第2話 それとこれとは別
振り向けば、そこには金髪の美女。
鋭い目つきに理知的な眼鏡。きっちりとした服装にしっかりと結われた髪。
生真面目かつキツイ女という印象を全身で、これでもかと表現している女。
褐色の肌が艶めかしい美女の予期せぬ登場に、背筋が伸びるような感覚を抱く。
「……よお、アワン! 相変わらずめちゃくちゃ美人だな!」
俺は特にお世辞でもない挨拶を口にしながら、長い付き合いの美女に慣れた様子で近づいていく。旅の女の存在など、最早どうでもよかった。
俺が近づくのを、アワンは無言で待ち受ける。
腕を組んでいるわけでもない、威圧的な態度を示しているわけでもない――というのに、どうしてこんなに近寄りがたい雰囲気を感じるのか。不思議だ。
言葉を交わす距離まで接近すると、アワンの瑞々しい唇が割り開かれる。
「御心にもないことをありがとうございます陛下。先ほど私の顔を見るなり、げぇ! と口にされていたようですが」
「そりゃあ、美人にそんな顔をさせてしまったと思えば驚きもするさ。何か俺が気に障るようなことでもしてしまったんじゃないかってな。それよりいつも言ってるが、さっきみたいにカインでいいよ。俺たちの仲なんだから」
ノースリーブによって剥き出しの肩に手を伸ばそうとするも、鋭い視線がその手を迎撃したことで、簡単に撃墜される。
行く場所も帰る場所もなくなった右手を、俺は空中でプラプラと振るしかなかった。
「御戯れを。それで陛下、彼女は?」
冷たい視線が背後の女に向けられる。
特にやましいことはしていないというのに、俺の中にある数多の罪の意識が行動に現れた。
「ああ! この国では絶滅危惧種にあたる観光客の方だ。遥々アンフィトリテからお越しの……あーモブ子さん。俺たちの素晴らしい国を案内してあげようと思ったんだが、それは俺の仕事じゃないよな。あ、君! この子の案内頼むな」
俺はおっかなびっくりといった旅の女の背中をぐいぐいと押して、アワンが連れてきた兵士に押し付ける。
アワンが連れているってことは、身元も出自も確かな兵士だ。信頼して預けて問題ないだろう。
アワンの護衛のために駆り出されたであろう兵士は当然難色を示したが、その当の本人の命令によってようやく動き出す。
俺は旅の女を連れて背を向けようとする兵士に、ついでとばかりにもう一つ仕事を押し付けた。
「あっ! こっから真っすぐ東に186m地点。そこにいる三人組、犯罪者だから。兵回しといてくれ」
兵士はもう言いたいことはないかと数秒待ってから、再び進み出した。
一度の指示、それも急な命令を聞き取って動き出せるとは、流石はアワンの部下。俺なら懐からメモを取り出して、もう一度言ってくれますか? って問い返すところだろう。懐にメモなんて入ってないが。
「じゃあ行こうか」
遠ざかっていく二つの背を見送り、満を持して二人きりになると、アワンの腰に手を回してエスコートする。
拒絶はなかった。長く付き合ってきて分かったことだが、彼女は二人きりの場合は触ったりしても特に咎めたりしない。そういった状況による行動の違い一つとっても、彼女が国王と宰相の立場を重んじているのがよくわかる。
「どちらに?」
「ん? 視察だよ。そのために来たんだろ?」
俺は手のひらに伝わる女体の感触と、鼻孔をくすぐる香水の香りを楽しみながら、傾国の美女と共に目的地を目指す。
彼女はその答えの後は、無言で俺に付き従った。
***
「陛下、おはようございます!」
「陛下、おはよう~。今日もかっこいいね~」
「陛下! 誰その人! 新しい彼女!?」
「陛下が女の子連れてる! それもすっごい美人な人!!」
「うるせーぞお前ら! キビキビ働けー! この俺のために、馬車馬の如くな!!」
「ブーブー!」
「女の子にはもっと優しくしろー!」
「だから振られるんだぞー!」
「うるせえ!!」
いつもの挨拶に、今日はちょっとだけ色が乗る。
俺の後ろを歩くアワンの存在に、誰もが興味津々だ。
無理もない。王都でさえ、これほどの美人にはそうそうお目にかかれるものではないだろう。こいつらには天から降りてきた女神のように見えているはずだ。ちなみに俺の目にもそう見えてる。同性とはいえ、反応するなという方が無茶な話。
「慕われているようですね」
皮肉かと思いチラっと後ろを見るが、そこには表情を和らげている女がいた。いつもツンツンしている女だが、たまにはこんな顔もできるらしい。
ここは放浪地、農業区第一区画。
アワンが王都の城から遥々ここまでやってきたのは、このプロジェクトの、実験段階の終わりを見届けるためだ。
「これは、小麦ですね。これから収穫ですか?」
「ん? 報告書は届いてるだろ?」
俺は本当に不思議に思って振り返る。
月に一度のペースで記録をまとめて報告をあげているし、それに宰相であるアワンが目を通していないことなどまずあり得ない。
返ってきたのはブスっとした雰囲気と仏頂面だった。
「あなたの口から聞きたいんです。佳境なのでしょう?」
これは野暮を言ってしまった。どうやらこちらを立ててくれていたらしい。
俺はプロジェクトリーダーとして胸を張る。集大成を語るつもりで。
「失礼した。見ての通り、第一から第八までは小麦と大麦を栽培している。これから刈り入れて、その後は田にして稲だな」
「あげられた報告書に目を通しても疑問だったのですが、同じ土地に全く別の作物を? そんなことが可能なのですか?」
「本来は不可能だ。いや、実際不可能だった。ここの土地はもうほとんど栄養がなかったし、実質死んでいたからな」
挨拶に軽く手をあげて応えながら、俺たちは歩き続ける。
どいつもこいつも女ばかり、男は子供か年寄りくらいしかいない。だからこそこの場所を作ったのだが。
もうすぐここでの生活も終わりを迎えると思うと、中々に感慨深い。ここまで漕ぎつけるのに、結構な時間が掛かってしまった。
そんなことを考えていると、いつのまにかアワンが距離を詰めて、俺のほぼ真後ろにまでやってきていた。
「当然です。だからこそ何もできない土地、放浪地となったのですから。あなたが放浪地の大部分を開墾すると案を叩きつけて出て行った時は、頭を抱えましたよ」
「懐かしいな。二年前くらいか? あの時もお前はプリプリしてたな」
「採算の見込めない計画を、それも一国の王自ら。前代未聞です。私でなくても怒ります」
「はははっ……まあ、なんとかなっただろ?」
「はぐらかさないでください。……一体何をやったのですか?」
声色の変わった小声を聞いて、合点がいく。
だからわざわざ距離を詰めて来たのかと。
今回の計画の成功には、人に気軽には言えないような大きなカラクリがあると踏んで。実際俺は今回のプロジェクトの根幹や意義はアワンに説明したが、具体的な方法論は語っていない。何らかの秘密、種があると思うのは当然か。
少しだけ悩んだ末に、俺は行動に移す。
「…………こっちへ」
麦の穂に隠れるように場所を変える。
この土地は栄養があり過ぎるせいか、俺の普段の身長をやすやすと上回るほどの大きさまで成長するのだ。
収穫作業をしている者達から、完全に視線を遮れる場所までアワンの手を引いてやってくると、そこで向かい合った。
「これ……意味ありますか?」
「ん?」
胸の中で、ジトっとした目が俺を見上げる。
腰に両手を回してぎゅっと抱き寄せると、眼鏡の中の視線はさらに細まったような気がした。
「念の為だ。聞いたのはお前だぞ?」
「はぁ……」
心底呆れたような吐息。子供の我儘に付き合う大人のお姉さんのような余裕を感じさせる。実際そうか。彼女は俺より年上だし。
髪が耳にかけられた剥き出しの右耳に口元を近づければ、少しアワンの肉体が強張ったのを感じた。
「薄々察していただろうが、秘密は俺の能力にある」
「やっぱり、そういうことでしたか」
互いの呼吸音すら聞こえるような至近距離で見つめ合う。
ここまでして色っぽい雰囲気にならないところが、この女の凄いところだ。
どこまで真面目なのか。
「俺の
「生産系ですね。寡聞にして存じ上げませんでしたが、そちらの才能があったのですか?」
「いや、逆だ。これならいけると思って、そっち系を修得した」
アワンの目が限界まで見開かれる。
「まさか! この計画のためにわざわざ――!! んぐっ!?」
予期できた反応に、すぐに口を塞ぐ。
見えなくなった口と鼻から出る荒い呼吸が手にかかった。
どさくさに紛れて腰にやっていた逆の手を、彼女の尻に持っていくのも忘れない。
このボリュームのある作物。一体どんな栄養を使って実らせたというのか。これは後学のためにも調査しなければならない。
「静かにしろ。お前だから話したんだ」
アワンの瞳にすぐに理性が戻ったことを確認して、口元を自由にする。
お尻は自由にはしない。タイトスカートをこんなにパツパツにする尻が悪いとばかりに撫でまわす。
「失礼しました。ですが、それとこれとは別ですからね」
――――バチィッン!!
麦の穂の影から、男が飛び出す。
本日三度目の制裁は、これまでで一番痛かった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます