追放神子外典~え? 国王が追放されるパターンってあるの? ならまあ出て行くけど、その代わりこの国で一番いい女連れて行くから~

正作

第1話 カイン・オルキヌス

 

 ――――10年前


 喧騒の中、多数の人間たちで埋められた室内を真っすぐに歩いてくる白髪の男。

 その先には直立不動で男を待つ赤髪の少年。

 両者の距離が近づくにつれ、少年は見上げ、男は見下ろす。

 二人の視線は交錯し、周囲は緊張に背筋を正す。

 やがて互いの言葉が届く距離になった時、白髪の男は徐に口を開いた。


「カイン・オルキヌス。今日この日、この時をもって、お前が新たな国王だ」


 水面に雫を垂らしたような静寂が一瞬舞い降り、そして波は荒立つ。


「へ、陛下! 何を!」

「馬鹿な! 如何に優秀といえど、御子息は国を背負うにはまだ幼過ぎます!」

「ご乱心なされたか!!」

「この状況、この時分、まだ7歳になったばかりの少年にはあまりにも酷な仕打ち! お考え直しを!」


 左右からの忠臣達の言葉など雑音とばかりに、いや、もはや聞こえてないと言わんばかりに、両者は黙して見つめ合う。

 この国の王だった者と、この国の王にならんとする者。

 無言の時間を破ったのは、だった。


「拝命しました」


 丁寧な言葉とは裏腹に、少年は頭も下げず、また臣下の礼も取らない。

 少年は忠実に、勤勉に、旧国王――父の言葉の全てを受け止めたのだ。

 そこにはもう、少年はいなかった。いたのは、この国の新しい王だ。


 絶句する臣下たちを置き去りに、新国王の姿を見た白髪の男は満足げに一つ頷くと、背中を見せる。

 しかし、前に進み出すための歩みは一歩目で止められた。


「父様!」


 背に受けた息子の声に、迷いなく進み出したはずの父の足が止まる。

 再び振り向いた時、男の瞳に映ったのは王の顔ではなかった。


「……どうか約束を。母様のことを、必ず」


 何者かに連れ去られてしまった母を、どうか無事に連れ戻してほしい。

 それは息子から父への、ただ一つの切実なる願いだった。

 

「約束する」


 短く、しかし確かに答えられた。ここに固く結ばれた約束。

 未だかつて一度たりとも約束を破ったことのない男との、信頼に値する想いのやり取り。

 ただの王子であった少年は、憂いの全てを父に預け、今国王となる。

 父と母の帰りを信じ、王としての人生を歩み始めたのだった。


「…………ん?」


 意識が、覚醒する。

 目を開き、状況を認識した数秒後には、今まで見ていた光景が夢であったことが分かった。いや、厳密には夢ではなく、過去。つまり記憶の焼き直しだ。


「…………」


 青年の目覚めにおいて、覚醒状態に至るまでの時間は恐ろしく早い。

 さらに夢を見るなどという浅い睡眠は珍しく、今回の夢は本当に久方ぶりのものだったりする。


 青年は無言でベッドから這い出ると、足に引っかかったシーツを乱雑に蹴り飛ばし、鏡の前に立つ。

 大きな姿見には、赤髪に赤い瞳の青年が映っていた。

 あれから何年が経ったかなど、こうして成長した姿を見るまでもない。

 確認するまでもないこと。しかしこの節目とも言えるような時期にこの夢を見たことは、この過去を思い出したことは、多少なりとも運命性を感じてしまう。

 

 これまでは一桁で数えられていた数字が、とうとう二桁へ。

 あれから10年。7歳だった少年は、17歳の青年へ。

 鏡の中からこちらを真っすぐに見てくる男は、まるでこちらを睨みつけているかのよう。

 青年――カインも、負けじと鏡の中の不届き者を睨み返す。

 誰かの生き写しのような姿をした男を。


 あれから10年。

 約束は、未だ守られず。




***




「俺たちは親切で言ってんのよ、お姉ちゃん。初めてなんだろ? この国は」


「違います。どいてください、急いでるので」


 男は二人の仲間と共に、女の進行方向を巧みに塞ぐ。

 この手のことは何度となく繰り返してきているため、慣れたもの。

 これまでは速足で歩いていた女の足を、ごく自然に止めた。


「噓ついても無駄だって。この国の奴じゃないことくらい見りゃわかるんだから」


「そうそう。俺らが案内してあげるよ?」


「ここ結構危ないとこなんだぜ? 早く出た方がいい」


 女はこの国の人間ではない。そんなことは一目見た瞬間に分かったことだ。

 歩く速度、視線のやり方、纏っている雰囲気。全てがこの放浪地、延いてはこの国に合わない。

 多少の旅の汚れはあるものの、こんなに小綺麗な身なりをした女が放浪街のど真ん中を歩いていれば、浮いてしまうのは当然のこと。攫ってくださいと言っているようなものだ。


「ほっといてください。大声出しますよ」


「あー怖い。ちょっと声かけてるだけだってのに、まるで犯罪者みたいに」


 女の牽制を流しながら、男は仲間たちと視線で合図を交わす。

 会話で誘導できなかった場合は強硬手段。旅人の空気を感じるだけに、流石に頭空っぽのおのぼりではないらしい。

 だが不慣れな対応や強張った表情から見ても、修羅場にそう慣れているわけではない。男はイケると直感した。

 日が差し掛かったばかりの朝早くとはいえ、大声を出されればやりにくい。それにここ最近姿を見せ始めた例のあの男の事もある。あまり時間はかけられない。行動を起こすならすぐだ。


 目の前の女を明確に獲物と認定した男たちは、即座に動き出す。

 男が女の腕を掴んだ瞬間には、一人は背後に回って口を、もう一人は抵抗された時のための補助として待つ。

 いつもの手順。いつもの流れ。


 一人の女が今まさに連れ去られようとしていた、その時――。


「なーにやってんのかな? 人の土地で」


「「「!?」」」


 最初にその存在に気が付いたのは、女の背後に回って口を塞いでいた男。

 女の口元から太い手は滑り落ち、みるみる力を無くす。

 口を自由にされた女は、なぜか叫び声をあげない。むしろ男と一緒にあんぐりと大口を開けて呆ける。まるで旧来の仲間のように同じ姿の男女の視線は、遥か空を見上げるようだった。

 他二人の男たちも、釣られるように背後へと振り返り、声の主を見る。


 まず目に入ったのは人間の身体。

 しかし男の頭と同じ高さの視線の先に見えたのは、人間の胴にあたる部分。

 混乱した頭で、本能的に、自然に、ゆっくりと顔を上に向けて行けば、男のほぼ真上に人の顔を発見した。

 

「デ……デケェ……」


 そこには、見上げるような大男がいた。

 それは、人の枠組みに収まらない。人の姿をした、人ならざる存在。

 腰を屈めるようにこちらを覗き込んでもなお、男たちの倍はあろうかという身の丈。

 生物の根源的な恐怖感から、全身に鳥肌が立つ。


「きょ、巨人……」


 喘ぐような言葉が吐き出された瞬間、巨人が笑う。

 顔も体も、普通の人間と特に変わらない姿。ぱっと見では、人間をそのまま大きくしただけだ。

 しかし、ただデカいという事実だけで、こんなにも恐ろしい。

 下から見上げるだけで、人間の顔というのはここまで怖く見えるものなのか。


「ひ、ひやぁあああーーーー!?」


 その事実を頭で認識する前に、男たちは走っていた。

 他二人の様子を確認するまでもなく、行きつく行動は同じだと分かる。

 情けない声を上げながら、女一人をその場に残して、男たちは我先にと逃げ出した。




***

 



「くっくっく……」


 背を見せて全力で遠ざかっていく男たちを眺めながら、含み笑いを溢す。

 人間という生き物は緊急時にはあそこまで速く走ることができるのかと、まるで他人事のように。


「ふぅ」


 一息つくと、能力で体の大きさを変える。

 3メートル半は超えていた身長が、瞬く間に普通の人間サイズへと。

 俺は慣れた動きで普段の身長へと戻ると、地に伏した女に手を伸ばした。

 

 腰を抜かしたと思われる女は、こちらを眺めながら呆然と手を伸ばす。まだ現実を受け入れられないというように。

 しかし助けて貰ったという事実はなんとなく分かっているのだろう。だからこその無意識の動き。


 俺はすぐに手を取り、女を抱き起こす。

 たたらを踏んで俺の胸に寄り掛かった女が、頬を染めた。


「いやー災難だったな。ここはよそ者が観光でぶらっと来ていいような場所じゃねえぞ? というかよくこの国まで無事に来れたな。あっち側から来たんだろ?」


「え、どうしてよそ者だって……」


「いや、見りゃ分かるよ。そもそもこの国の奴はここには滅多に近づかない。それで、どこから来たんだ?」


「アンフィトリテから」


「……ほんとによく来れたな。で、そんなとこから遥々何しにこの国へ?」


「ここは聖地ですから」


「…………あー」


 またこのパターンか。

 正直若い女が一人、または複数でこの国にやってくる場合なんて理由は知れてる。

 それでこんな遥々遠い地までやってくるのだから、女という生き物は凄い。冗談ではなく命がけだ。いやほんとに。


「まあ、さっきのでよく分かったろ? こんなとこで若い女が一人で歩いてちゃあ危ない。獣たちが美人を血眼で狙ってるんだ。あんたなんか特に一人にゃさせられねぇよ」


 手を女の肩にするりと回し、ニコリと微笑む。

 拒絶なし。

 さらにこちら側にぐっと引き寄せるも、抵抗なし。

 顔を背けられるが、感触は悪くない。これはイケると判断する。

 しかしタイミングの悪いことに、意図せぬところから待ったがかけられた。


「カイン!!」


「ん?」

 

 振り返れば大声、それも怒声をあげる若い女。どうでもいいが美人だ。

 美人と認識した瞬間、細胞レベルの即応反射で外面を作り上げるが、それが既知の女だとわかったことで顔が歪みそうになる。

 知っている女、知っている美人が、どう見ても怒り顔。良い予感はしない。


「え!? カイン……?」


 真下から強い視線を感じるが、俺はそれどころではなかった。

 一体何が琴線に触れてしまったのか、急いで記憶を掘り起こす。


「アミラ! どうしたこんなところに? こんなに朝早く」


 しかし、間に合わなかった。

 ツカツカとアミラが近寄ってきた瞬間、旅の女から素早く離れて両手を広げる。とりあえず、理由は分からないが動くしかない。しかしアミラはいつものように胸に飛び込んではこず、俺の目の前で立ち止まった。


「何かあったのか? そんな顔して。美人が台無し――」


「エルリって子知ってる?」


 食い気味に被せられた詰問に、顔が一瞬強張る。


(やべ……一昨日の子だ)


「いや、全然知らん。聞いたこともない」


 ――――バチィッン!!


 衝撃に、無理やり顔の向きを変えられる。

 痛みに目を瞑り、そして開けば、旅の女と目が合った。

 ツカツカと足音が耳に入り、状況を認識する。

 ヒリヒリと痛む頬に手をやりながら、遠ざかっていく女の背中を見送った。


「……さっき俺の名前に反応してたけど、あんたの想像通り。俺がこの国の現国王、カイン・オルキヌス。よろしくな」


「……ほんとですか?」


 手で押さえる頬にジトっと懐疑的な視線が送られる。

 一国の王に対して、なんて失礼な娘だ。


「カイン!!」


「ん?」


 先ほどの繰り返しのような怒声に、俺は再度振り向く。

 アミラがまだ言い残したことがあったのかと思ったが、そこにいたのは全く別の女だった。

 その女が美女だと認識した瞬間、頬から即座に手を離して背筋を伸ばすが、それが既知の女だと認めた段階で冷や汗を背に流す。

 知っている女、知っている美人が、どう見ても怒り顔。嫌な予感しかしない。


「メリィ! どうしたこんなところに? こんなに朝早く」

 

 ツカツカと歩み寄って来る女を、俺は笑顔で迎え入れようとする。

 しかし広げた胸元のスペースには、やはり女は入ってこなかった。

 こちらを睨み上げてくる女の手にしか目がいかない。もはや今の俺は、手の動きにしか注目できない。


「何かあったのか? そんな顔して。美人が台無し――」


「さっきの女誰?」


(やべ……見られてた)


「いや、全然知らん。見たこともない」


 ――――バチィッン!!


 衝撃に、顔の向きが無理やりに変えられ、再び旅の女と目が合う。

 せめて逆の頬にしてもらいたかった。女の細腕といえど、まあまあ痛いのだ。腫れたところを叩かれたのだから当然だが。

 そこに畳みかけるのが、旅の女からのゴミを見るような視線での追い打ちだ。


「…………この国の挨拶なんだ。変わってるだろ?」


「じゃあ、私もいいですか?」


「…………」


 旅の女が手をひらひらと見せてくる。

 いや、あんたには何もしてないだろ。ああ、挨拶って言ったからか。

 俺は二度も三度ももはや変わらんと、半ば投げやりになって頬を差し出す。だが最低限の抵抗として逆の頬が良く見えるように顔を差し出した。

 しかし、本日の三度目は今ではなかった。


「カイン様!!」


(……またかよ)


 今度はいつの誰だ、そんなことを考えながら仏頂面で振り向く。


 そこにはやはり、既知の女がいた。

 知っている女、知っている美人が、そこにはいた。

 金髪に眼鏡をかけた、理知的な容貌の美女。


「げぇ! アワン!!」


 赤く腫れあがった頬が、引き攣った気がした。

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