「……」

 インターネットカフェの個室で私は涙を拭った。

 博生と険悪なムードになってしまい、友達と会うなどとすぐ見透かされそうな嘘をついて出てきたが、行く当てもないので駅ビルの入っているこの店に行き着いたのだ。

――お母さんが生きてたら、仕事や恋愛の悩みを相談できたんだろうなあ……。

 母の言葉の一つ一つを忘れまいと反芻はんすうする。

 母は優しかった。

 母はいつも私達のそばにいてくれた。

 母は私達を分け隔てなく慈しみ――……ん?

 いや、おかしい。私は一人っ子だ。あの時母のお腹にいた赤ちゃんも亡くなってしまったし、兄弟はいない。はず、だ。

 それより、自分のことを神だとか言ったあの男の人――今日喫茶店で会ったあの人に違いない。服装は十五年前とは全く違っていたけれど、あの顔、あの瞳の色はあの日のままだ。全然老けていなかったけど……童顔なのかな。彼はいったい何者なんだろう? 私の前に現れたのは偶然? それとも、本当に迎えに来たの?

「……わかんない。検索しよ」

 パソコンの検索バーに〝白珪山はっけいざん 五歳女児 行方不明 二〇〇四年〟と入力してみた。当時、私のことが新聞やテレビのニュースに出たはずだ。

 [検索]をクリック――直後、視界が暗転した。


          *


「は?」

 人肌の温もりに違和感を覚えて目を開けると、目の前にあったのは博生の顔だった。

――何、なんで? ネカフェにいたのに……。

 そうだ、検索しようとしていたはず。それからの記憶がプツリと途切れている。

 勢いよく飛び起きてさらに驚愕した。私、裸だ。

――全裸……同じベッドには博生……つまり、私は……。

「おーはよっ」

 博生の腕が私をベッドに引き戻した。

「ひ、博生、あの、私……」

「昨日はさーちゃんの意外な一面見られて良かったなあ〜。このツンデレさんめっ」

 語尾にハートマークがついていそうな甘い声――機嫌がいいの時の声だ。


 博生によると、私は昨晩泣きながら帰ってきて彼に許しを求めたらしい。そして、あろうことか霊が見えることを告白したというのだ。

「チャトレは嘘でも俺以外とエッチな会話とかしたくないって泣いちゃって〜、で霊視とかならできるからってそれで稼ごうって動画チャンネル開設したんだよね。早速配信したらめっちゃアクセスされて、もうびっくりだったよね。まあ、ナンダカンダさーちゃんて可愛いから、それもあって……」

「嘘でしょ……顔、出したの?」

 博生に見せてもらうと『霊感女子☆さなやん』というアカウントが表示された。アイコンはバッチリメイクの私の顔写真だが、こんなメイク絶対しないし写真も撮った覚えがない。そして、配信したという動画を見た私は絶句した。

 そこに映っているのは、たしかに私だった。私の服を着た人間が、私の声で喋って、笑っている――だけど、違う。私のはずがない。

 だって私はこんなふうに明るく笑わない。笑えなくなったんだ、母を亡くしたあの日から。それに霊が見えることをこんなにも軽い感じで公表しない。

『不気味な子ね。幽霊が見える? 気を引くための嘘でしょ』

『あんたは他人を不幸にする人間なの』

『みーんな咲菜子のことキモいって言ってるよ』

 傷つけられた生々しい記憶が、こんなことさせない。

 だが博生曰く「さーちゃんノリノリで霊視してた」そうだ。現に、いつもこのアパートの周辺にいる地縛霊のおじさんのことをぺらぺらと喋る私が動画に映っている。

 次回の配信では心霊スポットに行って心霊現象の検証をすると予告して初の動画投稿を締めくくった私……もう別れても仕方ないと思っていた男と仲良くベッドで寝ていた私……どれも自分じゃない。

 何があったっていうの?



 茫然自失の私を置いて、博生は私の財布から三万抜いて出かけていった。今日はパチンコ屋さんの新台入れ替えだそうだ。文句を言う気力も出なかったし、一人になれて好都合だった。

 彼が出ていってすぐ、私も家を出た。行き先は昨日の喫茶店だ。行けばあの人――昔、山で会った神様に会える気がする。きっとあの店のあの席で私を待ってる。そう確信していた。

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