第2話 騎士の憂鬱 ②

「断ります。俺は今、スティラに夢中なのです。他の女に心を移す男などダメでしょう」

「猫の話だろ」

「スティラはいい女ですよ?  あれほど俺を惑わす存在はないですね」


 愛しい猫、いや彼女を思い出して、アンソニーは愉悦感に滲んだ笑顔になる。アンソニーの猫ぐるいに慣れたフィンにとって、アンソニーの性癖は把握済みだ。手は打ってある。


「僕を誰だと思っている。兄上たちを手を汚さずに破滅させた男だよ?  なめないでほしいものだね」


 不敵に笑うフィンに、アンソニーは訝しげな顔をする。


「君が恋に狂う相手を見つけた。一ヶ月後には僕に泣いて感謝するから結婚しろ」


 ふふふと不気味な笑みを漏らすフィンに、そういえば一番ヤバいのはこの人だった……と、過去を振り返るアンソニーだった。



 こうしてフィンの命令で結婚することになったアンソニーだったが、正直、気はのらなかった。


 どんな美女だって、スティラの悩ましい腰つきにはかなわない。

 彼女の美しさを保つ為に、爪でひっかかれながら毎日のブラッシングをかかさない男に誰が嫁ぎたいと思うのだろう。

 相手に失礼だ。幸せな結婚生活が送れるとは思えない。 


 それなのに無情にも時は過ぎ、妻となる人がやってくる朝になってしまった。

 アンソニーは気がのらなくて朝から、スティラにむかって猫じゃらしをふり続けていた。


「にゃうっ……にぁっ!」

(妻となる人は建国から続く公爵家だったな……)


「にゃんっ!」──たし。

(元々は王族だったが、クーデターの末に王位を剥奪され辺境の地へ追いやられたはずだ)


「ふぅぅぅ!」──ぱしん。ぱしん。

(呪われた一族といわれ、その詳細は不明か……近親婚を繰り返して容姿が異形になっているという噂もあるな……)


「にぁあっ!」──がりっ。


 渾身の猫パンチをうけてもアンソニーは真顔のままだ。

 スティラはツンとそっぽを向いた。彼はふ、と口の端をあげる。


「お前以外の女のことを考えているからって妬くなよ」


 スティラの目が細くなり、さらにもう一発、猫パンチをおみまいする。それでも、アンソニーは、可愛い奴といい、笑みを崩さなかった。


 そんな睦み合いをしている間に妻となる人物がきてしまった。

 頬にスティラの爪痕が残っているが、構わずアンソニーは騎士服を整えて出迎えの準備をする。


(この爪痕を見たら、猫好きなことがバレてドン引きされて、相手は帰るかもしれないな……)


 命令だと言われているが、婚姻届けはまだ出していない。逃げられましたといえば、減俸されるぐらいですむだろうか。それならいい。


(彼女が傷を気にしたら、猫好きなことを包み隠さず話すか……)


 来賓を出迎える部屋で待っていると、しゃらんと鈴の音がして彼女が入ってきた。


 彼女の姿にアンソニーは目を見開いて言葉を失った。


 まず目を奪われたのは腰まである艶やかな黒髪。アップにするのが貴婦人の間では常識とされているが、彼女の場合は結い上げる方が無粋だろう。波打つ黒髪はそれだけで装飾品のようだ。


 まっすぐアンソニーを見る瞳は黄金に輝き、つり目のせいか、気が強そうな印象だ。

 何より流行りのドレスではなく、東洋の天女みたいな姿に見惚れた。

 今までみたどの女性とも違う雰囲気に、アンソニーは沈黙してしまった。


 彼女は黙ったままでいる自分を不審に思ったのか、顔を上げて訝しげにみてくる。一切の媚がない視線に、アンソニーはぐっときた。動揺をかくして彼女に近づく。


「初めまして。ベアトリス・グラウス公爵令嬢。俺はアンソニー・ルーカンです」


 紳士の礼をして彼女の手をとろうとするが、パシンと振り払われた。目を丸くするアンソニーに彼女は氷のような冷たい目をする。


「……わたくしに気を使わないでください。この結婚は命令を受けてのこと。あなたはわたくしに情などないでしょう。わたくしもあなたに情を持つことはございませんので」


 淡々とした声が響き、アンソニーの腰骨がぞくりとうずいた。


 (なんだ、この女……面白い)


 この高揚感は、スティラを見たときのものと似ている。近づきたい欲求が高まり、アンソニーは無作法にベアトリスの左手を取ると、手の甲に唇を落とした。


「なにをっ……!」

 

 ベアトリスは自分の方へと手を引き、アンソニーを睨み付けた。

 胸の鼓動が早まり、アンソニーは目を細める。


「まぁ、そう言わないでください。俺たちは出会ったばかりだ。互いのことを隅々まで知ってから、白い結婚にするか否かは決めればいいでしょう。ひとまずあなたのことをヴィーと呼んでもいいですか?」

「――は?」

「俺のこともトニーと愛称で呼んでください」


 アンソニーは新しいオモチャを発見した子供のような顔をする。


「これからどうぞ宜しく、俺の奥様」


 そう言うと、ベアトリスは喉の奥に言葉を詰まらせ、ふいっとそっぽを向いた。

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