第5話 緊急事態

――「オンライン・ファンタジア」制作会社、「リトス」内部にて。


 その部屋は、いつもは大きなモニターにゲームの世界が映し出され、不具合やプレイヤーの要望を元に修正を行う場所だ。映画館のように、大きなモニターに向かって机が多数並べられている。机の上には、パッドや専用機器など、デジタル器具が多く置かれていた。


 だが今は、机に座って作業する人も、ゲームの不具合を報告する人もいない。全員、慌ただしく走り回っている。机の上の機械には触れず、会社内にあるサーバー、つまりオンラインゲームにおける核のようなものである、巨大な機械に人が集まってきている。


 モニターには赤々と警告の文字がいっぱいになり、ゲームの世界を見ることはできない。緊急事態を告げるサイレンも鳴りやむことは無い。超一流のエンジニアがサーバーの調整を試みている。だがおかしなことに、機械自身には不具合は無く、サーバーもいたって正常だ。とある一点を除けば。


「どうなっているんだ!?どうしてプレイヤーのが破棄されている!?」


 リスポーン機能。


 それはプレイヤーがモンスターなどに敗北し、戦闘不可能になった時に、安全な町まで送り返される機能だ。俗に言う復活だ。これがあるから、プレイヤーは何度でも敵に挑むことができるし、何度でも試行錯誤を繰り返すことができる。


 エンジニアたちが困惑する中、泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、事態は更に悪い方向へと動き始めていた。ある一人のエンジニアが、顔を真っ青にして叫んだ。


「た、大変です! コンピューター内にウイルスと思われる不正プログラムが侵入! 次々とデータを書き換えられていきます!」


「ありえない……。このゲームのコンピューターはまだ初期段階とはいえ、次世代型の最新技術だ。そんな簡単に乗っ取られるわけがない」


「プレイヤーキルの恒常化、モンスター及びダンジョンの難化、ログアウトの破棄……」


 その場にいた全エンジニアたちの顔から生気が感じられなくなったころ、廊下から大勢の走る足音が聞こえ始めた。警察だ、警察が異常を聞いて助けに来てくれたんだ。


 近頃ではデジタル対策課、と言う物があるらしい。サイバー犯罪への、国家である警察の力だ。


 エンジニアたちは現実逃避をした。警察がコンピューターウィルスを聞きつけ、すぐに大勢で来ることなどない。そんなことみんな知っているものの、この異常事態に誰も正常な思考ができなくなっていた。


 それにここにいるのは、全員日本の一流のエンジニアたち。彼らで対応できないのならば……


「全員手を上げてひざまずけ! 少しでも不審な動きをした奴は撃つ!」


 多くの覆面を被った人たちが、銃をエンジニアたちに向けていた。知っているとは思うが、日本では銃の所持は、国からの認可が無い限り違法とされている。逆に言えば許可を得れば、持つことができる。


 だがそれも用途をはっきりさせる必要がある。例えばハンターなら、害獣を撃つための猟銃。警察なら、犯罪者に対応できる、小回りのききやすい拳銃。


 だからおかしいのだ。彼らが全員持っているのは、どう見ても戦争で使われているようなアサルトライフル。それの目的なんて一つしかない。


 ゲーム世界の地獄と同時に、現実世界でも地獄が始まろうとしていた。


ーーー


 呼吸がうまくできない。どうやって息を吸っていたか、どうやて息を吐いていたのか。その二つのサイクルがうまくかみ合わず、口と鼻から高い呼吸音だけが漏れ出て行く。ただただ、俺は目の前で起きた惨状が現実のものと思えなかった。


 目の前に転がっている男は、今日の第四のボス討伐の一行にいた人で、俺の近くを歩いていた。それが今は、左腕が無く、無くなった場所から赤い光のダメージエフェクトが出ている。それ自体はおかしいことではない。


 ダメージを受けた場所から、ダメージエフェクトと言う赤い光が出るのはこのゲームの基本現象だ。


 だがおかしいのはそこじゃない。彼の喉元には、深々と剣が突き刺さっている。この世界では、現実世界の急所と同じ場所にクリティカルが発生する。大体は首だ。


 彼は当然ゲームオーバー、戦闘不可能で強制リスポーンだ。最後に滞在していた町まで飛ばされるのだ。


 しかし彼はそうならない。倒れたまま動かないし、意識があるようにも見えない。リスポーンされず、意識も無く、ログアウトの表記もない。これじゃあまるで死んでいるようだ。


 突然目の前に鉈が振り下ろされた。それを反射でかわし、横方向へ転がった。石を巻き上げ、なんとか立ち上がる。だがまた鉈が振り下ろされる。今度はナイフを取り出し、正面からそれを受け止める。鈍い衝突音が響き、金属のこすれる音が振動する。


 俺は鉈を振り回す男、ニタニタと笑うその男を睨みつける。その男は、よくトッププレイヤー同士でダンジョンに潜っていた男だった。昨日は先発隊としてこのダンジョンに潜っていた。


「クソッ! 何なんだよ、お前は!」


 おかしいのはこの男だけではない。昨日先発隊として潜っていた十数人が、先ほどの警告の表記が現れてから暴れ出したのだ。先発隊の奴らは、前の方に固まっていた。そいつらが、最後尾の俺と刃を交えるほどの距離まで来ている。つまり、前の方にいたプレイヤーたちはこいつらに……。


「不思議だるォ~? ゲームなのに死んでもやり直せないんだずェ~? アイテムから命綱、ウェポンから殺人兵器に変わる瞬間はたまんねえぬァ」


 意味が分からない。こいつらはこの異常事態が起こることを知っていたのか? 口ぶりからすると、そのことを知っていたうえで、こうやって何の罪もないプレイヤーたちに刃を向けている。


 それにもう直感で理解してしまっていた。そんなことありえないと思いつつも、目の前で起きたことで理解をしなくてはならないと。状況の理解よりも先に、適応の方が重要であると。


 プレイヤーキルが可能になった。そして負ければゲームオーバーじゃない。死ぬ。なんの復活手段も無く、現実と同じ様に死ぬ。


 俺は徐々に刃が自分の方へ傾いて来ているのが分かった。暗殺者ジョブは、素早さが速い代わりに、単純な力の補正は無い。だから上から力で抑え込まれると、途端に不利になってしまう。


 ナイフを勢いよく右方向に流し、体制の崩れた男を力いっぱい蹴りつける。すると彼のステータスウィンドウのHPが少し減った。これで認めざるを得ない。プレイヤー同士の攻撃は、互いにダメージを与えることができる。


「いいねえ、この命のやり取り! この技術をたかがゲームに使うのは馬鹿みてえだよな、なぁ!?」


 いちいち癇に障る話し話し声だ。


「何が目的なんだっ! こんなに人を殺してっ!」


「へえ~、理解が速いぬぇ。んまあ、簡単な話、こっちでバンバン人殺してえ、現実の世界の人口減らしちまえば、スカスカの国なんか楽に侵略できるよねっつう話だァ」


 俺は、体の芯から衝撃が走ったような感覚に陥った。


 今なんて言った? 侵略? 異常事態なのはこのゲーム世界だけの話じゃないのか?


 となるとこのゲーム世界だけの話ではなく、現実世界の方でも何か起こっているのか。だとすれば、相手にとってはかなり勝算の高い状況に持ち込んできている。


 ゲーム世界で多くのユーザを殺し、残った大勢のユーザーたちをゲーム世界に幽閉する。現実世界では、減らした人口のおかげで作戦が進行しやすい。グダグダになった政府機関など、落とすのもたやすい、とでも言いたげなシナリオだ。


 だが実際にそうなのだろう。ゲーム内にいる人の中で、政府の要人もいるだろう。自衛隊や警察が、まともに動いてくれるとも限らない。それに世界中が同じような状況なのだとすれば、思った以上に大変なことになっている。


 目の前の男の笑みが、勝利を確信した笑みだと気づいたのはその時であった。

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