「山の神・白珪はっけいは、白珪山に棲む大きな狼だった。害獣である鹿や猪を狩る狼は山間の集落で守り神として崇められ、白珪の死後、村人達は亡骸からいでた白い玉を霊代たましろとしてまつった。神となった白珪は時折人の姿で人里を訪れて集落の秩序を乱す者を戒めたり、村の娘と恋に落ちて子をなしたという伝承が残っている」

「霊代って、御神体みたいなもの?」

「ああ、そうだ。咲菜子は賢いな」

「その白珪様があなただっていうの?」

「まあ、そういうことになる」

 訝しげな視線を送る私を彼は面白そうにみつめている。

――なんかムカつく……。

 私は咲弥子の霊を追い払ってしまった彼に腹を立てているのだが、彼は至極楽しそうだ。

「じゃあ、白珪様って呼んだらいいのね?」

「いやー、今の俺は神の成分は半分くらいだからなあ。そんなふうに呼ばれるのは面映ゆい」

 美しい顔でトボけたことを言う。目と鼻と口の形が良くて配置が完璧だとしても、やっぱりイラッとしてしまう。

「何よ成分て。真面目に答えて」

「大真面目だよ。話せば長いんだが、俺の神としての力は消えつつある。今まで遠く離れていても神通力で君を守ってきたが、そろそろそれも不可能となる。何も手を打たなければ君は深淵のものに喰われてしまうだろう。そうなる前に迎えに来たんだ。咲菜子、白珪山に帰ろう。霊力を磨いて追儺ついなの力を身につけるんだ。他の誰でもない、君自身を守るために」

「……何を言ってるのか理解できないんだけど」

 見た目は十五年前と同じ、神々しい程に美しいのに、口を開くとチャランポランな男に苛立ちを禁じ得ない。

「質問していい?」

「何なりと」

「昔の人が田畑を荒らす鹿とか猪を食べてくれる狼を山の神様として崇めてたのはわかるわ。で、百歩譲ってあなたがその白珪様だとして、どうして人間の姿なわけ? 御神体って白い玉じゃなかった? あと、今は半分くらいしか神様成分がないとか言ったけど、神様って有効期限があるの? それから、ツイナ? ナニソレ」

 私の質問に彼はにこにこしながら答えた。

「この肉体の前の持ち主はただの人間だったんだよ。ちょっと前――ええと、 大正十一年生まれだそうだ。こいつは人里で暮らせないようなことをしでかして呪いを受けた馬鹿で愚かな男だった。細かいことは追々話すが、この体はひもろぎとして捧げられたものだ。当時二十歳そこそこの若造だったが、そこから時を止めている」

「ひもろぎ……」

 聞き慣れない単語をスマートフォンで検索すると、神籬ひもろぎいう言葉がヒットした。神事の際、神霊を招き降ろすためのしろだそうだ。

――神様になった狼の魂が、若いイケメンの体に憑依してそのまま使ってるってこと?

 漫画やアニメの設定みたいだと考える私の隣で、彼は説明を続ける。

「そして追儺というのはな、鬼を追い払う儀式ことだ。大儺たいだとか鬼やらいとも言う。咲菜子は節分の豆まきをやったことあるかい? 追儺は豆まきの原形の一つとも考えられているんだよ」

「はあ……勉強になります。知らなくても生きていけそうだけど」

「勉強は嫌いと言っていたな」

 神の成分半分の白珪様とやらはニコニコしながら私がコーヒーを飲むのをみつめる。勉強はさっぱりだし容貌にも自信がないのでジロジロ見られていると不安しか湧いてこない。

――不気味とかキモいとか言われたことないんだろうなあ。

 私の仄暗い気持ちには全く気づいていないらしく、彼は笑顔でコーヒーを飲み干した。

「今日にでもここを立とう。荷造りを手伝うよ。この時期、山は冷えるから温かい服も買おう」

――そうだ、山に帰ろうとか言ってたっけ。

「えーと……山にこもるとかはちょっと遠慮したいけど、久しぶりにおばあちゃんの顔を見たいし帰ってもいいよ。一週間くらいなら」

「何を言うんだ。あの地は俺達の終の棲家だぞ。大丈夫、俺は全力で咲菜子の一生を幸せで実り豊かなものにする」

「え? あんな不便な山奥の村、暮らせないって。それに、一生を幸せって……意味わかって言ってる?」

 彼は大きく頷いた。

「わかってるに決まってるじゃあないか。十五年前にも言ったろ、君は俺のつがいなんだ」

「つ……」

「番」

 また私にわからない言葉を使う彼に眉根を寄せながら、スマートフォンで検索すると、子孫を残すための一対いっついオスメスの組み合わせと書いてあったので、そっ……と閉じた。

「バイバイ」

 言うなり私は席を立った。

 後ろで彼が何か言うのが聞こえたけれど、振り返らずに店を出た。

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