第5話 血は争えない
(大規模な内戦に発展する前に……!)
城内を駆ける。
時折道を遮ろうとしてくる騎士を殴打のみで戦闘不能にしていき、決して足は止めない。
できるだけ早く解決、もしくは収束させなければならない。その一心で、走り続ける。
国民、一般市民を巻き込んだ大きな戦いにだけはしてはならない。
11年前に勃発し、10年前に終息した大戦の影響で、ただでさえこの国は国力が落ちている。その傷も冷めやらぬというこの時に、さらに内戦なんて起こしている場合ではない。
国が揺らげば国家間の戦争、加えて魔領域の脅威に対応できなくなる。なんとしても、この城の中で全てを終わらせなければ。
(事件の事実が漏れるのもまずい……! できれば今夜中に……!)
クーデターを起こしてしまった王。この情報が国に伝わるだけでもまずい。
支持率の低下に繋がるし、勇者の威厳まで揺らぐ。燻る不満分子の躍動も懸念される。デメリットが多すぎる。
それだけならまだいいが、他国にまで伝わるような事態だけは絶対に避けなければならない。国家間のバランスまでもが崩れる可能性もある。
しかしそうした政治的観点の全てを取っ払っても、俺を急がせる要因は消えることはない。むしろ純粋なその感情が残れば、俺の焦りをなおさら加速させる要因にすらなる。それはやはり――。
(アワン!!)
クーデターの首謀者。事件が公のものとなれば、然るべき判決が下る。
そして国家転覆犯の末路など決まっている。こればかりは王の裁量でもどうにもならない。というより、これを許せば本末転倒。国の秩序が危ぶまれる。
だからこそ事が知れ渡る前に、この城の中だけで終わらせるのだ。
事実を知る者は極力少なく、できることなら、最初から何もなかったことに――。
逸る心が、呼吸を狭く、短くする。
息が上がるなど、どれくらいぶりのことだろうか。本来この程度の運動量で鼓動が速まることなどあり得ない。それだけの精神的動揺ということ。
しかしそんな現在の状態が可愛く思えるほどの、急転直下の事態が待ち受ける。
――バンッ!!
ようやく辿り着き、乱暴に押し開いたのはアワンの部屋の扉。
王の私室、つまりは俺の執務室の隣に位置する部屋だ。
ここを目指したのは当然、首謀者と思われるアワンを真っ先に確保するため。
そこには俺の予想通り、アワンがいた。
他には誰もおらず、アワンのみ。俺にとっては嬉しい誤算。
しかし同時に、それを容易に覆す程の大きな誤算もあった。
「っ!?」
まず目に入ったのは、部屋の惨状。
広い部屋だ。すぐにいつもとは異なる趣に気が付いた。
散乱した調度品の数々、壁の傷跡、割れた窓ガラス。
明らかな襲撃の痕。それもまだ新しい、直近のもの。
部屋の奥、中央にはアワンの執務用のデスク。
それに背を預けるようにして伏す女の姿を見て、心臓が止まるような気分を抱く。
「アワン!!」
そこには、血に濡れて佇む金髪の美女の姿。
いつもはきっちりと結われた長い髪が乱雑に流れ落ち、褐色の肌には血が滴り、眼鏡のレンズも割れているが、間違いなくアワン本人。俺が間違えるはずも無い。
惨状を理解した瞬間、駆け出す。
部屋の床に散乱したガラスや本などの障害物を蹴とばすような勢いで、広い室内を一直線に。時間などそうかかるはずもなく、すぐに目的地へと辿り着いた。
「おい! アワン聞こえるか! 俺だ! カインだ!!」
目の前に膝をつき、覗き込むようにして顔色を確認する。
膝に血だまりの液体が付着し、焦りに拍車がかかる。触れなかったのは下手に動かすのを避けるためだ。どの程度の傷か、どこを負傷しているのか分からない今、下手に動かさない方がいいと直感的に思った。
声をかけると、僅かに反応のようなものが感じられた。
呼吸も、微かだが確認できる。
(生きている!!)
生存が確認できれば、行動は早かった。
俺は即座に腕まくりをして肌を露出する。袖を手繰るなど簡単な動作だというのに、この時に限って手間取り、じれったさに強引に引きちぎる。
そして、曝け出された自身の腕に爪を突き立てた。
その時――。
「んっ!?」
背後からした微かな物音を、聴覚が捉える。
風が少し揺れたような、もしくは空気を何かが押しのけたような、本当にただそれだけの物音。
常人では知覚不可能なほどの微かな物音にも、この身は見事に反応して見せた。
直線的に向かってきているだろう何かに対して、即座に横の動きで躱そうとする。
最小限かつ最短の動き。あまりにも理にかなった最適な行動。
しかし動いている途中で、目の前には守るべき者がいたことを思い出す。
気が付いた瞬間、横に流していた肉体を半回転させて、露出していた右腕を鞭のように振るう。そこに何かが貫通したのを痛覚が捉えた時、俺は防御の成功を確信した。
予想外だったのは、その威力だ。
俺の肉体を容易く貫通し、さらにその先のアワンをも貫いていくかのような刺突攻撃。
それをさせなかったのは、当然俺だ。
背後からの奇襲に瞠目しつつも、咄嗟に貫かれた右腕を捻り、獲物に巻き付く蛇のような動きでそれを絡めとる。
手のひらが貫通する物体を握りしめた時には、攻撃は完全に止まった。
「…………ほう。完全な不意を突いたと思ったが――」
聞き覚えのある声に、今もな激痛を訴えてくる右腕が、条件反射で軋む。
強く握りしめられ、筋肉が膨張した証拠だ。声に反応して、無意識に体が動いた。
自身の肉体から発生した鮮血が滴る得物を確認すれば、それはあり得ない程に長い槍だった。
確認したくない気持ちと、確認したい気持ちが胸中でせめぎ合い、行動を鈍らせる。
アワンが首謀者ではなかったという安堵を抱くと共に、どうかそいつだけは違って欲しいという切実な願いが表情に現れる。
壊れた人形のように重い首を意志の力だけで動かせば、そこにはやはり、知っている美女の姿があった。
「やはりあの御方の血か。互いに血は争えんな」
まるで自分の部屋のように足を踏み入れた存在が、大口を開けた窓から入る月明かりによって照らし出される。
天を宿したような長髪に、空を閉じ込めたような瞳。
アワンの刺々しい空気をさらに鋭利に研ぎ澄ましたような強大な気配。
アズラ・ベンサハル。
アワンの血を分けた、実の妹の姿がそこにはあった。
***
「…………アズラ」
およそ二年ぶりに相対する部下の姿に、なぜこれほどまでに緊張と警戒を伴った声を出さなければならないのか。
神がこの世にいるのなら、この仕打ちは一体どういうことか。
特に信じている神などいないが、誰でもいいから唾を吐きかけてやりたい。いや、神を信じていなかったらこうなったということだろうか。存在するかもわからない神に祈りたくなる人間の気持ちが、少し分かった気がした。
馬鹿なことを考えて、必死に動揺を誤魔化す。
まさか自分がこんな状況に陥るなど、全く思ってもみないことだった。
「ことのほか冷静だな。そんなに意外でもなかったか? だとすれば少し寂しいものもある。……身勝手な感情だと責めるかな?」
「……別に責めやしないが、自分から別れをきりだしくせに彼氏の反応が思いのほかあっさりしてるから腹を立てた――そんなめんどくさい女を彷彿とさせるな」
「それを責めるというのだ」
取るに足らない、普段通りの会話。
記憶の中にある彼女と特に変わった様子は見られない。
だからこそ分かってしまった。はっきりと。
「お前が首謀者だな?」
自分でも驚くほどに、冷たい声が出た。
俺の聞いたことのないような声を受けて、アズラが少しだけ目を見開く。
だが、それだけだ。
「……ああ。ここまでして分かってもらえなければ、どうしたものかと困ってしまうところだ。まだ疑う気持ちが残っているようであれば、そこに転がっている女にトドメでもさそうか?」
アズラの視線が、倒れているアワンを見下ろす。
冷酷な視線。血の繋がった姉に向けるものではない。
この時ばかりは、俺は本気で目を見開いた。意外感を通り越し、拒否感とも言えるような感情を抱く。
あの親しかった姉妹が、あんなに仲の良かった二人が。一体何が――。
「…………やってみろ」
――バキッ!!
槍の一本で繋がっていた俺とアズラが、引き裂かれる。
アズラの槍は鉱石の中でも特に強度の高い金属、ドルトスタジウムが使われている。
それも表面のコーティングなどではなく、芯から全てがその金属。
その強度は鋼鉄や銀、金、さらには白金よりも上。
本来人間の腕力だけでへし折るのは不可能な代物。
しかしその金属をふんだんに使い――細く加工をしているがむしろ素材そのものよりも折れにくく頑丈に――作り上げられた一品は、真っ二つに両断される。
貫かれ、負傷した右腕一本で。
貫通していたことにより止血の役割も果たしていた槍を右腕から引き抜くと、鮮血が床を濡らす。
その血はアワンの肉体にも降りかかり、美女の肉体を更なる赤で染めた。
猟奇的なエロスさえ見出せそうな、普段とは趣の異なる美女の姿には目も向けずに、俺はアズラの視線からアワンの姿を隠すように立ち上がる。
クーデターの首謀者と、この国の王が今――
対峙した。
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