第12話 三顧の礼・前編(残り93日)


「女のニオイがする」


「俺にはすっかり乾ききったペンキのニオイしかしないが?」


 一瞬だけ眉をピクリと痙攣させる影麻呂。本当にニオイなんかするのか?

 いや、別に隠してるわけじゃないから。話す必要がないから黙ってるだけだし。


「少なくとも5、6年は誰も使ってなかったみたいだぞ。それに今朝、消臭剤を振りまいたからな。女のニオイなどするはずがない。おそらく芳香剤だな。石鹸のニオイイコール女子のニオイだ。Q.E.D.」


「ふーん。まぁ私の知らないところで女の子を部屋に連れ込むなんてキャラ崩壊、ご主人様がするはずがないですよね」


「俺がどこで何しててもいいだろ、お前は俺の何なんだよ」


「奴隷だよ、ご主人様」


「くぅぅぅぅ。凄くイラつくけど、今日は我慢するぜ。今日はお前に紹介したい人がいるんだ」


「ほほう。やっと、ご主人様が私に心を開いてくれたってわけ」


「ホントやりにくいな――見てくれよ、この俺の部室。呪術的な防御がゼロだ。頼りないよな。せめて簡単な人払いと呪詛返しくらいは備えておきたい」


「いかにも男子っぽい、自分の城を手に入れたパパさんだね。私が振り回されるママと子供」


「なんだって?」


「ヒノキのお風呂、天井にまで届く書斎、バーベキューセット、ガレージの裏には燻製器とビール醸造器……」


「待て待て待て、何かトラウマがあるのか!?」


「デッサン会の続きをするだけならこんなに大きな箱はいらないよね。ご主人様は筋肉は大好きな癖して、自分は飛んだり跳ねたりするタイプじゃないよね、だのにあの広すぎる部屋。な-に考えているのかな……ご主人様が好きそうなものといえば――」


「わー待て待て、図星だ、図星。だから、余計な詮索は止めて、恥ずかしい」


なにしろ部室改造計画はすでに第11次計画まで出来上がっているのだ。

ここで答え合わせはされたくない。


「まーた、私を人足に使うつもりなんでしょう? だって私は奴隷ですもんねぇ」


「――じゃ、じゃあ、お前の希望も聞いてやるよ、ちょっとだけだぞ。だから最期まで付き合ってくれよな」


「ふーん。じゃあ、とりあえず屋上にスタードーム。寝ころびながら星空が見えるの、素敵じゃない?」


「オーケイ。それくらいなら何とか……」


 元から違法建築の建物だ。多少無茶な改造をしても怒られはしないだろう。

 半球形のアクリル板、手に入るか?無理なら亀甲型?

 頭の中であれこれと図面を引く影麻呂の顔を見て、ソラナも少し満足したようだ。


「で、私に合わせたい人って誰かな? つまりは魔術関係の人ってことだよね?」


                  ◇


 校舎を離れ、森の中へ入る。林道を抜けると、小さな丘の上に八角形の小さな建物がある。1階建ての木造西洋風建築で、コテージを少し立派にしたような風貌だ。

 ドアを開けると誰もいない受付、そこを抜けると建物の中心部。八角形の待合室になっている。建物のあちこちにはタイやベトナム、東南アジアの調度品・民芸品が置飾られていて、アジアンな雰囲気で彩られていた。入ってきた受付のドア以外にドアは3つ。ちょうど十字に配置されている。

 そのうちの一つにはカレンダーがぶら下げられていて、周りには様々なポスターが張られていた。


「俺の呪術の師匠だ」


 そう聞かされてソラナは少しドキリとした。恋人に親を紹介されるような気分。別に影麻呂のことを意識し始めたとかそーいうことではなく、それもこれも影麻呂の異常な秘密主義のせいなのだ。

 突然にそんな重要人物が登場するのか。


「学校の職員なんだ」


「ああ、そうだ。ついでに俺の『ストリートダンス部』の顧問になってもらう」


 ずっとウキウキ顔の影麻が少しだけうっとおしい。

 しかし、影麻呂以上の術者だとすればソラナ自身の目的のためにも、会って損はないはずだ。

 壁に貼られたポスターは『自殺する前に相談を』『ヤングケアラーって知ってる?』『薬物の恐怖』『避妊しよう』と高校生にとって身近な話題ばかりだった。


「蛇崩でーす。入りますよ?」


 影麻呂はノックをするとドアノブに手を掛ける。

 開かれた部屋の中は、待合室と同じアジアンな雰囲気に包まれていたが、明らかに目に留まるある特徴を示していた。

 清潔な白いシーツを敷いたベッド。それを取り囲むカーテン。部屋の隅の身長計と体重計。白いフィルム観察器、ドイツ語で言うところのシャウカステン。瓶の容器が並んだ薬棚。そう、いわゆる保健室。


 椅子に座った女性は白衣を着ていた。歳は彼ら高校生の母親世代よりはやや若い。30歳を過ぎてそれなりの。

 頭は目立つマッシュルームヘア。赤い縁の眼鏡をしている。色気があるタイプでも家庭的なタイプでもない。強いて言えばデザイン系界隈にいるアクが強い感じ女性。


「よう蛇崩は久しぶり、それと初めまして別嬪べっぴんちゃん」


「あ、はじめまして。私は天花寺ソラナです」


「私は、梅壺恵。メグちゃん先生って呼んでくれい」


「なぁ師匠。こいつはいったい誰だと思うよ?」


「うーん。来月寿退社して学校を去る私を喜ばせるために、今日一日だけ恋人のふりをしてくれと5万円握らせて連れてきたクラスメートかな?」


「ちげーよ」


「先生、結婚なさるんですか?」


「いつだって結婚してやるぜ、そのためにまずは相手連れて来いよ!」


「師匠はいつもこんな調子だから、気にするな」


「はずれぇ?じゃあ、アレだ。入学早々、午前様に手を出して死んだ転校生」


 一瞬にしてメグちゃん先生の表情が険しいものになった。


「な……なんで……それを」


「馬鹿野郎。午前様を管理してるのは学園なんだぞ。どれだけ大人をマヌケだと見くびってんだ、若者。理事長と私の二人でもみ消してなきゃ、今頃大騒ぎになってんだぞ」


 充分に影麻呂を恫喝できたと満足すると、すぐにいつもの雰囲気に戻るメグちゃん先生。


「悪い、師匠。ケツ拭いてもらって」


「その件はすべて私の責任です。蛇崩君は悪くありません。罰はすべて私一人が――」


「いやぁ、まーいろいろ面倒なことになってるみたいだけど、お前たち二人が納得してるなら、大人は何も言わない。若人の自主性に委ねるというのが理事長様の方針だかんね」


『いろいろ面倒なこと』。おそらく影麻呂の寿命のことも把握済みという訳だ。それでも、あれやこれやと口出してこないのは師匠らしいと言えば師匠らしい。


「なら話が早い。俺はこの、天花寺さんから呪力を借りたいと思ってるんだけどさ、そういう便利な術式とかないのかな、師匠」


「ふうむ。一度呪術の便利さを覚えてしまえば、縁を絶つことは出来ないってか」


「痛いとこ突かないでくれよ、師匠~」


「お前にはソラナちゃんのような覚悟がない。だから簡単に死ぬ」


 実際に即死したのはソラナの方なので苦笑いするしかない。


「いや、ソラナちゃんはきっちりプロとしての教育を受けている。この馬鹿とは違う。いざってときは、自信を持つんだ。」


 メグちゃん先生がソラナにウィンクを送る。


「さて、要は二人の間で、それもソラナちゃんから蛇崩に一方的に呪力を供給できればいいんだろ。それなら使い魔の応用だ。必要なのは二人の間のパスとフィルターだな」


「二人の間のパスって、つまり某エロゲみたいな展開が必要ってことかよ、師匠!」


『経路/パス』という単語に反応し、チラリとベッドの意識をやる。


「いっとくけど、エロゲじゃないんだからここのベッドでHなこととか考えんなよ。ここは先生専用だから」


「専用なのかよ!」


「まぁ、パスといっても呪術的なものだ。二人が同一ないし近侍した存在だと呪術的に定義する。例えば同じ文様の刺青を入れるとか、常に同じ服装をするとか、髪型ってのもあるな。誕生日が同じ、名字が同じなんてのもパスになる。『より有難い』モノほど呪術的な意味は強くなる。」


「よし、お前たち好きな喫茶店のメニュを言ってみろ」


「アメリカン」        「いちごパフェ」


「好きな動物は?」


「ツチブタ」         「猫ちゃん。ブリティッシュショートヘア」


「好きな科目は?」


「保健体育」         「歴史かなぁ」


「好きな漫画家」


「桂正和」          「池野恋先生」


「好きな歌手」


「パフューム」        「Queen」


「ジャンケンポイ」


「チョキ」          「ぐ~。やった勝った!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る