらにしろ心証は悪いだろうが、明確な違いもある。


「答えを聞こうか」


 考える時間は、長くは与えられなかった。

 迷った。悩んだ。

 己の人生の中でここまで頭を働かせたのは、おそらく初めての事だろう。ここまでの決断を迫られたのは、王になったあの瞬間以来。それだけ難しい決断だった。

 答えを導き出せたのは、俺が王だったから。


「全て、俺が命じたことだ。お前らのルールなんか知らなかったよ。特に興味も無かったからな」


「……………………そうか」


 答えは出た。

 完全に、道は分かれてしまった。

 これより本格的なクーデターが起こり、血で血を洗う死闘が始まる。

 ここにいる誰もがそれを確信していた。ただ一人、この俺を除いて。


「今夜の一件、このカイン・オルキヌスの首一つで収めてくれないか?」

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