「えっ……だ、誰?」

「薄情だな〜っ。私達は二人で一つなのに」

「まだ出てくるなと言ったのに……咲菜子、とにかく座ろう」

 狼狽える私を、自称神が席へと連れ戻す。店内の客や店員は痴話喧嘩と思っているようで特に気に留める様子もない。

 私の姿をしたガラスに映る別人は、私と同じ動きで席まで移動して座った。

「咲菜子」

 彼は手を握った。私の手を包み込む大きくて温かいその手が、やはり彼は生きた普通の人間なのだと感じさせた。

「君は、本当は全部覚えている。知ってるはずだ、君と同じ顔をしたその霊の名前を」

 名前……私と同じ顔をした、この霊の……?

 じっと見ている。〝私〟が私を。私が〝私〟を。

 頭の中に、亡き母の声が響く。

『あなた達ならきっとすごくいいお姉ちゃんになるわね』

『離れないでね、危ないから』

 それから、浴衣の女の子の声。

『名前、何ていうん?』

『取り替えっこせん?』


「さ……や……咲弥子さやこ……」


 一筋の涙が頬を伝う。

 そうだ。私は……私達は――。


「加賀利咲弥子――君の双子の姉だ。あの日、君達は禁足地に入った。招かれたんだ、うつ幽世かくりよの堺の谷底――深淵しんえんに潜む死穢しえ……死んでも死にきれず、黄泉よみに行けずに留まっている哀れな魂に」

「あの浴衣の女の子のこと?」

 彼は頷いた。

「あれは飢饉の時に口減らしのため間引かれた子供達の霊の集合体だ。皆、七つにもならない幼子だった。座敷童、福の神として生家に繁栄をもたらすよう村の者達は願っていたようだが」

「そうは問屋が卸さないってさ」

 窓ガラスの中のもう一人の私――いや、咲弥子が言う。

 その顔は私とそっくりだ。

 母は間違えたことがなかったけれど、父はいつも「どっちがどっち?」と言っていた。

 私達はいつも一緒だった。同じものが好き、同じものが嫌い。言わなくても互いの考えがわかるくらい、生まれた時からずっと二人で一つだった。

――なのに、ある時から離れ離れになってしまった。

 あの日も二人で山へ行ったんだ。

 そして、そして咲弥子は……。


 目の前が一瞬真っ暗になった。


 あの日、私は見たんだ。気を失う直前に見たんだ。

 双子の片割れが闇に呑まれて消えるところを。


「なんで、なんで咲弥子はあんなっ……」

「名前を知られてしまったからだよ」

 嗚咽を漏らす私に、彼は表情を崩さず言った。

「名前を知られるということは、魂を握られたも同然。容易にしゅ――のろいをかけられてしまう。咲弥子は名前を教えてしまった」

「そんな…そんなことが現実に起こり得るの?」

 にわかには信じがたい話に私は顔を歪ませた。

「心霊・怪異の存在を知る君ならば、信じられるだろう?」

「たしかに……そうだけど。でも、やっぱおかしいよ。だって、咲弥子のこと忘れちゃうなんて。誰も咲弥子を覚えてないなんて。それも呪いだっていうの?」

「いいじゃない、別に。辛い記憶なんかない方がいい。白珪様だってそう思うでしょう?」

 あっけらかんと言ってのける咲弥子に私は目を白黒させた。

「白珪……さま? おばあちゃんのお団子のこと?」

 白珪さまは祖母が経営する団子屋の人気商品でこし餡入りの白玉団子だ。

「この人のことだよ。白珪様は、あの山の神様なんだよ。あのお団子の名前はそこからつけられたんだよ」

 窓ガラスの中の咲弥子は得意げに教えてくれた。

「でも、信じられない……この人が神様? 本当に?」

「アハハ、ちょっとアレな人だと思うよね。けど本当だよ。白珪様がいたおかげで咲菜子は助かったんだから。しかもさ、こんなイケメンなんてびっくりだよね。山にこもってちゃもったいなくない?」

「そだね。アハ……」

 こうして話していると、十五年の時を越えて一つに戻れたみたいでなんだかとても癒やされる。私達はこうあるべきだったんだ。楽しい、嬉しい、ずっとこのまま二人で……ううん、むしろ咲弥子が私に代わ

「そこまで」

 咲弥子が白珪様と呼んだ男が私達の間に手刀を振り下ろした。まるで空手の試合の時に審判が「やめ」という時みたいに。

「……わかったよ。またね、咲菜子」

 窓に映る表情が一瞬暗くなったが、すぐまた笑顔になった。

「いつでもそばにいるよ。怖いものから咲菜子を守ってあげる」

「え」

 咲弥子、と呼ぼうとした口を白珪が塞ぐ。文句を言うつもりで彼を睨んだけれど、彼の表情の険しさに竦んでしまって何も言えなくなった。

 数秒後、咲弥子だったものは完全に私を映しただけのものになった。

 辛い、悲し過ぎる。せっかく会えたのに……私はしばらく窓に映る自分をみつめていた。

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