ニャンデレ! ~猫好き騎士は、妻が可愛すぎて憂鬱になる

りすこ

第1話 騎士の憂鬱 ①

 けだるそうにこちらを見る眼差しをアンソニーは甘い微笑みで受け流した。


 彼女は彼を一瞥して、しなやかな体を動かす。動くたびに彼女の白い肌が艶めき、いたずらに腰はゆれていた。

 アンソニーから理性が消えていく。

 今すぐ彼女の腹に顔を埋めて、ぬくもりを唇で感じたい。彼女の匂いをめいっぱい鼻で吸い込み、肺を満たすあの至福の時間に酔いしれたい。


 アンソニーは我慢できず、彼女に手を伸ばす。

 それを彼女はパシンと払って、ツンと澄ました態度をした。彼はくつくつ喉を震わせて口の端をあげる。


「つれない態度をとるなよ」


 アンソニーは両手で彼女を抱き上げようとしたが、爪を立てられた。ピリッとした痛みが手の甲に走る。それでも、アンソニーはひるまない。


 むしろ自分にだけ澄ました態度をとる彼女を見て、口が勝手に笑った。可愛い奴となでまわし、腕の中に抱き込みたくてたまらない。


 高鳴る鼓動を感じながら、アンソニーはポケットに忍ばせたものを取り出す。


 彼女はピクンと反応した。黄金の瞳がすっと細くなる。アンソニーがソレを揺らすと、彼女は前足をあげた。


「おいで、スティラ」


 アンソニーが低い声で囁くと、スティラは前足を蹴った。


「ニャア!」

「くくっ……そんなにがっつくな。満足するまで遊んでやる」


 猫じゃらしに夢中になって自分にのしかかってくるスティラに、アンソニーはしたり顔になる。

 それもそのはず。これはスティラを夢中にさせるため、先端の毛を何種類も変えて、改良に改良をくわえたもの。これさえあれば彼女はいちころだ。


 アンソニー・ルーカン。28歳。独身。愛猫スティラとの睦言に興じ、充実感を覚える彼は、間違いなく残念なイケメンであった。


 アンソニーは無類の猫好きだった。これには、一応、訳がある。


 ルーカン伯爵家の三男に産まれた彼は、兄のスペアのスペアとして生を受けて、兄が健康で問題なく爵位を引き継いだので、早々に騎士を目指した。


 王家に仕える騎士として早くから頭角をあらわした彼は、第三王子、フィン専属の護衛騎士にまであっさり昇格する。当時、フィンの護衛は誰もやりたがらなかったのだ。


 王位継承権から最も遠く、性格も愚鈍とみなされていたフィンよりも、第一、第二王子付きの騎士になる方が出世できそうだったのだ。


 かれこれ二年前の話になるが、第一、第二王子の間では継承権を巡って、熾烈なデスゲームが繰り広げられていた。


 毒の盛り合い、後ろ盾の貴族の裏切りは当たり前で、醜悪な光景が日常茶飯事だった。


 覇権争いから遠ざかっていたはずのフィンも周囲に殺されかけた。それは一度や二度ではない。


 そんなフィンの盾となり、矛となり、時には容赦なく相手を潰したり尋問したりして守り抜いたのがアンソニーだった。アンソニーは声に特徴がある。わずかだが、魔力がある彼は、声で人を操ることを長けていた。


 結局、両王子はフィンが後ろ盾を含めた醜聞を公表して、一掃した。フィンは王位継承権、第一位となり、王太子になった。


「馬鹿が共倒れしてくれてよかったよ」


 全てが終わり、薄く笑ったフィンにアンソニーは両肩をすくめた。


(フィン殿下が、計算高く、腹黒だったな)


 フィンを守り騎士になって十年。醜い側面をみすぎたアンソニーは根本的に人嫌いだ。人は信じられない。

 貴婦人による付きまといも多く、彼は人間不信ぎみになっていた。


 長身で体格のよい彼はいるだけで存在感がある。

 すっと通った鼻梁に、完璧なまでに左右対称に均整のとれた顔立ち。冷たく見える切れ長の瞳の下には、泣きぼくろがある。彼の顔は、抱いて!とご婦人方のハートを鷲掴みにし、心地よい低音の声は、抱いて!と震える若い男子もいるほどだ。


 とにかくアンソニーは見た目から周りを惹き付けた。それをうっとおしがるようになって、口調は荒く、態度は不遜になったが、彼のファンを熱狂させるだけだった。


 髪を伸ばせば女のように見えるだろうと長髪にしたら、ファンは興奮で倒れて事態は悪化した。


 そんなときに彼は、自分に一切なびかない猫を見て心を奪われた。簡単には心を許さない彼女が、自分を押し倒し、爪を立てながら、シャツをふみふみされて――

 アンソニーは、猫沼に落ちた。


 第一に猫、第二に猫、第三ぐらいにフィン……いや、やはり猫。という優先順位になってしまった。アンソニーは、もう手遅れだ。元の彼に戻ることは、不可能だろう。

 

 愛猫に夢中になり、アンソニーはすっかり婚期を逃してしまった。


 アンソニーは今の生活に充実感を覚えていたが、周りが彼を放っておかなかった。


 30歳近くになった彼は十代にはない色香を放つようになり、ふらちな妄想の対象者として見られてしまった。ボーイとボーイが、裸でいちゃいちゃする本のモデルにされてしまい、社交界の場で、こっそり流行り出してしまった。


 最悪なことに本は過激さを増して、フィンとの関係を疑われるようになってしまう。

 つまりなぜか、アンソニーはフィンを、あの手この手で、ベッドの上で追いつめていると思われたのである。そして、フィンもイヤといいながら、受け入れているとも。


 結婚したフィンになかなか子供ができなかったのも、ひとつの要因だろう。

 もう1つの要因としては、フィンは幼い顔立ちに金髪・碧眼と、受け身にしたくなる顔立ちだったのだ。


 それにこの国では長い独裁政権の反動で表現の自由が早くから認められ、創作に関して寛容だった。


 薔薇が咲こうが、百合が咲こうが、腰から下の筋肉を見せようが黙認されている。


 しかし、自分までもふらちな対象に見られて、フィンはとうとうキレた。


「アンソニー、命令だ。結婚しろ」


 アンソニーは顔をしかめた。

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