第7話 余剰な会話(残り96日)

純喫茶「ロンドン塔」。

黄瀬地区に古くからある喫茶店だ。

純喫茶とは酒類を扱わない、純粋な喫茶店のこと。

はるか昔、接客係の女給を配したカフェーなるものが流行した時期があり、それに対する言葉である。

煉瓦造りの雰囲気ある外観。

薄暗い店内にはアンティークが並び置かれている。


「不愛想な店長が一人いるだけ、パフェの類のメニューも無し。コーヒーを楽しむお店。高校生が来る可能性はほぼゼロだから、ここならお前と一緒でもクラスメートに目撃される心配はない」


そうは言いながらも用心して一番奥の席を選ぶ影麻呂。


「拘りのマスターだからね。初めての客なら、黙ってオリジナルブレンドだ。」


そんなこと言っていると、普段は不愛想なマスターが笑顔でお冷を持ってくる。


「いやぁ、蛇崩のボンじゃないか。今日は美人連れでどうしたんだい」


「いえ、ただのクラスメートです」


「(ご主人様の……)へへ、友達です」


「僕はこのロンドン塔のマスター。メニューにはないけど、パフェ作るよ、食べるかい?」


「あーいえいえ。お昼前なので……」


「そうか、じゃあケーキセットなんてどうだい。チーズケーキくらいなら大丈夫だろう」


「じゃあ、いただきます」


 この間、影麻呂の心の中はツッコミの連続だった。

 おい、マスター、愛想よすぎんだろ!

 パフェ作るんかい!

 ケーキセットなんか聞いたことないぞ!

 全くソラナパワーすげぇな、おい。

 思わず息も荒くなってしまう。


「はぁはぁ……。まぁとりあえず、今日は、あれだ。学校でごちゃごちゃ聞かれてもあれだから、お前の話したいことを少しは聞いてやろうの会だ」


 ソラナが上目遣いで影麻呂の表情を伺う


「あ、あ、あ。お前今、こいつちょっとごねたらチョロいとか思っただろ!思ったよな? 違うからな。俺は今一分一秒だって無駄にしたくないだけだ。いくらお前が美人でも、特別扱いされるなんて思うなよ」


 そういうとソラナはニヤニヤした顔で「あ、美人とか、言ってもらって、ホント、ありがたいっす」とおちゃらけた風で答える。


「あーあーあー、お前は自分が美人て自覚してるタイプだよな。だから言ってやるが、俺はお前みたいな美人が嫌いだ。なんていうか、圧があるんだよ。圧が」


「じゃぁさ、ずっと変顔で話してあげようか?」


次の瞬間こんな顔をして俺を黙って見つめるソラナの姿


(╯⊙3⊙╰)


「ブーーーーーーーーーーー  コーヒー吹いた!!」


(╯⊙3⊙╰)


「私、ソラナちゃん。 今日もご主人様に気に入られるため頑張ってるの ぶぶふふふ」


残念ながらその顔はマスターからは死角になって見えない。

ただ腹をよじらせ呼吸困難になる影麻呂の姿を見て、青春の尊さを実感しているのだった。


                  ◇


「お前の容姿のこととやかく言ったのは悪かった。まぁ俺は男だから、女の目をじっと見ながら話せってのは無理だから、そこは気にするな」


 会話中、相手の顔を見ている時間には男女差があると言われている。しかし、この場合大事なのは影麻呂は陰キャだということだ。陰キャは相手の顔を見て話せない。そして、陰キャは先回りして防御線を張ってしまう癖があるものだ。

なんだか面倒くさいなぁと思いながらも、口には出さず、チーズケーキをほおばるソラナ。


「私はもっと(ご主人様)のことを知りたいし、私のことをもっと知ってもらいたい。この想いの根元には私たちの裏の顔、私が背負っているものと蛇崩君が背負っているものへの興味だと思う。私がなぜ日本に来たのか、キミがなぜあんな決断をしたのか。でもね、それだけじゃないんだよ。だから、私も焦ってたのかもしれない。もっと時間が必要なのかもねって……だから今日は私は何も話さないし、(ご主人様)のプライベートも聞いたりはしない。ひとつだけ、何か面白い話をしてくれたら、それで終わりにしましょう」


 一応マスターがいることを気遣って、ご主人様の部分は小声だった。

 ソラナには御前様とは二度と関わってほしくない。だから、その手の話はしたくはないというのが本音だ。どうせいなくなる俺だ。できることも限られる。

 だったら、どうしても彼女に伝えておかなけりゃいけないことって何かな、と影麻呂は考えた。

 「そうだな」としばし考えた後に話始める。


「スタンダール・シンドロームという言葉を知っているか? フランスの文豪スタンダールが、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂にあるジオットのフレスコ画を鑑賞したときのことだ。スタンダールはフレスコ画の鑑賞中、突然の眩暈と動揺に襲われしばらく呆然としてしまったんだ。その逸話から名付けられたのが、スタンダール・シンドローム。やがて同様の症状を示した観光客の例が多数明らかになって科学的に研究されることになる。この症状は人が真に崇高な芸術作品を鑑賞したときに、圧倒的な充実感を味わい、それが圧迫感にさえ感じられ、眩暈や幻覚までも生じるということなんだ、この話を聞いてどう思う?」


「それは蛇崩君が見た人が失神するくらいスゴイ芸術作品を生み出したいってことを言いたいのかな?」

 

「違う。実はね、スタンダール・シンドロームの正体にはもう一つの説があって、フレスコ画はよく天井に描かれているものだろ。だから、それを見ようと上を見上げるとき、どうしても首を長時間後ろに反らすことになる。そうすると血管が圧迫され、血流が一時的に少なくなる。その時に生じる血栓が脳に一時的な障害をもたらすというわけだ。」


「なーんだ。芸術とは何の関係もない、つまらない話でしたってこと?」


「どうかな。単純な真実の方がずっと気楽さ。俺は人の営みはすべて血と骨と肉で説明できると思っている。だから、血と骨と肉こそ純粋で美しい。その最も優れたものの一つが目の前にあるなら、それを手にしたいと思う」


「ふーん。なんだか、哲学ね」


「いや、変態のたわごとさ」

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