8 疫病神①

 踏切を渡り、帰路につく咲菜子の少し後ろを男は歩いていた。

「ついてこないでよっ」

「酷いなあ。俺は君を守りに来たんだぞ」

「死霊に守ってもらわなくたって大丈夫よ。私にはこのお守りがあるんだから……あれっ?」

 胸元にあるはずのペンダントがないことに気づき、咲菜子は狼狽うろたえた。

「やだっ……どっかで落とした? どうしよう」

 ペンダントがないというだけで、指先が震えて息が苦しくなる。バッグを漁ってみてもみつからない。

「どうしよう、どうしたら……」

 涙目の咲菜子の前に、男は赤いものをぶら下げた。陽光を受けて輝いているのは、咲菜子のペンダントだ。

「返して!」

 叫ぶが早いか、咲菜子は彼の手からペンダントをひったくった。

「それの有効期限はそろそろ切れる。持ってても意味がない」

「何言ってんの……? 人の大事な物、勝手に奪うなんて」

「大事にしてくれて嬉しいよ。だが――」

 彼が言い終わらないうちに咲菜子は歩き出した。

「咲菜子、俺から離れないでくれ。理解してないようだから言うが、君には俺

が必要なんだ」

 ピタリと足を止めて咲菜子は振り返った。

「消えてよ、キモいから」

 自分が言われて傷ついた言葉を投げつけた。

 彼は表情を変えず、咲菜子の次の言葉を待っているように見える。

「……あなたがどこの誰か知らないし、霊かどうかもわからないけど、もう話しかけないで」

「黙れと言うなら黙るよ。ただ、そばにいさせてくれ。さっきも言ったが君には俺が」

「彼氏がいるの。一緒に暮らしてる。だから、あなたは必要ない」

 そう言い切って咲菜子は踵を返した。

 取り残された男は「やれやれ」とため息をつきながら左手で頭を掻いた。

「わがままなお姫様だ。俺に頼るしかすべはないのに……」


               *


『オムライス食べたいな〜』

 スマートフォンに届いた何とも脳天気なメッセージに救われた気がして、咲菜子はクスッと笑った。

 ブロッコリーとミニトマトを添えた、ほかほかの黄色いオムライスを想像する。

――チキンライス、ムネ肉でいいかなあ。モモは高いし……でも、やっぱモモにしよう。喜ぶ顔見たいし。そうだ、アイスも買って帰ろう。


 買い物をし、店を出たところで咲菜子はまたため息をついた。男が自動ドアのところで待ち構えていたのだ。

 素通りしようとすると、彼は咲菜子の行く手を塞ぎ足を止めさせた。

「無視するなんて酷いぞ、咲菜子」

「……おばあちゃんの教えなの。幽霊が見えたり話しかけられても無視しなさいって。相手にしなければそのうちどっか行くから」

「フミナが無視しろと言ったのは幽霊だろ。俺は違うのに」

 咲菜子は勢いよく顔を上げた。

「フ、フミナって……おばあちゃんのこと知ってるの?」

 秀一は「無論だ」と微笑んだ。

――そうだ、そういえば山で別れる時、フミナによろしくなって言ってたっけ。やっぱりこの人、あの時の……?

「あなた……おばあちゃんの知り合いなのね? 幽霊じゃないってことは、あなたもおばあちゃんや私のように見える人なのね」

 秀一は目を細めてうんうんと頷く。

「フミナのことは昔から知ってるよ。あの辺じゃ一番の拝み屋だ」

「拝み屋……ああ、霊媒師のことね」

 咲菜子の母方の実家比嘉里ひかり家は代々神霊の声に耳を傾け、厄災から村を守る役目を担ってきた。祖母のフミナは現在も現役の霊能力者として集落の信頼を得ている。

「たしかにおばあちゃんを頼っていろんな人が来てたみたいだけど……なんか人生相談みたいな感じなんでしょ。愚痴や不安を聞いて良さげなアドバイスする、みたいな。一応祈祷とかもしてるらしいけど」

「頼られているのは彼女の霊力というよりは人柄、だな。人の痛みがわかる女性だ。美人だし」

 恋人のことを語るような表情が少し気になったが、口に出すのは憚られた。彼と祖母では、どう考えても歳が離れ過ぎている。

「……あなたのこと、覚えてる。私が小さい時に山で助けてくれた人よね。だけど変だわ。あれから十五年も経ってるのに、あなたはあの時のままだもん。童顔とか若作りとかのレベルじゃない」

「話すよ。立ち話もなんだから……」

「いや、今日はもう時間ないって。アイスとかお肉持ってるし。もし用があるなら仕事が休みの日にしてくれる?」

「仕事とは、今朝君が向かっていたあのビルの七階に入っている会社での勤務のことか? あそこにはもう退職すると伝えてあるが」

「はあ?」

 その言葉に食材が入ったエコバッグを落としそうになった。

「退職届というやつをな、書いてきた」

「退職? え、そんなの、私本人からじゃなくてもいいの? てか、なんで?」

「だからそれをゆっくり話そうと……クリームソーダは好きか? あれでも喫しながら話を――さ、咲菜子?」

 わなわなと震え紅潮していく咲菜子の顔に男はたじろいだ。

「帰る」

 低く言い放ち、咲菜子は走り出した。

 男はまたもや、咲菜子を引き止めることに失敗したのだった。

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