第3話 ナイフを持つのは誰か

「見て見て、陛下がまたほっぺた腫らしてるー!!」

「やめなさい! 指もさしちゃだめ!」

「綺麗……女神様みたい……」

「ほんとね。ミア様を思い出すわ」


 相変わらず甲高い声に左右から挟まれる――畑と畑の間の通路を進みながら、俺は赤くなった頬を摩る。赤い髪に赤い瞳、そして赤い頬。もはや赤くない場所を探す方が難しいくらいだ。


「本気でぶつんだもんなぁ、女って生き物は。身に秘めた暴力性が男の比じゃねえよ」


「その秘められた暴力性を解き放ったのは、男であるあなたです。聞こえる限り日常茶飯事のようですね。自業自得では?」


 女にそんなことをさせるお前が悪いって言いたいのか。ぐうの音も出ん。

 振り向けば瞳を伏せ、ツンと顔を背けられる。しかし可愛くない女だ。ちょっとケツ撫でたくらいで暴力に走るのはお前くらいしかいない。


「……ここは?」


 アワンが仕事モードに戻ったため、俺もひとまずは鬱憤を飲み込む。


「ここから第九区画、第十六区画まで普通の畑だ」


 第一から第八までが主食となる二大穀物、麦と米。

 第九から第十六までがその他の野菜や果物類だ。

 現在稼働しているのは第十六区画まで。俺が田畑に変えた土地は総計五十一区画。実験段階であるためまだまだ多くの土地が未使用で放置されている状態だ。それももうすぐ終わるが。


「随分と様々な作物が実っていますね。あまり詳しくないのですが、同じ土地で複数の作物を育てていいものなのですか?」


「俺も最初は、同じ土地では同じ作物を育てるのがいいのだと思っていた。年に複数回栽培、収穫できれば効率もいいし、一般的な常識でもそうだったしな。病気の発生による全滅の危険も、俺なら未然に対策ができる。気候もことさら問題ではない」


「ではなぜそうしないのですか?」


 話を円滑に進めるためのフォローに自然と口角があがる。

 数か月ぶりに会ったが、こういうちょっとした気配りが彼女の優秀さを感じられるポイントだ。彼女はタイミングを読むのが非常に巧い。かといって必要以上に出しゃばったりしない。理解も早いし、実に話しやすい。


「同系統の作物を繰り返し作り続けることによって生育不良が起こり、収量が落ちてしまう障害の懸念が発生した。先に作った作物に相性の良い作物を後に作る。そちらの方が障害の危険性が低く、生産効率も良いことに気が付いたんだ」


「相性の良い作物があるということは、相性の悪い作物もあるということですね?」


「ああ、人間の食事にも食い合わせがあるだろ? 全部が全部同じ土地で育てられるわけじゃないし、嚙み合わせの良し悪しもある。相乗効果が期待できるグループ分けをして、この生産法に強い作物と弱い作物もリストアップ済みだ」


「そちらの生産法の、名称は決まっているのですか?」


「効率的生産農法連続畑作。仮だが」


「少し長くはありませんか?」


「仮だ。後はそっちで適当に決めてくれ。今日中に作物の相性なんかをまとめたリストを送る。いくつか収穫した作物も送る予定だから、受け入れる用意をしといてくれ」


 そいうのは予め言っといてくれ、そんな気配を背後から一瞬感じたが、即座に霧散する。俺の無茶ぶりは今に始まったことではない。慣れているアワンはすぐに兵士に言伝ると、伝令に走らせた。

 観光案内をさせられたり、犯罪者を捕まえさせられたり、お使いをさせられたり、今日は忙しい日だな――などと他人事のように思いながら、走る兵士を同情の視線で見送る。三つともやらせたのは俺なのだが。


「…………帰ってこられるのですね」


「ん?」


 急に立ち止まったアワンの気配に振り返る。

 風に流された金髪を手で押さえながら、彼女はまだ何の作物も実っていない名もなき土地を眺めていた。


「どうした? 俺がいなくて寂しかったのか?」


「…………」


 軽い冗談に、答えは帰ってこない。

 様子がおかしいことに気が付き、彼女の元へと近づいていく。

 しかし顔を覗き込める距離にまで近づくと、いつも通りのアワンがそこにはいた。


「二年も国家の仕事を丸投げされた宰相の気持ちにもなってみてください。あなたがまだ刺されていないのは奇跡ですよ。その場合ナイフを持つのが誰かは語るまでもありませんね?」


 ジトっとした目で見あげられる。

 そんなに大変だったのか。いやそりゃ大変か。

 二年も城に国王不在。そもそも国家運営がどれほどの難易度か、他ならぬこの俺が良く分かっている。

 無理やり連れ帰したりなどの強硬手段に出てもなんらおかしくはない。実際近い行動をされたことあるし。それと比べれば、彼女はかなり甘い方だ。


「悪かったって。まさか俺もこんなに時間がかかるとは思ってなかった。当初の見積もりでは半年で終わる予定だったんだが……」


 プロジェクトを企画した段階では俺の生産系の技術スキルの修得、土地の復活、土地の栄養の持続、畑や田への開墾など、全てをひっくるめて半年を予定していた。国王不在による影響を国に与えないギリギリを計算してその期間だ。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。

 先の畑作の問題などと合わせていくつかの問題点が浮上し、その対策などに時間を取られた。結果かかった期間は二年。俺不在でもなんとかなる状況にするまで、七百二十日もかけてしまった。


「見通しが甘すぎます。本来二年でも早すぎるくらいですよ。それに、本当にあなたが主導する必要があったのですか?」


「…………」


 咄嗟に答えることができず、畑で作物を収穫している者達に視線をやる。

 やはりほとんどが女。年寄りから子供まで年齢は様々だが、男がほとんどいない。


「十一年前に勃発した大戦で、軍は壊滅、男手も随分と減った。いや、残った男たちを軍事に回したことで、農事に裂ける男手が減った、が正しいか」


「…………」


「あれから国力は落ち、ついには放浪地なんて場所までできる始末。こんな状況をつくったのはだ。だからこそ、これは俺がやらなければならない」


「…………」


「今回の計画は放浪地を農地へと移行し、女子供、年寄りでも十分な生産性を見込める職を作ること。同時に人類に付きまとう難題、食糧問題にも着手する。第一、第二フェーズまで実験は成功。このまま進めて行けば、きっと目的を果たせられるだろう」


「…………失礼しました」


 殊勝に目を伏せるアワンの態度に、少し真面目に語り過ぎたかと我に返る。

 俺らしくなかった。これでは軽い冗談にキレながらマジレスする痛い奴みたいだ。


「それに、城にいたって俺にはハンコ押すくらいしかやることねぇしな。それよりは外で土いじってる方が幾らか生産性がある」


 顔をあげるアワン。

 ゾッとするほどに整った顔。時々美人過ぎて俺でも気後れしてしまう。ここまで女を綺麗だと思ったのは、母親であるミア以来だ。

 彼女は俺が冗談を言っているのだと悟ると、いつものように目を細めた。

 花がほころぶ様な笑顔を見せられ、ドキリと心臓が跳ねる。


「そんなことを言っても、これからは遊ばせてあげませんよ。あなたには二度と下らない場所に手が行かないように、ハンコ付きの書類を永遠に生産していただきます」


 ああ、尻触ったことまだ気にしてたのね。

 というか冗談に聞こえない。どれだけの書類が溜まっているのだろう。考えただけでもう帰りたくない。

 俺の前を歩き始めるアワンの背に、とぼとぼとついていく。

 まるで牢屋に連行される直前の囚人のように。


「それに……そのハンコを押せる人間は、この国にはあなたしかいないことをくれぐれもお忘れなく」


 ツンツンツンツン、デレくらいの割合でやってくるアワンのツンデレサービス。

 その場にセリフと香水の香りだけを残して、国一番の美女は背を見せて歩いていく。

 俺はそんなアワンの後姿を見ながら、「やっぱいいケツしてるな」と心から思った。




***




 ――――ガッシャン


「……え?」


 あまりにもあんまりな状況に、思考が停止する。

 状況の確認だけを急げば、目の前には硬質な鉄の柵。

 無機質な空間、石壁、鉄格子。

 俺をこの空間に追いやった兵士に問いただす。誰が、何の権利と資格を持ってこの国の王をこんな場所に追いやったのかと。

 返された答えは、俺の予想を遥かに超えたものだった。


「アワン様の命令です。陛下には、ここで大人しくしていてもらいたい」

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