第3話 令嬢の憂鬱 ①

 アンソニーとベアトリスの出会いから遡ること、1か月前。

 うっそうと木々の生え、誰も近づかない土地があった。人の目から隠れるように森の中に、ぽつんと家がある。公爵家とはいうには、あまりに粗末。山小屋といった方がよいくらいだ。

 丸太で組まれた小さな家の中で、公爵令嬢ベアトリスは父親から告げられた縁談に困惑していた。


「……やっぱりダメよ。いけませんわ……」

「ヴィー……どうしてだい?  なぜ、そんなことをいうのかね?」


 ベアトリスは憂いの表情をやめ、自分の肩にしっぽをのせる父親を睨み付ける。


「自分の容姿をご覧になってから、おっしゃってくださいまし」


 父親は細い眼を丸くして首をかしげた。ぴくぴくっと鼻が動き、細く白いひげがピンと張っている。耳は垂れているが、もともと垂れ耳の種類なので、悲しがっているわけではない。

 肉球をつけた手をもじもじさせた父親を見て、ベアトリスはため息をついた。


「わたくしたちが普通の人間と結婚するなど、無理です……容姿をどうやって隠すのですか」

「……シエナはこの姿が愛くるしいと言ってくれるよ」

「お母様は…………そうかもしれませんが、普通の殿方は受け入れられないでしょう?  猫に変幻してしまう女なんて……」


 ベアトリスは眉根を下げた。


 ベアトリスの血筋は初代の王から続くものだ。しかし、三代目の王がとち狂って魔女狩りした。難癖をつけて魔女を異端審問にかけ、魔女の愛猫まで処刑した。それが、生き残った魔女の怒りをかった。


 魔女は人々を先導してクーデターを起こし、王をその地位から引きずり下ろした。魔女の生き残りの一人がその身と引きかえに、ベアトリスの先祖に呪いをかける。同じ血が流れる者は猫に変幻してしまうものだ。


 この呪いは相手を好きだと思えば思うほど、容姿が猫に近づくものだった。それは、王家に屈辱を与えるものだろうと魔女は考えたのだ。もう二度と、おかしなことをしないよう、監視をするため、元王の一族は公爵家として残された。


 その結果、呪いに恐れおののき、公爵家の婚姻は遠ざかった。近親婚を繰り返したが、その代わり子ができにくいようになり、血筋は途絶える一歩前だ。


 辺境の地に迷い込んだ母が、奇跡的に父親を受け入れて、長い年月をかけて考えた末にベアトリスが産まれた。


 もう猫に変幻する血筋は、父親とベアトリスだけになっている。


 ベアトリスは自分の境遇を受け入れ、結婚はしないつもりだった。自分が子供を産まなければ魔女の怒りもなくなるだろう。


 ひっそりと辺境の地で、生涯を終わらせるつもりだった。


 それなのに、突然の婚姻。君命とあっては彼女も断れない。王家からは生活の援助を受けている。それが絶たれれば両親がどうなってしまうのか。


 猫化した父親が、しょんぼりしている姿が見えて嘆息した。


 いくらため息をついても、事態は変わらない。ベアトリスは夫となるアンソニーのことをもう一度振り返った。


(お相手は氷の騎士と噂されるアンソニー・ルーカン様……麗しい美貌の持ち主で、冷たい態度で幾人のご婦人を泣かせたというわ……)


「ヴィー?」──ごろごろ。


(あまりに女性を受け付けないから、王太子殿下の寵を受けているのではないかという噂もあるわね……)


「ヴィーたんっ」──ごろごろごろごろ。


(……その噂がもし本当ならわたくしにとっては僥倖かもしれないわ……ルーカン様がわたくしに心を寄せることもないでしょう。婚姻を結んでも里に帰れと言われるかもしれないわ……)


「ヴィーにゃんっ」──ごろにゃーぁん。


(もともと結婚は望んでなかったんじゃない……向こうに気がないのならそれで……)


 ベアトリスは昔、夢見た結婚生活を胸の中でかきけした。顔を上げてすりよる猫父に毅然と言う。


「わたくし、やっぱり結婚いたします」


 覚悟を決めて言うと、猫化した父親の瞳がうるみだす。長毛種なので、服から黒いモフモフがはみ出ていた。


「ヴィー……幸せになっておくれ」


 その言葉にベアトリスは曖昧に笑う。


(ここに戻ってくるのは無理かも……お父様たちに心配をかけてしまうわ……)


 別邸でもないものか。アンソニーはかなりのお金持ちらしいし、もしかしたら別荘のひとつでも持っているかもしれない。


 ベアトリスはかすかな希望にすがった。



 ***


 ベアトリスは母の故郷の民族衣装を身にまとい、ひとりで嫁いできた。アンソニーを見て腰を抜かしそうになった。


(待って……ねぇ、待って…… いい男すぎじゃない!)


 噂は伊達ではなかった。これは貴婦人がキャアキャア言うのも分かる気がする。

 ベアトリスは早くなった心臓をおさえこむ。


(あまりドキドキしてはダメよ……変幻してしまうっ)


 ベアトリスは小さく呼吸を繰り返し、心を乱さないようにアンソニーに向かって冷たい態度をとった。

 それなのにアンソニーは極上の笑みを浮かべて、ベアトリスに近づいてきた。あまり近づいてほしくない。彼の色香にあてられそうだ。


「初めまして。ベアトリス・グラウス公爵令嬢。俺はアンソニー・ルーカンです」


 耳朶に響く、柔らかい声だった。ベアトリスはアンソニーに見惚れてしまい、彼に手をとられた瞬間、我に返った。


(はっ……! いい声に聞き惚れている場合ではないわっ)

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